【Ⅴ】 兆し
中央本部東宿泊棟——総会の折には、いつもこの場所が各支部から出向いた者に与えられる——で、サードはある人物を待っていた。
もうそろそろ夜半を迎える頃合になる。長い間待ち続けたが、いい加減自室に戻る時間だろう。読みは外れず、角を折れてきたのは、今度こそ目当ての人物だった。
「失礼する。北の支部長殿、貴殿に話があって参った」
おそらく意外な来客だったはずであるが、ハリアルはサードを見ても眉一つ動かさなかった。
「サード副長か。どうやら世間話といった様子でもないようだ。ここでは盗み聞きされる可能性もあるが?」
動揺しなかっただけでなく、一見しただけで大体の用向きまで見透かしているらしい。やはり、とサードは心中でこぼした。ハリアルは現在、最も若くして支部の長の椅子に座っている。傑物であることは疑いようもなかった。
「こちらは構わないが、貴殿にとっては話し辛い環境になると愚考する」
「分かった。では場所を移そう」
「承知した」
ハリアルはサードを連れ宿泊棟を後にした。月と星が落とす光をかすかにまとった芝生を踏みしめて、本部の第三中庭へ出る。姿は見咎められやすいが、見通しがよく、死角はない。ここならば何者かに聞かれる恐れはないだろう。
「北の副長の件、西にも届いている。お悔やみ申し上げる」
「ああ、ありがとう」
「……貴殿は中央の情報通り、北の副長が死んだとお思いか?」
——別に、長生きする気はないですから。
お前のような奴は早死にする。以前サードが北の副長へ言い放ったとき、彼が浅い笑みと同時に返してきた言葉がこれであった。生意気だと思ったが、己の若い頃を思い出すような気持ちになったのも事実だ。
確かにいつ死んでもおかしくはないと思ってはいたが、例の返事を聞いて以来、そう簡単には死なないような気もしていた。ゆえに今度の報を、サードはまだどう採るべきか判断しあぐねていた。
「君は信じていないとでもいうような口ぶりだな」
「中央からの情報だ、信憑性には欠けるとは思うが、内容を聞けばいかにもあの生意気な副長の死に様らしい。だが、腑に落ちないところもあるにはある」
「腑に落ちないところとは?」
「部下数人を巻き添えにしたというところだ。それに、最近の北と中央の関係を見るに、いくら黒軍相手とはいえ共闘するとは考えにくい」
ハリアルはサードを凝視すると、わずかに口角を上げた。
「さすがに一支部を実質取り仕切っているだけはある」
「ということは、貴殿も同じ考えでおられるのか」
「君の言う通りだ。セトは己以外の人間の犠牲を許さない。少なくともその部分において、中央の情報は間違っている」
穏やかな表情から、言葉には出さずとも、彼が己の部下の生存を信じて疑わないのは知れた。上司に恵まれないサードに一抹の羨望を抱かせるほど、深い信頼が窺える一瞬だった。
「この情勢で、貴殿はなぜ総会に参加された? エルティ襲撃の件は中央の仕業だろう。この機に反旗を翻すこともできたはずだ。中央に
改めて、本日の来訪の真の目的を果たすことにする。サードが切り出すと、ハリアルは瞳に冷徹な光を戻して応じた。
「降るつもりはない」
「ならば、なぜ」
言葉はなかった。しかし、毅然とした面持ちに、答えは見出せた。
「まず懐に入らねば、ということか」
呟いたサードへ、ハリアルは静かな笑みを浮かべた。
「君がいるなら、西も捨てたものではないな」
この昨夜のやり取りは、総会が始まるまで常にサードの脳の中央に居座っていた。北が何か行動に出ようとしていることは、ほとんど間違いないと思われた。問題は、それがいつになるかというだけだ。
席に座して、サードは広い会議室の全てを見渡していた。中央の人間が大半を占めていたが、皆して呆けたような顔を並べている。状況を理解しようともせず、愚かしいほど暢気なものだ。もはや皮肉の一つすら出てこない。
「これより、白歴七三七年白軍総会を執り行います」
司会担当の上級司令官が、重々しい声で開会宣言を終える。総会に聖者以上の重鎮が姿を現すことは数年に一度ほどしかなく、今回も不参加のようだ。これまで例を見ないほど事態が差し迫っている今参加せずしてどうすると思うが、もとより中央の上層部に期待など無用だろう。いたところで何かが変わることもあるまい。
「欠席者が目立つようだが?」
「副長席が空きに空いていますね。東と西が一席ずつ、それに北ですか」
「北はやむを得まい。先日殉職の知らせが入っていたはずだ」
早速、話が先の一件へ飛ぶ。激戦地でいったい何が起こったのか、真相をここで知り得ることはなかろうが、その一端でも掴めれば御の字だとサードは耳を澄ました。
「ああ、アノレカ陥落の件ですね。確か、兵を逃がすため寡兵で戦線に残り、黒女神相手に、とかいう話でしたかな。いやあ、名誉の殉職ではないですか」
「支部長殿も有能な懐刀を失ってさぞお困りでしょうな。聞くところによると、他にも優秀な隊員を多く失くされたご様子。中央から補充人員を派遣いたしましょう。いかがですかな?」
両の目を閉じて聞いていたハリアルが、そのとき、面を上げた。相手を凪いだ視線で見つめ、ただの一言、述べる。
「結構」
「しかし北はそもそも人員不足で、この頃黒軍や黒獣も暴れている。用心に越したことはありませんぞ。せめて副長だけでも中央から——」
「無礼を承知で申し上げるが、本部から派遣される人間に北の副長が務まるとは思えませんので」
話し手の上級司令官が、信じられないとでも言いたげな顔で何度か口を開閉させたのを見て、サードは薄い嘲笑を唇に上らせた。実にいい気味だ。
「何を」
「まあよいではありませんか。亡くなった副長は、血の繋がりこそないが、支部長殿にとって息子同然だったとか。心中お察ししますよ。副長としても、平民であることを除けば十分全うしていたようですし、何より癒し手でしたからねえ。いや、まこと惜しい若者を失くしたものだ。しかし、中央の人間も様々おりますから、支部長殿のお気に召す者を選んでくださればよいのです。すぐにとは言いませんから、どうぞゆっくりご考慮ください」
サードは、名すら知らない——ただでさえ中央の人間は多いのに、入れ替わりまで激しいとあっては、いちいち覚えていられない。進行役を任されるほどには功績があるのだろうが——上級司令官へ、冷えた視線を送った。言葉だけを聞いていると同情しているようだが、わざとらしい抑揚のつけられた口調は、ひどく耳障りだった。
「それからもう一件。北には例の裏切り者……確かランテとか言いましたか。あの者の逮捕にも全力を挙げていただきたい。彼のせいでアノレカが落ちたも同然ですし、責任は取っていただかねば」
手配書に描かれていた似顔絵を思い出す。素朴で幼く、気弱そうにさえ見える人相の若者だった。そもそも中央を信頼していないサードは、中央が演じた失態を、その新米の若者に押し付けているのではとの考えを抱いていた。確証などむろんないが、間違っているとも限らない。
「その件に関しては、事実確認も含めて全て北が引き受けましょう」
サードはハリアルの表情を注意深く見守ったが、彼は胸の内を容易く漏らすような人物ではない。当たり障りのない——事実確認も含め、という文言をつけるあたり、おそらくハリアルもサードと似たような考えなのだろうが——事務的な返答だけを、無表情で口にする。
「それで、東と西の副長はいかなる理由で欠席されたのか?」
「この戦況で指揮官が皆空けるわけにはいかんのでな。一人残してきたまでだ」
東の支部長オルジェが、淡白に答える。さて。サードは視線を正面に座る上司へ移した。どう答えるのか、見ものだ。
「なるほど。西はいかがかな?」
「も、申し訳ありません。ネ、ネリドルは体調不良で——」
ゴダは口ごもり、それ以上の言葉は聞き取れない。もうしばらく待ってやってもよかったが、時間の無駄は避けるに限ると思い直し、続きはサードが引き受けることにした。
「もう一人の副長は、我が支部長がやり残した仕事を片づけるために支部に置いてきた次第」
「サード、き、貴様」
額に汗を貼りつかせてあたふたとうるさいゴダを、サードは横目でにらみつけた。黙らせるのは簡単だった。
「承知しました。ゴダ支部長、あなたにはもう少し努力していただかないと、支部長交代も考えねばなりませんね」
「そうしていただけると大いに助かる」
右からも左からも、忍びきれなかった笑い声が耳に入ってくる。ゴダはみるみる赤面した。
「す、すみません」
ゴダもそうだが、身分だけの無能がのさばる白軍の実情を、長い間サードは不快に思い、憂いていた。最近では少し改善されたとはいえ、今ここにいる人間の三分の二は、その『身分だけの無能』に該当するだろう。残らず駆逐してやりたい、今も昔もその考えは変わらない。
「では、本題に入りましょうか。激戦地でのことは皆さんのお耳にも入っておりますでしょう。迅速に手を打たねば、我々は敗北する。そこで、です。中央はこれより段階的に激戦地へまとまった数の増援を送り、最終的には全兵の六割から七割を激戦地へ派遣することに決めました」
中央の人間でも知らされていない者が多かったのだろうか、俄かの発表に会議室は騒然となった。サードも眉を上げる。
「六割から七割を? ならば中央の守りはいかがする。黒軍過激派も西大陸には
皆を代表し、オルジェが問うた。司会進行を担う上級司令官は、一人不気味な笑みを浮かべている。
「中央の守り、及び黒軍過激派の対処においては、各支部の力をお借りしたい」
「随分思い切った——というよりも、いっそ捨て身の策に聞こえるが。これでは本部も機能を果たせないだろう」
「我々は急いているのです。東の支部長、あなたのいらっしゃる東地方からは黒軍がみせるまやかしがよくお見えでしょう? ありもしない古王都の姿を見せつけ、こちらの戦意を削ぐつもりらしい。民が惑わないうちに、一刻も早く黒軍を殲滅する必要があるのですよ」
ここでオルジェは、すっと両目を細めた。
「なるほど。それほど中央のお歴々は王国説が恐ろしいらしい」
王国説。その言葉がサードの耳を強かに打った。何かあるな。長い経験によって研ぎ澄まされた勘が、確かにそう告げている。
「オルジェ支部長、口には気をつけられよ」
別の老いた上級司令官が、凄みのある声で牽制したが、オルジェは全く意に介さなかった。顔色一つ変えずに言葉だけの返答をする。
「ああ、十分気をつけよう」
「まあまあ、そう険悪になりませぬよう。これから我々は黒軍という共通の敵に対するため、一致団結していかねばなりません。特に屈強な兵を擁する東、そして多才な兵を擁する北、この二支部には大いに期待しています。ぜひ中央の守護の中心になっていただきたい」
もう一度、サードは眉を吊り上げた。思わず言う。
「どういうおつもりか」
「副長風情が口を開くな」
先ほど割って入った上級司令官が、今度はサードにすごむ。なかなかの剣幕だが、この程度では恐れは感じない。
「これは失礼。しかし、実質西支部を率いているのはこの自分。役立たずの我が西支部長に代わって発言させていただく。よろしいか」
「サ、サード!」
ゴダの制止は、何の意味もなさなかった。
「よろしいでしょう。何です?」
「くだらない建前やごまかしはなしにしてお聞きしたい。これまでお世辞にも中央とはよい関係とはいえなかった東や北に、首都の守護という重大な役目を委ねる真の目的はどこにあるのか。おそらく皆も疑問に思っているはずだ」
これまで、内戦すら起こり得ると言われるほどに冷え切っていた、中央と、北・東両支部の関係は、ちっとも改善されていない。むしろ中央が北に手を出し、今や一触即発の状況にまで陥っているはずだ。こんな状況下で両支部の軍を首都に呼び寄せては、自ら内戦を起こそうとしているのも同然。到底理解できない。
「我が中央の兵は、数では勝れど練度では両支部の兵に大きく劣る。万が一聖戦に敗北しても、要である首都が落ちないようそこに精鋭を残しておきたいと考えるのは、至極自然な思考では?」
進行役の上級司令官は、相変わらず一人で笑んでいる。腹に一物ある、そんな顔だった。建前にしか聞こえない返答だが、これ以上催促したところで、大した答えは返ってこないだろう。サードは閉口した。
さすがに険しい顔になって——たいそう警戒しているようだ。当然だろう——今度はハリアルが声を発した。
「黒軍の動向も注視せねばならない今、東も北も他へ兵を回す余力は残っていません。中央のことは中央で
「その黒軍に勝ち、今後の脅威を全て取り除くための作戦です。ご助力いただくよう。北には今アノレカからの敗走兵がおりますでしょう? 彼らを派遣してくだされば、それで事足りるのですよ。もちろん中央兵も選りすぐりの者をいくらか残しておきますし、先ほど申し上げたように、中央から北へ数人補充人員を派遣してもよいのです。東や北の兵がどうしても欲しいんですよ」
ハリアル、オルジェが互いに目を見交わす。うますぎる話には必ず罠がある、そんなことは当然二人とも分かっているのだろう、双方共に兵を派遣するつもりは、今のところないらしかった。それを感じ取ったのか、進行役は早々に切り上げる。
「一朝一夕に答えの出せる話ではありませんでしょうし、本日の会議はここまでにしましょう。急ぎで申し訳ありませんが、明日には返事をいただけるようお願いします」
一日目の会議終了の宣言があっても、席を立つ者は少ない。皆不安げな顔で、傍の者と何やら言葉を交わしている。
何が起ころうとしているのかは分からない。が、何かとてつもないことが起こるような不穏な予感があった。しかしサードの胸を過ぎったのは、不安や焦燥の類ではなく、密やかな高揚だった。
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