【Ⅰ】-2 不向き
レベリアの正門は、三重もの頑丈そうな門と二十を上回る兵という厳重すぎるほどの警備で固められており、さらに町へ入るにはいかなる者も——それがたとえ任務帰りの支部の部隊であっても——支部長オルジェによる許可を得なければならないらしい。
「激戦地に近い町だから徹底してるのよ。一日あれば許可も下りるわ」
衛兵の持つリストにランテたち全員が記名する。様々な筆跡で書かれた名前と入町の目的とがずらりと並んでいた。支部長はこれを全てチェックするのだろうか。気の遠くなるような量だが。
ランテ以外の三人は担当の若い男の兵と面識があったらしく、軽く会話を交わした。
「みなさんご無事でよかった。北のことを聞いて心配していたんです。今度の合同演習、楽しみにしていますね。許可はすぐ下りるはずですから、明日以降、北門にお越しください」
ワグレで中央と交戦したことは、まだここには——少なくとも、門番クラスの兵たちには——伝わっていないらしい。
「オレたちが【背教者】だって——ああ、中央に歯向かった者って意味な。中央からそういう知らせが届いているなら、表立って町へ入れることはないだろうけど、今のところそうはなってないみたいだな」
セトの言葉に、ランテはいくらか安心した。ここではゆっくり身体を休められるといいのだが。
門外には許可待ちの者を狙った小さな宿場町があり、あちこちから集ったのだろう、それぞれ多彩な服を着込んだ旅人たちや、大きな荷物を抱えた行商人と思しき者たちで賑わっている。宿屋やら酒場やら店やらが所狭しと立ち並び、雑多ではあるがそれはそれで風情がある。門での手続きをしているうちに日は暮れ、そろそろ月が昇る頃合いになっていた。闇を避けるために、下町では光ではなく火が灯される。溢れる炎色が温かい。パチパチと木が燃える音が、威勢のいい客呼びの声や、行き交う人々の会話の下で鳴っている。
「宿取らないとな」
並んで歩きながら、セトが切り出した。
「久しぶりに布団で眠れるね」
数日間に及んだ野宿のせいで、温かく柔らかい布団がとても恋しい。腹も減ってきた。ランテはふとノタナの宿を思い出した。またあの美味しい料理が食べたいなと思う。ユウラもテイトの言葉に頷いて、さらに血の染みが残った自分の服を見下ろしてから言った。
「服も欲しいわ。着替えたいし」
「手分けするか? 宿探しと必要物資買い出し」
代表して、テイトが返事する。
「賛成。あと提案なんだけど、せっかく一日空いたんだし、そのあと酒場でも行かない?」
「いいわね」
「酒か……」
「何?」
「いや、別にいいんだけど」
どうも気が進まないといった様子のセトが気になって、ランテも声をかける。
「どうかした?」
テイトが、セトの代わりに笑いながら答えた。
「セトはあんまり飲めないもんね」
「あれ、セトお酒苦手? 意外だな」
かなり強そうに見えるのだが。ランテの率直な疑問に、セトは苦笑いで応じた。
「オレが苦手なんじゃなくて、そこ二人が異常なんだよ。ザルもいいとこでさ。付き合わされたらひどい目に遭う」
ユウラがさらりと反撃する。
「異常って何よ。普通でしょ。あんたが弱いの」
「もっと弱いのも多いだろ? 支部にはさ」
「セトは酔う前に気持ち悪くなるタイプだからね。絶対損してる。でも、慣れればもっと飲めるようになるよ」
なぜか嬉々として言うテイトをちらりと横目で見やってから、セトがこぼした。
「お前は笑いながら次から次に酒注いでくるからな。半ば強引に。あれは酔ってんのか?」
「全然」
「
「あはは、ごめんごめん」
謝ってはいるがテイトには全く反省した様子がない。セトは軽く息をついてから、次にランテに目を向けた。
「ランテは飲めるのか?」
酒場にはこの間情報収集に一度行ったきりだ。結局一口も口にはしなかった。あの独特の匂いを酒のものだと判断できたのだから、少しは飲んだ経験が——少なくとも酒の香りを知る機会は、記憶喪失以前にあったのかもしれないが。
「どうだろ。分からない」
ランテが素直に答えた途端、ユウラとテイトが反応する。
「飲んでみるといいわ。限界まで」
「酔ったら僕らが宿まで連れて帰るし」
まるで示し合わせたかのように息の合った二人に、ランテは驚いて目を瞬かせた。横からセトの助言が飛んでくる。
「ランテ、気をつけろよ。こいつらほんとに容赦しないから」
身をもって思い知っているのだろう、妙に重みがある。ランテも真面目に頷いた。
「うん、そうする」
「あんたにも今日こそ酔ってもらうからね、セト」
挑戦的な表情を向けて、ユウラが言った。かすかに笑ってもいる。セトは少々たじろいだ。
「勘弁してくれ。明日二日酔いのまま東支部に出向けって?」
テイトが一点の邪気もない顔で、セトを見上げる。
「ああ、そっか、二日酔いとかなるんだね。そういえば前飲んだときは辛そうだったっけ」
「あれだけ飲んで、なんで平気な顔していられるんだか」
感心よりも呆れている方に近い声音だった。なんだか気の毒になって、ランテは呟く。
「なんかセト、苦労してるね」
「だろ?」
「これでランテまでお酒強いと笑えるね」
「笑えないって」
割りと真剣に「笑えない」風な様子のセトを見ていると、ランテも少しからかいたくなって、テイトにのっかってみることにした。
「じゃあオレ、頑張ってみるよ」
「頑張るなよ。弱くていいから」
町に着いた安心のお陰か、これまでよりいっそう会話は弾んだ。一段落したところで、ユウラがまとめる。
「とにかく、酒場に行くのは決まりね。先に用事済ませましょ」
そういうわけで、ランテとユウラが買い出しを、セトとテイトが宿探しをそれぞれ請け負うこととなった。
ユウラはてきぱきと効率よく店を回り、全員分の着替えと携帯食糧や包帯などの消耗品を揃え終えた。ランテはほぼユウラの後ろを歩いて荷物を持っていただけだ。はぐれたら知らないと言いながら、ユウラはランテが彼女の姿を見失わないよう気遣って歩いてくれた。他の二人との待ち合わせ場所に戻る道中、会話を交わす。
「すごい慣れてるね。こんな早く終わるとは思ってなかった」
「買出しはたいていあたしが引き受けるから。前もそうだったでしょ? 東にもよく来るしね。そう言えば、あんたはこの町に見覚えないの? 東地方出身ならレベリアには一度くらい来てると思うけど」
町並みを改めて見渡してみるが、これと言って何かを思い出したりはしない。
「分からない。来たことないような気がするけど、どうかな」
「明日、上の町もよく見てみなさい。焦る理由もないし、ゆっくり思い出すといいわ」
「うん、ありがとう」
いつか思い出せる日が来るだろうか。ユウラには焦る理由はないと言われたが、ランテは焦りを感じ始めていた。これまで立て続けに色々なことがあったせいで、じっくりと考える暇がなかった。自分が素性の知れない、よく分からない人間であること。その事実にこうしてしっかりと向き合ってみると、ただならぬ恐怖感に襲われて身が竦む。特に。頭の中に蘇ったのは、ワグレを脱出するときのひとつの光景だった。迸った赤を思う。一瞬の躊躇いもなく剣を振り切った自分に自分で怖じた。あの兵士はどうなっただろう。まさか死んだりは——
「不安?」
またしても見透かされていた。はっとしてユウラを見ると、知らない間に距離が開いていたらしく、彼女はかなり先にいた。考え事をしている間に、ランテの歩調が乱れていたのだろう。
「あんたも全然喋らないわよね、そういうこと。男って皆そういうものなの?」
「え、あ、いや。オレはこれまであんまり考えてなかったから。でも今はちょっと不安かもしれない。何も思い出せないし」
「助けにはなれないけど、話くらいは聞くわよ。一人で考え込むよりはマシでしょ」
「うん。今ちょっとすっきりした。ありがとう」
「そう」
ほんの少し、気をつけて見ていなければ分からないほどかすかに笑ってみせて、ユウラはまた歩き始めた。不意打ちだったのがあって、ランテは一瞬どきりとした。こうして町を歩いていると、ユウラは普通の——辺りを歩く着飾った娘たちとなんら変わらないように見える。足を速めて追いつきながら、ランテは再度彼女に声をかけた。
「ユウラはさ」
「何?」
「辛くなったりしない?」
「辛いって、何がよ?」
「なんていうか、戦うこと?」
ユウラは少しの間考えてから、答えを寄越した。
「それ自体を辛いとは思わないわね。むしろ、戦えてよかったと思うことの方が多いわ」
「……なんで?」
「誰かに助けられるだけじゃなくて、誰かを助けられるようになる。あたしはまだまだ力不足だけど」
「ユウラでも?」
「全然よ。もっと強くならないと」
「じゃあ、オレはもっと頑張らないといけないな」
「あんたは——」
ユウラは視線を漂わせた。どう言葉にしたらいいのか迷っているようだ。
「ランテは、戦い、向いてないかもしれないわね」
悩んだ末言われたものに、ランテは思わず怯んだ。言葉足らずねと続けてから、ユウラはさらに話す。
「前にも言ったように、腕がいいのはあたしも知ってる。でも、あんたは躊躇うでしょ? そういう意味で向いてないって言ったの」
聞いて、ランテはワグレでのやり取りを思い出した。兵舎の入り口の兵たちと交戦して負傷した後、ユウラと合流したときのことだ。
——その怪我、躊躇った?
確かに戦う相手が人間だった場合は、どうしたって躊躇してしまう。傷つけたら罪悪感を覚えてしまう。しかし、自然と湧き上がる感情を抑える方法など、あるのだろうか。ランテには思い浮かばない。
「ユウラは躊躇わない?」
「良くも悪くも、慣れてるから。あたしも、セトもテイトもね」
「慣れれば躊躇わずに済む?」
「……そうね。だけど」
ユウラはここで目を伏せた。見ているのはどこか遠いところだった。赤い瞳には影が差している。言葉はなかなか続かない。
「ユウラ?」
「あんたは、それでいいのかもしれない」
ユウラはそう締めくくったが、よく分からない。ランテが首を傾げたのを見て、彼女は引き続き口を開いた。
「良くも悪くもって言ったでしょ。あたしたちはもう、躊躇ってた頃には戻れないのよ」
ユウラは自分の右手を胸の前まで持ち上げて、見下ろした。手のひらを見つめながら続ける。無表情だった。
「後悔はしないわ。あたしには必要だったから。でも、あんたが羨ましくなることもある」
また、ワグレの兵舎で聞いた彼女の言葉が蘇る。
——あんたのそういう甘さに、あたしたち、いくらか救われてるわ。
「まだ分からないって顔してるわね。要するに無理して戦う必要はないってことよ。あんたにできなければ、あたしたちがやるわ。どうするかはあんたが決めればいい。ただ、油断だけはするんじゃないわよ。死んでからじゃ遅い……って、これも前に言ったわね」
やっぱりよくは分からなかったが、少し、身が軽くなったような気がする。自分はどうしたいのだろう。落ち着いて考えてみれば、答えはすぐ傍にあった。
「ありがとうユウラ。でもオレ、みんなに任せきりにはしたくない」
「そう。なら、頑張んなさい」
頑張る。ユウラの言葉を繰り返しながら、ランテは自分の剣の柄を見た。頑張りたい。少しでもみんなの助けになれるように。もう、迷うことはやめようと思った。
待ち合わせ場所で無事セトとテイトに合流し、宿の個室で各々少しの休憩を取る。ランテはその間に風呂場で汗を流し、新品の服に着替えておいた。動きやすく丈夫そうな服だ。物選びは完全にユウラに任せておいたのだが、サイズもぴったりで驚かされる。
その後、かねてからの予定通り酒場へ向かった。テイトが探しておいた酒場は、既にかなりの数の客で賑わっていた。
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