【Ⅳ】 合流
昼下がりのエルティを歩く。忙しく行き来する人の間を縫うようにして進みながら、ランテはデリヤの姿を探した。
「ほら、あの人がそうだって」
「なんで白軍はあいつを捕まえないの?」
「あんな奴、追い出しちゃえばいいのに」
中央からの知らせは既に伝わっているらしい。ナバの言うように似顔絵でも出回っているのだろう、白軍の制服を着ていなくても勝手に視線が集まった。情報の訂正はするとアージェが約束してくれたが、今はまだ行き渡ってはいないようだ。耳に入ってくるあらゆる雑言を、ランテは努力して聞き流すことにした、のだが。
「わ」
腰に挿していた剣が急に重くなって、ランテは空足を踏んだ。振り返ってみれば、五歳くらいだろうか、小さな男の子がランテの鞘を両手でぎゅっと捕まえている。
「えっと、どうかした?」
話しかけてみたが、男の子は手を離してランテを見上げたきり何の反応も示さない。視線を合わせるために屈んだ瞬間、伸びてきた指が思い切りランテの片頬をつねった。
「いっ、痛、痛いって」
「おまえなんてきらいだ!」
痛む頬をさすりつつもう一度見ると、男の子は泣き出しそうになっていた。驚いたランテへ、二度目の攻撃が迫ってくる。
「ちょっと待って」
できるだけ優しく腕を取り、男の子を止めた。結局泣き始めてしまったその子へ、ランテは再度声をかけた。
「ごめん、オレ、何かしたかな?」
「兄ちゃんたちをうらぎったんだろ!」
「オレが黒軍に情報を流したって話のこと?」
「こんど……こんど、セト兄ちゃんに剣を、テイト兄ちゃんに呪をおしえてもらうやくそくしてたんだ。ユウラ姉ちゃんは勉強みてくれるっていってくれた。だからぼく、ずっと待ってたのに……おまえがうらぎるからっ」
男の子は泣きじゃくるが、ランテにはどうしてあげたらよいのか分からない。ノタナが自分にそうしていたのを思い出して、おそるおそる男の子の頭を撫でた。
「ごめん。でもオレ、皆を裏切ってはないんだ」
「うそだ! だって、みんな、おまえがうらぎったっていってるぞ!」
振り払われた手を握りこむ。そのままでランテは男の子が目を合わせてくれるのを待った。
「オレは、セトにもユウラにもテイトにも何度も何度も助けてもらって……足を引っ張ってばかりだったけど、皆を裏切るようなことはしない。それに、皆は生きてるんだ。オレが皆を連れて帰るよ。約束する」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「ぜったい?」
微笑んで頷こうとした、そのときだった。右肩を強く引っ張られて尻餅をつく。何事かと頭を上げたランテの前に、息を乱して血相を変えた女性が立ちはだかった。
「うちの子に近づかないで!」
絶叫が耳を射抜いた。母親だろう。
「誰か、誰か白軍を呼んで! 黒軍の仲間がまだ残っていたのよ」
呆然とする男の子を抱きかかえ、彼女はランテを怒りのこもった目で睨みつけている。弁明しようとした口を一旦閉じた。足を止めていた通行人のうち数名がどこかへ——おそらくは白軍を呼びに——駆けていくのを見て、ランテはおもむろに腰を上げた。
「……ごめんなさい」
言い残し、踵を返す。騒ぎ始めた群衆の間を身をかわしながら抜けて、ランテは走り去った。もう大丈夫、震える声でそう言う母親の声が届いて、口の中でもう一度謝った。
人目を避けて駆け込んだ裏町の路地で息を整える。よく振り切れたなと自分に感心していると、正面に人影がすっと現れた。一瞬焦ったランテだったが、正体を知ってすぐに安心した。
「なぜ逃げたんだい?」
「デリヤ! よかった。探してたんだ。いったい今までどこに」
喜ぶランテを見て、デリヤは溜息をこぼす。呆れた様子だが、その表情に陰は認められなかった。
「君は言葉が通じないのかい。何で逃げたのか、僕はそう聞いた」
「説明するのも難しいし、あの人とても混乱してたから、逃げた方が早いかなって思ったんだ。というか、デリヤ、見てたの? 声かけてくれたらよかったのに」
「何で僕が君に声をかけなければならないんだ」
「だって、一緒に中央に行ってくれるって言ってた」
「僕は手を貸してもいいと言っただけだ」
「じゃあ、一緒に行ってくれないんだ?」
デリヤは返事に困ったようだ。ごまかすように二度目の溜息をついて、わずかに細めた目をランテに戻した。
「……君は少し黙ったらどうだい」
「何で?」
「君みたいなのに、よくセトたちは付き合っていたね。全く、鬱陶しいったらない」
「えっと、ごめん?」
ランテは訳の分からないまま、とりあえず謝った。デリヤは今度は戸惑って視線を散らす。
「君と話していると調子が狂う」
ランテの持つ悠長さは、傍にいる者の警戒心を溶かし、本人も意図せぬところで己のペースに取り込んでしまう。デリヤもまた、これまでランテが接した全ての人間と同じように、隙だらけなのに読みきれないランテに巻き込まれつつあった。
「デリヤ、中央ってどんなところ? オレ、何も知らなくて」
「何も知らないまま行こうとしていたのかい?」
「うん、まずは行ってみないとと思ったから」
「君の馬鹿さには心底呆れたよ。もう言葉も出てこない」
「名前は聞いたことあるかも。白都ルテルって言うんだっけ?」
中央本部についての話は何度もしたが、首都の話は一度軽く話題に上っただけだ。まさか訪れることになるとは思っていなかった。
「白都ルテルは、白女神の大神殿を中心にして円状に広がる町だ。町の内部は内から外へ三層に分かれていて、一番内側が貴族の居住地、真ん中が一般市民の居住地、外側が貧民の居住地になっていてね。貧民街に入るのは簡単だ。そこからは難しいけれど」
デリヤは中央についてよく知っているらしい。ランテは詳しく聞いてみることにした。
「本部はどこにある?」
「白女神の大神殿は中央本部内にある」
「じゃあ、町の真ん中ってことか……本部って広い?」
「広い。北支部の四倍はあるだろうね」
「それじゃあ、忍び込めたとしても皆を探すのには時間がかかるかな。やっぱり居場所を突き止めてからじゃないと」
「本部に牢は一つしかない」
「皆そこにいる?」
「僕に聞かないでくれるかい」
「牢にいるんじゃないかなと思ったんだけど、違う?」
「だから僕に聞くなと言っているじゃないか」
居場所の詳細は、そう簡単には分からないのだろう。しかし、やらねばなるまい。両の拳を力を込めて握ったランテを見て、デリヤは声を潜めて続けた。
「……大聖堂と本部を繋ぐ隠し通路がある。潜入には、その通路を使うつもりでいる。貴族層と市民層の間の馬鹿みたいに厳重な警戒網を素通りできるからね」
「大聖堂は市民層にあるんだ? でも、確か大聖堂って神教の建物じゃなかったっけ? なんで中央本部との間に隠し通路が——あっ」
——大聖堂の皆さんも神の教えを忘れ、最近では中央におもねる始末。これも神の与えたもうた試練なのでしょうか……。
——既に白軍中央本部と癒着を始めていた教会は、外部の人間には何一つ語ってはくれません。
——白軍は力を持った。神教を存続させるためには、白軍に取り入らねばならぬ。
三人の言葉が、立て続けにランテの耳に蘇った。始まりの女神ラフェンティアルンを頂に仰ぐ神教と、白女神ルテルアーノを頂に仰ぐ白軍とは、本来相容れないはずである。しかし話を聞く限り、ここのところは神教の方が白軍に飲み込まれているようだ。
「中央本部と神教の癒着は有名な話でも、表立って行き来することはさすがにまずい。だから地下通路を作ってこそこそやり取りしてるんだ。僕が使ったのもその通路だ」
デリヤはごく短い間だけ、瞳に暗い影を宿らせた。中央に利用されていたときのことを思い出すのは辛いだろう。胸が痛んだが、中央に潜入するためには彼の協力が必要不可欠だ。
「……案内してもらえる?」
「仕方がないからね」
遠慮がちに聞いたランテだったが、デリヤはすぐに頷いた。
「ありがとう。じゃあ、オレたちは、まず白都ルテルの貧民街を目指せばいいってこと?」
「どうやら君も僕もお尋ね者になってるみたいだからね。余計な寄り道はしない方が賢明だ」
「うん、時間もないし、早く皆を助けたいし、そうしよう」
先に歩き始めたデリヤを追い、ランテも足を踏み出した。
目的地は白都ルテル。そこまで行けば、皆が囚われている白軍本部は、目と鼻の先だ。
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