【Ⅳ】-5 崇高

 兵のことはディオンに任せ、テイトが周囲の花を出来る限り燃やしながら、ランテたち三人は兵舎を出た。合流までにはまだ一仕事残っている。戦地となる丘陵の、白軍が兵を展開するであろう場所に呪を仕掛けに行くのだ。


 二日前、誰がそれを実行するか話し合った際のことだ。中級以上の呪を正確に扱えるのはセトとテイトの二人だけ、必然、どちらかがということになるが、互いに譲らなかった。


「オレがやる」


「いや、セト、僕がやるよ」


 堂々巡りの会話が続いて、しばらく。先に困った顔をしたのはセトの方だった。


「……テイト」


 一方、テイトは微笑んでいた。このときには既に勝負は決していたのだろう。


「中央軍には優秀な呪使いも多い。時間差で発動するあの呪を使っても、何か勘づかれるかもしれない。呪の痕跡を一切残さずに仕掛けないといけないけど、中級紋章呪以上の効力がないと大きな混乱を呼ぶことは出来ない。上級紋章呪が使えればその方がよりいいよ。そう考えると、僕に任せてくれたほうが確実だ」


「まだ二日ある。なんとかそのレベルまで引き上げられれば——」


「セト」


 穏やかな声で呼んで、テイトはセトの言葉を遮った。


「気を遣ってくれてるのは分かるよ。万一のとき、僕が実行犯として責めを負わないようにって考えてくれてるんだよね。ありがとう。でも、これは僕の仕事だ。僕にしか出来ないと思ってる」


 テイトから目を逸らし、しばらくセトは答えなかった。返す言葉が見つからなかったのだろう。


「……分かった。頼む」


 快諾とはいかなかったが、結局セトは首を縦に振った。テイトが重役を担うこととなり、それで今、ランテたち三人は丘の上へ急いでいる。


「どの辺りに仕掛けるの? 最前線だと、混乱だけじゃ済まないと思うけど」


「そうだね。後方に仕掛けようと——あ」


 ユウラに答えていたテイトがふいに立ち止まって、不安げな顔をした。


「テイト?」


「いや、何でもないよ。兵舎の方がちょっと気になっただけだ」


 すぐに笑んで見せたが、気になる。ランテの不安顔に気づいて、テイトが続けた。


「かなり大きな力が使われたから、つい反応しちゃったんだ。上級呪で広い範囲だ。緑呪だね」


「少し揺れたわよね」


「そっちは分からなかったけど、それもたぶん呪の作用だと思う。さすが聖者の地位にいるだけはあるね。桁違いだ」


 ランテは兵舎を振り返った。ここからでは建物しか見えない。テイトのように呪力を精密に読み取れないランテには、集中してみてもセトとリエタがどこで戦っているのかすら分からない。心配だったが、ランテでは足手まといにしかならないのが現実だった。もどかしくて、悔しい。


「この辺りがいいかな」


 三人が丘の上にたどり着くと、東の空が微かに明るくなっていた。斜面が平面に切り替わる辺りに立ったテイトが、地に目を落として言った。


「ここで白軍と黒軍は戦ってるんだ……」


 吹き抜けた風が土と草の匂いを運んでくる。見渡すと、青く生き生きとした芝生が一面、丘を覆っていた。朝が近いとはいえ、まだ日は昇っていない。それなのに草は全てがほのかに光を纏っているようで、薄闇の中で浮かび上がって見えた。血どころか矢一本見つからない。むしろ、清い空気にすっかり包まれているように感じる。とてもここで連日血みどろの戦いが繰り広げられているとは思えない。


「こんなに綺麗な場所が」


 テイトも目を細めて丘を眺める。


「不思議だよね。一晩経てば元通りになるらしいんだ。前日の戦いでどんなに血が流れ、荒れ果てても。白軍は『白女神の祝福だ』って言ってるけど、どうなのかな」


 本当にここで戦いがなされているらしい。この美しい丘の上で、血を血で洗う殺戮が。それも意味の無い、悲しいだけの殺し合いだ。身震いが堪えきれない。身体を片腕で抱えながら、ランテはぽつりと呟いた。


「……今はこんなに静かなのに」


「聖戦は七百年続いてるわ。いつしか戦は日が出てる間に限られた場所でだけってのが、疲弊した両軍の間で不文律になったのよ。……あたしも、ここに来るのは初めてだけどね」


 ユウラも丘を見つめている。片腕がもう片方の腕の肘の辺りを握った。赤い瞳に影が落ちる。


「馬鹿よね、あたしたち。黒軍は敵だって、これまで何の疑いもなく信じてきた。憎むことに躊躇もしなかったわ。自分で考えることをしないで、周りの人間と同じものを信じることが勝手に正しいって思い込んできたのね。証拠なんて、ただの一つも無かったのに」


 人は人に学ぶ。生れ落ちて、誰かに生きる術と言葉を教えられ、そうして育っていく。記憶はないが、ランテとてそう育ててもらったのだろう。全てを疑っていては生きていけない。しかし全てが正しいとも限らない。過ちは誰だって犯し得る。それに気づいたとき、認めて、正せるか。それこそが重要で、ランテたちは今、その分岐点にいる。


「早く終わらせなきゃ」


 自らに言い聞かせるための言葉だったが、隣のユウラから返事があった。


「そうね。あたしたち、そのためにここにいるんでしょ?」


 勇気づけられた気がした。少し笑ってくれたユウラに、ランテも微笑み返す。


「うん。それで、皆生きて帰らないと」


 テイトも頷いて、それから片手を掲げた。


「……よし、それじゃ今から呪を使うよ。僕はこっちに集中するから、呪力が読めなくなる。一応周囲に気を配っておいて。夜明けまでにはまだ少し時間があるけど、念のため」


「分かったわ」


 ユウラの了承を聞くと、テイトはゆっくり目を閉じた。彼を中心して大きな円が一つ、そしてその円を囲うようにして小さな円が四つ、淡い赤色の光で描かれる。円の外側と内側にゆっくりと文字のようなものが刻まれていき、光は輝きを増していく。円から微かに風が生まれて、テイトの呪使い用の制服の長い裾をひらひらはためかせた。円が文字で埋め尽くされると、にわかに空気が熱を帯び、テイトが掲げていた腕から炎が生まれて彼を一巡りして囲った。次にテイトが腕を頭上へ掲げると、炎は徐々に上へ上へ弧を描きながら延びていき、赤い塔を作り上げると突如四方に散って、外側の円へ吸い込まれていく。全て吸収し終えると四つの円は眩く輝いた。テイトが腕を下ろすと、今度は彼の足元から炎が八方へ走り、中央の円をなぞるとすうっと消える。最後に全ての円が一際強く光を放って、静かになった。円は全て消えている。あれだけ炎が這ったのに、芝生は少しも焦げていなかった。


「相変わらずの腕ね。何の呪を仕掛けたの?」


 たいそう集中していたらしく、テイトはこめかみから幾筋も汗を流していた。袖で拭いつつユウラに応じる。


「【業火】にしといたよ。上級紋章呪だから、この使い方をするのはちょっと辛かったけど、何とかなったね」


「すごい……」


 感嘆の声しか出なかった。これだけ傍にいたのに、ランテはテイトの呪力を行使中でも拾うことが出来なかった。それは彼が敵に悟られないよう細心の注意を払っていたからに違いないのだが、呪の中で最も威力の高い上級紋章呪をそのように使うなんて、とんでもない技術力だ。


「戦闘中じゃないからね。呪しか取り柄がないんだし、これくらいは出来ないと教官失格だよ」


「謙虚ね。中央にもこれだけのことが出来る人間はいないと思うわよ」


「ありがとう。でも、もっと恐ろしい人はたくさんいる。呪力量じゃ敵わないから、こうやって小手先の技を磨くしかないんだ。それなりの自負はあるけど、力で戦える人が羨ましかったりもするよ。たぶんランテはそっちの戦い方ができるタイプだ」


 だからつい厳しくなっちゃうんだよ、と言い添えてテイトは苦笑した。そして白んだ空を見上げる。


「仕事は済んだし、合流場所へ向かおうか」


「そうね。もうすぐ戦いが始まるわ。見咎められる前に急がなきゃね」


 呪力で行き先を特定される可能性があるため、光速は使えない。ランテたち三人は足を速めて丘を下り始めた。ランテが最後にもう一度振り返ると、丘はやはり高名な画家が描いた絵画のように美しく、これからこの場所で戦が始まることがどうしても信じられなかった。もしかしたら丘はこの崇高な美しさを保つことで、果てなく続く両軍の戦に無言の抗議をしているのかもしれない。ランテにはそう思えてならなかった。

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