【Ⅲ】-2 共に
「君たちみたいなのをここに配置するしかないほど、事態は差し迫ってる。今は一人でも戦力が欲しいはずだ」
「中央の密偵と裏切り者を頼るなど」
「おかしいね、君は自分から中央を頼ろうとしていたみたいだったけど。それにこいつが裏切り者じゃないのは、君も分かっているんだろう?」
デリヤもまた、ランテを裏切り者ではないと信じてくれていたらしい。嬉しくて思わず口元を緩めると、兵と視線がかち合った。鋭く睨みつけられて、ランテは慌てて笑みを引っ込める。
「中央は一度敵と見なした者を許したりはしない。エルティは遅かれ早かれまた中央の襲撃を受けるんだ。黒軍が来てる今が、その絶好の機会ってことになるね。白獣を呼んでしまえば、全部砂になってそれで終わりだ。……ワグレみたいに」
目を落として、それからしばらくデリヤは黙り込んだ。ランテの眼前にも、ただ白砂の海と化した町の——かつて町であったもののありさまが蘇る。茫漠とした死の世界だ。あんなに寂しくて苦しい景色は見たことがなかった。思い出すだけで胸がよじ切れそうになる。
「援軍なんて頼めば、奴らはそれに乗じて攻め込んでくるに決まってる。こちらからわざわざ口実を作ってやっているようなものじゃないか。これだから馬鹿は困るよ。考えが浅い」
「……言わせておけば」
「反論はそれだけかい? 負け犬が吠えたみたいだ」
「中央はこいつに背教の罪を着せたけど、殺さず捕らえろと強く言ってるらしいじゃないか。今はこいつがエルティにいた方が都合がいいんじゃないかい? 白獣なんて呼べなくなる」
どこで情報を仕入れたのか、彼はかなり詳しいところまで状況を把握しているようだ。兵が困惑した様子で仲間たちを振り返る。残りの者も皆答えを出しかねているらしかった。黒軍に急襲され、しかも支部には常の指導者を欠いている。また同じ北支部の仲間の消息が分からず、さらに情報も錯綜しているこの状態では、混乱してしまうのも無理のない話だろう。様々な迷いが生じてもなんら不思議ではない。
「万一そいつが黒軍側の人間だとしたら」
おずおずといった様子で口にした兵に、デリヤは最初と同じ笑みをもう一度浮かべた。
「こいつを白軍へ勧誘したのは、セ——副長だそうだね。こんな間抜けなやつに騙されていたんだとしたら、本当に気が触れてたらしい」
素直ではない言葉に、一瞬だけ、信頼が滲んだ。それで理解する。デリヤはランテを信じたのではなくて、ランテを信じたセトたちを信じたのだ。それでも嬉しかった。デリヤと皆は、きっとまた昔のような関係に——それをランテは知らないけれど——戻ることができる。そう思えたので。
たいそう長い迷いの末、兵はおもむろに武器を下げた。身体ごとランテのほうを向いて、彼は言う。
「……通れ」
「え?」
事態が飲み込めないランテの目の前で、控えていた兵たちが門を開け始めた。金属が擦れる高い音が鼓膜を小刻みに震わせる。そうして懐かしい——そう感じた——エルティの町並みが徐々に
「通るといい。ただし、お前だけだ。もう一人は通せない」
安心する間もなく、ランテは息を丸ごと飲み込んだ。
「どうしてですか!」
知らない間に兵に詰め寄っていた。ほとんど叫ぶように抗議の声を上げても、兵は無表情のままで微動だにしない。デリヤを振り返るが、彼もまたその場に留まって動こうとしなかった。何で、とこぼしたランテに、デリヤは唇だけの笑みを返す。
「構わないよ。僕はもともと町の中へ入るつもりなんてないんだ。せいぜい黒軍と戦って——」
皆まで聞かず、ランテはもう一度正面に顔を戻した。兵はまるで石像にでもなったかのように、少しも動かず門の中央に立ち塞がっていた。どうして分からないのだろう、と思う。掴みかかりたいのを必死に抑えて、代わりにありったけの言葉を投げつけた。
「デリヤも通してください。デリヤは、中央の密偵なんかじゃなかったんだ。今だってエルティを助けるために来てるんです。まだ分からないんですか」
「待ちなよ、僕は——」
制止の声はデリヤからかけられたが、そんなものは聞こえない。ランテは一段と大きな声を出した。
「デリヤは、真っ先に、誰より早く、中央の本質に気づいてた。一番に中央と戦ってたんだ。北だって、これからは中央と戦わなくちゃいけない。だったら、一緒に戦えるはずです」
いくら言葉を重ねても、兵は一向に頷かない。
「駄目だ。今はお前以外は誰も通すなとの命令が下っている」
「ただ命令に従うだけなら、証持ちの兵と何も変わらない! あなただって、一度は命令に背こうとしたじゃないですか。今は一人でも戦力が欲しいなら、デリヤだって」
どんどん感情が
「勝手に話を進めるな。僕は君たちと一緒に戦う気なんかない」
「命令は命令だ。何と言われようと通すわけにはいかん」
頑なに拒み続けるデリヤと、頑なに首を振り続ける兵を見て、ランテはついに決心した。
「なら」
その一言を合図に代えて、ばっと振り向く。
「一体何を——うわ」
発した光を
「待て!」
声が追いかけてきたが、今となってはもう遅い。ランテはデリヤを連れて、開きかけた門を越え、町の中へと文字通り飛び込んだ。
光に包まれたまま、異様に静かな町を切り裂くように駆け抜けていく。そろそろ止まろうかと思ったときに、突如視界を大きな壁が覆い尽くした。ランテは慌てて呪力を拡散させたが、止まりきらずデリヤもろともそこへ衝突する。
「痛っ」
ランテは思わず言ってしまったが、デリヤの方は一声すら上げなかった。すぐに体勢を立て直して、ランテの腕を振り払う。
「こんなところで【光速】を使うなんて、馬鹿にもほどがある。君の頭の中には一体何が入ってるんだい?」
辛辣な言葉ではあったが、語気はそう強くない。怒ってはいないようだ。ほっとして苦笑を返した。
「ぶつかる前に止めようと思ったんだけど、ちょっと焦っちゃって」
「衝突死だなんて無様な死に方はごめんだ。やるなら一人で死んでくれるかい」
「ごめん。でもほら、町に入れたし」
「僕は別に入りたかったわけじゃない」
「本当に?」
デリヤは少しだけ周囲に視線を走らせた。不審なほど静まっているが、町の姿そのものはランテがここを後にしたときとなんら変わっていない。町民たちは屋内に避難しているのだろうか。
「……二年前を思い出して、気分が悪い」
瞳に過ぎった懐かしさのようなものを追い出してから、デリヤは答える。やはりと思って、ランテはまた嬉しくなった。
「デリヤは、本当は、セトたちのこと憎んじゃいないんだ」
つい言うと、彼は目を見開き、次に眉を
「いきなり何を言い出すんだ」
「じゃなきゃ、オレのこと助けてくれたりしないだろうし」
デリヤはどこか中途半端なせせら笑いをする。
「何を勘違いしているんだい? 僕は君を助けたわけじゃない。これ以上中央の好きにさせるのが、気に食わないだけで」
「それでも、オレはデリヤに助けられた。ありがとう」
返答に困ったらしいデリヤは、逡巡ののちに、ぶっきら棒な返事を寄越した。
「……勝手に言ってなよ」
再び周囲を見渡したデリヤに倣い、ランテもぐるりと首を回してみた。通ったのは東門だ、まだここは町の東側にあたる場所だろう。見覚えがあった。セトに連れられてノタナの宿に向かったときに一度通った道であることは思い出したが、どう進めば支部に辿り着けるかまでは分からない。デリヤの方が詳しかろう。
「君に聞きたいことがある」
尋ねようと思ったが、先に口を開いたのはデリヤの方だった。素直に頷きで応じる。
「うん」
「他の三人の消息だ」
デリヤはランテと目を合わさないままに聞いた。背けた顔がひどく緊張して見えたのは、ランテの気のせいだろうか。
「生きてる」
返答に、刹那、デリヤは息を詰めた。一呼吸の間を経て、確認を取ってくる。
「確かかい?」
「だと思う。中央に捕まってる。ここの騒動が収まったら、助けに行くんだ。ナバには早まるなって言われたけど、やっぱりオレは行こうと思って」
三人が捕まっているのはあの中央だ。たとえ殺す気はないのだとしても、時間をかければその間にどんなひどい目に遭わされるか分からない。一刻も早く救い出したい。北支部へ出向いて事の次第を伝えたら、そしてエルティの騒動がひと段落したら、後のことはアージェらに託して、ランテ自身はすぐに中央に救出へ向かうつもりでいた。ナバからの説得はまだ頭に残っているし、具体的な方法なんて少しも浮かびやしなかったが、それがランテが平原を駆けながら考え続けて得た答えだった。
デリヤは黙って何かを考え込んでいる。
「気になるんだ?」
急に声をかけられて、デリヤは少々驚いたようだ。ばつの悪そうな顔をしてまた視線を外す。消え入りそうな小声が続いた。
「……このまま死なれたら、僕が悪いみたいじゃないか」
「え? 何で?」
「中央のことを託したのは僕だ」
言葉の意味を理解するまでにしばし時間を要する。記憶を順に辿って、やっと正解を見つけ出した。
——言葉だけの謝罪はいらない。そんなものに意味なんてない。だから、もっと意味あることをしてよ。僕の代わりに。
あのときのことを指して言っているのだろう。
「何笑ってるんだい?」
指摘されて初めて、ランテは自分が笑んでいたのに気づいた。外套の下でデリヤが緩やかに剣に手をかけたのが分かって、急いで弁解する。
「ごめん、でも、あのときデリヤ言ってた。生き方を決めたのは自分だって。たぶんセトたちも一緒だと思う」
決して幸運とは言えない運命を、呪うことも嘆くこともなく受け止め、自分で選んだのだと言えるその強さには敬意を抱いたし、憧れすら感じた。そうありたいものだと思った。あのときデリヤが言った言葉とその姿は、今なおランテの目の裏にしっかりと焼きついている。
デリヤはゆるゆると視線を下げていく。落胆したようにも見えるその素振りでふと思い至って、ランテは尋ねた。
「もしかして、皆を助けに行く理由探してる?」
「何で僕がそんなことを」
答えはすぐに返ってきたが、声はわずかにぶれていた。
「でもそう見えた」
デリヤは困ったように口を噤んで、それきり何も言わなくなってしまった。どうやら図星だったらしい。
「助けに行きたいなら、デリヤも一緒に行こう」
背けたままの瞳が揺れ、腕がまた左肩に触れた。やけに長い間沈黙して、それからデリヤは首を振る。
「……嫌だね」
「デリヤ」
「僕は三人を助けに行くわけじゃない。でも」
どこか遠くを見て、彼は少しだけ、本当に少しだけ笑った。懐かしさと、安らぎと、そして小さな幸せとに綻ぶような、優しい微笑だった。
「中央と戦うなら、手を貸してもいい」
ぽつりと足されたその言葉に、ランテは目を丸くした。
「デリヤ!」
ありがとう、と続けようとしたが、その前にデリヤはくるりと踵を返して歩き出してしまう。また不機嫌に戻った声が言った。
「気安く名前を呼ばないでくれるかい?
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