【Ⅱ】-2 真意

 宿屋のベッドの上で、ランテは先のテイトとのやり取りを思い出していた。セトが去った後、ひとり寂しさに耐えるユウラに駆け寄ろうとしたときのことだ。テイトはまたもランテを止めた。


「テイト、オレ、見てられないんだ」


「行ってどうするつもり?」


「セトだってあんな接し方したの、絶対本心からじゃない。ユウラに伝えないと」


 なぜならランテは知っている。ルノアの誘いに、ユウラのためを思うゆえに揺れたセトを。その彼が、ユウラに対してあのような態度を取ったことを、目の前で見たにもかかわらずランテはまだ信じられずにいた。


「駄目だよランテ。それはセトが自分で言うか、ユウラが自分で気づくかじゃないと意味がない」


 テイトはすべて分かっている顔をしていた。その上で冷静でいる彼の落ち着きが伝染してきて、ランテの頭も少々冷えたが、このまま放っておくことは出来ない。


「でも」


「本当は、僕だっておんなじ気持ちなんだよ。心配だし、何とかしたい。だけどこういうことは他人が動くと余計こじれるんだ」


 正論がランテの動きを縛る。反論の余地はなく、ランテは肩を落とす他なかった。


「……セトは、何であんなことを?」


 テイトはどこか辛そうな笑みをかすかに目元に浮かべた。


「セトは優しすぎるから」


「どういう意味?」


「言えない。僕もだいたいこんなところかなって勝手に見当立ててるだけだしね」


 それで話は終わってしまったのだが、一体どういう意味だったのだろう。優しすぎるとは? いや、セトが優しいのは知っている。ランテも数え切れないほど助けられてきた。けれどもその優しさと、ユウラを突き放したあの言葉と行動はどうしても結びつかないのだ。考えれば考えるほどに分からない。


 窓に目を遣ると、隣の部屋から灯が漏れているのが見えた。セトは部屋に戻っていて、まだ起きているらしい。彼を問いただすだけなら、こじれはしないはずだ。月は一番高いところをとっくに過ぎていたが、ランテは部屋を飛び出した。すぐに隣室の扉の前に立って、二度、戸を軽く叩く。


「セト、起きてる?」


「どーぞ」


 返事はすぐに返ってきた。開けた扉からランテが部屋の中を窺うと、ベッドに腰かけて足を組んだセトを見つけた。脇に本がある。


「読書中?」


「王国記な。何か見落としてないか読み直し中だった。酒のせいであんまり頭に入って来ないけど……立ち話って感じじゃなさそうだな。座れよ」


「うん、遅くにごめん」


「いや、寝るような気分じゃなかったし」


 ランテが部屋に入りテーブルの傍の椅子に腰掛けるまで待って、セトが尋ねた。


「で、用は?」


 ランテはいきなり本題を切り出そうとしたが、そのときになって盗み聞きをしていたことへの罪悪感が込み上げてきた。一度閉口してから仕切り直す。それでも出てきたのはたどたどしい声だった。


「ごめんセト、さっきオレ」


 言いかけて口を噤んだランテを見て、セトは軽く笑ってみせた。いつもの彼らしい反応は、いくらかランテを安心させる。


「知ってたよ。呪力の方は上手く隠してたみたいだけど、オレを尾行するなら気配の方も隠さないとな。すぐ分かった」


「ばれてたんだ……」


「ばればれだ」


 なんとも決まりが悪くなって、ランテは肩をすぼめて謝罪した。


「ごめん」


「聞かれて困るようなことは話してないし、気にするなよ。それに、言い出したのはたぶんテイトだろ?」


 セトの応答には余裕がある。全く気にしていないように聞こえるが、実際はどうなのだろう。しかし、なぜテイトが言い出したことまでばれているのか。認めていいものなのだろうか。返事に窮したランテは、無難に理由だけ聞くことにした。


「なんで?」


 だが上手く取り繕うことはできなかったようで、セトにはすぐ真相が分かったらしい。


「やっぱりか」


「あ、今鎌かけた?」


 少々むっとしたランテを、セトはどこ吹く風と笑った。


「ランテは嘘つけないタイプだよな。分かりやすい」


 嘘、という言葉がランテの耳につかえた。つい先刻、セトがユウラに言ったことを思い出す。あれは彼の本心からの言葉じゃない。つまり、嘘みたいなものだろう。ではなぜ? 何のためにセトはユウラに嘘をついたのか?


「セトは嘘上手い方なの?」


 探るつもりで放った問いは、真意に気づかれたのか否か、事もなげにかわされた。


「さあ、どうだか。お前よりは上手いだろうけどな」


 手ごわい。どうすれば本音を聞き出すことができるだろう。しばし頭を悩ませたランテだったが、下策はセトには通用しないし、それどころか、かえって警戒心を煽るだけだ。単刀直入、それ以外にランテに採れる選択肢はなかった。


「聞いてもいい?」


「答えられることなら」


「セトは、ユウラのこと好き?」


 言ってしまってから、ランテは注意深くセトの反応を見守った。


「いきなり直球だな」


 驚いてから、一息分の間を取って、セトは薄っすらと苦笑を浮かべた。今のところ、違和感は見つけ出せない。


「答えが聞きたいんだ」


 第二撃を放つが、セトは動じない。笑みを残してどうとも採れる返事を寄越すだけだ。


「お前がどういう意味で聞いてるかは分からないけど、好きか嫌いかなら好きだけど?」


 ここで屈するわけにはいかない。どうにかしてセトから本音を引き出したい。そのために来たのだから。この機を逃したら、次はいつチャンスが巡ってくるか分かったものではないのだ。何か打つ手はないか。必要は、妙案とは言えないまでもランテに一計を与えた。


「じゃあさ、セトはオレがユウラのこと好きだって言っても困らない?」


 狼狽は刹那だったが、確かに一瞬、セトを揺さぶることに成功できたような気がした。その後すぐに、いつもの彼に戻ってしまったけれども。


「困りはしない。でも、違うよな」


 そして、返って来た答えはとても落ち着いていた。だから結局何も分からないままだ。しかしよく考えてみれば、セトがユウラをどう思っているのかは例のルノアとのやり取りで既に分かっていたのだ。どのような理由であっても、彼はユウラを失くしたくないと思っている。それさえ分かっていれば十分だった。質問の内容をランテは違えていたのだ。改めて、ランテはセトに向き直った。


「セト、どうしてユウラにあんなこと言ったりしたの? ユウラ、辛そうだった」


 詰問にならないよう気を遣いながら口にする。セトは答える前に視線を斜め下に遣って、ランテから目を逸らした。


「分かってる。オレにも色々事情があってさ」


「どんな?」


 ランテは反射的に聞いたが、そうしてしまってから後悔した。易々やすやすと踏み込んでよいことではなかったかもしれない。


「ごめん。オレ、つい。話せないことなら無理強いは」


 セトは視線を一点に留めたまま動かなかったが、ランテが何か言わなくてはと焦り出したときになって、いよいよ口を開いた。


「ヨーダを出た日の晩、お前に途中まで喋りかけたことあっただろ? あれの続き」


 静かな語り口だった。あのときと同じだ。自分のことを話しているのに、まるで他人事のように関心のない軽さの。


「うん」


 身体が冷えていくのを感じながらも、ランテは返事した。セトはやはりランテと目を合わせようとしない。


「母親のことはお前ももう知ってるだろうけど、問題はもう一人の方でさ。中央の人間で——いや、人間って呼んでいいのかどうか疑わしいな」


「どういう意味?」


 セトはこれまで同様、淡々と告げた。


「誓う者なんだ。母親を襲う以前かららしい」


 誓う者。器を捨てて精神だけの存在となった彼らは、幻惑の呪で偽りの肉体を実体化させ存在している——全てセトから教えてもらったことだ。


 実体を持たない彼らが親となった場合、その子は一体どうなるのか。


「それじゃ、セトは……」


 セトはかすかに笑った。虚勢でも強がりでもなく、自然と笑ってみせた。そのままの顔で、ひどく悲痛なことを、あまりに容易く語る。まるで、そこには始めから何の問題も存在していないかのように。


「どうなんだろうな。普通に怪我もするし年も取るから、今は実体はあるんだろうけど、誓う者が子を持つなんて聞いたことないからさ。そいつが消えたらオレもどうなるか分からないし、それ以前に、もしかしたらそいつの意志次第でどうにかなる可能性だってある」


 こんなことをどうしてそんな顔で易々と話すことが出来るのか。胸に、じわじわと針が食い込んでくるような、持続的な鈍い痛みをランテは感じた。と同時に理解する。セトが時折見せる無謀な行動の訳を。セトにとっては、いつ消えるかしれないような自分は、無価値で、無いのと同義なのだ。だから自分の痛みを感じない。だから自分が死ぬかもしれないことに抵抗がない。彼には自身を顧みるという思考が完全に欠落している。一体、いつから? いつからセトはそんな風に考えるようになった?


「それ、いつ知った話?」


「たぶん白軍入った後すぐだ。十三か十四かその辺——って、なんでこんなに喋ってんだろうな、オレ。支部長以外には誰にも話すつもりなかったのに、お前と話してるとなんか口が滑ってさ」


 途中で浮かべた苦笑には、少しのぎこちなさもない。嘘でも演技でもなかった。


「セト、大丈夫?」


 できれば、大丈夫でないと答えて欲しかった。その答えを聞くために発した問いだった。


「オレか? 別に何とも。そりゃまあ最初は堪えたけど、今はもうな。お前じゃないけど考えたって仕方ないし」


 けれどもセトの答えに感情は滲まない。微塵の隙もなく落ち着き払っていた。ランテは項垂れた。どうしていいのか、もう、分からなかった。


「ごめん、オレ、気の利いたこと何一つ言えなくて」


「気を遣うなって。ほんとに何ともないからさ」


「うん……」


「暗い話したな。こっちこそ悪かったよ」


 何よりもランテは、真に「何ともない」と思っているらしいセトを見ているのが辛かった。早く会話を変えたいと思う。何も浮かんでいないのに強引に声を出したら、舌は勝手に動いてくれた。


「ユウラにあんなこと言ったのも、そのせい?」


 ユウラ。彼女の名を口にしたとき、ランテは光明を見出した気がした。自分の感情には一切の関心が無いはずのセトが、彼女への拒絶は露骨に示した。あのときのセトは、明らかにらしくなかったとも思う。もしかしたら、ユウラなら。彼女の名を出すと、セトはかすかに瞳の色を暗くした。


「あいつには、特に気づかれるわけにはいかないから」


「特に、って?」


「……支部長とノタナさんを除いたら、一番付き合い長いしな」


 だからああして突き放したのか。ユウラを悲しませないため? それとも、セトが彼女に知られたくないから?


「ずっと言わないつもり?」


「そのつもり」


「ユウラは言ってほしいと思う」


「それでも」


 固く決めているらしかった。それならば、これ以上ランテに言えることはない。


「セトはそれで辛くないの?」


「オレは慣れてるっていうか」


 本当にそうなのだろうか。根拠はないが、先ほど自身のことを語っていたときとユウラの名前が出てからでは、セトの表情はほんのわずか、何かが違っているようにランテには思えた。自分の勘を信じてみることにする。先刻のセトに倣ってみることにした。


「オレもだんだんセトの嘘が分かるようになってきたかも」


「それ、鎌かけてるだろ」


 瞬き一回分の時間で、つまり、即座にばれた。完敗だ。ランテは思わず襟足に手をやる。


「バレた? さすが」


「お前も油断ならないな。でもま、正直さっきのは……」


 一度、そこで言葉は切られた。瞳がすうっと、遠くなる。


「あいつがせめて他の——」


 一瞬。ほんの一瞬だけ、セトはランテの存在を忘れたらしかった。囁くように言われた言葉。あいつがせめて他の。紛れもない、セトの本心からの言葉だと思われた。


 あいつとはユウラのことで間違いないだろう。ユウラが他の。その後に何を続けようとしたのか? 正解を導き出すには、あまりに情報が不足していた。セトが我に返るのは早くて、もうそれ以上の言葉は望めない。


「悪い。ほんと、なんでこんな喋ってるんだろな。もう遅いしランテも寝ろよ。明日は早いからな?」


 気遣いもあったかもしれないが、本当のところはこれ以上喋らないためにランテを追い出したかったのだろう。そうはいかない。ランテは立ち上がらなかった。


「酒のせいかな?」


「かもな。飲みすぎた、っていうか、飲まされすぎたな」


 窓の外に、傾いた月が見えた。夜は更けていく。ふと、ワグレで見た月が重なった。思い出したことがあった。クレイドと顔を合わせたときのセトと、二人の間で交わされた言葉だ。はっとした。おそらく間違ってはいない。


「セト、ユリユさんじゃない方の親って、もしかして」


「だな。間違いない」


 やはり。


「分かるものなの?」


「感覚で、何となく。最初は半信半疑だったけど」


 ランテにルノアの“感じ”が分かるようなものだろう。そう考えると納得できた。


「放っておくって選択肢はない?」


 敵であると分かった以上、クレイドがセトを自分の意志で消せるのだとしたら、とっくにそうしているだろう。今なおそれができていないということは、クレイドにそんな力はないということではないだろうか。ならば後は彼を倒しさえしなければ、彼がセトに影響を及ぼすことはないのでは?


「中央と戦うなら避けられる敵でもないし、そもそも許すわけにはいかない。オレが清算しないとって、ずっと昔から決めてる。今のオレじゃ全然話にならないけどな」


 許すわけにはいかない、清算しないと。そこにあるのは感情ではなく義務感だ。


「それでセトがどうなっても?」


「そうだな」


「どうしても?」


「ああ」


 食い下がってもセトは譲らない。彼の目は一時たりとも揺るがず、誰に言われても譲ることはないと思われた。それでも、ランテはセトを止めたいと思った。それが叶わずとも、せめて彼に自分の身を少しでも惜しいと感じてもらいたかった。


「オレは嫌だな」


「嫌?」


「セトがいなくなるの。ユウラもテイトも、デリヤもアージェもリイザもダーフもマーイも、ハリアルさんもノタナさんもみんな、絶対そう思ってる」


 中央に行こうとしたユウラを止めたときのセトの受け売りになってしまったが、皆ランテと同じ気持ちでいるのは確信できた。


「ありがとな」


 受け取って、セトは礼を述べたが、やはり考え直す気はないらしい。どうすればセトを止められるのだろう。もはやランテに打つ手はなかった。


 少しだけ開けられていた窓から風が吹き込んできて、セトがそちらに目を遣った。そのまま欠けて細くなった月を見上げる。


「……本当はさ? 誰とも係わらずに生きていけるなら、それが一番だって分かってるんだ。こういう身の上だしな。でも一度係わってしまったら、さすがに全部捨てて孤高にはなれなかった。情けないとは思うけどさ。だから」


「だから?」


 緑の双眸がランテに戻ってくる。そうして、彼は言った。


「ルノアのことは、そういう意味では尊敬するよ」


 ランテとルノアに何らかの係わりがあるのを知っての言葉だろう。どうしてセトがそれを知っているのか分からない。そういえば一度くらいは話したかもしれないと思い至ったが、それにしたって何か腑に落ちない。セトは、知っている。ランテの知らない何かを。


「ランテ。新しく何か思い出したりしたか?」


 ランテは首を振った。


「全然。思い出せるのかって不安になるくらい何も思い出せない」


「話そうか?」


 耳を疑った。思わず聞き直す。


「え?」


「お前について、オレが知ってることと、それから推測。ランテが聞きたいと思うならな」


 セトの顔は真剣だった。頷けばきっと教えてくれるだろう。これまでは一切教えてくれなかったのに、どうして今になって? 頭の隅で疑問に思ったが、それよりも早く知りたいと思う心の方が強かった。


「知りたい」


「分かった」


 セトはすぐに承知した。ランテが深呼吸すると、腰に提げっぱなしだった剣が揺れた。


 少し、怖いと思った。


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数日前ですが、Rehearts—暁の章—に、セト編外伝を二話投稿しています。

この作品の小説紹介文にリンクを貼っていますので、よろしければご覧ください。

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