【Ⅰ】-2 尋問
風が吹き、周囲の霧が一度に連れ去られた。色鮮やかになった視界にセトの姿を見つける。こちらへ向かってきている。途中で縄を投げて寄越された。先ほどテイトが実現の呪で作ったものだ。
「セト、一人、ひどい怪我させちゃって」
「ああ」
承知していたらしく、セトは倒れていた兵の傍まで歩くと、そこに屈みこんだ。傷の程度を確認し包帯を取り出しながら——癒しの呪は使わないようだ。負傷兵のために温存するのだろう——司令官に目をやる。
「以前の傷も治療されていませんね」
「いちいち兵の傷など把握しておらん」
冷え切った一瞥をくれて、しかし、セトは何も言わなかった。兵の治療に戻る。ランテは渡された縄で司令官を縛りながら、我慢できずに言った。
「どうしてあんなことが平気で出来るんですか」
「はっ、証持ちはこうして利用するものだろう」
「ふざけ——」
「ランテ、やめとけ。何を言っても無駄だ」
セトに止められランテは押し黙ったが、それでも気は収まらない。だからと言ってどうすることも出来ない自分の無力さがさらに怒りに拍車をかける。治療を終えてランテの傍まで来たセトが、兵の傷は命に関わるようなものでなかったことを告げても、少しも止まない。
「怪我は平気か?」
「……オレは大丈夫。もう痛くないし」
「そうか、お前北の副長か」
思い出したように司令官が割り込んで言った。セトが彼の方へ視線を向ける。その目は今なお冷えていた。
「はい」
「なんだ、こんなところに何の用だ? 負け犬たちの世話でもしにきたか?」
質問には答えないで、セトは抑揚のない声で述べた。
「この兵舎内部の中央兵の数と、激戦区の中央兵の構成と配置、それからなぜ中央は今回の騒動を起こしたのか、誰の指示なのか。すべて話してくだされば、手荒な真似はしません」
司令官は鼻で笑った。
「ふっ、喋ると思うか?」
「それなら、そうしていただけるようにするまでです」
セトの声には一片の感情も滲まない。脅しも迫りもしなかったが、その方が恐怖を煽ることもあろう。司令官の表情から笑みが抜け落ちた。
「言っておくが、脅しは無意味だ。お前たち北の兵は甘い上に腰抜けで有名だからな。拷問などできるはずが」
「確かに気は進みませんが、必要とあらば手段は選びません。今回は仲間の——部下たちの命がかかってるので」
そう言いながら、セトはナイフを一本取り出した。
「最後にもう一度だけ聞きます。話すのか、話さないのか。どうされますか」
司令官は少しの間迷ったらしかった。うろたえた目を上下左右に忙しなく動かして、俯く。最後にはもう一度笑みを貼りつけて——いくらかぎこちないようにも見えるが——セトを真正面から見返した。
「……話すはずがない」
セトはかすかに息をついた。
「分かりました。では先に言っておきます。もうご存知でしょうけどオレは癒しの呪を使います。話してくださるなら、すぐにでも治療しますので」
そしてナイフを握りながら、静かに膝を突く。薄い刃は曇りなく磨き上げられていて、東の低い空で輝く陽の光を鋭く反射した。司令官の笑みが凍りつき、脅えた表情に変わる。
「何を——」
セトは、一瞬たりとも迷わなかった。利き腕を一思いに引く。人間の肌は無抵抗に刃を受け入れて、あっさり裂けた。
「ぐっ……あ、貴様っ、何をする……ひっ、あ、ああ、血が、血が」
司令官の首元から血が派手に溢れ出して、鮮やかな赤が白い服をどんどん侵食していく。縛られた不自由な身のまま、司令官はばたりと前に倒れてのたうった。地面に零れた己の血を見て、完全に色を失った面を上げる。
「あ、ああ、何を見ている、は……早く治せ! ああ、血が、あ、あ、ああ、あああ、し、死ぬ、あああ」
「それくらいの出血では死にません」
セトは動じず、血染めのナイフを利き手に握ったまま、司令官をただ見ている。冷淡な口調だ。
「まだしばらくは」
付け足された言葉に、司令官はランテの目から見ても分かるほどに大きく戦慄いた。震えに震えた口は上手く動かせないようで、出てくる声もひどくか細くなる。
「こ、殺すつもりか……うわ、ああ、あ、頼む、後生だ、助けてくれ」
懇願にも、セトは微動だにしない。無感情の目で司令官を眺め続けるだけだ。血は止まらず、勢いよく広がっていく。夥しい量だ。このままでは本当に死んでしまうかもしれない。さすがに見ていられなくなって、ランテも口を開いた。
「セト」
「……条件は既に言いました」
司令官は、全身を激しく震えさせながらも、一度、大きく頷いた。
「分かっ、分かった、話そう。俺が知っていることはすべて話す! 頼む、だから、あ、ああ、た、助けてくれ。あ、死にたくない」
動かしたせいで怪我が傷んだのか、司令官は顔を歪めた。そこへ青い光が降り注ぐ。瞬き二つの後にはもう血は止まっていた。立ち上がったセトが、冷ややかに司令官を見下ろす。
「出血は致死量の半分にも達していません。曲がりなりにも中級司令官である方が、これほど簡単に屈するとは。下の者には捨て身であなたを守ることを強要していながら、ご自分の命にはひどく執着なさるんですね」
倒れたままで身体を丸めて、司令官は震え続けていた。目尻には涙さえ浮かんでいる。哀れに思わないではなかったが、直前の行動を知っているだけに深く同情する気にはなれない。
「くそ……こんな…………こんな仕打ちを……」
「傷は癒しました。話してください」
「誰が——」
「もう一度同じ目に遭いますか?」
司令官は口を噤んだ。一度遠くへ彷徨わせた視線が徐々にこちらの世界へ戻ってくる。瞬きのあと、真っ赤になった地面を見て、喉を上下させた。身体を起こし呼吸を落ち着かせてから、観念したのか、改めて口を開く。
「中には……中央兵が八人いる。負傷兵は全部で五百くらいになるはずだが、北の兵の詳しい数は知らん」
「北の兵以外もここに? 通常はネルマに運ばれるはずですが」
「これまでも長くないと思われる者と治る見込みがない者はここに運ばれていた。その他はすべてネルマに集めていたが、溢れたのでな。二日前から普通の負傷兵も受け入れている。ここも北の造反者を集めたせいで溢れそうだがな」
「造反者?」
「リエタ様の命に逆らい、“処刑”で生き残った者たちだ」
「処刑とは?」
「普段は中央兵が千五百名ほどで抑えている戦地に、たった六百人で向かわせた。さすがに北の兵は優秀だな。半数以上は帰ってきた。無傷な者はほぼいなかったがな」
中央のことを知れば知るほど、理解しがたくなっていく。洗礼、証持ちの兵の扱い方、ワグレやエルティの件、そして今回。どれだけ人を弄べば気が済むのだろうか。司令官は話すことで落ち着きを取り戻しつつあるのか、饒舌になっていく。
「リエタ聖者はどんな命令を?」
「『北へ戻り、支部長はじめ要職にある者たちを殺害し、支部を占拠すること』だ。無論、お前も標的に含まれる。北の副支部長殿」
セトはしばらく沈黙した。
「……その命令は中央本部の意志なのか、それともリエタ聖者の独断なのか、どちらですか」
「リエタ聖者の戯れだ。北の兵が素直に命令を聞き入れることなど、始めから期待していない。激戦地では近頃負けが続いている。鬱憤を晴らすための一興だったのだろう」
激戦地を、ランテはまだ知らない。それでも敵の大群を相手に寡兵で立ち向かわねばならないときの孤独感と恐怖感とは、多少想像することが出来る。傍で倒れていく仲間たちを見ながら、北の戦士たちは何を思ったのだろう。権力をほしいままにしてそんなことを命じるなんて——それも遊び半分でだ——信じられない。
「北の激戦区派遣部隊は総勢約八百名です。残りの二百は——」
「八百? 北の兵は千ほどいたはずだが」
少々不審げな顔をしたが、セトはすぐに尋問に戻った。
「……では、残りの四百名は全員リエタ聖者に従ったのですか」
「その四百名はレクシスではなくディオンが指揮していた。ディオンは最早リエタ様の言いなりだ。最初はディオンとレクシスでもめたようだな。数で勝るレクシスが優勢だったが、その後リエタ様がディオン側についた。敗北したレクシス軍にリエタ様は“処刑”を言い渡した。思ったほど死ななかったが、残りはここで飢え死にしてもらう予定でいる。怪我の治療もせず、食事も与えるなとのご命令だ。その通りにしている」
ランテは兵舎に目を遣った。一刻も早く救い出さなければと思う。ランテでも、簡単な手当てや物資を運ぶことなどならできるだろう。
「激戦区の中央軍の構成は?」
「数は全部で八千、大半は証持ちだ。槍と剣が主だ。呪使いは五百ほどいて、指揮を兼ねていることが多い」
「リエタ聖者はどこで指揮を?」
「今激戦区がどうなってるかは知らんが、最近は北の担当区域に出向かれることが多かったな」
司令官が、血まみれになった自分の服を見てから、脅えの名残が残る目でセトを見上げた。
「これでお前の要求したことは話したはずだ。さっさと解放しろ」
「傷を治すとは言いましたが、解放するとは言っていません」
セトは兵舎に目を移した。
「中の兵を集めて、武装解除の指示を出してください」
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