【Ⅳ】-2 演習
セトとテイトに交互に相手をしてもらいながら、ランテは己の内側に眠るらしい力の制御を試みたが、たいした収穫は得られなかった。頭のどこかで死ぬことはないと分かってしまっているせいか、何度やっても上手く引き出せない。途中からはいつも通りの呪の練習に切り替えて、剣の訓練もした。そして最後に、セトとテイトの呪の実戦練習を見学させてもらうことになった。
「火炙りは勘弁な?」
「うん分かった。それなら今日は氷づけにしておくよ」
「寸止めで頼むって意味だったんだけど」
テイトはにこにこと微笑むだけで、返事をしようとしない。セトも観念したらしく、大人しく位置についた。
「あんまり荒らすのも良くないし、立ち位置固定でいい?」
「いいけど、回避なしになるだろうし、そう長くは持たないけどいいか? お前上級呪も使うつもりだろ」
「セトも使っていいよ。他も練習してるのは知ってる」
「テイトとの実戦練習で使い物になるレベルにはなってないって」
北支部において、呪の能力はテイトが抜きん出ており、次いでセトだというのはかねてから聞いていた。ランテとはレベルは遥かに違うだろうが、高度な呪のやり取りは見ているだけでも良い勉強になるだろう。テイトから声がかかる。
「開始の合図はランテにお願いするよ」
「うん、分かった。じゃあ……始め!」
ランテの合図があっても、しばらく両者共に動かなかった。呼吸三回分ほどそのままだったが、そこでテイトの足元が輝き始める。紋が浮かび上がり、そこからふわりと風が生まれ出たかと思うと、瞬く間に巻き上がった。風の中級紋章呪【竜巻】だ。
属性呪は威力の低いものから順に、下級呪、中級呪、中級紋章呪、上級呪、上級紋章呪という並びになるということは、ランテも既にテイトから習っていた。中級呪はかなり数が多く、満足に使いこなせるようになれば、それだけでもう熟練者と言えるそうだ。セトは中級紋章呪までは網羅し上級呪に手を出し始めたあたりで、テイトは上級呪は全て扱えるレベルにあると聞いている。
風が止んで、テイトがいた場所に半球状の土の壁が出来上がっていたのが見えた。ランテが名前を知らない呪だったので、おそらく上級の防御呪だろう。土の壁は多少傷をつけられてはいたものの、大した被害を受けてはいないらしかった。
「いきなり上級呪か」
「セトにも上級呪を使わせたくて」
声は届いているようで、くぐもってはいるがテイトの返事も聞こえて来た。セトは一度【風切】を放つ。土の強度を知りたかったのだろう。中型程度の黒獣なら一撃で両断するはずの鋭い風は、土の壁に浅い傷を一つつけただけで潰えてしまった。
「まあ、そうだよな」
苦く笑って、セトは利き手をすっと前に伸べる。周囲に呪力が溢れ出たのはランテにも理解できたが、それにしては動きがない。何か呪を使うと思ったのだが。しかししばらくすると、テイトが張り巡らせた土の壁がぼろぼろと形を崩し始めた。一体何が起こっているのだろう。
脆くなった土の壁に再びセトが【風切】を撃ちこむと、今度こそ崩れ落ちた。土煙の中からテイトが現れる。
「ちゃんと使いこなせてるよ、上級呪」
「今のは時間があったから」
「あ、また前線で呪を使おうとしてる。上級呪を前線では無茶だよセト。今のでも発動の速度は普通に速いからね?」
「『普通に』じゃ、まだまだだ」
言いながらセトが【鎌鼬】を行使するが、テイトはそれを水の防御呪【水泡】で防いだ。すかさず使われた【寒風】で水の防護膜は凍てつき、二度目の【鎌鼬】で砕け散る。直後の【風切】にテイトが出現させた【土壁】は間に合わせきることができず、彼は姿勢を低くし足元まで出来上がっていた壁の裏側に身を潜めて、どうにかやり過ごした。
「さすが。発動速度じゃ適わないな」
そう言いつつ、テイトは余裕たっぷりに笑っている。それでランテは、周囲一帯にテイトの呪力が満ちていることに気づいた。
「防御呪張りながら、上級呪の準備済ませるお前ほどじゃないけどな。今日は氷づけか……」
セトも分かっていたらしい。だからこそ畳み掛けるように攻撃呪を仕掛けたが、勝負を決しきれなかったのだろう。
「あ、ごめん。これ上級呪じゃないよ。上級紋章呪」
「え?」
「頑張って」
テイトが微笑むと同時に、セトの足元に大きな紋が浮かび上がった。紋から冷気が流れ出て、たちまち辺り一帯を凍てつかせる。吐く息がもう白い。ランテは凍えながら、落ちて来た影に驚いて空を仰いだ。晴れ渡っていたはずの空に、暗雲が立ち込めている。
「【雪花】……」
セトが言ったのが、ランテの耳に届いた。セトには既に何の呪か分かったらしい。ふわりふわりと、雲から生み出された雪が花のように落ちてくる。寒さを忘れて見とれてしまうくらいに美しい光景だ。が、穏やかだったのは初めだけだった。暗雲はすぐに、空間を白く染め上げるほどの勢いで、膨大な量の雪を生み出し始める。しかもそれら一片ずつが、地面に近づくたびに巨大な氷の塊に転じていくのだ。氷の塊——よく見れば氷の結晶の形をしている——が墜落したところは、地面が陥没し、そこから半径五歩分くらいが完全に凍りついている。
セトは【突風】を使い、雪が軽いうちに範囲外へ追い出そうと試みたらしかった。最初は上手くいったが、成長の早い重い結晶を捌き切れず、やがて防御呪を使うことを余儀なくされる。【突風】を止めてしまったことで、彼の元に届く結晶の量は飛躍的に増えた。【風守】で身を守りつつ、その周囲に【熱風】を纏わせることで持ち堪えようとしたようだが、結晶は溶かしきれず、次々風の守りを襲い始める。互いにぶつかり合って砕け散った氷が山となって、そのまますぐにセトの姿は見えなくなってしまった。
「せ、セト?」
呪が止んで静かになってしまってから、ランテは恐る恐るセトの名を呼んだ。先ほどまでセトがいたはずの場所には、今はもう氷の山があるだけだ。無事だろうか。
「……時々、お前は本気でオレを殺す気なんじゃないかって思うよ」
離れたところから彼の声がして、ランテは胸を撫で下ろした。防御呪を破られる前に、【疾風】で範囲外へ逃れたのだろう。ただ無事とはいかなかったらしく、セトは立膝になって、少々凍った左腕を【熱風】で溶かしている最中だった。
「ごめん、ちょっとやりすぎたかも。大丈夫?」
テイトがその傍に火を作り出して、それを助ける。大事には至らなかったようで、すぐに氷は溶けた。
「火、ありがとな。呪のことになると、本当容赦ないよな、お前は。でも、本気で来るのは信頼の証だって前向きに受け取っとく。動いたからオレの負けだけど、見た通り大丈夫だ」
立ち上がって、彼は笑った。ランテとしては非常に肝が冷えたのだが、これが二人のいつもの訓練なのだろうか。命がいくつあっても足りそうにないが。
「セトが上級呪を使えるようになってきたから、僕も負けていられないなと思って。上級紋章呪をいくつか練習したんだ。どうだった?」
「威力、範囲、速度、全部問題ないと思う。前衛の巻き込まれを心配してるなら、オレが今範囲を覚えたから、こっちでどうにかする。もう実戦でも使えるな」
「……二人とも、いつもこのレベルで実戦演習してる感じ?」
つい気になって、ランテは口を挟んでしまった。質問を受けて、二人が顔を見合わせる。
「上級紋章呪まで使ったのは初めてだよな」
「うん。でもいつもこのくらいじゃない?」
「まあ、容赦ないのはいつものことではある」
青ざめたランテを見て、二人が軽く笑った。セトが言う。
「テイトは対処しきれないほどのことはやってこないから、安心しろよ。対処しきれるギリギリのところばかり狙っては来るけど。教官としての腕は確かだから、任せていれば上達は約束されてる。良い先生が傍にいて良かったな、ランテ」
「う、うん……」
頷きはしたものの、続いたテイトの言葉に、何度目か分からないが、またしてもランテの背は冷えた。
「ランテともいつかこのレベルのやり取りができるようになると思う。楽しみだよ」
上手くなりたいのは間違いなくそうなのだが、上手くなってしまうことが恐ろしいような気もした。
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