【Ⅴ】-2 成長

 裏町をぐるりと囲むように、白軍兵士たちは等間隔に並んでいた。だが突入の準備を進めているといった様子ではなく、裏町全体を見張ることを目的としているようだ。デリヤが言うように、やはりまだ行動に移せるほど支部内の意見がまとまっていないのだろう。


 もしも今ここに、セト、ユウラ、テイトの三人がいたら、彼らはどうしただろうか。ランテが和解を望むと言えば、協力してくれただろうか。皆は、支部では重要な地位にある。立場上支部へ戻らないといけないかもしれない。けれども、それがどんな方法であっても、きっとランテの背を押してくれただろうと思う。そんな気がするだけでも心強かった。


 どこか包囲網に穴でもあればと探してみたが、さすがは北の兵と言うべきか、そんなものは少しも見つからない。強行突破しかないかと諦めかけたときに、ふと傍の建物を見上げてランテは思いついた。屋根伝いに裏町へ忍び込めないだろうか。


 試してみようと、塀を上り、窓枠に足を掛け、どうにか屋根まで上りきった。立ってみると、予想外の高さにランテはうろたえた。屋根と屋根の間も下から見たときよりずっと広く見えて、ランテが軽く跳んだくらいではとても届きそうにない。セトや、それからユウラなら、これくらいの距離はものともしないだろうにと思って苦笑する。光速を使えばランテとて簡単に渡れるのだろうが、見咎められるか、あるいは感知される可能性が高かった。


 ——できることをできないと思い込んでちゃ成長しない。とりあえず、まずは何でもやってみることだな。できるようになれば、自信もつく。


 以前自信の持ち方を尋ねたランテに、セトが返してくれた答えを思い出した。一人で頷く。他に方法も思いつかないし、ここを自力で飛び越えるしかない。やってみよう。


 助走に長い距離を取る。足音には気をつけねばなるまい。深呼吸をひとつして、ランテは駆け出した。端までたどり着いて、力一杯踏み切る。身体がふわりと浮き上がった。が。


 跳んだ瞬間に、足りないなと思った。そして案の定飛距離は不足し、目標にしていた屋根に後一歩届かない。ランテは腕を精一杯伸ばして屋根の端を握ってみたが、それだけでは体重を支え切れずに指が滑った。落ちていく。


 どさり、と音がした。屋根と塀の間の狭い隙間に落下したようで、腰から着地したが、敷き詰められていた芝生が緩衝になってくれて大事には至らない。多少の痛みはあったが、すぐに身体を起こして、ランテは建物の裏手へ回った。


 また塀を上って、細い路地に降り立つ。思いのほか簡単に裏町には入れた。さて、ここからはどうしようか。黒軍のリーダーは女性らしいが、どこにいるのだろう。もう少しデリヤから何か聞いていればよかったと思うも、今さらだ。何も分からない以上手当たり次第に探すしかない。適当に方向を決めて歩き始めた、そのときだった。何か鋭いものが頬をかすめて過ぎ去った。少し切れたのだろう、小さな痛みが走る。振り返って確かめると矢だった。


「何のつもりだ?」


 聞いたことがある声だった。声主を探し、見つけて、ランテは息を飲む。まさかと思って二度瞬いたが、結果は変わらなかった。


「……イッチェ? なんでこんなところに」


「そのまま返す。人質を見捨てる気か?」


 イッチェは、以前対峙したときと同じように矢をつがえていたが、今日は黒づくめの衣服をまとっている。状況が飲み込めない。


「中央軍も来てる? 誰かが援軍を——」


 呼んだのか、と続けようとしたランテを、三本同時に飛んできた矢が妨げた。避けて、同時に剣に触れるが、そこで躊躇う。


「抜かないのか?」


「イッチェは黒軍と戦いに、ここへ?」


「間抜けだな。まだ分からないのか」


 黒い服から、そうではないかと予感はしていた。ゆっくり尋ねる。


「……イッチェは黒軍として来てるってこと?」


「見ての通りだ」


 中央からの監視役として北に派遣され、そして襲撃時にも中央軍として北の兵を襲った彼が、なぜ黒軍となってここに存在しているのか。理解はしかねたが、彼が今黒軍の一員であることは確からしい。ランテは剣から指を離した。


「だったら、なおさら抜けない」


 イッチェは無言で新たな矢をつがえた。きりきりと弦が鳴る。


「侵入したのはお前一人のようだな。偵察のつもりだったか?」


「違う。話を聞いて欲しくて来たんだ。黒軍のリーダーの人に会いたい」


「寝言は寝て言え」


 矢が再三放たれる。前に向かい合ったときより、ずっと落ち着いていられたし、矢の軌道もよく見えた。ランテが余裕を持って避けると、苛立った舌打ちが聞こえてくる。


「避けるだけか? 腰抜けめ」


「さっきも言った。オレは話をしにきたんだ。戦いにきたわけじゃない」


 四度目の矢がランテの足元を狙って飛んでくる。避けながら、イッチェが弓を捨て、短剣を取り出したのを見た。近づいてくる。また反射的に剣を抜きそうになったが、駄目だ、抜いては一人でここに来た意味がなくなってしまう。意を決して、ランテは身構えた。剣を使わず、手も出さないで、全部避けるのだ。


 横、横、縦、斜、縦、横、斜、斜。ランテ自身さえ驚くほどに、よく見えた。セトの剣はもっとずっと速いし、ユウラの槍はもっとずっと迷いない。さらに短剣は繰り返し繰り返し振るわれたが、一度もかすりすらしない。振り切られた隙を見て大きく跳びすさると、イッチェはもう一度舌打ちをしたが、それ以上追い掛けては来なかった。


「この前とは段違いだな」


「ありがとう」


 思わず礼を言うと、イッチェは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「……話をしたいと言ったな。支部明け渡しの返事に来たのか」


「違うんだ。オレは支部には寄ってない」


「ならば、何の話に来た」


「リーダーに会わせてくれたら話す」


「調子に乗るな」


「連れて行ってくれるまでは動かない」


 イッチェの目がいっそう険しくなったが、ランテは動じなかった。真っ向から見返す。根比べになって、しばらく。ついにイッチェが折れた。かすかに頷いて、低く呟く。


「いいだろう」


 安堵の息をこぼしたランテのすぐ前に、イッチェがたった今まで握っていた短剣が突き刺される。ランテが首を傾げると、イッチェはずいと片腕を突き出した。


「何?」


「剣を寄越せ」


 一瞬悩んだが、そもそもここへ剣を持ち込んだのが間違いだったと思い直す。ランテは素直に剣を渡した。イッチェは次に、先程投じた短剣を顎で示す。


「その短剣で、どちらかの足を刺せ」


「何で?」


「話をしに来たのなら、片足が動かなくても不都合はないだろう」


 試しているのか、それとも、ランテを負傷させて思うように動けなくなったところを始末するつもりなのか。易々と要求を飲んでよいものかと迷ったが、話を聞いてもらうには必要なことなのかもしれない。ランテはそろりと短剣に手を伸ばした。両手で逆さに握る。刃は少し濁っていた。


 ——あんた騙されやすいタイプね。もっとしっかりしなさい。気をつけないと、あっけないくらい簡単に死ぬわよ。


 そのとき、ユウラの声が脳裏をよぎった。腕を止める。ぱっと見上げれば、イッチェがランテの剣を抜いたところだった。


「……騙してたんだ」


 ランテの言を、イッチェは鼻で笑う。剣がそろりと鞘に収められた。笑みを残すイッチェを睨みつけて、ランテは短剣を突っ返した。


「今はできない。必要なら、リーダーと会ったらやる。だから、まずはその人の居場所を教えて欲しい」


「メイラが話を聞くかは保証しない」


 短剣を受け取り、イッチェは淡々と続ける。


「お前には人質になってもらう。北支部が明日までに要求に応じなかったときは、まずお前の首を刎ねる。それでも来ると言うなら、メイラまで通してやろう」


「そのメイラって人が黒軍のリーダー?」


「そうだ」


「分かった。話ができるなら、それでいい」


 イッチェは進行方向を指差すと、ランテに先に歩くよう命じた。応じるが、背後への注意は怠らない。そのまま少しの間黙って歩き続けたが、ランテにはどうしてもイッチェに聞いておきたいことがあった。足を止めて、振り返る。


「イッチェは、どれくらいの間、皆と——セトたちと同じ隊にいた?」


「黙って歩け」


「オレよりは長いんだろうな」


「黙れと言っている」


「皆と一緒にいて、何も思わなかった? 楽しいとか、落ち着くとか、そういうの」


「これ以上喋るなら黙らせる」


「中央のことも、北のことも知ってるなら——」


 イッチェが短剣を振り下ろしたが、ランテはまたも軽くかわした。十分読み切れる速さだ。


「——何が間違ってて、何が正されるべきなのかは、分かるはずだ」


 イッチェは感情の滲まない笑みだけを返した。間にしばしの沈黙を置いて、やはり感情は一片も感じられない声で述べる。


「何を話に来たのかは知らんが、我ら黒の民にとって、白の民は皆等しく憎むべき敵だ。お前ら白の民にとっても、黒の民とはそういうものだろう。お前は、あの呪の教官を痛めつけたのがオレだということを忘れていないか? オレは殺す気だった。奴が死んでいたら、お前とてオレを憎悪しただろう」


 血まみれで、蒼白な顔をしたテイトの姿が一瞬、目の前を過ぎる。ランテは二の句を次げなかった。


「早く歩け。メイラに会いたがったのはお前だろう」


 憎むという感情が、ランテにはまだよく分からない。ベイデルハルクを目にしたときにいつも胸の内で膨れ上がる感情は、きっとそう呼ぶべきものなのだろうとは感じていたが、それもまだ理由を知りかねているせいか、形を取らずどこか漠然としていた。争いを止めるということは、皆の憎しみを残らず取り除くということなのだろうか。そうしなければ、永遠に争いは続くのだろうか。


 ——七百年も続いた戦いを止めるというのは、本当に難しいことだと思う。でも、このまま戦い続けても誰も幸せにはなれないし、なんとしてでも止めないとね。きっと分かり合える方法があるはずだよ。


 テイトの言葉を思い出す。そうだ、和解のためには分かり合う必要があるのだ。こちらから話をするだけでは足りない。黒軍が今何を考えているのか、話を聞いてみたいと、ランテは思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る