【Ⅰ】ー2 記憶
「思ったより物分かりがいいじゃないか」
デリヤの執事宅から貴族層の住民として違和感なく歩き回れるような服を拝借して、しばらく進んだ頃だった。その間ずっと黙って従っていたランテに、デリヤの方から声を掛けてきた。
「思ったよりって?」
「君のことだから、盗みは良くないとか言ってごねだすと思ってた」
「後で返せば、盗んだことにはならないかなと思って。それに」
留守だから行く。デリヤの言ったことの意味は、後からランテにも理解できた。ランテは指名手配犯であり、デリヤだって中央から狙われる身だ。服を貸すだけだったとしても、そんな人間に手を貸したとなれば、中央は黙っていないかもしれない。デリヤは執事に中央の手がかからないように、あえて留守中を選んで向かったのだろう。
「執事の人に迷惑かけるわけにもいかないって、オレにも分かったから」
「……やっと頭を使うことを覚えたのかい?」
「うん」
気遣いに気づかれたことの照れ隠しに使った皮肉だと分かったが、ランテはそのまま素直に返答した。デリヤはちらりと視線を寄越して、一度口を閉ざすことにしたようだ。返答に困ったらしかった。
「デリヤ、これから二日間、どうする?」
少しの間黙ったまま歩を進めたが、迷いなく道を選んでどこかへ向かっているらしいデリヤの行き先が気になって、今度はランテから話しかけることにする。デリヤからの返答は早かった。やはり目的地は既に決めていたらしい。
「中流貴族の庭ででも過ごそうと思ってる」
「え、庭?」
思わぬ答えが返ってきて、ランテは目を丸くした。もっとどこかで身を潜めなくて良いのだろうか。
「貴族の屋敷の大きさは、家の財力を示すようなものだ。だから貴族たちは、見栄を張って競って大きな屋敷を作る。ほとんど使いもしないのにね。馬鹿馬鹿しい限りだけど、それを利用しようってわけだよ」
「でも手入れとかで誰かが通るんじゃ」
「上流貴族の庭は手入れも行き届いているし、ほとんどが結界で侵入を感知するようになってるから不可能だけど、中流はそうでもない。奴らは屋敷を大きくすることに必死で、案外隅の方には手を回していないんだよ」
「そしたら、その隅の方に隠れていればってことか」
「入る屋敷は選んだ方がいいけど」
早朝の街はちらほらと人が通るだけで、今ならばまだ人目が少ない。デリヤの言う通りどこかの屋敷の敷地に侵入するならば、早い方がよさそうだ。
「あ」
その時だった。進行方向に、朝日を受けて鋭く煌めく白い鎧をランテは見た。はたと足を止めたランテを少し振り返って、デリヤは溜息を寄越す。
「前言を撤回するよ。まだ君には使う頭がなかったみたいだ」
「でも、兵が」
「証持ちだ。問題ない。そうやって不審な動きをする方が注意網に掛かるよ。馬鹿なのかい?」
見れば、確かに兜の側面に黄色い証がつけられてある。
「証持ちなら何で問題ないの?」
「僕たちは光速で飛んできた。騒ぎは起こしたけど、証持ちを集めて指示を出し直す時間はまだ取れていないはずだ。だから、今の間に潜伏する。急ぎなよ」
早足になったデリヤを追いかけながら、立派で洒落た建物の並ぶ街を行く。家を成す煉瓦や木などに光の永続呪がかけられているのだろう、それ一つ一つは淡く輝いている。中央部に近づいているのか、歩けば歩くほどに建物は豪華になっていくようだ。敷地も広くなり、よく見れば確かに、目立ちにくいところで草が伸び放題になったような庭も散見された。
エルティを横断できるくらいの距離は歩いたように、ランテには感じられた。その間、証持ちの兵たちには両の手では数えきれないほど出会ったが、いずれもランテとデリヤに反応は示さなかった。執事宅で得たもので簡単な変装をしているから対応しきれていないのか、それとも貴族層まで入り込まれることは予想していなかったのか。何にせよ、ランテとデリヤが大聖堂の抜け道を使って貴族層に侵入したという続報と、侵入者を捕縛せよという命令が伝えられるまでは、通行人の目さえ気にしていれば良さそうだ。
「あの家がいいな」
それからしばらく同じ道を行き来して、デリヤがとある一軒の前で立ち止まった。敷地の広さは周囲と同じくらいで北支部の四分の一ほどはあり、屋敷と庭とで二等分されている。どうやらそれなりに年季の入った建物らしく、屋敷を構成する煉瓦にはやはり光呪の永続呪がかけられているものの、他のものと並ぶと光に強さを感じない。煉瓦が汚れているのか、それとも永続呪が効果を失いつつあるのか。庭は門付近の一角のみ見事な薔薇庭園となっているが、それ以外は大して手を入れられているようには見えず、植木が伸び放題になっており、雑草と思しき草で埋められた箇所もあった。
「人は住んでるけど、庭に関心がないらしいね。使用人の数も少なそうだ。倉庫でも探して潜伏しようか」
「敷地は広いけど、あまりお金がないのかな? 他と比べると、何か没落した感じというか」
「そうでもないらしいよ。さっき家紋を見つけた。デワーヌ家の関係者だ。長兄が有能で随分出世してたはずだけど。むしろ中流の中では勢いのあった方だよ。資金力がないとは思えないな」
「そっか。それじゃ……あれ?」
「何だい?」
「デワーヌ家って、どこかで聞いた気が」
——あんたの妹は今はデワーヌ家の次男の妾として囲われてる。
デリヤとの会話の最中、ランテの脳内に電撃が走ったような衝撃が生じた。思わず声を張り上げる。
「ユイカさんだ!」
「は?」
「ユウラの妹だよ! デワーヌ家の人に囲われてるって、確か」
聞いて、デリヤは少しの間押し黙った。視線を低く
「声が大きいよ。だから何だって言うんだい? 今はどうにもできないことだ」
「だけど」
「いいかい? 今は僕と君、二人だ。時間もない。妹を助けてもユウラが手遅れになったんじゃ、何にもならないだろう」
「それは……そう、だけど」
「分かったらさっさと行くよ。流石に黙っていた方がいい。気づかれたら終わりだからね」
言い残してひらりと壁を乗り越えたデリヤを見送って、ランテはその場に立ち尽くしていた。屋敷に目を向ける。もしかしたら、このたくさんの部屋のどこかに、ユイカがいるかもしれない。
そのとき、偶々目を向けた窓の一つに、人影が映り込んだ。それは一瞬のことではあったが、その人影が赤髪の女性に見えた気がして、ランテはますます居ても立ってもいられないような気持ちになる。
ただ、だ。
デリヤの言ったことは、紛れもない正論だった。今助け出したとして、行動を共にするわけにもいかないだろう。その方が危険だ。分かる。今は、ちゃんと、それが分からなくてはならない。
迷いを振り切るように、ランテは首を振った。地面を蹴り出して宙を舞う。それでも迷いを全部捨てられた訳ではない。視界の隅に移った赤に思わず視線を走らせれば、それは、風で舞い上がったらしい薔薇の小さなひとひらだった。
庭の隅に見つけた倉庫の中は、古びた外観から想像していたのとは違って、案外整理されていた。用具、土、肥料、種と、種類ごとに綺麗に分けて保管されている。土の匂いが蔓延しているが、風雨をしのぐには十分で、二日半程度の潜伏であれば贅沢なほどとも言えた。
「少なくとも三部隊は必要になるだろうね」
倉庫の奥まったところに二人向き合って腰を下ろしてから、デリヤが切り出し、続ける。
「本部を攻める本隊、召喚士を潰す遊撃隊、人質の解放を狙う救出隊」
「デリヤは遊撃隊で決定として……ほとんどは本隊になるのかな? でもデリヤ、オレは救出隊に入りたい」
「救出隊は当然敵陣の奥へ入ることになる。狙われている君をそこに放り込むのは愚策だ」
「だったらどうすれば?」
「重要なのは本隊と遊撃隊だ。敵の余裕を奪ってしまえば、人質をどうこうする余力もなくなるよ。総力戦になるならね。あまりこっちが有利すぎるのもよくない。腹いせに殺される可能性がある」
「それじゃあ、敵と一進一退の攻防をしながら、その間にテイトを救い出すってことになるのかな」
「中央本部は広い。テイトの居場所も分からないんじゃ、効率が悪すぎる。準備が整うまでは均衡を保っておいて、それが済んだら一気に畳みかけて門を攻め落とす。そして、一番詳しそうなのから話を聞くのがいいんじゃないかい?」
「詳しそうなの……セトとユウラか」
「問題は、本隊の指揮を誰が執るかってことだね。セトが得意としている少数精鋭の部隊じゃないにしても、やっぱり副長は副長だからね。北支部の人間なら、支部長以外じゃセトに勝てない。東ならフィレネ副長でどうにか五分ってところじゃないかい?」
「誰が来るか分からないんだ。ルノアが帰ってきたら、事前に調べることもできるかもしれないけど」
「不確定要素は当てにしない。戦術の基本だよ」
「うん……」
張り合わせた板の隙間から、光がかすかに射し込んでくる。ふと見下ろした掌に、まだ生々しさを残した切り傷が見えた。
「デリヤ、聞きたいことがあるんだ」
「何だい」
「大聖堂でのこと。これから大事な時になるから、もうああなりたくなくて。だから、知りたい」
薄闇の向こうから、デリヤがじっくりと視線を注いでくるのが分かった。
「知ってどうにかできるものでもないと思うけどね」
そう前置きしてから、彼は静かな口調で一部始終を語り始めた。
大聖堂の扉をくぐった直後のことだった。ランテはいきなり光速を使ったらしい。
「ルノアも僕も当然制止した。君は聞く耳持たなかったけど」
ランテは強引に扉や壁を破りながら進み、一直線に神光の間へと向かったそうだ。その際止めに入った神僕をなぎ倒しながら、なりふり構わずに。
「神光の間に辿り着いた君は、【神光】を手に取ったんだ。最初はそれを眺めているように見えた。だんだん両腕に力が加わっていって……それを見たルノアが君を止めようとしたんだ。後ろから抱き留めるようにして彼女は君に語り掛けたけど、君は」
そんなルノアを力任せに振り払った。さらに片手を振り回して、彼女を突き飛ばし、転ばせたらしい。
「彼女の方も、いつもの様子とは違ったね。叫んでたよ。『やめて』って、何度もね」
ルノアの渾身の制止を振り切ったランテは、神光——模造品と同じく、丸いガラス玉のようなものだったらしいが——を両手で潰すように砕いた。その瞬間、大聖堂中に曙色の光が燦然と溢れ、同時に光を受けた建物が、形を崩すように破壊されていったという。
「高笑いしていたよ。最初は君の声だったけど、だんだん誰の声か分からなくなっていった。ルノアが光呪と闇呪で僕らを助けて……でも衝撃が大きくて僕はそこで気を失った。だから、僕の記憶はここまでだ」
デリヤの話は、真実だろう。手の傷はその神光を砕いたときのものだろうし、彼に嘘をつく理由もない。何より探ってみれば、己の中に今までは感じなかった力の存在があるのが分かる。呪の制御が上手くいかなかったのはそのせいだろう。
「オレは、神光の力を取り込もうとしたのかな。……オレというより始まりの女神が、だろうけど」
「始まりの女神?」
「昔の記憶を思い出したんだ。オレは一度死んで、そのときラフェンティアルンが力を貸してくれた。オレの記憶が時々飛ぶのは、身体の主導権をラフェンティアルンに奪われているのかも」
「……突拍子もない話だね。何を思い出したのか、順を追って話してくれるかい?」
デリヤの立場からランテの話を聞けば、確かに、彼の言うよう突拍子もない話に聞こえるだろう。暗さのせいで表情はよく見えなかったが、それでも彼は、それなりに信じてくれているらしかった。だからランテも、すべて話そうと決めた。一から順に、王国の最期の一日になっただろう日のことまで、ゆっくりと語り始めた。
上手く話せたが分からないが、思い出せる限りのことは全部伝えられたように思う。ランテの話を聞き終えると、デリヤは神妙な面持ちでかなり長い間黙りこくっていた。
「君の妄想にしては出来すぎているような気がするし、一応信じてはあげるよ」
それからぽつりとそう言って、見張りを先にランテに任せ、顔を俯けてしまった。本当に眠っているのか、それとも考えごとを続行しているのか、それは分からない。ただ、彼にも多分に思うところはあるらしかった。
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・昨日、外伝を一つ更新しております。こちらも紹介文から飛べますので、よろしければご覧ください。
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