【Ⅰ】-3 戦の陰で
無事仕事を終えていたユウラとテイトと合流する。二人に捕らえられた指揮役の呪使いは、何があったのかひどく脅えていた。左側頭部に大きな瘤があったから、大方ユウラに槍の柄の方で小突かれた、いや、殴られたのだろう。中級司令官以外の兵はひとまずその場に残し、ランテたちに司令官を加えた五人は、揃って兵舎へ向かった。司令官から取り上げた三種の鍵で分厚い扉を開くと、温くこもった空気が漏れ出し、異臭が鼻を刺した。血と膿と——ランテには正体が分からない、何かとても嫌な臭いも混ざっている。司令官は顔をしかめたが、セトに目で威圧されて要求に従った。
「中央白軍はその場に武器を置いて、ここに集合しろ」
等間隔に配置されていた証持ちの兵士たちが、司令官の命令を聞き入れて各々武器を足元に置き扉の前まで集まってきた。広間中に寝かされていた負傷兵たちが、上半身を起こしたり顔をこちらに向けたりして、今しがた起こった異変の原因を探そうとする。セトがまずはランテとユウラを振り返った。
「ユウラ、ランテ。中央兵と司令官をまとめて縛った後、中央軍が溜め込んでる食糧を使って、負傷兵たちに何か作ってやってくれるか?」
テイトが予め作っておいたらしい縄をユウラに手渡した。
「分かったわ」
ユウラに続いて、ランテも頷く。
「うん、了解」
「テイト、軽傷者の手当てのついでに——」
途中でセトを遮って、テイトが柔らかに笑んだ。
「大丈夫、分かってるよ。一刻を争うような重傷者がいたら、セトに伝えればいいんだよね?」
「ああ、頼むな」
一通りの指示を終えたセトが、さざめき始めた負傷兵たちに向き直る。彼は広間に一陣の風を呼んで淀んだ空気を追い出し、それから。
「北からの援軍だ。よく生きててくれた。重傷者から治療していくから、もう少し耐えてくれ。食事も用意する。身体が動く者がいたら、手を貸してもらえると助かる。中央軍は全員捕縛したから安心しろよ」
声はよく通って響いた。広間が一瞬静かになった後、あちこちから歓声が上がる。
「ああ、助けが……やっとこれで……」
「副長の部隊だ」
「助かった……オレたちは助かったんだ……」
扉付近にいた兵たちは、皆深手を負っているらしく身体を起こすことはできないでいたが、それでも痩せて傷だらけの顔を綻ばせて口々にそう言った。涙を流す者までいる。辛かったことだろう。早く治療と食事をと思ったとき、ランテはユウラに呼ばれた。
「何ぼさっとしてんの? 手伝って」
縄の片端を寄越される。司令官と兵士たちは背中合わせの輪になって、大人しく縄に括られるのを待っていた。ユウラと二人がかりで彼らの自由をまとめて奪い、司令官から食糧庫の場所を聞き出す。どうやらこの部屋の一つ奥に食糧庫が、そして厨房はさらにその奥にあるらしい。
「ユウラ先輩」
負傷兵を励ましながらユウラと二人食糧庫へ向かう途中、隅で上半身を起こしていた女性がユウラを呼んだ。目元には疲労が滲み、顔は青白く、長い髪はほつれ、服は汚れきり、右足は大腿からくるぶしまで変色した包帯に覆われていたが、表情だけは安らかだ。足を止め、ユウラがそちらを向く。
「ニーナ?」
「お久しぶりです」
どうしたのか、ユウラが息を呑んだ。
「ニーナ、あんた生きて」
「はい、どうにかこうして」
語るか語るまいか悩んだようだったが、前者に決めたらしい。ユウラはニーナの前にしゃがみ込んで彼女と目線を合わせた。
「半年前、レクシス指揮官が記したニーナの殉職報告書が支部に届いたわ。アンセム、ベラール、クルト、イサ、フィン、ティア、オリバー、シリア、ウェテのものと一緒に」
ニーナはゆっくり首を横に振る。
「半年前に殉職したのは、その中ではクルトだけです。私はこのように負傷しましたが、残りは皆無事だったはずです。少なくともそのときまでは」
「どうして虚偽の報告なんか」
「人手不足なんです。兵が殉職すれば、補充人員が派遣される。おそらくそのためでしょう」
「どうしてそんなことを? それならそう言えばいいのに。……ニーナの家にはあたしが報告に行ったわ。ご両親、とても痛ましくて」
暗い顔をして言葉を詰まらせたユウラに、ニーナは憔悴しきった表情をした。
「レクシス指揮官は、自分より十以上も若い支部長に頭を下げるのが嫌なんです。そのせいだと思います」
「その足は半年前の怪我? 癒し手はいないの?」
ニーナの包帯には茶色い汚れとは別に、赤黒い染みも広範囲に渡って見受けられた。かなり重い怪我をしているようだが、おそらく随分前の怪我であろう。包帯を巻いたきり治療されずにいるのだとしたら。ランテは身震いした。ニーナの表情は先ほどと変わらない。何を思うことも感じることも忘れてしまったような、ただただ疲れだけが表れた顔をしている。
「即時の復帰が見込めない兵に、中央は貴重な癒しの呪を使ってくれません。一度深手を負った兵は、ここで餓え死にか衰弱死する運命なんです。五日前も、隣で南の兵が一人死にました」
ユウラは一度口を噤んだ。ニーナに深く同情しているのは目を見れば分かった。何とか搾り出した言葉が続く。
「そんなことが……よく生き延びたわね、ニーナ。良かったわ、本当に。来るのが遅くなってごめん」
「私は女ですから。生かされてたんです」
ここでニーナは久しぶりに表情を変えた。口元を緩めたのだ。笑んでいる、が、ただの笑みではない。とても痛ましくて、笑みと呼ぶには悲しすぎるものであった。
「もう足は、動かなくなってしまいましたけど。これじゃあ生き延びても意味ありませんよね。いつかユウラ先輩と一緒に、実戦部隊でって思ってたのに」
ニーナは無数の傷跡が残る細腕を、自身の負傷した足へと延ばした。添えて、撫でる。瞳が揺れて、次に潤んだ。そして溢れる。透明な涙は顎を伝い、包帯の上に落ちるとすぐに消えた。抑え切れなかった嗚咽にニーナの痩せ細った肩が震える。ユウラがそっとニーナを抱きしめて、彼女が落ち着くまでずっとそうしていた。伏せた紅色の瞳には、憐憫と憤怒と、そして自責とが混在している。ランテも同じ思いだった。
ニーナは長い時間はかけずに泣き止んだ。すみません、と弱々しい声ながらもはっきりそう言って、涙の跡を拭い顔を上げた。強い女性だ。頷いて、ユウラが立ち上がる。
「今から、急いで何か作るわ。絶対に美味しいものを作るから待ってなさい。それからその足。たぶんセトならどうにかできる」
こういう状況でユウラは嘘はつかない。ニーナも知っているのだろう、瞳に光が射した。
「本当ですか? でも私なんかのために、わざわざ副長の御手を煩わせるわけには——」
ユウラは、優しい微笑を浮かべた。どこかノタナの笑みに似ている。そのままで、ニーナの頭に手を載せた。
「あたしたちは、あんたたちを助けるために来たのよ」
「ユウラ先輩……ありがとうございます」
止まっていた涙が新しく流れ出した。が、ニーナは今度こそ、瞳を細め、口角を上げて、確かに笑ってみせた。
「とても、本当に、とても辛かった。でも私、今日まで頑張って良かったです。来てくれて、本当にありがとうございます」
広間を後にする前に、ユウラは一度全体を見渡した。立ち上がってセトやテイトを手伝っている者もかなりの数いるが、寝たきりで動けない者の数も多い。廊下へ進みながら、ユウラが言った。
「この数じゃ、セトでも一日じゃとても無理ね。無茶しなきゃいいけど。それで、ランテ。あんた料理できるの?」
ざっと記憶を洗ったが、エルティ近郊の平原で目覚めて以降は、料理には一切触れていない。記憶喪失以前のランテはもしかすると経験があるかもしれないが、剣とは違ってさっぱりそんな気はしなかった。十中八九、経験はないだろう。
「どうかな」
できないと答えるべきか迷ったが、結局ランテはそう答えた。未経験であろうとも挑戦してみればいい話だ。材料を適当な大きさに切って、焼くなり煮るなりすればそれでいいのだろうし、さほど難しいということはなかろう。ランテだって早く負傷兵たちに美味しいものを食べさせてあげたい。そのために力になれるのならば、何だってやってやろうと思う。
「どっちにしてもあんたにはしっかり働いてもらうから。五百人くらいいたわよね。しばらく食べてないなら消化にいいものじゃないと。でもお粥じゃ味気ないわよね」
ユウラが食糧庫の扉を開いた。中は広かったが、ところ狭しと小麦、米、水、酒、その他様々な食糧が取り揃えられていた。ユウラの指示に従って、ランテはそれらを運ぶため数え切れないほど食糧庫と厨房とを行き来した。驚いたのは、ランテが疲れ果てて重いものを一度に運べなくなっても、ユウラは息一つ乱さずそれまで通りの量を——とても女性の身で運べるような量ではないように見られるが——てきぱきと運搬していたことである。いくら鍛錬を積んだとしても、さすがにここまでにはなれないだろう。それにユウラは特にがっちりしているわけでもない。むしろ女性らしいなで肩に細腕だ。エルティでランテを軽々と投げ飛ばしたことと言い、やはり特別な技術か何かを持っているとしか思えない。聞いてみたが、無論、怒られた。
「今はそんなことどうでもいいでしょ。何さぼってんの、早くあんたももっと運びなさい。まだ全然足りてないわよ」
ぜひ教えてもらいたいところだが、確かに今はそれどころではなかった。どうにも好奇心にはめっぽう弱いらしい。素直に反省して、ずきずき痛んできた腕と肩を労わりながら、ランテも作業に戻った。
歪な形に切られた野菜が並んでいく。剣と同じようなものかと思ったが大違いで、厚さも切る方向も全く思うとおりにならない。悪戦苦闘するランテの隣で、ユウラは涼しい顔をしてリズム良く包丁を動かしている。速い上に形も綺麗に揃っていて、まるで神業のようだ。
「いっ」
よそ見していたせいで、お約束どおり指を切ってしまった。人差し指に血を滲ませたランテを見て、ユウラは呆れ顔で溜息をつくと、ランテの前からまな板を取り上げた。
「分かった、もういいわ。村まで行って、手伝ってくれそうな人何人か探して連れてきて。料理でも手当てでもどっちでもいいから」
「うん、ごめん」
「申し訳ないと思ってるなら急いで。頼むわよ。ああ、それと、ついでにナバも呼んできて」
思わぬ人物の名が出てきて、ランテは目を丸くした。
「え? ナバ?」
「あんた気づいてなかったの? レベリアからずっとつけてきてたわよ、あいつ。たぶんオルジェ支部長かフィレネ副長に言いつけられてるのよ。あたしたちの動向と今回の事件について探るつもりね。どうせだから手伝わせましょ。料理は……期待できないけど、他にも仕事はたくさんあるわ」
全く気づかなかった。つけるくらいなら堂々と一緒に来ればいいのにと思うが、そうできない事情があるのだろうか。捜索に手間取らなければいいが。一体どこにいるのだろう。料理に戻ったユウラを残して、ランテは頭を働かせながら厨房を後にした。
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