【Ⅷ】   綱渡り

 無色透明だったはずの結界は、その部分だけいくつも亀裂が走って、白く濁っていた。防壁も崩されている。鎧がひしめいているのが見えた。確認できる兵だけでも、気の遠くなるような数だった。一体どれだけ倒せばいいのだろう。


「ワグレの兵は、総数千五百弱って聞いてる」


 セトも兵を眺めて、言った。


「まともに戦ってたらこっちが持たない」


「なら、どうするつもり?」


 今度は罅に目を移す。壊れそうな部分は思ったほど広くはない。一度に大人三人が通るのがやっとというくらいの幅に、高さは人の身の丈より少し長いくらいだ。あそこからしか敵は侵入できないなら、いくらでも打つ手はある。こちらがたった二人でも、だ。


「向こうがどう出てくるかによって。オレなら、まずは入り口を広げることを考えるが……兵の犠牲を考えないなら、無理にでも突破させてくるだろうな」


「指揮は聖者でしょ? なら、犠牲なんて考えないでしょうね」


「だよな」


 罅に、新たな呪が撃ちこまれる。結界は衝撃に撓んだがまだ壊れない。やはりと言うべきか、光の呪だ。今のは【光線】だろう。攻撃特化の中級呪だ。最終的には一点に集まったが、一直線に走る光は四方向から伸びてきていた。付近にいる呪使いは四人らしい。


「あっちが白兵戦を挑んでくる気なら、呪で応戦するのが最善。入り口を狙って攻撃呪撃ってればいい。ただ、ここから脱出するための呪力は残しとかないとな」


「呪って、二人で?」


「いや、最初はオレが」


 もう一度、【光線】が四つ走った。夜闇が鋭い光に照らされて退く。罅が増えて、走った。ひとつ、またひとつ。きしんだ音がして、それでセトが動き始めた。すっと右手を延べる。そこに呪の気配を感じる。


「何かあったら追って指示出すから。とりあえず、取りこぼしよろしく」


 結界が、一部分、粉微塵になって崩壊する。そして兵が一挙に雪崩れ込んできた。結界の外は夜だ。月の光を受けた白鎧は、動くたび妖しげにきらめく。そこへ一陣の風が吹きつけた。鎧たちは面白いように次々押し戻され、結界の向こうまで吹き飛ばされる。


 二度目、三度目も同じことだった。セトの呪の合間を狙って来る者たちは、ユウラの槍に追い返される。兵たちは武器を失くそうが怪我をしようが構わず、繰り返し繰り返し迫ってきた。ほとんどが証持ちの兵であることは、感情を失った顔を見ればすぐに分かった。たった一つ、ワグレの結界を突破する命だけを与えられ、果たすまでひたすらにそれを繰り返す。どれだけ血を流そうと、そうして死に掛けようと、ただ任務の遂行を第一に。


 槍を握る手に力がこもった。こんなのは、間違っている。許されることじゃない。向かってきた兵の腹部を、敢えて柄の方で突いた。鎧の音を鳴らしながら、蹲る。声はない。痛みは感じているのだろうか。もう一人、同じように。前の兵が同じ方法で倒されたのに、証持ちの兵はそこから学習することをしない。思考が止まっている。在るのは下された命令だけなのだろう。また一人。苦しい。戦いながら、支部の仲間たちを思った。助けたり、助けられたり、からかったり、からかわれたり、笑ったり、笑われたり。寝坊した新人を怒ったり、任務明けに一緒に酒を飲んだり、怪我の手当てをし合ったり。感情が時に枷になることは知っている。それに囚われたせいで死んだ友もいる。けれども、切り捨ててしまうなんて考えられない。兵であっても人だ。任務遂行のためだけに生きているわけじゃない。そんな人間がいて、堪るものか。


「ユウラ!」


 声色で、警告の意であるのを悟る。新たに一人、剣を手に向かってきた兵を捌きながら、顔を上げた。この兵ではない。喚起はもっと別の何かに対して。理由を探す。一体何が。気付いた途端に、息を呑んだ。まさか、そんな。驚愕は足を鈍らせる。結局一歩として動けなかった。


 炸裂した光に呑まれて、目の前で兵たちが焼かれていくのを見る。四人分の【白光】だ。中央軍が中央軍を——味方が味方を攻撃している。いや、狙いはユウラだったのだろう。付近にいた兵たちが巻き添えになったのだ。いくらなんでも味方に大きな損害を与える可能性があるなら、呪は使えない。使ってこない。そう判断したからセトもこの戦法で戦うことに決めたのだろうし、ユウラ自身もそう思っていた。不意を突かれた。痛みが肌に滲んでいく。けれども、大事には至らなかった。セトが攻撃呪から切り替えた【風守】を間に合わせてくれたのだ。だが、その代償は大きかった。


 攻撃呪の中断は、すなわち、兵を食い止めるものを失うということ。自由になった兵たちが、次にどうするのか。誰だって分かる。


「オレたちを包囲するだけのために……」


 セトの声はすぐ傍でした。囲まれたとき、互いに孤立してしまえばさらに不利になる。孤立せずとも、圧倒的不利な状況に代わりはないが。上げた顔で、周囲をぐるりと見渡す。数百はいるであろう白軍が、無言でユウラたちを囲んでいた。


 焦げた臭いがした。目を向ける。身を焼かれながらも顔色一つ変えなかった兵たちを思い出して、身震いした。倒れている兵は二十か三十だった。皆、微動だにしない。直撃だった数人は、既に息をしていなかった。


 オレたちを包囲するだけのために。セトはそこで言葉を切ったが、その先はきっとこうだ。これだけの兵を犠牲にしたのか。ユウラだって理解できない。永遠に理解したくないと思う。湧き上がってくる怒りを追い出すために、息をついた。考えるのは後で、今は冷静に。どれだけ絶望的な状況であろうと、戦わなくてはならない。


「替えならいくらでもいる。お前たちを捕らえて、洗礼を施し、それで補ってもいい。助けてやりたいのなら助けてやれ。まだ息のある者もいくらかいる。もっとも、そんな余裕はないだろうがな」


 白軍の輪の奥から、聖者の声がした。付近にいるのだろう。倒れた兵たちに目をやったが、セトは動かない。動けないことを知っている。その瞳に、一瞬だけ影が落ちた。哀れみではなくて、罪悪の念だった。


「この数だ。二人でどうにかできるものではない。徐々に消耗し、筋は鈍り、じきに動けなくなる。傷を負い、血を流し、そうして死に近づいていくお前たちを、亡者が出てくるまでゆっくり見物させてもらおう。いい余興だ」


「悪趣味だな」


 口で言うほど、セトが余裕でないのは分かっている。時間稼ぎのためだ。


「気の長い俺に感謝するんだな。俺が大聖者なら、今頃お前たちは死んでいる。せいぜい楽しませてくれ」


 聖者が笑っているのは、姿を見なくても知れた。セトが剣を抜く。ユウラも槍を構えた。背中合わせで立って、短く言葉を交わす。


「死ぬなよ?」


「あんたもね」


 白鎧の軍勢が、動き出した。






 あと、どのくらい戦えばいいのか。倒しても倒しても、白鎧は次から次に視界を覆うように溢れて、終わりが見えない。その上時折光が襲ってくる。かわせるものはかわし、かわしきれないものは甘んじて受けるか、セトが呪で防ぐか。自身も剣を交えながら呪を使うのは、容易なことではないだろう。だが、彼を気遣う余裕はなかった。こちらもこちらで間断なく敵が押し寄せ、その処理で手一杯だ。そして、蓄積してきた疲労は着実に動きを鈍らせる。息も切れてきた。でも、まだ、耐えなければならない。


 流れてきた血で槍が滑る。握り直して、ユウラは力一杯横一線に薙ぎ払った。鎧同士がぶつかり、そうして倒れていく音が耳に障る。同情などできない。そんな余裕なんてない。転がった兵を踏み越えて、新手がやってくる。槍を戻さなくては。引き寄せようとするが、どういうわけか、動かない。急に重量が増したのだ。もう一度、が、やはり。惑って目を遣る。その先で信じられない光景を見た。


 槍の刃に、人が。胸当てを取った兵が、ユウラの槍に、身体の真ん中を貫かれているのだ。戸惑ったのは、その兵が既に息絶えていたからではなくて、ユウラにはそれをした覚えがなかったからだ。複数を相手にしているのに突きを使うなんて、それも容易く抜けないほどに深く刺すなど、自殺行為だ。そんな愚かな真似をするわけがない。


 では、なぜこんなことに? 簡単な話だ。兵は胸当てをつけていない。最初からこうするつもりで——つまり、ユウラの槍に貫かれるつもりで、近づいてきていた。いや、兜の横には洗礼の証がつけられている。すなわち、身を挺して動きを封じろと命じられて、その通り実行した。命じられるがままに、自ら槍に近づき、腹に刃を突き刺して、己が絶命するのと引き換えに使命を果たした。思わず、怯んだ。そんなことが迷いなくできてしまう者など、既に人ではない。それを命じた者もだ。


 動きを止めていたのは、一瞬のはずだった。しかしこの場においては、十分すぎる時間だ。目の端で閃く銀色を見る。防がなくてはならない、だが、槍は一向に動かない。反射的に避けかけて留まる。後ろにはセトが。互いに背中を預けて戦っているのだ。かわせば、刃は彼に。間に合わないだろう。分かっていた。だがそうするより他に、術はなかったので。ユウラはその場からは動かず、兵の腹から強引に槍を引き抜く。力の抜け切った身体は、一縷の望みを、しかしなかなか自由にはしてくれなかった。手間取って、どうにか抜き取ったが、もう遅い。敵の剣が脇腹に食い込んだのはちょうど同じときだった。


 手元に戻した槍を立てて、それ以上の侵入は防いだ。が、激痛に身体が怯む。目を落とした。服に血が広がっていく。余ったものが腰を流れ、足を伝っていく。上下に揺れた世界の隅に、もう一閃、走った。慌てて槍を傾けるが、またしても防ぎきれない。


「う……くっ」


「ユウラ!」


 次に斬られたのは肩、腕の付け根だ。動脈が傷ついたかもしれない。血が飛び散って、頬をじとりと濡らす。両膝が一緒に折れた。セトの声を聞く。槍に縋るが、駄目だ、足に力が入らない。ずるずる落ちていく身体は、しかし、落ちきる前に受け止められた。瞬間、付近の兵がいくらか吹き飛ばされていくのを見る。咄嗟の風の攻撃呪。即席ゆえに、威力は低い。わずかな時間稼ぎにしかならない。またも兵が近づいてくる音がする。戦わなければ。


「ごめん……平気……だから」


 大丈夫だ。息はできる。思ったよりも傷は浅いのかもしれない。目の眩みだって、負傷の瞬間に比べれば大したことはない。痛みにさえ耐えられれば、戦える。立たせようとした左足は、けれども、痺れたように感覚が遠い。


 セトは答えなかった。ユウラを支えたままで動かない。集中した目で、呪力を編み上げているのが知れた。


「槍」


「何?」


「しっかり握ってろよ」


 光が迸る。これを好機とばかりに、敵の呪使いたちが撃ち込んで来たのだろう。四方向から迫る光弾、加えて全方向から兵士が押し寄せる。それらをぎりぎりまで引きつけてから、セトは風を呼んだ。【風切】と【疾風】の合成呪だ。ユウラも抱え上げられて、共に風に乗る。最も手薄だった部分の兵を薙ぎ倒し、その上を通過する。地面に降り立ったときには、兵の囲みから逃れていた。


「上策とは言えないが、一応褒めてやろう。だが次はどうする? 足手まといを抱えたままでは、長い間は逃げられない」


 聖者は兵を挟んだ向こう側にいるようだ。聞こえてくる声は先刻よりも遠くなっている。足手まとい。歯噛みした。情けないが、その通りだ。セトは無茶をしている。武器を合わせながらの呪、時間に焦りながらの呪、その上合成呪まで——しかもそれで運んだのは二人分の重さだ。呪力の消費は著しいに違いない。さらには少し前に白獣との戦いもあった。イベットが駆けつけるまで、これを繰り返していられるとは思えない。とても持たない。


「ユウラ、まだ平気か? 今、癒しの呪を使える余裕がない。肩の方はかなり出血してる。押さえとけ」


「ごめん」


「いいから」


「二人は……無理よ。共倒れに……なるわ」


 敵を見据えていた目が、そのとき、ユウラに戻された。


「置いていけって? 馬鹿言え」


「でも、このままじゃ」


「何とかする。お前は自分の心配——」


 声が途切れて、途端、浮遊感があった。セトが動いたのだ。傍で大きな音がした。敵の呪を避けたのだろう。


「たかが部下一人、見捨てることもできんとは」


 再び聖者の声がした。


「見捨てられる方がどうかしてる」


「出来もしないことをやろうとするな。己の力の程が分からないのなら、思い知らせてやる。総員、聞け。女から狙え。息の根を止めるまで追い続けろ。惨たらしく殺してやるといい」


 右手で槍を握る。左手で脇腹の傷口に触れた。痛みで遠ざかりかけた意識を引き戻す。こんなときに気を失うわけにはいかない。それから出来る限り息を整えて、言う。


「セト、下ろして。あたしも戦うわ。戦える」


「そんな身体で? 次斬られたら出血死する」


「ヨーダでも言ったわ。あんたの足手まといに……なるわけにはいかない。副官失格よ」


「お前に死なれたらオレが困る。あんな過剰労働、他に誰もやりたがらないし」


 軽口を叩くときほど、余裕がない証拠なのは、もう知っている。


「何とかするから、自分の心配してろ」


 それでもセトは、ユウラを抱えたまま、下ろそうとはしなかった。






 足元に流れ落ちた血が溜まっていく。ユウラは戦えると言うが、常人ならばそろそろ意識が危うくなる出血量だろう。どうにかして、早く治療を。そのためには、ここを切り抜けなければならない。


 どうするか。呪力を惜しみなく使えば、もうしばらくは持つだろうが、治療のことを考えるとこれ以上の消費は避けたい。しかし、ユウラを抱えたままで敵と刃を交わすのは危険極まりない。やはり、呪に頼るしかないだろう。温存などとは言っていられない。ひとつ間違えば、それはそのまま死を意味する。


 セトは背後を振り返った。降り注ぐ偽りの陽光を受けて仮初の町は輝いていた。まだか。目を戻す。あれだけ倒しても、敵の数はたいして減っていない。先にユウラを仕留めろという至上命令を受けて、証持ちの白鎧の一団は命尽きるまで襲ってくる。


 逃げ続けるという手もある。しかし、疾風ではほぼ直線的にしか動けない。敵の呪使いたちに先読みされて着地点に攻撃を仕掛けられたら、防ぐのは厳しい。それに、二人分の重さを運ぶことは容易ではない。繰り返すうちに呪力が底を尽く可能性もある。ならば、どうするべきか。答えは一択だ。決めて、セトは視線を落とし、一度、ゆっくりと呼吸した。集中して、残った呪力のうちの半分を用意する。


 敵軍の進路を塞ぐように、紋を刻んだ。淡く輝く弧の中央に風が集っていく。「総員、下がれ!」という誰かの指示。聖者の声ではなかった。おそらく呪使いのうちの一人だ。だが、そんな間は与えない。速さにおいてはそう易々とは追いつかれない自信がある。無論、呪の発動速度においてもだ。


 八方より集った風が、轟音を伴って、一挙に巻き上がる。天に触れるほど高く伸びた風の渦、竜巻。木の葉のようにひらりと舞い上がった兵の数は、既に数え切れない。十、二十——おそらく、もっとだ。密集していたのが敵にとっては災いした。狙った以上の成果だ。それでも残った数の方が圧倒的に多いが、呪はしばしの足止めの効果も成す。さらに、今、兵たちには「下がれ」という指示が出されている。この機に——欠けた結界に、セトは目を遣った。手薄だ。今なら、抜けられるか?


「セト!」


 ユウラの声と同時に、左手に微風を感じた。視認する前にセトは危険を悟った、が、高威力の呪の反動は大きかった。すぐには動けない。ユウラにこれ以上怪我をさせるわけには。軋む身体を強引に動かそうとしたが、彼女の対処の方が速いのを確認する。やむを得ず任せて、次の行動に移った。もう一度呪の準備をする。その途中で、けたたましい金属音が響いた。


「手負いの女が腕だけで俺の剣を止めるか。やってくれる。だが——」


 兵に新たな指令はまだ出されていない。聖者に追われようと、逃れるなら今しかなかった。結界の外に出られれば——ユウラだけでも、戦線を離脱させることが出来る。セトは出口までの距離を目測した。疾風一回分で何とかなるかどうか。やるしかない。跳んで、風を受ける。


 賭けだった。聖者に追いつかれるのが先か、出口まで届くのが先か。使えるだけの呪力は全て使った、今の自分に可能な限りの速さ。いけたと思った。最後の最後で、不運に見舞われるまでは。


 支配したのは、結界内の風だけだった。出口に辿り着く直前に結界の外から吹きつけてきたのは、【レネの突風】。雪雲を連れて、レネの林の木々の梢を吹き渡る、凍てた北風。自然が生み出す強い風だ。言うまでもなく、向かい風であって。押し戻される。失速する。予想していなかった。このタイミングで。不運を嘆いても仕方がないのは分かっていても、思わずにはいられない。同時に焦る。間近に捉えた煌めき、光呪の気配だ。聖者の光速だろう。追いつかれた。


 剣が閃く。咄嗟にユウラを手放した。予想される刃の道筋から彼女が外れたことに一抹の安堵を覚えるが、しかし逆手に握っていた剣を持ち替え、自分の身を守る時間までは足りなかった。最初はユウラを狙っていた剣は、セトに致命傷を与えることこそしなかったが、一切の抵抗ができないままに受けた傷は決して浅くはない。血が舞った。呪の連続使用の疲労もあいまって、彼に片膝をつかせる。


「女から殺す予定だったが」


 この体勢なら、第一撃は防げても第二撃が。今度こそ防御のために剣を持ち上げ、探すが、良策は浮かばない。セトがもうひとつ負傷を覚悟したそのとき、目の前に影と血が落ちてきた。聖者の剣は、立ち塞がったユウラの槍にまたも防がれる。


「庇い合いとは泣かせる」


「馬鹿お前、これ以上無茶するな!」


「うるさい……わね」


 血はユウラから一定の間隔を置いて滴っていたが、聖者の剣を弾き返した瞬間、リズムを崩して多く零れた。ふらついたが、彼女は槍を構え直して倒れない。先の言葉の通り、まだ戦う気だ。


「どちらから死ぬ?」


 楽しげに口角を上げた聖者の後ろで、その瞬間、町並みが陽炎のように歪んだ。待ち望んだ瞬間だった。聖者がそちらへ注意を逸らす。幻が解け、夜が戻ってくる。千載一遇の好機だった。次こそ脱出を。後ろからユウラの腕をつかんだそのとき、足元に紋が浮かび上がった。感覚でイベットの呪だと悟る。【補助の呪】の紋だ。彼の意図を察して、セトももう一度、振り絞るようにして呪力を集めた。


 ——行ってください。どうか、後は頼みます。


 補助の呪に助けられる。呪はすぐに完成した。さらに、背中を押される。


 ——ありがとう。


 白い死の世界を去る直前、その声を、確かに聞いた。

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