【Ⅵ】-2 賜物

「今日は時間がある。君たちが私相手にどのような戦いをするのか興味があってな。存分に楽しませてもらおう」


 装飾の凝らされたローブは白一色で、地面を滑れども汚れない。三歩進んだ後に足を止め、ベイデルハルクはランテたちを端から一人ずつゆっくりと眺めた。何が楽しいのか、やはり笑んでいる。


「白女神に祈りを捧げなさい。最後になろう。好きなだけ祈るといい」


 ベイデルハルクがそれ以上動かないのを確認して、セトが小声で切り出した。


「この間戦ったときは標準的な光呪しか使ってこなかったが、とにかく速い。避けるのは不可能ぐらいに思ってた方がいい。狙われたら即死だけはしないように動けよ。即死を避けられたらオレが治せるから」


 ランテもエルティでの戦いを思い出そうとしたが、ほとんどが激情に振り回されての行動だったために記憶は定かではない。何度か飛ばされたことはかすかに覚えている。一瞬の隙が命取りになる相手だ、今度は自分を保って戦わねばなるまい。まだどこか落ち着かない身体を鎮めるため、ランテは深い呼吸を繰り返した。


「テイトの呪を主な攻撃手段にしたい。いけるか?」


「うん、分かった。任せて」


「残りは前線での牽制役。大聖者になるべく呪を撃たせないように動いてくれ。あまり前に出すぎるなよ。基本はオレの援護って認識でな。負傷したらテイトの護衛に回ること」


 指示を出し終えセトも一息ついた。一度殺されかけた相手に再び挑むのは、気が進まないどころの話ではないだろう。敵と己の隔たりを身に刻んでいながら、それでも彼はまたも一番危険な場所に立つことを選ぶ。隊の長として、他の者を同じ危険に晒さないために。


「では、始めようか。先に仕掛けてきなさい」


 悠々と立ち身構えることすらしないベイデルハルクを、準備を済ませていたテイトが地中から氷柱を出現させて狙った。立ち込めた白い冷気を割って無色透明の刃が次々襲い掛かるが、敵は余裕をもって足を運んでいる。当たる気配はない。


 氷が費えると先回りしていたセトが背後から斬りかかった。かわされるが、次へ。速い剣を少しずつ身を引いて避け続けていたベイデルハルクだが、突きが腰の辺りの服を掠ったところで後ろへ大きく下がった。追撃に迫った風をさらに避けたその先ではユウラが待っている。鋭い一振りがベイデルハルクを捕らえた、ように見えたが、敵は立てた右腕で柄の部分を止めていた。そこへかねてから準備していたランテの光線が走る。ベイデルハルクが動こうとした瞬間に地が震動した。テイトの地呪だ。


 光線は肩の辺りを焼いたかに思われたが、地震が収まった後、ベイデルハルクは槍をのけると何食わぬ顔で体勢を立て直した。直撃したはずの肩は服がわずかに焦げていただけだ。ユウラが返した槍を最小限の動きで避けて、彼女の後ろへ回る。ベイデルハルクが右手を上げた瞬間、今度はセトが阻んだ。剣は空を切るが、ベイデルハルクは呪を使う機会を逸する。


 セトとユウラ、二方向からの攻撃をもってしてもベイデルハルクは捕まらない。そこへ時折ランテの剣や呪も混ざるが結果は同じだ。ベイデルハルクは攻撃意志を持たないらしく、このまま同じことが延々と繰り返されるかと思った矢先、突如標的は姿勢を崩した。同じタイミングでセトとユウラが距離を取る。見れば長い服の裾がナイフで地面に留められていた。二人はこれを狙っていたのだろう。


 そして、テイトも二人の期待に応える。空気がさっと凍りつき、見上げれば空で暗雲が渦を巻いていた。呪の実戦練習のときに使っていた上級紋章呪【雪花】だ。一瞬の静寂を経て、雪から転じた氷塊はベイデルハルクの立つ場所を目指して降り注ぐ。氷と氷がすさまじい勢いでぶつかって、互いに削り合い、砕け散った破片が虚空で星のようにきらめいた。


 四人が四人とも、一様に緊張した面持ちで氷の塔と化したものを見守っていた。ややあって、ぴしり、と音が走る。頂上から入った亀裂は裾まで一挙に駆け下り、塔を破壊した。氷の瓦礫の中に立つベイデルハルクは、肩に残った砕片を払い、ランテたちを順々に見る。


「ふむ、息の合った連携だな。弱者の集団にしては見事だ。君たちのような者が中央にも居ればな」


 タイミングは完璧だった。テイトが使ったのは上級紋章呪、威力も申し分ないはずだった。けれどもベイデルハルクには傷一つない。これで駄目なら他にどうすればよいのか、ランテには思いつかない。


「だが」


 目が合う。瞬きの後、ベイデルハルクはランテの目の前に立っていた。剣の間合いよりさらに近い距離に。


「え? あっ」


 何が起こったのか分からない。身体が真ん中で二つに折れてしまったような、そんな感覚がする。目を落としてそれがあながち間違っていなかったことを知った。身体の中央を、ベイデルハルクの腕が。


 刺し貫いている。


「ランテ!」


 自覚した途端急激に呼吸が苦しくなった。足に力が入らなくなって倒れようとするが、それも敵わない。大聖者の袖がランテの血でどんどん赤く侵食されていくのを見る。どうにか持ち上げた手でベイデルハルクの腕を抜こうとするが、駄目だ、ぴくりともしない。


「嘆く必要はない。神を前にせば人など塵も同じ、こうなるのは道理だ」


 は、と息を吐き出したきり、新しい空気を取り入れることができなくなった。身体が勝手に振動し始める。痙攣だ。熱くなって寒くなってが際限なく繰り返されて、もうどちらなのか判然としない。ただただ苦しい。


「さあ、どうして欲しいか? このまま臓器を焼かれたいか、それとも真っ二つに裂かれたいか」


「う……あ……」


「もはや声も出ぬか」


 ふいに痛みが広がって、それで身体が動かされたのが分かった。重い瞼をこじ開けて霞んだ世界を見る。視線が高くなっていた。腕に貫かれたまま持ち上げられたらしいと、状況に反して冷えた頭で思う。


「今のはなかったことにしてやろう。分かっておろうな? 次はない。少しでも動けばこの者は消し飛ぶと思え」


「ランテ、聞こえるか? 何とか意識を保て。すぐに治して」


「口も慎みなさい」


 光が目を焼く。何が起こっているのか。痛くて、苦しくて、動けない。 


「どうした? まだ死んだわけではなかろう。君の中に眠る——」


 身体が大きく上下した。その後も揺さぶられ、振り回され、痛みが突き抜ける。叫びたいのに叫べない。最後には身体が粉砕したのではないかと思われるほどの激痛が疾走し、意識が遠のいた。


「————」


 そのとき、声がした。夢とは違う、呪の訓練のときに一度聞いた声と同じもので、今度はそのときより大きく聞こえた。もがき彷徨さまよっていた闇の中に光る希望の一糸を見出した気がして、ランテはどうにかその声を聞き取ろうとした。


 ——……が…………よう。


 少し聞こえた。まだ分からない。身体の奥底に、何かの力の存在を感じた。


 ——我が……を……よう。


 あともう一歩。もうすぐ何かが分かりそうな気がする。身体の奥で何かの力がかすかに湧き出たように感じた。


「ランテ!」


 鋭い声で呼び戻された。瞼を開く。背中に地面を感じた。


「しっかりしろ、ランテ。今治す。目は開けてろ。もう意識手放すなよ」


 セトだと分かった。分かったが、溢れ始めた力は元には戻らない。少しずつ少しずつ漏れ出して。


 ——我が力を……よう。


「……ど……い……」


 どいて。


 言おうとしたが口はうまく言葉を紡がない。癒しの呪が優しく降り注いだが、どういうわけか、今はそれが煩わしい。


「まだ喋るな」


「……あ……な……」


 危ないから。


 懸命に伝えようとしたが結局伝わらない。内側で木霊する声は次第に大きくなって、そうして、ついに与えられた言葉の全てを思い出す。


 ——我が力を授けよう。


 刹那、零れ始めていた力が堰を切って激しく迸った。澄み渡った曙色の光が弾けるように八方へ駆け、見える世界を影一つ残さず照らし出す。


「そうか、そうか、この力……女神の力! やはりまだ君が持っていたか!」


 上ずった仇敵の声を耳に捉えたのが最後。


 何も分からなくなった。




 すさまじい勢いで吹き飛ばされた身体が、受け身も取れないまま何かに打ちつけられる。手放しそうになった意識を必死にとどめて、セトはどうにか身体を起こした。


「っ……」


 直前まで癒しの呪に集中していたせいで、防御呪が間に合わなかった。肋骨をどこか傷めたかもしれない。だが、この痛みのおかげで意識を手放さずに済んだようだ。視界に蔓延まんえんした黒色を追い出しながら、状況を確認する。


 ランテから膨大な力が溢れ出したのは見た。おそらくその力によって、自分は弾き飛ばされたのだろうと想像もつく。三人は、ベイデルハルクはどうなっただろう。ランテの怪我は、すぐにでも治療しなければ回復は望めない。元の場所まで戻ろうとして立ち上がると、また巨大な力の炸裂を感じた。慌てて風をぶつけて、もう一度飛ばされるのを防ぐ。だがその直後、視界が歪むほどの頭痛に襲われた。呪力切れとは違う。前方で溢れた力が大きすぎて、てられたのだ。


 ランテとベイデルハルクが戦っている。今のは攻撃同士がぶつかった後の余波だろう。そこまで考えて、セトは前へ進もうとした足を止めていた。


 自分が戻って、何になるだろう。


 生じた考えに、自身が一番驚愕し、そして失望した。だがそうまで思っても、やはり足を踏み出す気になれなかった。離れたところで繰り広げられるあの規格外の戦いに、自分自身が介入できる展望がどうしても見えなかったのだ。


 ベイデルハルクは、ランテ以外の三人を最早意識していないらしかった。この位置からでも、ランテの方が押しているのは分かった。いつもの彼とは異質な力が溢れ出ている。あの、追い詰められたときにランテの意志にかかわらず現れる力だった。それならばとにかく先に二人の姿を探そうと決めて、周囲一帯の呪力を探る。すぐ傍に巨大な力の源が二つもあるせいで随分と時間がかかったが、付近に二人分の呪力を探し当てて安堵する。巻き込まれていなくて、良かったと思った。


 吹き飛ばされたのだろうが、テイト自身に負傷はなかった。自らの防御呪の功だろう。意識を失っているのは、おそらく力に中てられたせいだと思われた。直前に予測ができていればある程度防ぐこともできただろうが、今回はあまりにも唐突過ぎた。セトでさえ、今でも頭が割れるように痛む。意識を保っていられたのが不思議なほどだった。


 ユウラは吹き飛ばされたときに頭を打ったらしい。多少出血があり、脳震盪しんとうだろう、意識が朦朧もうろうとしている。程度を確認して、大事がないことが分かって、もう一度安心した。出血を止めて声を掛ける。


「休んでていい。オレたちが手を出せるレベルじゃない。かえって足手まといになる」


 気力でどうにか意識を繋いでいたらしいユウラは、それを聞き遂げると、糸が途絶えたように意識を失った。回復には少し時間がかかるだろう。一息ついて、二人を連れてもう少々戦いの場から距離を取った。頻繁に起こる力のぶつかり合いのせいで呪力が乱されるからか、後ろ向きな考えばかりが頭に浮かぶ。


 何のために、ここにいるのだろうか。


 平原でランテに出会ったとき、中央が探し求めていたのは彼ではないかと直感した。記憶を失い、情報の面でも能力の面でも一人で生きていくにはあまりに不安定な彼を、誰かが中央からかくまい、導かねばならないと思っていた。支部長は自由に動ける立場にない。であれば、自分が適任だと思ってそうしてきた。しかし、果たしてそれは必要なことだったのだろうか?


 ランテは、初めから助けなど必要としていなかったのかもしれない。そもそも、彼の傍には自分よりも遥かに頼りになるルノアだっていた。そして、今のこの状況だ。何もできないで、ただ見守っているだけの己の醜態に打ちのめされる思いだった。


 それでも、こうしてここにいるのが自分一人ならまだ良かった。傍に倒れる二人の仲間に目を落とす。二人のことは、完全に自分が引きずり込んだ。守れもしないところへ連れてきてしまった。


 今さら、何を。


 今この状況下でこんなことを思い始める己の弱さに辟易へきえきする。不毛な考えを断ち切るために、セトは結局折れていたらしい肋骨に手を添えた。呪力を通わせ始めた、そのときだった。


 これまでと比べ物にならないほど巨大な力がぶつかり合った。一瞬意識が持っていかれるほどの力の奔流に、行使し始めた癒しの呪が制御を外れて暴走する。身体の内側をどこか傷つけた。せり上がってくる血の味を感じながら、なおも襲い掛かってくる力の波に抗って必死に制御を取り戻そうとするが、足掻けば足掻くほど頭痛が重くなって上手くいかない。


 ろくに働かない頭が、暴走を止めるにはこのまま意識を落とすのが一番いいと結論づける。そうだろうなと思って、セトは抵抗を諦めた。覚束ない思考能力が、散漫と様々なことを思う。


 ランテは大丈夫だろうか。だが、丸投げしたお前が心配できる立場か?


 こんなところで意識を失うなんて情けない。だが、初めからその程度だったということではないか?


 何よりも優先して磨いてきた、癒しの呪すら満足に扱えないなんて。だが、持って生まれただけの力に、これまで頼りすぎたのではないか?


 笑っていた。嗤っていたのかもしれなかった。

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