6:微睡む王都

【Ⅰ】-1 非道

 レベリアを出て二日経った。制服と最低限の物資だけが入った荷物は軽く、ハルジア川の橋の工事も完了しており、黒獣とも小さいものと一度出くわしただけだ。道中これといった難はなく、三日目の朝、予定通りランテたちはケルム付近までたどり着いた。テイトの話によるとケルムは長閑な村らしいが、すぐ北東には激戦地での戦死者を弔うとても大きな墓地があるそうだ。また東側には、村には不釣合いな大きな平屋の建物が見られた。真っ白なため、一見して白軍のものだと分かる。負傷兵は全員、あそこに閉じ込められていると思われた。


 建物周囲の偵察を終えたセトが戻ってきて、ランテたち三人に集めた情報を伝える。


「思ったより警戒してる。出入り口は南側と東側の二箇所で、それぞれ見張りは七人ずつ。指揮官一人、証持ちの兵が六人の構成で、南側の方にいるのがたぶん責任者で中級司令官」


「その中級司令官は呪使い?」


「いや、剣士。東側の指揮官の方は呪使いだ」


 セトから返ってきた答えに、ランテは瞬いた。ジェノ、モナーダとこれまで見てきた司令官は皆呪使いだった。剣士の司令官は想像できない。


「どうする?」


「責任者を捕まえて根こそぎ吐かせるついでに、兵を引く指示も出させるのが理想だな」


「中級司令官が知った顔の人ならやりやすかったんだけどね。どれくらいできるんだろう?」


 テイトとセトの会話に、ユウラが参加する。


「激戦区の人手不足を考えたら、こんなところに派遣されるのはたいしたことないやつじゃないの?」


「今回の事件を何のために起こしたかだよな。何か重要な目的のためなら、それなりの人材を据えるはずさ」


「セトはどう思ってる?」


 ランテが聞いてみると、セトは淡々と答えた。


「どうだろうな。もしかしたら一筋縄じゃいかないかもしれない」


 テイトが神妙な顔で頷いた。


「なら、慎重に作戦を考えたほうがいいね」


「ああ。負傷兵全員、人質に取られてるも同然だしな」


 四人で策を練る。それほど時間は掛からず、スムーズに決まった。まずテイトが水の呪で霧を発生させ、敵の視界を奪う。その後南と東二人ずつに分かれて、気配を殺しながら敵に近づき、不意打ちを仕掛けるといった算段だ。セトがまとめる。


「よし、じゃあそれで行くか。とにかく扉を最優先で押さえて、内部の兵には悟られないように」


「了解」


 ユウラが首肯し、テイトが尋ねる。


「どう分かれる?」


「オレとランテが南行く。いいよな?」


 セトがランテに確認を取るが、もちろん断る理由はないので、ランテも首を縦に振った。


「うん、分かった」


「ユウラとテイトは指揮官捕らえたらこっちに来てくれ」


「分かったわ」


 かくしてランテとセト、ユウラとテイトの二手に分かれて、それぞれ担当した扉付近の死角に身を隠す。かなり遠目になるが、セトが言ったように六人の兵と一人指揮官と思しき者の姿が認められた。指揮官はやはりマントを身に着けていたが、ジェノやモナーダのそれよりは装飾が控えめである。服の形も異なっているようだったが、それは呪使いか戦士であるかの別であろう。


「ランテ、敵の構成は、剣、槍、弓の証持ちが二人ずつ、それに中級司令官だ」


「うん」


「お前に任せるから」


 三回瞬きしてから、ランテはセトの言葉を理解した。素っ頓狂な声が出る。


「へ?」


「扉の方は任せろ。ランテは他のことは気にしないで、とにかく好きにやってみろよ」


 冗談かと思っていたが、どうやらセトにその気はないらしい。


「え……ええっ?」


「何だよ、その反応」


「いや、だって」


「実戦は訓練とは別だからな。こういう機会にでも経験積んどかないとさ?」


「それはそうかもしれないけどさ」


「だろ? そういうわけで」


 簡単に丸めこまれてしまったが、不安なことこの上ない。


「でも一体どうすれば」


「基本はワグレでやったのと同じことをすればいい。今回の指揮官は司令官レベルだけどな」


「そんな強い?」


「中級だし、大したことはないはずさ。強くてもせいぜいオレくらいだ」


 ランテが返答できるようになるまでには、しばらくの時間を要した。


「……セトくらいって、それ相当やばいんじゃ」


「ランテ、今まで戦った敵を考えてみろ。大聖者、白獣、聖者。それに比べたら中級司令官なんて物の数にも入らない」


 確かに、大聖者たちに比べれば何てことないのかもしれないが、それでも物の数にも入らないは言いすぎだ。あの中級司令官が本当にセトと同じくらいの実力を持っているのだとしたら、今のランテでは手も足も出ない。訓練では終始手玉に取られているほど実力には大きな隔たりがある。 


「全然上手く行く気しないんだけど」


「気のせいだ」


「気のせいじゃないって」


 食い下がると、セトは笑った。


「心配しなくても死にかけてたら助けてやるから」


「死にかけるまでは助けてくれないんだ……」


「たまにはオレもテイトを見習わないとな」


「そんなとこ見習わなくていいのに」


 ランテの恨み言にも、セトは笑みを残したままで耳を貸さない。


「とにかくやってみろって。何とかなる」


「絶対?」


「たぶんな」


「なんか今余計怖くなった気がする」


「だから、気のせいだって」


 諦めて腹を括った方がよさそうだ。そろそろ時間にもなろう。セトの表情も真剣になる。


「交戦時、視界確保した方がやりやすいならそうするけど?」


「でも向こうも見えるようになるなら逆に危ない気がする」


「ああ、証持ちは視覚で敵を確認する。気配で相手の動きを察せるなら、このままの方が有利だろうな」


 しばらく考えたが、ランテは断った。


「このままでやってみる」


「分かった」


 セトが返事を言い終えたとき、視界に白が立ちこめた。先ほどまではくっきりと見えていた建物と兵たちの姿が一挙に霞む。テイトの呪、開始の合図だ。隣に居るはずのセトの気配がすうっと遠ざかり、消えた。


「気をつけろよ」


 頷いてからランテも呪力を抑え息を潜めて、できるだけ気配を殺した。時間を掛ければ敵の動揺は警戒に変わり、迎撃の心構えと準備を許すことになるだろう。臆している暇なんてない。剣を抜き、音を立てないよう気をつけながらランテは足を運んだ。慎重に、少しずつでも決して悟られないように、そして周囲にも気を配りながら。ところが十五歩歩いたところで、正面の空気がかすかに動いた気がした。はっとして剣を持ち上げる。しっかり握る前に何かが強くぶつかってきて、指と手首が痺れた。


「賊か? そうは見えないが」


 どうやら中級司令官のようだ。霧は濃く、剣を引いてから距離を取ったらしい敵の姿は、すぐに見えなくなった。意識を研ぎ澄ませて、次に来るだろう攻撃に備える。音がした。右側だ。寝かせた剣で受け止めた。思ったよりも余裕がある。その次の攻撃も楽に止めることができた。力は強いが遅い上に直線的で、しかと見えずとも軌道が読みやすい。まだ三回剣を合わせただけだが、セトやユウラに比べたら数段やりやすい相手だと感じた。


 それからしばらく敵の攻撃を受け続けたが、何度目かに迫ってきた剣を、今度は受けずにかわしてみた。予想外だったらしく体勢を崩した敵へ、ランテは剣を振り切った。今度はもう迷わなかった。


 が。


「守れ」


 短い指示に、敵の脇から白いものが飛び出してきた。止めようとしたが勢いよく振った腕は止まらず、ランテの剣は司令官には届かないでその白いものを斬った。それが人であると気づいたのは、剣が通ったところから血が飛び散ってからだ。深手を負いながらもまだランテの前に立ち塞がって主を庇おうとするその弓兵を、中級司令官はどけと言いながら乱暴に蹴倒して、ランテに向かって剣を振りかぶる。信じられない光景に、ランテの反応はいくらか遅れた。我に返って慌てて足を引いたが、避けきれなかった剣の切っ先が胸元の皮膚を浅く裂く。痛んだが、それよりも。


 何てことを、という言葉を口にしかけて、しかしランテは飲み込んだ。司令官は敵に手傷を負わせたためか、してやったり顔で笑んでいる。足元では捨て身で自分を庇った部下が倒れ、血を流し続けるというのに。こいつはもはや痛みを感じるような心を持ち合わせてはいまい。人の所業とは思いたくなかったが、これは確かに、今しがた目の前で起こった現実だ。ぎり、と歯を強くかみ締めた。腹の底から得体の知れない感情がせり上がってきて、視界をひどく狭める。血に汚れた剣を、ランテは強く握った。許してはならない、そう思った。


 今度はランテから動く。一度に間合いを詰め切って、横一線に薙いだ。掠った。剣はまだ止めない。二度目、三度目、そして四度目で敵の胴に届いた。斬られたところから血が滲んだのを見て、司令官は怯んだ。隙は逃さない。そして、同じ失敗も繰り返さない。またしても横から証持ちの兵が割って入ってきたが、予想が出来ていれば対処は易い。少々乱暴だが蹴ってどかせ、ランテは司令官の懐に飛び込んだ。剣を引き上げる。風を切って。


「くっ」


 右の肩口を斬られて、司令官が剣を取り落とした。追撃を与えんと再び剣を振りかぶったランテに、司令官は焦った様子で両手を耳の位置まで上げる。


「分かった、止まれ。投降する」


 反射的に剣は止めたが、同時に先ほどランテに蹴られた兵が起き上がってこちらへ向かってくるのが見えた。まだ守れとの命令が出されたままなのだろう。身をかわしてからランテは迷って——剣を下ろした。怒りは収まらない。やり場がなくて、ランテは司令官を睨みつけた。ついた血を払って剣を鞘に収め、落ちていた敵の剣を拾い上げる。


「まずは兵を止めてください」


 司令官は頷き、大人しく従った。


「全員、その場で待機だ」


 ランテのすぐ隣まで迫っていた兵士が、その途端動きを止め、棒立ちになる。顔を見れば予想以上に老けていたが、やはり他の者と同じ魂の抜けたような無表情だった。新しい怒りがこみあがって、じわじわと内臓を焼く。無性に悔しくてランテは指を強く握りこんだ。

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