【Ⅰ】-5 託すもの

 満身創痍そういのレクシスは、広間の中央辺りに寝かされていた。彼が最前線に立って誰よりも奮闘したことは、傷の程度を見ればすぐに分かった。


「副長……か? 私はいい……部下たちを先に」


 傍らに膝をついたセトを見て、レクシスは身体を寝かしたままに弱々しい声で言った。包帯を巻くことすらされず放置されていた傷は、化膿し始めている。後数日遅ければ手遅れになっていただろう。


「あなたの傷が一番深い」


「いいと言っている」


 レクシスはかたくなに拒む。耳を貸さずに、セトは癒しの光を宿した利き腕を翳した。


「ウェテが、『レクシス指揮官のお陰で、私たちは生き延びることができました』と言ってたので。あいつらのためにも、あなたには生き残ってもらう」


「百五十か、二百は死んだ。ここのこともそうだ。癒し手がいるという中央の言葉を鵜呑うのみにして……一体何人死んだことか。私の責任だ」


 考え方は相容れなかった。が、人となりはまた別だ。年長者として、また戦士として、彼を慕う者も多い。


「責任を感じているなら、なおさらここで死ぬべきじゃない」


 蒼白な顔で、レクシスは苦々しく笑んだ。


「三十も年下の若造に諭されるとは」


 自分よりも三十年も長い間一線で戦地に立ち続けるレクシスを、セトとて敬わないわけではない。接しにくいと感じるのは、彼がハリアルと不仲でなければ副長になっていたはずの人物であるからかもしれない。実力では少しばかり勝っていても——それも年齢を考えるなら当然だ。レクシスは全盛期を何十年も前に過ぎている——経験では遥かに及ばない。そして指揮をる立場では、後者の方がより重要になる局面の方が多い。客観的に見るなら、彼の方が副長に相応しかっただろう。知っているから、引け目を感じるとまでは言わずとも、多少気後れすることがある。


「しばらく安静に」


 傷を癒しきって立ち上がったセトを、レクシスはやっと聞こえるような小声で呼び止めた。その様子を見る限り、完全に体力が戻るには、かなりの日数を要すると思われた。


「激戦区に向かうつもりか?」


「このまま放置するわけにはいかないので」


「……ディオンはリエタ聖者の操り人形だ。今現地に残っている北軍は、おそらく副長にも剣を向けるだろう」


「一体何が?」


「分からない。ディオンの挙動がおかしくなったのは、十日ほど前からだ」


 約十日前。ちょうどワグレへ潜入した頃だ。エルティが襲われてそう日が経たない時期でもある。無関係であるはずがなかった。


「リエタ聖者の目的は何だと思いますか?」


「激戦区の……北の担当区域を、思うがままに動かしたかったのだろう。少し前から圧力はかけられていた。さすがに断っていたが、こうなったからな。最早あちらの手に落ちたと言っても過言ではあるまい」


 そうだろうとは思っていたが、やはり状況は悪化の一途いっとだ。このまま後手に回ってばかりではと思うが——共に行動する三人を思うと、あまりに危ない賭けには出られない。


 ——ひとつ間違えば、誰かが死んでいたかもしれない。


 ワグレでの綱渡りが、ルノアの言葉が、それに揺るがされた己が、焼けつくくさびとなってセトを必要以上に慎重にさせていた。


「落ち着いたら、負傷兵たちを連れて一度北へ。必要なら迎えを寄越すようにしますが」


「軽傷の者も多い。迎えは遠慮しよう」


 頷きを返すと、レクシスは口を開いてから、しばし躊躇ためらった。一旦閉口して視線を彷徨さまよわせた後、再び開く。


「……すまなかった」


 記憶の中のレクシスは、決して謝ることをしない人物であるはずだった。気位が高い彼が謝罪の言を口にした、その心中を思う。受け取るべきではないだろう。


「その言葉は部下たちに」


 返事を残して立ち去ろうとしたセトを、レクシスはまたも呼び止めた。


「副長殿」


 足を止めると、レクシスは両腕を使って危ういながらも上半身を起こした。


「貴殿や、支部長が言われていたことは正しかった。盲目になっていたのは、私の方だったようだ」


 予想だにしていなかった言葉に戸惑う。ゆっくり語彙を選びながらの返答になった。


「あなたは激戦区で誰より長い間戦っている。中央を信じていなければ剣を握っていられない気持ちは、オレも支部長も理解しています」


「確かにその思いもあったかもしれないが、貴殿や支部長の才気を妬み、己こそが正しいと意固地になっていた部分もある。ここに詫びさせていただきたい」


 レクシスは深く頭を下げた。今度はかけるべき言葉が皆目見つからない。散々考えて、ようやくセトは口を開いた。


「……エルティが中央軍に襲われたことは、まだ?」


 誠意には、信頼で応えることに決めた。


「今なんと?」


「十数日前、中央軍がエルティで白獣を呼び出そうとしました。町の壊滅を狙ってのことです。……もう少しでワグレの二の舞になるところだった」


「それでは、ワグレも?」


 何かに気づいて、レクシスは瞠目どうもくした。


「副長殿は激戦区でどうされるおつもりか。もしや——」


 レクシスを遮って、セトは言う。


「レクシス北支部激戦地派遣部隊総指揮官。あなたの武術と経験、人望、そして指揮力には、支部長も信を置いています。支部に戻ったら、支部長の力になって欲しい」


 ただでさえ人が足りていない中、副長である自分が長らく離れることとなり、その上主力戦闘員を二人も連れてきてしまった。じきに中央で総会が開かれ、支部の長もエルティを出ることになる。アージェらがいるとはいえ、北の深刻な戦力不足はずっと気がかりだった。が、レクシスと負傷兵たちが戻れば、いくらか改善されるだろう。万一のことがあったとしても、すぐに攻め落とされるようなことはなくなる。


 そして——そして、もし自分たちが戻れなかったら、そのときは。


「それは……」


 言葉を飲み込んで、レクシスはセトをじっと見た。それから一度大きく頷く。託した物の大きさに気づかないような、鈍い人物ではない。


「承知した。貴殿が戻られるまで、必ず」


「頼みます」


 固く意志を決めた双眸そうぼうに、確かに励まされた。セトはきびすを返して、ほんの少し、身が軽くなっているのを知った。

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