【Ⅱ】ー2 謀反

 人の叫び声、金属の高鳴り、血の臭い。一階へ駆け上ると、そこは、もう戦いの渦に飲み込まれていた。先ほどここを通ったときは何事もなかったはずだった。それが今では見る影もない。倒れた人、黒光りする武器たち、飛び散る赤い染み。ここはどこだと、そう思ってしまうくらいに、信じがたい光景が広がっている。


「城の兵も……あんなに……」 


 金の鎧を身につけているのがベイデルハルクの私兵だが、その数はさほど多くない。戦っている者の多くは、曙色のマントを身につけている。先刻まで同じ場所で働く仲間だったはずの者たちが、今や二つの勢力に分かれ命の奪い合いをしているのだ。


「ミゼリローザ様、迷いはお捨てください。奴らは姫に剣を向けた謀反者、情けは無用です」


「はい……」


「ミゼ!」


 今ここで起きている事態に呆然としつつも、ランテの目は鎧の陰から飛び出した一矢を捉えていた。近い。軌道上にミゼがいるのを悟って、反射的に彼女を抱えて床を蹴る。


「大丈夫?」


「わ、私は……でもランテが」


 見れば、間に合わなかったのか、肩のあたりに薄っすらと血が滲んでいた。大したことはない。ただのかすり傷だ。


「これくらいは大丈夫。ミゼ、辛いなら戦わなくていい。オレたちがミゼを護るから」


「よい動きだ。お前はお傍で姫様をお護りしろ。全員、姫様を二階玉座まで死守しろ! 何としても道を拓け!」


 レイグがランテに語りかけた後、全員へ向けて指示を出す。手筈通り、若い騎士たちが先陣を切って駆け出して行った。ランテの傷をしばらく見つめて、ミゼはふるふると首を振る。顔を上げると、その瞳には強い光が戻っていた。


「ごめんなさい、私、呪で援護します」


 言葉と同時に胸の高さまで持ちあげた両手から、清く優しい光が生まれ出る。それはいくつもの光の球体に分かれると、騎士たち一人一人へと向かっていった。ランテのところへも一つやってくる。目の前で止まったかと思うと弾けて、その途端に身体が温かくなった。光の防御呪だろう。心強い。


 紫の軍の戦力は圧倒的だった。元より力のある者たちが多く集っていた上に、今こそ己らが国を守らねばならぬという強い意志がさらに力を与えていた。負傷者すらほとんど出ない。先陣を切る若い騎士たち、中央で臨機応変に動く中堅たち、そしてしんがりを務める老練な者たち。指揮役にミゼを含めた呪使いや癒し手までも、皆が己の役目を全うしている。共に戦うのは初めてだったが、一糸乱れぬ連携が取れていた。


 一階広間を何事もなく制圧し、二階への階段を半分まで上ったそのときだった。踊り場に設えられた大きな窓から、城下町のあちこちで踊る赤が目に飛び込んできた。


「ま、町が……城下町が燃えてる?」


 両親の顔が、ふいにランテの脳裏をよぎった。今は他のことを考えている場合ではないと分かっていても、駄目だ、離れない。無事だろうか。怪我はしていないだろうか。他の騎士たちにも動揺が伝染していく。見かねたレイグが大声を張った。


「惑わされるな。これも敵の策だろう、まずは姫様をお護りすることが第一だ」


 いえ。真っ先にそう答えたのは、ミゼだ。


「民こそ国の宝です。レイグ近衛隊長、玉座はもうすぐです。女神の力さえ宿せれば、後は私が敵を押さえましょう。お願いです、城下町へ救援を」


 しかし、と言葉を詰まらせたレイグをちらりと窺って、控えめにマイルが進み出た。


「姫様、隊長、オレを行かせてください。単騎で構いません。町の自警団と情報を共有し、合流してオレが指揮を執ります。迅速に騒ぎを沈静させ、自警団を連れて戻ってきますから」


 彼がひどく青ざめているのは、直前の怪我によるためだけではなかっただろう。両親や妹だけではなく、婚約者までも城下町にいるのだ。貴族の娘と婚姻をという周囲の反対を押し切って、やっとのことで婚約までこぎつけたところだった。


「……分かった。ではマイル、任せた。頼んだぞ」


「はい。必ず戻ってきます」


 いくら腕があるとはいっても、こちらは寡兵だ。増援が見込めるならば助かるに違いなかった。マイルは自警団と交流がある上足が速い。おそらく、この中では最も適役といえた。


 去る直前、マイルは一度だけ振り返った。ランテの姿を探して短く言う。


「ランテ、死ぬなよ」


「うん。マイルも」


「おう、任せとけ」


 互いに無事を祈り合う。マイルのことを兄のようだと思ってきた。たぶん、マイルの方もランテのことを弟同然に思ってくれていたはずだ。必ず生きて、また合流するのだ。全速力で駆け出したマイルの背中から、玉座の間のある階段の上へ目を移した。だから、今は、前へ。




 その後も被害という被害は出さずに、二階までたどり着いた。廊下をいくらか進む。ベイデルハルクの私兵が増えてきたが、それでも抵抗は首をかしげるほどに手ぬるいものだった。前衛の騎士三、四人ほどで十二分に事足りる。広間を制圧する方が難しかったくらいだ。敵がこちらの戦力を見誤っているにしても、あまりにお粗末だった。


「あのヤロー、また嫌らしい策でも考えてんじゃねーですかね」


 おそらくは、ジェーラの考えが正しい。むしろ敵は玉座の間までミゼを招きたいように見えた。


「それでも……すみません、お願いします。ベイデルハルクに女神の力を渡すわけにはいかない」


「もちろんです姫様、お連れしますよ」


 厳しい顔をしつつも、レイグはミゼの言に頷いた。ミゼの言うことも正しいのだ。ベイデルハルクが女神の力を手に入れたら、それこそ手遅れになる。誰も敵わなくなってしまう。だからたとえ敵の手のひらで踊ることになろうとも、今は玉座を目指すしかない。


「もう少しだよ、ミゼ」


「ええ」


 ひどく硬い面持ちで、ミゼは頷きを落とした。そうしていなければ、襲ってくるあらゆるものに耐えられないのだろう。代われるものならばランテが代わりたい。何もできない自分がひどく腹立たしい。何度思っても、その事実は変わらないのだけれど。


 最後の兵の一団を倒す。あっけない。敵がミゼを招きたがっていたのは最早明白と言ってよかった。広間を制圧して以来一度も使わなかった剣の柄を、ランテはぎゅっと握りしめた。だから、ここからだ。全員で頷き合う。


 そうして、玉座の間の、仰々しい扉がついに開け放たれる。


「お待ちしておりました、殿下」


 中で待っていたのはクレイドだった。銀の髪の裾が返り血で赤く染まっている。微かに浮かべた笑みには、温度がない。形式だけの笑みだ。


 折り重なって倒れる騎士たちは皆斬られていた。クレイドがやったのだろう。血染めの玉座を仰いで、そこに事切れた王が座っているのを見た。首を深く斬られている。大きく見開かれた瞳はもう濁っていた。威厳がありながら、情にも厚い王だった。ランテも声をかけてもらったことがある。その王が、どうして殺されねばならなかったのか。忠義を尽くした騎士たちはなぜ死ななければいけなかったのか。どうして、なぜ。幾ら考えたって、分からない。


「伯父様……」


 ミゼが王を見つめて、小さく呼んだ。声も身体も小刻みに震えていた。クレイドはミゼにこの光景を見せることに躊躇いはなかったのだろうか。それともミゼに見せるために、ここで王を弑逆したのだろうか。だとしたら、許せない。怒りが沸々と湧き上がってくる。剣が揺れた。


「貴様、よくも陛下を!」


 レイグが後方から声を荒げた。歩み出てくる。こんなにも感情をあらわにした彼を、ランテは初めて見た。レイグと王は年の頃も近く、幼い頃から仕えてきたのだと聞いていた。王の死を目の当たりにして、怒りが抑えきれなくなったのだろう。国の行く先を憂い——ベイデルハルクの野心を見抜いていた彼は、何度も王に進言していた。だが、ついにこの日まで説得できなかった。その無念も、ベイデルハルクとクレイドへの怒りに変わっていたのだろう。


「レイグ、貴様の相手は後でいくらでもしてやる。殿下を女神の間へお連れせねばならない。殿下、母君と我が主がお待ちです」


「クレイド、貴様、陛下に剣を捧げておきながら……騎士の誓いを忘れたか! 許せん!」


 ——騎士長の腕は随一だ。この中の誰もが敵うまい。私でも手傷を負わせられるか分からん。だからこそ、一番に私が斬り結ぼう。お前たちはそれを見て策を練ればいい。必ず倒さねばならん敵だ。正々堂々と、なんて考えは捨てろ。何人がかりでも構わん。奴さえ倒せば、後はどうとでもなる。いいな。


 レイグはかねてから紫の軍の全員にこう言い聞かせていた。怒りに支配されてはいても、己の役目を彼は忘れてはいなかった。若い騎士たちを諌め、彼こそがクレイドの正面に立つ。


 だが。


「が、はっ」


「死に急ぐとは愚かだな」


 誰より慎重なレイグの見立てですら、甘かった。クレイドの剣は圧倒的だった。斬り結ぶ、なんて瞬間はほぼなかった。レイグの差し出した剣はあえなく受け流され、剣を返す間もないうちに胴を裂かれる。血飛沫が上がるまで、レイグ自身も斬られていたことを理解していなかったようだった。


 誰も何も言えない。膝をついたレイグに駆け寄ることすらもできない。血塗れた剣を無感情の目で見つめるクレイドに釘付けになる。恐怖から、だ。今の動き、同じ人間のものとはとても思えない。あの速さ、あの力、あの読み。何人がかりでかかろうと——予想できるのは絶望的な結果だけだ。


「……他の雑魚共も理解しただろう? 俺を邪魔したらこうなるだけだ。では殿下」


 剣を下ろし、クレイドが騎士たちの合間を縫って一歩ずつミゼに近づいてくる。彼が歩むたび、点々と剣の先から滴る血が軌跡を残す。動かなくてはならないのに、どういうわけか、手も、足も、少しも動かない。金縛りにあったかのようだ。


「い、いや……」


 一番傍にいる己だけにしか届かないようなか細い声が、ランテの胸を打った。恐怖に塗りつぶされていた怒りがまた再燃する。ここを通すわけにはいかない。ミゼに触れさせるわけには、いかない。これ以上苦しめさせるものか。


「やめろ!」


 声の限りに叫んだ。すると、手足に力が漲ってくる。己の熱い血の巡りを感じる。そうして自由になったランテは、ミゼとクレイドの間に割って入った。両手で剣を構える。


「何だ新米騎士、お前のような者も数に入れねばならないほど人材不足か。そこをどけ」


「嫌だ、どかない。ミゼに触るな」


 一歩ずつ、クレイドが近づいてくる。恐怖もあった。しかし、それよりも背中にいるミゼを護らなければならないと思う気持ちの方がずっと強い。この身はそのためにあるのだとも思った。

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