4:意志集いて

【Ⅰ】ー1 進め

 薄っすらと、光が差した。瞬くと、ゆっくり、ゆっくり、世界が生まれていく。


 ランテは、どうやら瓦礫の山の上に立っていた。はっとして、目を見開く。


「ミゼ、ミゼっ!」


 一周ぐるりと見渡して、彼女の姿がどこにもないことを知り、ランテは一層焦った。が、すぐに違和感を覚えて固まる。景色が、違う。ここはラフェンティアルン城下町の広場ではない。自身が纏っていた曙色の衣が目に入って、それでランテはようやく把握した。さっきまで見ていたのは記憶だったのだ。ランテは今、仲間を助け出すために中央に来ていて、ここは貴族街侵入のために立ち寄った大聖堂——だったはずの場所だ。


「ルノア? デリヤ?」


 あれほど立派な建造物だった大聖堂が、なぜ、このような有様になっているのか。記憶と視界が混線したのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。瓦礫の山は曙色をしている。間違いなく、大聖堂の残骸だと分かった。


「いっ……」


 瓦礫をのかせようとして手を伸べたとき、走った痛みにランテは顔をしかめた。右手の平を見て、そこが傷だらけになっていたのに愕然とする。よく見れば、何か透明な破片のようなものが残っていた。状況が飲み込めない。記憶を見ていた間の自分は、一体何をしてしまったのだろう。この惨状は、やはりランテが原因なのだろうか。きっと、そうだ。全身が粟立つ。ここにはたくさんの人がいたはずだ。とんでもないことをしてしまった。


「誰か! いませんか!」


 悔いても、これはもう既に起こってしまったことであり。とにかくこれからできることをしなければと——そうでもしていないと、罪悪の念に堪えられそうになかった——ランテは声を張った。すると、傍で瓦礫が動く音がする。急いで駆けつけて、瓦礫を押しのけた。人がいる。


「あっ」


 瓦礫の中から出てきたのはデリヤだった。彼に怪我はなかったようで、すぐに立ち上がると服をはたく。そうしてランテを見て、一つ、大きな溜息をついた。


「君には隠密行動は向かないって学んだよ。いや、最初から分かっていたことだったね」


 いつもの彼らしい物言いに、目が潤んでしまいそうなほど安堵した。ランテのそんな様子を確認してだろう、デリヤはもう一度溜息をつく。


「ぼさっとしてないで急ぎなよ。こんな騒ぎじゃ、侵入経路はすぐばれる。追手が来る前に通路を抜けてしまった方がいい」


「でも、この中にまだ人がいるかも」


「いないよ。他の人間は、ルノアが全員連れて行った。戻るまでには時間がかかるみたいだね。貧民街での集合には間に合うように戻るらしいけど」


 また、彼女と離れ離れになってしまった。それも、ランテのせいで。大聖堂内の人間を全て移動させたのだとしたら、きっと負担も大いにかかったことだろう。申し訳なさで一杯だった心が、やがて自責に変わり始めた頃に、ランテは首を振った。今、こんなところで立ち止まって自分を責めても何にもならない。


「入口、どこだろう」


「確かこの辺りだ」


 デリヤは既にそれらしき場所に目星をつけていたようで、足で蹴って瓦礫をどかせ始める。ランテも手伝おうとそちらに向かえば、デリヤまであと数歩というところで、足を置いたところが急に沈み込んだ。


「わっ……あ、ここかな」


 どうやらこの下に空洞があるらしい。落下を免れたことにほっとしながら、ランテは手近な瓦礫をどけ始める。途中、どうしようもないほど大きな瓦礫があったので、それは【光線】で幾つかに切り分けることにした。


「危なっかしいな。制御が下手なら、先に声を掛けなよ。僕を焼く気かい?」


 ふらふらした光の線によって、瓦礫が歪な形に焼き切られていくのを見て、デリヤは身の危険を感じたのだろう、その場から急いで離れる。切り分け作業が終わってから、ランテは慌てて謝った。中級呪はまだ安定しないが、それにしても今回はひどかったから、デリヤが不安になるのも当然だ。何にせよとりあえず瓦礫を小分けにする目的は果たせたので、それからは二人で瓦礫の撤去作業を行う。少々時間はかかってしまったが、地下へ続くらしい入口に、人ひとりがどうにか潜り込めるほどの隙間を作ることに成功した。


「思ったより時間を食ったから、移動は【光速】でだ。この地下道を使うのは、どうせもう透けた」


「距離はどうしよう」


「エルティの支部から中央広場くらいまでだ。それで分かるかい?」


「多分……」


「頼りないな」


 デリヤは呆れたように言うが、ランテに任せてくれる気ではいるらしい。期待には応えたい。そう思うと緊張した。ランテは一度深く息を吸って、吐いた。教えてもらったように、呪力をそっと取り出していく。発動前に用意した呪力がそのまま距離になる。どれくらいの呪力がどれほどの距離になるのかは経験で学んでいくものだそうで、運ぶ人数によっても勝手は変わるから、熟練者でも完璧に距離を計算しきるのは難しいとセトは言っていた。彼自身も、多少の誤差はあるものと思って【疾風】を使っていると。


 ——誰が使っても、失敗するときにはするものだ。その後、すぐに立て直しができればそれでいい。だからいつだってまずは使ってみてだ、ランテ。


 ワグレで白獣と戦ったとき、ランテは光速の行使に失敗してユウラを危険に晒すことになった。以来、あまり積極的に使う気になれなかった呪だが、セトからこう言葉を掛けられて以降は、また使うようになった。少しは経験を積んだ。行き過ぎて中央本部の地下に突っ込んでしまったらと思うと、不安がないわけではなかったが、やはり『まずは使ってみて』なのだ。


 十分な量の呪力を取り出せた。次に呪力をまとめようとした、のだが。


 できない。


 取り出した呪力が、驚くほどにランテの要求に応えない。それに焦ってしまって、余計に制御が利かなくなる。


「あっ」


 今度は、呪力から変わった光が勝手に集まってきた。これは、まずい。暴発する——そう思ったとき、ランテの足元に輝く紋が浮かび上がった。一呼吸の後、暴発しかけた光速が完全にランテの支配下に戻ってきた。安堵を覚えると同時に理解する。この紋は【補助の呪】の紋だ。呪の発動を助ける呪だという。


 一体、誰がランテを助けてくれたのだろうか。デリヤではないだろう。彼は訝しげに足元の紋を見つめている。では、ルノアか? それも違う。ルノアの力が使われたときは、はっきりそれと分かる。


「……ありがとう」


 光に包まれながら、誰とも分からない誰かへ向けて、ランテは小声で伝えた。きっと聞こえはしないだろう。それでも言っておきたかった。




「今、どの辺りかな?」


 着地した地点がどこに当たるのか、ランテには感覚的にしか分からない。首を傾げたランテを横目で見て、デリヤは小さく溜息をついた。


「扱い方がなってないね」


「距離には自信があるんだけど」


「君って本当、力馬鹿だな」


 もう一度溜息を大仰について、デリヤは踵を返した。幾らか行き過ぎてしまったらしい。


「ごめん、行き過ぎた?」


「君にしては上出来だよ。誤差の範囲だ」


 ランテが微かに笑うと、デリヤはすぐに眉を上げた。


「何だい」


「褒めてくれた」


「君ってすがすがしいほどに単純だね」


 デリヤはさらに溜息を零すが、余り不快げな表情には見えない。デリヤはいつでも不機嫌そうな顔をしているが、それらにも少しずつ違いがあって、本当に不機嫌なときとそうでないときの表情の差は、ランテにも分かるようになってきた。


「ここだよ」


 少し戻れば、何やら梯子が下りている箇所に出た。頭上を仰いで見れば、確かに、開閉できそうな蓋のようなものの存在が分かる。


「急いで上がりなよ。追手だ」


 デリヤの声がやや緊張の色を帯びた。視線が奥へと向けられる。


「うん」


「ここから先は光速は使わないこと」


「分かった。外に出たらどうする?」


「僕が先導する」


 頷きを返して、デリヤに先に上がってもらうことにする。かつかつと梯子を上る足音は、地下道にけたたましいほどに木霊した。追手に気づかれないかな。尋ねかけた言葉を飲み込む。気づかれようと気づかれなかろうと、ランテたちのやることは変わらない。


 梯子を上り切って、デリヤが慎重に外を窺ってから先に出る。ランテも続いて外に出た。薄暗いところだ。辺りを確認して、どうやら路地裏のような場所に出たらしいことを知る。見上げた建物は、この薄暗さの中で見ても確かに立派で瀟洒だ。ただ、貧民街のあの有様を見てから眺めると、その美しさがどうにも張りぼてのように見えてしまう。競り上がった不快感を、知らぬ振りはできない。


「中央の人間は暗闇を嫌う。そう教育されているからね。こういう場所に入り口を置いておけば、中々見つからないんだ」


 デリヤが蓋を足で閉め直しながら言った。中央の都合の良いように全てが作られている。歴史は捻じ曲げられ、人の思考は操作され。早く、正さなければならない。


 立ち止まり、黙ってデリヤが自分の服とランテの服とに視線を注いだ。


「どうしたの?」


「この格好だと目立ちすぎる」


 ランテもデリヤも、先程の大聖堂での一件で傷み汚れてしまった服を着ている。貴族の居住地をこのような姿で歩き回れば、確かに不審に思われてしまうだろう。


「服、買う?」


「ここは貴族層の西の端だ。買うにしても店までが遠すぎる。店の傍には特に警備の白軍も多いだろうしね。そもそも、この時間には開いてない」


「じゃあ、どうしよう」


 デリヤは無言になって暫く考えた後に、路地を進み始めた。慌ててランテもそれを追う。


「デリヤ? 当てでもある?」


「うるさいな。少しは黙ってついて来たらどうだい」


「でもほら、気になるし。デリヤも一言くれてもいいと思う」


 溜息が一つ返ってくるが、次いで返事が来た。


「知り合いの家が近いんだ。そこに寄る」


「どんな知り合い?」


「執事の家だよ。この時間は留守だろうけどね」


 デリヤの表情を見ていると、その人を信頼しているらしいことはすぐに知れた。デリヤはいつでも澄ましていて、一見表情変化に乏しいように見えるが、注意して見ていればわずかな感情の変化は見て取れる。


「良い人なんだ?」


 口に出して聞いてみれば、ちらりと視線を寄越してから返事をくれた。


「それなりにはね」


「でも、留守って大丈夫?」


「留守だから行くんだ」


「え?」


「お喋りはここまでだ。これから少し通りを歩く。人目につかないように気をつけなよ」


「……う、うん」


 躊躇いながらの頷きを返して、歩き始めたデリヤを追い始める。留守だから良い、とはどういうことだろうか。ただ、これ以上ここに留まっていると危険なのもそうだろう。意図は後から聞けば良い。


 白み始めた空を見上げる。もう朝が来る。軍議は三日後で、準備のために使える日は残り二日だ。この二日で、どう白軍本部を攻略するか考えなくてはならない。


 皆について分かっていることは、セトとユウラが外門警備をしているらしいこと、テイトが牢に繋がれているらしいこと、この二つだけだ。セトとユウラに何か不穏な動きがあれば、恐らくテイトの命はない。ならば、先にテイトを救い出すことが優先事項になるだろうか。ランテの読みが当たっているならば、中央は白獣を呼び出すつもりだ。こちらの対処も必要になる。それをデリヤに任せるのだとしても、彼一人というわけにもいかない。


 それに……先ほど呪を使おうとしたときの違和感を思い出す。ランテはこれに対しても解決しなければならなかった。考えてみれば、瓦礫撤去のために光線を使ったときも、制御が難しかった。記憶を取り戻したことが原因なのだろうか。呪を使おうとするたびにああして暴走するようではかなわない。


 考えるべきこと、収拾すべき情報、それらは山のようにある。どこか潜伏場所を作って、そこを拠点にしながら策を練らねばならない。デリヤの執事の家が、その拠点になればよいのだが。


 悩みや疲労が、進む足を鈍らせる。それでもランテたちは、行かねばならなかった。

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