【Ⅳ】-3 未来

 夜になると上の町には戻れなくなるので、日が暮れた頃に切り上げて宿への帰路についたランテたちだったが、ちょうど門への階段を上っていた最中、先を歩く者の中に見知った姿を発見した。


「ダーフ?」


 兜だけ取った鎧姿のダーフは、テイトに呼ばれるとすぐに振り返った。三人を順々にじっくり見て確認すると、顔一杯に安堵の笑みを広げる。


「ご無事で良かった……本当に良かったです。安心しました。ユウラさんは?」


「今は別行動だけどちゃんと元気だよ。ダーフはどうしてここに?」


「東の援軍要請の返事を伝えに」


「ああ、その件なら」


 セトがテイトを遮った。


「ダーフ、支部長はなんて言ってた?」


「時間が欲しいと。地方へ収集をかけると仰っていました」


「ついでに、総会のこと、何か聞いてないか?」


「出席されるようですね。セトさんは今回は見送られるんですか?」


「それどころじゃないしな」


「そうですね」


 一度、話が途切れた。何となく落ち着かない沈黙を嫌って、次はランテが口を開く。


「ダーフ、町の復興活動は順調に進んでる?」


「ええ、もう八割ほどは終了しましたよ。ただ作業を急いだせいか怪我人が多くて、マーイさんが嘆いてました。『副長、早く帰ってきてください。身体が持たないです、死にます』って」


 肩を大きく落とし暗い顔をしてそう呟くマーイの姿が目に浮かんできて、ランテは思わず笑んでしまった。なんとも彼らしい言い草だ。そう言いながらも、きちんと役目は果たしているのだろう。


「手伝ってやりたいけど、まだしばらく戻れそうにないからな。今度オレが戻ったら三日は休んでいいから踏ん張れって伝えといてくれ」


「まだ戻られないんですか? そう言えば、なぜ東に」


「色々あってさ」


 言外に答えを拒否したセトの意図を汲み取って、ダーフは深刻な面持ちで頷いた。


「……ワグレ絡みですね。お聞きしない方がよいでしょうか」


「悪い。お前を信頼してないわけじゃないんだ。ただ、今北を危険に晒すことはしたくない」


「支部長に伝えることも?」


 口を噤んだセトを見、ダーフが申し出る。


「書面にしてくだされば、届けますよ。開封せずに」


「エルティに戻るまでお前の身が危ない」


「お気遣いありがとうございます。でも、皆さんも命がけなのですから」


「万一のことがあったら、お前の弟や妹たちに顔向けできないし」


「ですが」


「それに、できれば今支部長に伝えることもしたくない。総会に出席するならなおさら」


 中央に行けば敵だらけだろう。確かに、今は知らせない方がいいかもしれない。ダーフはランテたちを一人ひとり見て案じるような顔をしたが、何も言わずに頷いた。


「分かりました」


「で、援軍の件。オレたちが様子見てくるよ」


「よろしいんですか?」


「三日か四日くらい、ここにいてくれるか? ケルムから連絡入れる」


「承知しました。では、下町の方にいます。いつもの知り合いの宿にいるので」


「分かった。頼むな」


 ダーフを見送ってから、ランテたちはナバたち門番に挨拶して門をくぐり、上の町へ戻った。人通りが減りつつある広い通りを三人並んで歩きながら、昨夜も泊まった宿を目指す。ランテは道を覚えているか怪しかったのだが、セトとテイトに迷う素振りはなく、ただ二人について行くだけで良いので安心だ。ユウラも言っていたが、やはりレベリアにはよく来るのだろう。


「支部長はどうして総会行くことにしたんだろう?」


「情報収集のためか、中央に与することを決めたかどっちかだろうな」


 テイトにそう答えたセトに、ランテは目を瞠った。そんなランテの反応を確認して、セトが補足をする。


「前にも言ったけど、どっちを採るかは本当に難しい問題なんだ。北単独では中央に遠く敵わない。東と同時蜂起したとしても、形勢が大きく変わるわけでもない。黒軍の動向も気になる。町を守るためならそういう判断を下したって不思議じゃないさ。オレだって支部長の立場ならそうしてたかもしれない」


 確かにと思う。白獣と、ベイデルハルクと、ワグレの白い砂の世界とをランテは順に想起した。町を守るための決断なら、誰もハリアルを責めることなどできない。モナーダの姿が重なった。彼もまたハリアルと似た立場にあって、あのような苦渋の決断を下したのだろう。しかし。


「中央に与するってことは、やっぱり……洗礼も受け入れるということなのかな」


 やはり、ランテとしては気になるのはそこだった。エルティでルノアと同じ部屋に監禁されたとき、部屋をぐるりと囲んでいた兵たちの、まるで空洞になってしまったように虚ろな目を、それを見たとき抱いた底知れない恐怖感を、ランテは忘れられない。事実を知ってからひどく痛んだ心もだ。もし洗礼を受容するつもりでいるのなら、それは決して許されてはならないことだ。止めなければならない。


「何があっても洗礼だけは拒否すると思うよ。北が中央から離れた一番の理由だしね」


 静かに言ったテイトに、セトも頷きで同意した。引き続きランテが口を開く。


「でもそれじゃ……もし支部長が中央に力を貸す決断をしてたなら、オレたちが今やってることは、ものすごく邪魔になってる気がするけど」


「大迷惑だろうな」


「大丈夫なのかな、このまま続けて」


「実際、支部長が指示してるわけじゃない。知らないことには答えられないし、証拠があるわけでもない。何とでも言い逃れはできる。中央だって北の協力は欲しいだろうし、そのために支部長の協力は不可欠だ。大丈夫さ」


 そんな風に答えながらも、セトが幾許か負い目を感じているらしいことは目を見れば分かった。テイトも気づいて、おそらくランテにというよりは彼に向けて、前向きな発言をする。


「やめるって言ったセトを引き止めたのは支部長だから、きっと何か策を用意してるはずだよ」






 しばらく歩いて宿のある通りに戻ってきたとき、反対方向からこちらへ向かってくるワインレッドのドレスを着てめかしこんだ女性が目に入った。品を損なわない程度に胸元が開いた、アンシンメトリーのティアードドレスを着ている。それには深いスリットが入っていて、ヒールを履いた長くて形の良い足が覗いている。薄手のストールから見える腕も白く、ずいぶんとスタイルが良い。視線を上げると、結った赤髪には黒い花のコサージュがつけられていて——ランテがそこまで観察したところで、その女性は短く声を上げてから立ち止まった。


「あ」


 その声で、もしやと思った。顔をまじまじと見る。目が合った。化粧のせいか、それとも服のせいか、普段とは雰囲気が違って見えるが、彼女は。


「え……ユウラ?」


「何よ、その変な間は」


「いや、ごめん。いつもと違うから驚いて」


 ユウラはつと視線を逸らした。


「これはステラが勝手に。今度結婚するからって」


「結婚って、え、ユウラが?」


 思わぬ言葉が飛び出してランテは目を丸くしたが、ユウラはすぐに首を振った。


「違うわよ! ステラがね」


「ステラさんってユウラと同い年じゃなかったっけ?」


「そうよ」


「ユウラって十八だったような気がするんだけど」


「合ってるわ」


「そういう年に結婚するのって普通?」


 テイトが笑いながら説明をくれる。


「普通の人は二十過ぎたくらいに結婚するね。貴族じゃ十八は普通だよ」


「……ステラに半年後の披露宴に来て欲しいって言われたんだけど、そういうときの服がなくて貸してもらったのよ。サイズが合うか分からないから着てみろって言われて。折角ならって、髪や化粧までしてくれたのよね。行けるか分からないしって、断ったんだけど。……時間をかけてもらったから、すぐ取るのも悪くて」


 ユウラはなおもランテたちの方を見ようとしない。伏し目がちにしていると、いつもより淑やかに見える。


「すごく似合ってる」


 ランテが率直に言うと、ユウラはますます顔を俯けた。隣ではテイトがそっと笑う。


「ランテのそういうところ、すごいと思うよ、僕は」


「何が?」


「飾らないというか、そういう素直な物言いが、かな。正面切ってそんな風に言える人、僕はランテ以外に知らない」


「何で? オレ、思ったままに言っただけ——」


 ユウラが割って入って、ランテを止めた。ずいぶん小声だ。


「ランテ、もういいから」


 髪を結っているから、俯いていても顔は見える。ほんのり紅潮している。


「ユウラ顔赤——」


「もういいから黙ってて!」


 声を張ってから、ユウラは身を返すと宿の入り口へ向かった。すれ違った若い男性が振り返る。一般人の目から見ても綺麗に見えるのだろう。彼女が歩くたびドレスとストールの裾が揺れ、ヒールの音がカツカツ響く。


「……明日以降のこと、会議するでしょ? 着替えてくるわ」


 こちらに背中を向けたままそう言って、ユウラは早足で宿の中へ消えた。着替えるのは少々もったいないような気もするが。


「怒らせた?」


 聞いてみると、テイトはまだ笑んでいる。


「いや、怒ってないよユウラは。照れてただけ。でもよく似合ってたね。ユウラのああいう格好、僕も初めて見たよ。で、セトは何で黙ってたの?」


「何でって言われても」


「何か言ってあげればよかったのに」


「何て言うんだよ」


 テイトがランテに目を戻した。悪だくみをしているときの顔だ。


「ほら、ランテ。普通はこうなる」


「あのな」


「普通に思ったこと言えばいいと思うんだけど」


「駄目なんだよランテ。セトもユウラと似て、ちょっと素直じゃないところがあるからね。ランテみたいにはいかない」


「セトはさっきのユウラ、似合ってるとは思わなかった?」


「……テイトに悪意があるのはいつものことだが、ランテはどうなんだよ。天然でやってるなら、それはそれで悪質だけど」


「何が?」


「決まってるよセト。ランテに悪気があるわけない」


「まあ、そうだろうな」


 軽く溜息をつき、今度はセトも少し笑った。ふと思い至って、ランテはぽつりと口にしてみる。


「ユウラは妹のことがなかったら、白軍に入ることもなかったのかな」


「たぶんな」


「ユウラの入隊っていつだったっけ」


「ユウラも早かったんだよな。十四のときじゃないか?」


「セトとユウラが三年、ユウラと僕が一年違うんだ。僕は入隊してもう三年になるかな。そろそろベテラン」


「三年でベテラン?」


 二人が同時に頷く。


「特に実戦部隊は一年どころか半年持たずに異動希望出すやつも多いからさ」


 セトは軽く言ったが、ランテは思わず息を呑んでしまった。


「今さらだけど、三人ともすごいね」


「ランテも三年後にはベテランだよ」


 テイトの言葉に、ランテは三年後の自分に思いを馳せた。セトやユウラ、テイト、そして他の支部の皆とそれまで一緒にいられるだろうか。そしてできれば、ルノアとも。


「そうなってるといいな」


 心から願いながら、ランテは言った。

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