【Ⅶ】ー2 企て

「何の用だい」


 ランテが驚いている間に、ほとんど関心のない声でデリヤが問うた。少年はちょっと肩をすくめる。


「つれないなあ、綺麗な顔のお兄さん。オレのこと覚えてるでしょ? あのときは金貨をどうもありがとう」


「用がないならとっとと消えてくれるかい。目障りだからね」


「オレに用があるのは、お兄さんたちの方だと思うんだけど?」


 デリヤは少年に目を戻したが、何も言わない。いささか彼の瞳に関心が宿った気がする。ここでランテが代わることにした。


「それ、どういうこと?」


「えーっと、確か、ランテさんだったっけか。生きてたんだ? 真っ先に死ぬタイプだと思ってたんだけど、相当強運なんだね」


 少年は遠慮なく言って、さらにけらけらと笑い飛ばす。少々癇に障ったが——ランテが生きているのは皆の決死の庇護のおかげだ——ここで怒っても何もならない。ランテは黙って少年が言葉を継ぐのを待った。


「ごめんごめん。オレ、正直なのが取り柄でさ。で、お兄さんたちは市民層に入りたいんじゃないの?」


「何かいい手段でもある?」


「あるある」


「どんな?」


 少年は意地の悪い顔をして、ランテとデリヤを順に見遣った。


「そりゃ、タダでってわけにはいかないっしょ」


 ぽかんとしたランテの横で、デリヤが小さくため息をつく。


「それならやっぱり君に用はない」


「そっか、そっちのお兄さんはもうほとんど無一文だったっけか。この間は情報ほしさに、大事な大事なお母さんの形見を渡しちゃったくらいだもんね」


 楽しそうに喋る少年を横目で睨みつけると、デリヤはさっさと踵を返してしまった。少年は慌てたランテを見てまた笑い、ぐいとデリヤの外套を引っ張る。


「ちょっと待った、ごめんって。悪かったからさ、もうちょっとオレの話聞いてよ。あ、オレはね、ノアっていうんだ。見ての通りしがない盗賊だよ。どーぞよろしく。それで、そうそう、そっちの冴えないお兄さんがオレの欲しい物持ってるはずなんだ」


 少年は——ノアは、一人で騒々しい。服を掴まれていたデリヤは不機嫌そうにノアの手を振りほどき、ちらとランテに視線を寄越してきた。


「オレが?」


「そうそう。ほら、あの短剣だよ」


 短剣? 首を傾げそうになって、ランテは背の鞄の重みに気がついた。デリヤから託された、ラフェンティアルン王国の紋が刻まれたあの短剣のことだろう。思わず鞄を両手で庇った。


「だから、駄目だって。これはデリヤが苦労して手に入れた——」


「それと引き換えになら、構わないのかい?」


 ランテの声を遮ったのは、なんとデリヤだった。


「デリヤ、いいの?」


 目を零れんばかりに見開いたランテに気づくと、デリヤはばつが悪そうに顔を背けた。


「僕は構わない。それに、それは君に託した物だ。君が決めるといい」


「じゃあ」


 デリヤがそう言うのなら、ランテに断る理由はない。王国の紋に加え精緻な装飾の踊る短剣を、ランテは丁寧に差し出した。ノアは興味深そうに短剣を眺め、こちらも丁寧に受け取って、満足そうに頷いた。


「北門の兵士を一人買収してるんだ。今日、夜半過ぎに衛兵交代がある。その後これを見せたら通してくれるはずだよ」


 ノアは、短剣の代わりに何やら札を——ほんのりと呪力が感じられる木札だ、この呪力で本物か偽物かを識別するのだろう——渡してきた。デリヤは「ふうん」と興味があるのかないのか分からない返事をして、ノアの背後へ回った。逃げ道を塞いだのだろう。


「君にはそれまでいてもらうよ。今の話が本当かどうか、まだ分からないからね」


「やっぱそうなるかー。別に、オレ、騙す気はないんだけど。中央が破滅するのは面白そうだし、見てみたいじゃん」


 ノアはやれやれと大仰に肩をすくめる。全ての態度が生意気で、いちいち人を小馬鹿にしているようだ。ナバやアージェあたりとは、かなり相性が悪そうだなと考える。


「あのさ、聞きたいんだけど」


「何?」


「今、中央で何が起こってるか知らないかな? どうしても知りたいんだ」


「別料金が必要になるけど、いい?」


「そんな」


 ランテは腰の財布に手をやった。最初にセトと会ったときに貸してもらったものと、それからレベリアを出るときにナバが持たせてくれた金貨が一枚あるだけだ。これで足りるだろうかと悩んだが、ランテが財布を渡すより先にデリヤが言った。


「その短剣、売れば相当高額になるはずだ。一度門を通すくらいじゃ割に合わない。もっとも、君たちは売る気はないようだけれど」


 デリヤの言う“割”とやらがどうあるべきなのか、ランテには分からない。だが彼の言ったことは正しかったらしく、ノアは観念してひとつ頷いた。


「しょうがないなあ」


「売らないの?」


 つい聞くと、ノアは「最初は売るつもりだったんだけどさあ」と返してきた。


「東の副長さんがさ、オレたちのボスに王国記広めるよう依頼したでしょ? 今それやってるんだけど、なっかなか信じてもらえなくて。そりゃ、オレたちって盗賊だし、簡単には信じてもらえないだろうなーとは思ってた。だけど予想以上でさー。結構苦労してるわけ。だから、とにかく何か証拠になるものが欲しいんだよ。例の城は東地方からしか見えないしね」


 確かに急に古代王国の話をされたのでは、聞いた相手が盗賊でなくたって信用できないだろう。城を見れば一目瞭然なのだが、まずは東地方へ足を運ばせる理由がいる。デリヤが苦労して手に入れた短剣だ、ただ売られるのではなくて、そのために役に立つのならよかったとランテは思った。


「中央での総会は、昨日終わったところだよ。五日間に渡る会議で、それでも皆が納得する結論は出なかったみたいだね」


 ノアは今回の総会で定まったことを全て聞かせてくれた。中央本部の兵の大半を激戦区へ送ること、その間の本部の守護は東や北に任せること、当初東・北両支部長はそれを渋っていたが、結局頷いたこと——得られたのはそのような情報だった。


「え? そんなにたくさんの兵を激戦区へ?」


「早速今朝、かなりの数が中央を発ってた」


「なんでそんなことを——」


 言いかけてから、ふとワグレ侵入前のことを思い出した。


 ——エルティのときも、騒ぎを起こす直前に、いればいるだけ有利になるはずの兵をかなりの数引き上げさせた。白獣を呼び出したとき、傍にいれば巻き込まれるから。


「白獣だ」


 無意識に呟いて、ランテは頭を縦に振った。間違いない。こちらを見たデリヤに向けて、大きな声を張り上げる。


「中央は、首都に白獣を呼び出すつもりなんだよ!」


 言ってしまった直後、はっと息を呑んだ。デリヤとノア以外の視線もたくさん集まっている。片手で口を覆ったが、出してしまった声は今さら戻せない。しかし、やはりここの住民たちは全てのことへの関心が薄いらしく、視線はすぐに散っていった。


「安直な考えだね。呼び出したところで、中央にどんなメリットがあるんだい?」


 少しばかり潜めた声でデリヤが言った。今度はエルティでの光景が蘇る。メイラが吐き捨てるように言った言葉が、耳に繰り返された。


 ——存分に殺し合えばいい。共倒れになったところを仕留める。


「中央に反抗的な北と東の兵力を削げるし、誘き寄せた黒軍を始末できる」


「都を消してまで、そんなことをすると思うかい?」


「思う。中央が人の命をなんとも思ってないのは、デリヤだって知ってるはずだ」


「それだけじゃない。白都ルテルは中央白軍の本拠地じゃないか。根城を失ってまで——」


「そうかもしれないけど、でも、白獣を呼ぶ可能性が少しでもあるなら、なんとかしないと。ワグレみたいな町を作るのはもう嫌だ」


 途端、デリヤの両目が大きくなった。彼は言葉を探すように二、三度かすかに口を開閉させた後、神妙な面持ちで応じた。


「……それならやっぱり、迅速に動くことが必要だね。黒軍や他の支部の増援が来る前に決着をつけるしかない。いや、それより召喚士を倒す方がきっと現実的だ」


「でも、どうやって? 首都は大きな町だろうから、隠れられたら召喚士は見つけられないんじゃ」


「僕なら分かる」


 デリヤは、空いた左肩に残された唯一の手を伸ばした。かすかに笑って——不敵と呼ぶのが正しい笑みだろう——言う。


「僕も、黒獣を呼ぶ召喚士だった。そのせいだろうね。左腕と一緒に黒獣を呼ぶ力は失っても、召喚士の存在は分かる。……奴らの思い通りにはさせない。僕を始末できなかったことを後悔させてやる」


 直後、デリヤは遠い目をした。その瞳にはきっと、白い砂の世界と化した彼の母の故郷が見えているのだろう。ランテもワグレを思い出していた。あんなことを、もう二度とさせるわけにはいかない。デリヤに召喚士の居場所を感知する能力があるのなら、北や東の兵にも手伝ってもらって、一人残らず倒すしかない。


 ランテは一度深呼吸した。この先へ行ってやるべきことは、大体見えてきた。あとは、だ。


「それから、中央で皆が——セトやユウラやテイトがどうしてるか知りたい」


「残念ながら、それはオレにも分かんないなあ。あ、でも」


「でも?」


「北の副長さ——あ、今は準司令官殿だっけ? とにかくあの水色の髪のお兄さんが、今朝、本部外門警備の総指揮に任ぜられてたって聞いたよ。傍には副官のお姉さんもいたって話だけど」


「ユウラもセトと一緒にいるんだ……で、外門警備の総指揮って?」


 デリヤに向けて聞いたら、ぶっきら棒ながらもちゃんと教えてくれた。


「名前通り、支部の外を囲う門の警備を一任される立場だ。通常、準司令官に与えられる役職じゃない。嫌な予感がするね」


「何で? セトが外門を警備してるなら、簡単に通してもらえるんじゃ」


 そこでランテは言葉を飲み込んだ。さきほど交わしたばかりのやり取りを思い出す。


 ——ユウラとテイトに、オレは、命懸けでランテを守れと言った。二人はそうして、それで——そのせいでここに捕まってる。二人の決死の行為を無駄にさせないためにも、お前を止めないとな。……たとえば、力ずくになったとしても。


「もう忘れたのかい? 鳥並の脳だ。セトは君が来ることを拒んでいただろう。それに、仮にそうじゃなかったとしても、人質を見捨てられない以上中央の命令には従うしかない。中央は北や東の兵に本部を攻めるよう仕向けて、両軍のことをよく知る者に——つまりセトに時間稼ぎをさせ、その間に白獣を召喚するつもりだろうね。確かに、使い物にならない中央の司令官を使うよりは、よほど厄介だよ。証持ちの指揮に慣れていないことを含めて考えてもね」


「そっか……だけど、そういえば大聖堂と本部を繋ぐ隠し通路があるって話じゃなかった? だったらセトが守る外門を通る必要は」


「君はこういう状況にある中央が、外からの侵入を簡単に許す通路を活かしておくと思うかい?」


「だって、デリヤはそこを使うって」


「言ったし、そのつもりだ。ただし市民層と貴族層間の警備をすり抜けるためにのみ使う。その奥の隠し通路で待ち受けるだろう化け物級の敵と相対するより、手の内を知ってるセトを相手にする方が断然いい」


 デリヤの言っていることが理解できなくて、ランテは小刻みに切った彼の言葉を何度も頭の中でかき回して、その意味を考えた。セトを、相手に、する、方が、いい。それは……それは、つまり?


「セトと……戦うことになる?」


 自分の声を、聞きたくないと思ったのは初めてだ。ランテは自分の喉を掴んだ。そんな様子を見てデリヤは静かに息を吐き出すと、落ち着いた声で答える。


「正しくはセトが指揮する中央兵と、だろうね。このままいけば最後にはセトともぶつかるだろうけれど」


 セトと戦う? あのセトと? ランテはゆっくりと自分の剣を見下ろした。これを、練習でも訓練でもなんでもなく、戦うために、傷つけるために、セトに向けるのか? そんなこと、できるはずがない。


「ユウラも一緒にいるって言ってたよね? ユウラは、セトを止めなかったのかな……あ」


 何とかそうならずに済む方法はないかと考えたときに、一番に思い浮かんだのはユウラの顔だった。しかし、かすかな期待はすぐに霧散した。声を上げたランテを、デリヤは眉を上げて見つめる。


「何だい?」


「ううん。ユウラが止めようとしたとしても、セトは聞く耳を持たなかっただろうなと思って。こういうときのセトは融通が利かない気がするから」


 きっとそうだろうと思う。瞳を暗くしたランテに、デリヤは今度は意外そうな顔を向けた。何でそう思うのかと聞く顔だったが、ランテとて説明できないのだから答えようがない。話を先に進めることにする。


「セトとユウラが一緒にいるってことは、人質になってるのはテイト?」


「だろうね」


 レベリアの冷たい鉄格子の中が、ランテの脳裏に蘇る。あんな場所に、テイトはいるのだろうか。人質となった自分を責めながら。早く救い出したい。救い出さねばならない。


「北軍の指揮官はアージェかい?」


 分からないと応じようとしたが、アージェはおそらく自ら率先してここへやってくるだろう。


「そうなるんじゃないかな」


「だとしたら、絶望的だね。アージェの頭も君と同じようなものか、それ以下だ。セトはただでさえ北の兵を知り尽くしてる。本気でくるようなら、支部長くらいでないと出し抜けない」


 デリヤはもう、セトと戦うことを前提に話を進めている。ランテの頭はそれを認めて、さらにその先のことを考えるのを、頑なに拒否していた。けれども、と思い直す。嫌でも考えることから逃げていては、いつまで経ってもその可能性に向き合えない。いざその場に立ってから考えたのでは遅いのだ。皆を救い出すために必要なことは、なんだってしなくてはならない。


「……支部長は今どこにいるんだろう?」


 ここまで首を突っ込まずに大人しく聞いていたノアが、待ってましたとばかりに口を開いた。


「今朝、中央を出たって話だったけどなあ。ま、それが本当かどうかは分からないけど?」


「え? どういうこと?」


「なんとなくそう思うだけー」


 憎たらしい笑い方をして、ノアは短剣を陽にかざしたり握ったりしてもてあそんだ。理由を教える気は毛頭ないらしい。仕方がない。 


 ランテは空を仰いだ。陽が落ちるまでには、まだもうしばらく時間がかかりそうだ。夜まで門は通れない、それは分かっているのに、息苦しくなるほどに気持ちが急いている。何かしていたいのに、今は何もできない。我慢して立っていると、胸の中が暗い、何か泥のようなものにどんどん浸食されていく。


「デリヤ」


 黙っているのについに耐えられなくなって、ランテはデリヤを呼んだ。彼は反応を示さなかったが、構わず続ける。


「皆は、大丈夫かな」


 生きているのは分かっていても、無性に不安で仕方がなかった。なんでもいい、とにかく、そう信じられる答えが欲しかった。知ってか知らずか、デリヤは瞳を細めてわずかばかり冷えた視線を返してくる。


「それを僕に聞いたところで何になるんだい」


「ごめん……ただ、すごく嫌な予感がして」


 己の声から力が抜けているのを、ランテは感じた。弱気になってもよいことはないと分かっているのに、不安は止め処なく溢れてくる。


「不安を慰め合っても意味はない。もっと建設的なことを考えなよ」


「うん……」


 頷きはしても、ランテの心の内側は変わらなかった。また、空を見上げる。先ほどと変わらない場所に太陽はあった。早く夜になれ。不安をごまかすために、ランテはただひたすらにそればかりを祈り続けた。

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