2:うたかたの光

【Ⅰ】-1 失敗

 明かりの消えた街はすっかり静まっていて、ランテとルノア以外に人の姿はない。それでもルノアは楽しそうで、何かを見つけるたび声を弾ませてランテに問う。


「あれは何?」


「あそこは確か、服屋だったかな。今ルノアが着てるみたいな服をたくさん置いてる」


「好きなものを選べるの?」


「うん。母さんは服屋に行くと長い時間迷って、たいてい日暮れまで帰ってこない」


「ランテも服は自分の好きな物を買っているの?」


「オレはあるものを着てるよ」


「それじゃあ、ランテの分もお母様がご用意してくださってるのね」


 やっぱり、優しいお母様だわ。ルノアは微笑んで言う。


「心配だな」


「何が?」


「なんか、ルノアの中でオレの両親がやたら立派な人になってるから、実物見たらがっかりされないか。ただのおじさんとおばさんだし」


「大丈夫。きっと私の想像通りの方たちだと思うわ」


「だといいけど」


 ふいに歩いてきた道を振り返って、ルノアは城を仰いだ。王城は小高いところに建てられていて、街のどこからでも目にすることができる。月明かりだけでもよく見えたが、周囲が暗い中城だけがほんのり浮き上がって見える様は、少々不気味にも思えた。


「外からはこんな風に見えるのね」


「どう?」


「小さいわ。もう私の部屋なんて、どこにあるのか分からないわね」


「十分大きいと思うけど」


 ルノアは曖昧な笑みを浮かべ、身体を返して城を背にしてしまう。細い背中はどこか寂しげだった。


「ランテの家はまだ先?」


「あともう少し先」


「早く着かないかしら」


「疲れた?」


「全然。でも、待ちきれないの」


 打って変わって子供っぽく笑い、ルノアはほんの少し足を速めた。




 イッチェはランテを、裏町のちょうど中心部にある宿まで案内した。ここが黒軍の本拠地になっているようだ。客や従業員は追い出されたのか、それとも人質になっているのか、ロビーはひっそり静まり返っている。


「そいつは誰」


 奥から、黒い衣に身を包んだ若い女性が現れた。長い三つ編みが動きに合わせて揺れる。メイラだろう。呪力の察知能力に優れているとは言い難いランテにも、彼女が腕のある呪使いであるのは一目で分かった。テイトと同じくらいか、もしかしたらそれ以上の力の持ち主だろう。


「支部の関係者だ。人質として連れてきた。お前と話がしたいらしい」


「愚かな白の民と語る口は持っていない。他の人質と同じ部屋に連れていけ」


「待ってください」


 急いで訴えたランテを、メイラは吊り上がった瞳で冷たく見据えた。


「同じことを二度は言わない。イッチェ」


 イッチェが後ろから羽交い締めにしようとしたが、ランテは強く振りほどいた。


「北は、今、中央と立ち向かおうとしているんです!」


「それが何」


「王国説を知って、中央の嘘に気付いて、戦争を止めようとしてる。北がやろうとしていることは、あなたたちと同じなんです」


「同じ? 笑わせる。私たちの目的は、白の民の殲滅」


「白の民を憎んでいるんですか」


 メイラは唇を緩めたが、少しも笑ってはいない。嘲るような、けれどもわずかに痛みが滲んだような、そんな表情になった。


「憎むくらいで済んでいるなら、ここにはいない」


「どうしてそこまで」


「お前と話す口は持たないと言ったはず」


 メイラが踵を返した。背中を急いで追い掛ける。先回りして、扉を塞いだ。メイラが舌打ちする。


「イッチェ、何してる。早くこいつをどかせ」


「話くらい聞かせてやったらどうだ?」


「どうして肩を持つ?」


「暇つぶしにはなる」


 メイラは苛立った瞳をランテに戻した。そのまま視線を留める。


「……お前は」


 何かを言い掛けて、止める。闇が集められて、ランテの周囲を巡った。攻撃意志は感じられなかったので抵抗はしなかったが、触れて忍び込んできた闇がランテの頭の中をかき乱す。脳内を無遠慮な手でいじり回されている気がして、不快だった。


「お前、白の民ではないな」


「そうみたいです」


「記憶が途切れているのは、あの女の呪のせいか」


 闇呪で、ランテの記憶を読み取ったのだろう。


「ルノアのことですか?」


 答えずに、メイラはすっと目を細めた。


「なぜ白の民の側につく」


 そういえば、なぜだろう。これまでさほど白黒の区別を気にしていなかったことに、ランテは気がついた。


「オレは白の民の味方をするわけじゃない。同じ白の民でも、中央の味方はしたくないし……オレはオレを助けてくれた人たちのために戦いたいんだ。白でも黒でも関係ない」


「どんな理由があろうと、白の民に力を貸すなら私の敵。今すぐ消してやる」


 急激に冷えた闇がぞわりと盛り上がったところで、イッチェが声を上げた。


「メイラ。ここを壊す気か」


「お前がさっさとこいつを私の前から消さないからだ」


「メイラさん、あなたが白の民を殺したがる理由を教えて欲しい」


「気安く私の名を口にするな」


 ばっと突き出された手のひらから、新たな闇が生まれ出る。囲まれる前にランテは逃れた。追うようにかざされる手の指に、銀の指輪が光っているのを見つける。それが、なんだかとても目を引いた。


「指輪」


 どうにも気になって、口走る。メイラが一瞬だけ動揺したのを、ランテは見逃さなかった。


「大事な物なんですか?」


 ランテを追い掛けていた闇が、薄れて、消えた。メイラが左手を引き戻して右手で覆い、ランテの視線から指輪を守る。


「……見るな」


「オレの弟がメイラに贈ったものだ」


「イッチェ!」


 叫んだメイラを意に介さず、イッチェはランテを石のように動かない瞳で見て、淡々と言う。


「弟は死んだ。九年前、停戦条約締結の使者として白女神統治区域に行き、惨殺された。メイラが持つ指輪だけが唯一の形見だ」


「……停戦条約? 聖戦を止めようとしたことが、前にもあった?」


「そう」


 答えが、今度はメイラから返ってきた。


「黒の民は、愚かな白の民とは違う。我らは王国の遺志を継ぐ者たちだ。戦を忌んでいた。激戦地の指揮官が変わるたびに使者を送り、和平を訴えてきた。だが、一度も聞き入れられず……挙げ句には使者が殺された」


「そんなことが……」


 それ以上の言葉を、ランテは継げなかった。眼裏にリエタがぎる。イッチェは九年前だと言った。彼の弟を殺めたのは、リエタだろうか。


「白の民は残虐を好み、戦争を求める悪魔だ。これまで何人の同胞たちが殺されたことか。これ以上はさせない。私が残らず消してやる」


「待って、それは違う!」


 メイラは叫んだランテをちらと見たが、それ以上の反応は示さない。


「オレの記憶を見たなら、白の民皆がそんな人間じゃないってことは分かるはずだ。今、皆は戦争を止めようとしてて——」


「そいつらを殺せば、カイザの復讐になるかもしれない」


 はっと息を呑んだ。メイラは氷のような目をしていた。怯むわけにはいかない。ランテも強いまなざしで見返す。


「皆は殺させない」


「お前はそいつらより先に死ぬ」


「あなたも、オレたちも、本当の望みは戦争を止めることじゃないですか。協力できるはずです」


「七百年も戦争を止められなかった者たちが、今更止められるとでも?」


「必ず止めてみせる」


「信じられるものか」


「信じてください」


 メイラが煩わしそうにランテから視線を外した。


「口だけでなら何とでも言える。イッチェ、連れていけ」


 またも振りほどこうとしたランテの首もとに、冷たい短剣が添えられる。動きは止めるしかなかったが、このまま黙っているわけにはいかない。


「……どうしたら信じてもらえますか」


 メイラは答えない。


「あなたたちがどれだけ強いとか、何人いるとか、オレは知らないけど、こんなやり方で上手くいくと思ってるんですか。ワグレを見たことがありますか? 中央がどんなに横暴で強大なのか——」


「イッチェ、時間の無駄だ。黙らせろ」


「待——うっ」


 イッチェの拳が鳩尾に深く食い込んだ。視界に黒が立ち込めて、かくりと膝が折れる。


 ここで倒れるわけにはと思うのに、抗えなかった。ランテはその場に崩れ落ちながら、意識が身体からするりと抜け出ていくのを感じた。

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