【Ⅲ】ー2 光に

 ランテの身を包んでいた光が、細かい粒に変わって、やがて消えていく。町で最も美しい広場だったその場所は今や見る影もなく、痛ましい瓦礫の山に転じてしまっていた。そこに寂しく佇むミゼの姿を見る。彼女は、ベイデルハルクとクレイド、そしてその傍に立つ女性は王妹ルテルアーノだろうか、その三人にたった独りで対峙していた。


「さあ殿下。早くせねば精霊が町を滅ぼしてしまいますよ」


 始まりの女神の姿は、どこにも見えない。ランテが殺される前に聞いた言葉を思い出す。


 ——この手で神殺しをするのも悪くないか。


 ベイデルハルクたちが始まりの女神を攻撃した結果が、精霊が暴れているこの状況に繋がったのだろうか。分からないが、とにかく、ランテはミゼを守るためにここに来たのだ。傍に行かなくては。最後にもう一度光速を使って、彼女の隣まで移動する。


「ミゼ」


「え……ラン、テ?」


 傍らに立って、彼女があちこち怪我をしているのを知った。光呪を受けたらしい火傷や剣で切られたらしい切り傷が見られることから、ミゼは二人に抵抗したのだろう。足元に、瓦礫に埋もれた紫色をいくつか数えた。仲間たちも共に立ち向かったが、敵わず、ここに伏せることになったのだろう。腹の内が、膨れ上がった憎悪に煮える。ランテはミゼを庇うように前に出た。無念を抱えたまま倒れた仲間たちの分も、そしてランテ自身の願いのためにも、戦わなければ。これ以上、ミゼを傷つけさせるわけにはいかない。今度こそ、何としてもだ。


「ランテ……本当にランテなの? 傷は……さっき、斬られて……」


 震えきった声が、ランテの耳に届く。ミゼが泣いているのが伝わってくる。少し振り返って、笑って、「大丈夫」と応じた。今だけでも、ミゼを安心させたかった。


「いえ殿下。その者はもう死にました。実際、それが放つ気配は、もはや人のものではありません」


 クレイドがベイデルハルクとルテルアーノの前に出て、剣を構えながら言う。淡々とした口調に反して、表情はさも愉快げだった。また、腹が煮える。なぜこれだけ非道なことをしておいて、そんな風に笑えるのだろう。彼らに人の血が流れているとは、思いたくなかった。


「ミゼ、オレがミゼのためにできることを教えて」


「ランテ……」


「守ればいい?」


「……精霊を、身体に移さなければいけないの。このままでは王都が滅びてしまう。でも、その間無防備になってしまうから……力を、ベイデルハルクやお母様に奪われるわけにはいかなくて」


「分かった。大丈夫。オレがミゼを守るから。今度こそ、守りきるから。任せて」


 できるだろうか。いや、やるしかない。持ってきた剣を強く握り締める。ランテの身体の奥で、大きな力が呼応するように膨れた。また女神が力を貸してくれるようだ。


 クレイドが動き出した。頭上に振り上げられた剣を、ランテはただ見上げた。避ける必要がないと、そう思った。剣はランテの頭から胴までを通り抜けていったが、ランテの身体には傷ひとつつかない。後ろで、ミゼが息を呑んだのが聞こえた。


「面白いな」


「ミゼ、始めて」


 ミゼの前に立つランテは、ミゼが今、どんな顔をしているか分からない。もしかしたら、怖がらせているかもしれない。しかし、それでもミゼはランテに応えてくれた。震えを耐えた声で、精霊移しの儀を行うための文句を紡ぎ始める。


「我、始まりの女神ラフェンティアルンの血を引く者。精霊よ、我が声に応えよ。我が身に宿り鎮まれ。我と共に、王国に安寧をもたらせ」


 ミゼの澄み切った声は、荒廃した王都に潤いを与えるように染み渡っていく。互いに争うように町を破壊し続けていた精霊たちが、ふと、動きを止めた。精霊は声に引き寄せられるように、次から次へミゼの方へ集まってくる。やがてそれらは、彼女を中心として、各々円を描くように動き始めた。あらゆる色の光が明滅しながら舞うその様は、ひどく幻想的で儚く、まるで夢の中にいるのではと思わせるような世界を作り出す。ランテも、そしてクレイドすらも、暫時それに見入った。


 精霊移しを始めたのは、ミゼだけではなかった。ルテルアーノがミゼに倣うように同じ言葉を諳んじる。そちらへも精霊は集い始めた。精霊たちは、少しずつ少しずつ器となる二人への距離を狭めていく。周囲を廻る速さも徐々に上がっていく。しばらくすると、ミゼとルテルアーノの頭上にひとつずつ、何色とも形容しがたい光の筒が出来上がった。


 目が溶けるかもしれないと思うほど、強い光が辺りを照らしていた。離れていても、その光の筒がすさまじい力を内包していると伝わってくる。それら光の筒は、示し合わせたように同時に、ミゼとルテルアーノを貫いた。


「あ……う……」


 光が炸裂して、しばらくして。おそらくとてつもない負荷がかかったのだろう、堪え切れず、ミゼがふらついて苦しげな声を漏らした。


「ミゼ!」


 思わず振り返って駆け出したランテの背を、クレイドが剣でかき斬った。何ともないが、この敵を野放しにしておくわけにはいかない。身体を返すその振り向きざまに、思い切り剣を振り切った。クレイドは防ぐが、反動でやや体勢を崩す。


 ここだ、と思った。


 左手をかざす。そこに、渦を成すように曙色の光が集った。手元で凝縮したその光は、一度燦然と輝いたのを合図に、クレイドのところへ飛び込んでいく。未だ体勢の整っていなかったクレイドは、身を捩って危ういところで避けたが、光は身体の横を通り過ぎる瞬間に弾けた。刹那、光を受けた身体は、目にも止まらないような速さで飛ばされていった。行く末がここから視認できないほど、遥か遠くへ。


「ほう。素晴らしい力だ」


 奥から、ベイデルハルクが二歩、進み出てきた。後はあの男だけだ。あの男さえ倒せば、もうミゼが悲しむことはないはずだ。


「ラン、テ」


 ミゼの声に引き寄せられるように、ランテは顔だけ彼女の方へ返した。ミゼは上からの強大な力を受けながら、どうにか立っている。今にも倒れてしまいそうな彼女を放っておけず、ランテはそのままミゼの方に寄った。


「ランテ、駄目。こっちに来たら、危ない、わ」


 ミゼが切れ切れに制止するが、ランテは止まらなかった。


「大丈夫。今のオレは、多分平気だから」


 彼女を包む光の塔の中へ、一歩、踏み出した。光はミゼと同じようにランテを貫いたが、負荷は全く感じなかった。すぐに手が届く距離になる。ベイデルハルクの様子を窺うと、こちらへゆっくりと迫っている途中だった。あまり時間はない。


「ミゼ、ごめん」


 それ以上何と言えば良いのか、分からなかった。いつまでもこうしていられないのはそうだろう。なぜなら、ランテはもう死んでしまっているから。女神が貸してくれた力が尽きれば、きっと、後は消えるしかない。結局、ミゼを独りきりにしてしまうことになる。


 本当は、もっとミゼを守りたい。助けたい。支えになりたい。励ましたい。傍にいたい。一緒に笑っていたい。想いたい。……愛したい。


 しかしそれら全ては、命があってできることだ。ランテにはもう果たすことのできない願いたちだ。ならば、残り幾許いくばくもない時間で、今のランテにできることはなんだろう。


「どうして、謝るの?」


 潤んだミゼの瞳は、今にも壊れそうだった。ミゼは、ランテの身の上のことも、今考えていることも、真実に近いところまで悟っているように思われた。そうでないといいと祈りながら、こう聞いてきたような気がする。ランテは、ゆるゆると首を振った。ベイデルハルクの気配が近い。もう、行かなければ。


 そっと、ミゼに手を伸ばす。震える華奢な身体を、両腕で包み込んだ。肩に一つ、遅れてもう一つ、熱が滲んだのが伝わってくる。また泣かせてしまった。


「ランテ、ランテ」


 ミゼの両の手が、ランテの胸元の服を握りこんだ。震え続ける背中を優しく撫ぜる。ずっと、こうしていたいと思う。だが、このひとときが最後になることも、どこかで分かっていた。


 視界の隅が、精霊たちの渦とは別の光に侵される。ベイデルハルクがこちらに向けて呪を放ったようだ。こちらに被害は届かないが、精霊たちが少し散ったのが分かる。もう、本当に、行かなくては。


「ミゼ」


 呼んで、一度だけ、強く抱き締めた。最後に、ミゼの熱を覚えたかった。


「許して」


 出てきた言葉は、多分、ランテの一番率直な気持ちだった。あっけなく死んで、ミゼに傷を残して逝く自分の愚かさを、情けなさを、ただ、許して欲しかった。許して、そして、できれば忘れて欲しい。死んだ後まで、ミゼを傷つけ続けることが、ランテには悲しくて悔しくて堪らなかった。


 その後、ランテはミゼの顔をもう一度見ることはできなかった。きっと、勝手な言葉だと自覚していたからだった。ミゼが「ランテ」と一度呼んだ声は、身が二つに裂かれるようなこの上ない切なさを秘めていて、だからこそランテは振り返らなかった。


「ベイデルハルク!」


 光の束を抜けた先にいた男の名を、憎くて仕方がないその敵の名を、ランテは叫んだ。


 どうすればよいのかは、身体が知っていた。


 仇敵へ向けて一直線に駆けながら、ランテは右手に握っていた剣を逆手に持ち直した。敵が右手を掲げる。何かの呪がランテを襲った。そんなことはどうでも良かった。残り三歩になる。もう、十分だ。剣を両手で強く握る。


「うああああぁっ!」


 大きく声を上げながら、ランテはその剣を、自らの胸に突き立てた。身体を横に裂くと、そこから身体を溶かしてしまいそうなほどの光と熱が溢れ出る。夜闇を払い、蒼穹を呼ぶ、鮮やかな曙色をしていた。


 ベイデルハルクが、その光に呑まれていくのを見た。己の手足が、光に転じていくのを見た。ミゼが、声の限りにランテを呼ぶ声が聞こえた。


 女神の声は、もう聞こえない。


 光に成り果てたランテは、少しの間、その世界にある全てのものを抱いて、そうして消えていった。


 ミゼ、どうか。


 許して。


 胸元の辺りに残っていたミゼの熱は、最後の最後まで、ランテと共に在ってくれた。

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