【Ⅱ】-3 断片

「最初に断っておくけど、オレも大して知らないし、ほとんど推論だからな。あんまり当てにするなよ」


「了解」


 心音が上がってきた。緊張しながらランテは一つ頷いた。見届けると、セトは一旦ランテから目を離してランテの剣を見遣る。


「初めて会ったとき、お前の剣は東地方の剣だって言ったよな。覚えてるか?」


「うん、覚えてる」


「あのときはユウラやテイトどころか、イッチェまでいたからあんな風に言ったが、本当は違う」


「それじゃ、一体どこの?」


 セトの視線が再びランテに帰ってくる。


「落ち着いて聞けよ?」


 前もって注意が必要なほどのことなのか。ランテは思わず背筋を伸ばし居ずまいを正した。心音が一段と高くなる。いくらか上ずった声が出てきた。


「うん」


 特に躊躇うことはせず、いつもと変わらない声でセトは告げた。


「黒軍が使ってるものと似てる」


 心臓が、一際大きく鳴った。心の奥底に眠らせていた危惧が呼び覚まされて、ランテを襲う。黒軍の剣、オレは黒軍、セトたちの敵? 頭の中で思考が入り乱れて、前後不覚に陥る。


「……え? どういうこと? オレは黒軍だってこと? それじゃオレは敵——」


 何やら分からぬままに口走るランテを、セトは穏やかに止めた。


「落ち着けって。必ずしもそうは言い切れないとオレは思ってる」


「なんで?」


 深い沼の中に浮木を見つけたような、そんな心地でランテは聞いた。どうあっても、セトたちの敵にはなりたくない。それくらいなら記憶なんて思い出さない方がいいとすら考える。記憶と同時にすべての拠りどころを失っていたランテにとって、セト、ユウラ、テイト、そして北支部の皆が用意してくれた居場所は、何にも代えがたい唯一のよすがだったので。


「ほとんど直感みたいなものなんだけどさ、白の民と黒の民は、見分けられる奴には見分けられるんだ。特に癒し手にはそういう奴が多い」


「セトは癒し手だし、見分けられるってこと?」


 首肯が返される。


「白の民の方には何も感じない。相手が黒の民だった場合は、正面に立つと違和感がある」


「それで、オレは?」


「あるかと聞かれればあるな」


「それじゃやっぱり」


 急くランテを落ち着かせるように、セトは普段よりもゆっくりとした口調で喋り続ける。


「初めはオレもそう思った。でもお前のは、他の黒の民のとは違う。もう少しこちら側に近いというか……まあ、感覚の話だから説明しろって言われると難しいんだけどさ。それで」


 相槌以外は挟ませないようにして言葉を切り、セトは息を継いだ。素直に従って、ランテは相槌を打つ。


「……うん」


 一度頷くと、すっと頭から血が引いた。息を吐き出してみる。肩の力が抜けた。セトの話は続く。


「中央はずっと『特殊能力者』を探してる。表向きには戦力強化のためってことにしてるけど、それにしては不審な点がいくつかあってさ。対象は若い男のみに限定してる上に、せっかく人手と時間を使って集めた者たちも即左遷したり追い出したりな。オレも一応珍しい部類に入るから、一回中央からその手の役人が来たんだけど、何か——特殊能力者の中でもさらに特殊な者を探してるみたいでさ。気になったから支部長と探ってみたんだが、中央でもかなり上の方の者にしか知らされてない機密らしく、分かったのは三つだけだった。中央が探しているのは膨大な呪力を持つ一人の若い男であることと、そいつさえ見つかればどんなに絶望的な状況でも黒軍に勝てると中央は考えていること、そして黒軍も競うようにして同じ者を探してるってことだ」


「それで?」


 それがどうランテに繋がるというのだろう。先が見えないので聞いてみたら、セトは信じられないことを言った。


「支部長とオレは、それがお前じゃないかって考えてた。オレはもう間違いないと思ってる。大聖者の反応からしてもな」


「……オレが?」


「ああ」


 やはり信じられない。ランテのどこにそんな——白軍と黒軍の戦局を左右するような——力があるというのだろう。何かの間違いだとしか思えない。


「そんなまさか」


 しかしセトはそうだと確信しているらしく、納得できないランテに構わず話を進めていく。やむなくランテも一度そのことは棚上げして、彼の話に耳を傾けた。


「そのまさか。で、最初の話に戻るんだけどさ。お前の剣は黒女神統治区域の物だ。中央が血眼になって探しても、ここ十数年、白女神統治区域にそういう特殊能力者は見つからなかった。お前は黒女神統治区域から最近こっちに来たんだろうってのが、オレの推測。……たださっきも言ったように、お前はおそらくそこの出身でもない。光呪使いだしさ。こっちでもあっちでもない、もっと別の場所から来たような——根拠はほとんどないけどな。だけど、お前がワグレで使った紋章呪。あれは光呪だがオレは初めて見たし、テイトもモナーダ上級司令官も知らないみたいだった。たぶんこっち側——白女神統治区域には存在しない呪だ。かと言って、光呪を使わない黒女神統治区域で覚えたって可能性も低い。それは、一つの根拠だって言えるかもしれない」


 なぜか、ランテはよく見る夢を思い出していた。白い何かと黒い何かに挟まれるようにして追われながら、かすかにしか聞こえない誰かの声を追い求める夢のことだ。苦しいのに、醒めたくはないと願うあの夢を。


「じゃあ、オレは一体どこから」


「分からない。余計混乱させたか?」


「ううん、大丈夫。話してくれてありがとう」


 セトはランテの礼には応じずに、しばらく何かを思案する目を俯けて黙っていた。呼吸三つ分ほどの沈黙だっただろう、その後セトはまたランテを見遣った。


「……でも、想像でいいなら」


「聞きたい」


 ランテは間髪入れず返事した。もしもセトが言うような力があるのだとしたら、一刻も早く思い出してその力を使えるようになりたい。そして戦力になりたい。


「ランテも王国記はもう読んだよな」


「ざっとは目を通したけど」


 一度目を通しただけだが、大体の内容はランテの頭にも入っている。最もランテは現在のこの大陸の状況すらきちんと把握できているか怪しい部分があるので、王国記に記載されていることの何が重要で何が重要でないかを区別することは難しい。今度読むときには逐一誰かに聞きながらと思っていたのだが、まだ果たせずにいた。


「推測にすらならないただの想像だからな? 信憑性は全くないってこと忘れるなよ。大陸が今の構図になる前——つまり王国説が正しかったとして、王国が在った時代は今みたいに大陸が二つに分かれてはいなかった。白女神や黒女神も存在しない代わりに、全属性の統べる者である始まりの女神と、今はいない光と闇の精霊もいた。王国全土に光呪や闇呪の使い手がいたはずで、当然今よりその数は多い。単純に考えるなら、使われる呪の数だって多いよな。今はもう残っていない呪があったっておかしくない」


 セトは今の世界にあまり詳しくないランテにも配慮しながら話してくれたようだが、ついて行くのに必死で細部までは頭が回らない。とにかく、昔は今よりも光呪や闇呪使いが多かったことは理解できた。今この話をするということは、セトはつまり、こう考えているということだろうか。


「えーと、じゃあ、オレは王国の人間だってこと?」


 軽い苦笑をして、彼は付け足した。


「人の寿命を考えるなら全くありえない話だけどな。お前は誓う者じゃないしさ。だけどオレは、ランテと王国は無関係じゃないと思ってる」


 ——あなたと女神の間には、何らかの繋がりがある。私にはそう思われるのです。


 ふいに、ランテはイベットの言葉を思い出した。


「イベットさんにも似たようなこと言われた。始まりの女神と接点があるんじゃないかって」


「そっか。もし本当にそうなら、王都まで行ったら……行けたら、何か分かるかもな」


「うん……」


 王都。水底に沈められてまどろむかつての都。白軍に葬られようとしている歴史の唯一の証。確かに、そこに行けば何かに近づけるような気がする。漠然とそう感じるのだ。


「何度も言うようだけど、想像だからな。本当のところはお前が思い出すまで分からない。あんまり信じ込むなよ」


「うん、分かった」


 ランテの思考は忙しい。今度はあの印象的な瞳が眼裏に過ぎった。


「ルノアなら知ってるかな」


「何でそう思う?」


「ずっと前から、なんとなくそんな気がしてたんだ。セト、ルノアはもしかして誓う者?」


 セトは少々返事に窮した。


「……どうだろうな」


「もしそうだとしたら、ルノアはどれだけ長い間、ああやって一人で——」


 孤独に耐えてきたのだろう。そう考えると苦しくなった。


 しばらくルノアのことを考えていたランテを、セトは待っていてくれた。我に返って、ランテは問うた。


「前は教えてくれなかったのに、どうして今になって教えてくれたの?」


「この続きが言いにくくてな。でも……今言っておかないといけない気がしたから」


 セトは深刻な表情をしている。ワグレ付近の湖畔で一瞬見せたものと同じで、何かとても息苦しそうに見えた。


「中央は強力だ。戦い続けるうちに犠牲が何人出たっておかしくない。オレたちの負けは、全滅はもちろんだがもう一つ、お前が中央の手に渡ることだ。ランテにはそれを分かっていて欲しい」


 声は落ち着いていた。が、意味を解しかねる。ランテは首を傾げた。


「どういう意味?」


「大聖者の呪を跳ね返したときとか、白獣と戦ったときとか、モナーダ上級司令官の証を消したときとか……全部傍で見てたけど、ランテが何か特別で大きな力を持ってるのはオレにもよく分かる。今のところ、中央に抗し得るのはお前だけだ。だから中央もお前を必死に探してるんだろうしな。それで……酷なこと言うけど、例えば中央と交戦して目の前で何人殺されてようが、必要ならお前はそいつらを見捨てて逃げないとならない。たとえそれが顔見知りの——オレやユウラやテイトだったとしても」


 感情と抑揚を排した平坦な言葉が続くが、ランテは息を呑んだ。


「そんなことでき——」


 セトはランテを遮って続ける。


「殺されてなくたって同じだ。誰かが人質に取られて脅されたとしても、お前だけは絶対に捕まるわけにはいかない」


 もしも仮に、ランテが中央に立ち向かえる唯一の存在だったとしたら、それは確かに正しい行動であるかもしれない。けれども、うけがうことはできない。決してできない。


「セト、無理だ。オレにはそんなことできない」


「それでも。じゃなきゃ、オレはお前を前線には連れて行けない」


 セトはなおも淡々と——いっそ非情に思える口調で——言う。逆の立場なら、彼が頷くことは絶対にないだろうに、それでも彼はランテが頷くことを強要する。


「……セト」


 しかし、ここは絶対に頷けない。応じないランテを見て、セトは一息、静かに息を零した。


「いつか、言っておかなければならないことだったんだ。いい機会だと思ってさ。いいか? 今オレが言ったこと、忘れるなよ」


「セト、やっぱりできない。皆を見捨てるなんて絶対に」


 しばらく答えることはせずに、セトは視線を下方に遊ばせた。悩んだ後、何かを決定して、顔を上げる。


「だったら」


「え?」


 空気が一変した。それまで緩やかに凪いでいたものが、突如肌を刺すように緊張する。ランテは思わず生唾を飲み下した。冷や汗が吹き出そうになる。背筋を細かな震えが駆け下りた。


「実力行使に出ざるを得なくなる。まだオレの力でお前を止められるうちに、力ずくでも——怪我をさせてでも、安全な場所にいてもらう。この際だから言っておくけど、もしもお前の力が敵の手に渡る危機が来たら……最悪、お前は味方に殺される場合だってあるんだ」


 セトが言い終えると、再び部屋に平穏が戻ってきた。が、鼓動が元のペースに戻るまでにはしばしの時間を要する。驚いたこともあるがそれを差し引いても、一分の隙もなく張り詰めた冷えた気配は、ランテに怖じを感じさせるのに十分な力を有していた。白獣のときに感じたものを——あれとはまた異質だが——思い出す。セトほどのレベルになれれば、こうして空気の操作もできるのかとランテは少々的外れなことを思った。


「お前だって、オレに殺されたくはないだろ? オレだって嫌だし、頼むからそんなことさせるなよ」


 続いた声に感情はなおも含まれない。沈着な言葉はよく頭に響いたが、納得できるかどうかはまた別の話だ。


「脅し?」


「本気だ」


 本当は分かっている。これからは東に協力を求めることになろう。中央を打倒すること、その目標のために結束する。そうなった場合、先の話が真実であれば、遅かれ早かれ誰かの口から聞かされることだった。セトは気を利かせてくれたのだ。赤の他人より、これまで関わって来た者の口から告げられた方がまだいい。たぶんそれを分かって。


「……分かった、覚えとく」


 納得したわけでも、覚悟したわけでもない。それでも、彼の気遣いに応えるべきだとランテは思った。セトは久しぶりに表情を和らげると、声のトーンをいつもの調子に戻して言った。


「きつかったか?」


「ちょっと」


「気持ちは分かる。オレも激戦区に駆り出されたときは、嫌になるくらい守られて庇われて……数がいない癒し手だからって、頭で無理に納得はしても、気持ちまではついて来なかった」


「……セトは、庇われる側の気持ちも知ってるのに、他の人を庇っちゃうんだ?」


 ちょっと唇を尖らせたランテに、セトは苦笑で応じる。セトは本当によく笑うな、と話をしていてランテは思った。様々な笑い方を使い分けはするが、考えてみれば、彼にとって深刻な話をするときほど、笑う以外の表情をあまり見せないような気もする。なんとなくそれが面や鎧のように思えて、ランテは少し寂しくなった。


「人より速く動けるようになって、物がよく見えるようになって、守れるっていう選択肢ができてくると、ついな。深く考えてないんだよ。気づいたら動いてる。まあでも、責められたとしても、あまり改める気はないのは確かにそうかもしれない」


「どうして?」


「速く動ける人間の特権だと思ってるから?」


 冗談めいた口調で言って、それから少し声を落とし、彼は続ける。


「後は、無駄に消えるくらいなら、誰かのためにって思いはなくはないかもしれない」


 やはり、セトは笑う。自分のことなのに、「かもしれない」なんて言いながら。寂しさを感じていたランテの心が、新しく悔しさを生み出し始める。セトの考え方を、どうにかして改めさせたいと思った。


「強くなりたいな」


 もう口ばかりではいられない。状況が差し迫りつつあるのは、ランテにだって肌に感じられた。自分が迷うせいで誰かを傷つけるわけにはいかないし、セトの考え方を改めさせようと思うならば、彼とは違うやり方でも人を守れると証明しないといけない。


「剣でも呪でも、実戦やりたければいつでも言えよ? 剣の方は、そのうち今みたいに簡単には勝てなくなるかな」


 セトはランテのことを買い被っていると思う。だが、もしもセトに劣らないほどの腕を手に入れられたら、それはランテにとって願ってもないことだ。


「いつかセトに参ったって言わせたいな」


 宣戦布告してみると、セトも応じて不敵に笑った。


「言わせてみろよ。そう簡単には負けてやらないからな?」


「うん、頑張る」


 夜明けまでもう幾許もなかったが、明日に備えて、ランテは自室に戻り横になった。解決できないことも多かったが、先ほど感じた悔しさは闘志に変わったようで、どこか前向きな気分だった。

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