【Ⅶ】-2 遺志

「始まりは、私の曽祖父にあたる人が手にした、一冊の本でした。それは東の貴族ベレリラ家の蔵書で、かなり古い書物でした。この地域の言葉で書かれたものではなく、曽祖父は興味を引かれたようです。彼はそれを譲り受け、研究を始めました。文字を解読するための研究です」


「べレリラ家って、確か」


 なぜか顔を引きつらせたテイトに、ユウラが頷いて答えた。


「フィレネ副長の家ね」


「本の中には、地図のページがありました。大きな大陸がひとつ描かれていましたが、地形がこの大陸と似通っていることに気づいた曽祖父は、本格的に研究に没頭しました。彼は生涯をその書物の解読に捧げ、その息子も、またその息子も、彼に続きました。そうして父から私に受け継がれたときには、八割の文章の解読が既に終わっていました。書物の名前は『ラフェンティアルン王国記』、噂でしかなかった王国説が現実味を帯び、多くの学者を生み出す一番の原因となったものです」


 イベットは延ばした手の上に本を作り出してみせた。これも幻惑の呪だろう。ランテに手渡す。「私の記憶を再現したものなので、実際のものとは異なるかもしれませんが」と力なく笑った。それで原本は砂と消えてしまったらしいことを知る。表紙に描かれた紋は、短剣に刻まれていたものと同じだった。


「書物には、この地に人の王が君臨した時代の様子と歴史が語られていました。当時はまだ白女神と黒女神が存在しておらず、ひとりの女神といくらかの精霊のみが存在し、もちろん争いはありませんでした。女神の名はラフェンティアルン、王国は女神の名を冠していたのです。そしてその名は今なお大陸の名として残っている。白軍の語る歴史は偽りだった。ならばなぜ、我々は黒軍と戦い続けなくてはならないのか? 黒獣に苦まされ続けなければならないのか? 大半の解読を終えて事実を知った父は疑問を抱き、さらなる真実を追うためにラフェンティアルン王国軍を立ち上げました。ワグレを拠点とし、王国説を広め、王国の存在の証拠を探す組織——そして、情報を制限するなど、徐々に暴走の予兆を見せ始めていた白軍に対するための組織として」


 話を聞きながら、ランテは本を捲る。読めない文字が並んでいるが、ふと、気づいたことがあった。白獣を呼び出すときや、強力な呪を使うときに現れる紋に刻まれる文字。一緒ではないけれど、曲線の多い字体はそれに似ている。


「父が亡くなり、私が王国軍の総司令となったときには、さらにいくつかの事実が明らかになっていました。白女神と黒女神はどのようにして生まれたのか、王国はなぜ滅びたのか。ところどころ読めない文字はあれど、分かる範囲での翻訳がすべて完了していたのです。神教と王国との関わりが深い可能性があることも分かりました。神教の神である命の神は、王国の——始まりの女神ラフェンティアルンと同一ではないかという仮説が、学者たちの間で盛んにされるようになったのです。事実を確認するためには、神僕の協力が必要不可欠でした。しかし、既に白軍中央本部と癒着を始めていた教会は、外部の人間には何一つ語ってはくれません。神僕になって情報を得る者の存在を、皆が欲しました。しかし、既婚者は神僕にはなれません。そして、ひとたび神僕になれば未来永劫結婚は許されません。進んでなりたがる者はいませんでした。たった一人を除いて」


 過去を彷徨うその目には苦渋が滲む。無理に押し出すようにして、続きの言葉は紡がれた。


「女性でした。名はユリユ。年は十六、私の許婚でした。本来なら一年後に結婚するはずでした。彼女は私の力になりたいと、そう言ってくれたのです。私は、止めました。王国軍の総司令でありながら……私は、利己的な人間です。彼女を愛していました。彼女も私を愛してくれていたと思います。どうしても一緒になりたかった。しかし彼女は……おそらく、あのまま誰も名乗りを上げなければ、いずれ私がそうしなければならなかったことを察したのかもしれません。もとより意志の強い女性でした。私の目を盗んで中央の大聖堂へ——追いかけたときには、既に神僕女になってしまっていました」


 一息ついて、イベットは語り続ける。声は痛みを含んでいた。


「彼女は新しいことを知るたびに手紙を送ってくれました。しかし詳しいところまで知るためには、高位の神僕女になる必要があったのです。勉学を積み、二年後神光に触れたとき癒し手になれるか否かで、神僕の位は決定される。彼女には素質があったようです。二年後、神光に触れた彼女は癒しの力を授かりました。けれども、ご存知の通り、癒し手は貴重です。当時は今よりももっと不足していました。白軍中央本部はユリユを欲っしました。ユリユは無論断りましたが、それで白軍に目をつけられることになったのです。彼女の行動は監視され、著しく制限されることになりました。聡い彼女はその目をかいくぐり情報を集めては手紙をくれましたが、一年経った頃、今は禁書とされている書物を手にしているところを、ついに見つかってしまいました。大聖堂の内通者はすぐに中央本部に報告、中央は彼女に関する情報を徹底的に集め……彼女が我らラフェンティアルン王国軍の一員であること、果てはその総司令である私の元婚約者であったことまで突き止めたようです。そして中央は、考えうる限り最悪の——いえ、私たちには思いも寄らなかったほど残虐な方法で……彼女を大聖堂から追放したのです。……すなわち、彼女に……ユリユに……無理やり子を成させることによって……神教は、神僕に子を成すことも許していませんから……」


 イベットは怒りに堪えながら声を絞り出し、瞼を下ろした。真一文字に閉じられた唇の奥で、歯を噛み締めているのが分かる。ランテは今しがた聞いたことがとても信じられず、ただ呆然とした。なんてひどいことを。どうしてそこまで。あまりの残虐のために麻痺した思考は、泥の中にあぶくが鈍くのぼるように、ぽつりぽつりとそんなことを思った。


 そして、答えに行き着く。そのときの子が。そっと、セトを見た。感情の抜け落ちた顔をしていた。俯けた瞳は、彼方にあった。


「我々は知りませんでした。ユリユからの連絡が途絶えてから、まずは大聖堂に赴いて……それからあちこちを探し回りました。ようやくユリユを見つけたとき、彼女は出産直前でした。何も語ってくれませんでした。静かに泣いて、首を振るばかりで、一言も口を利いてくれませんでした。大聖堂に戻り、神僕を問い詰めて……ようやく事実を知りました。少し、話が逸れたかもしれません。でも、中央のユリユへの非道を、知っていて欲しかった」


 また、大きく揺れた。今度は前よりももっと大きな揺れだった。「時間がありませんね」と呟いて、イベットは話を戻す。


「ユリユのもたらしてくれた情報は大変価値のあるものでした。命の神は戦いを嫌い、名の通り命を何より重んじる神であること、その神とはやはり女神ラフェンティアルンであったことが判明しましたし、『王国記』では白女神と黒女神によって滅ぼされたとされる始まりの女神の、彼女の力が癒しの呪としてまだこの地に残っていること、つまり女神はまだ完全には滅びていないことも分かりました。白女神と黒女神は相克する定め、その争いを止めることのできる者がいるとしたら、同じ神と呼ばれる存在だけ。女神ラフェンティアルンは、争いを止めたいと願う我々の大きな希望となりました。しかし、女神だけの力では願いは叶いません。白女神と黒女神二人合わせれば、始まりの女神ラフェンティアルンを大きく凌ぐ力を持っています。現に一度、女神は敗北し、王国と共にこの地を追われることとなりました。我々人も、始まりの女神と共に白女神と黒女神に立ち向かわねばなりません。けれども共に手を取り合って戦うには、白の使徒と黒の使徒は長い間互いを憎みすぎました。今から争いを止めろ、共に戦えと言われても、容易く納得はできないでしょう。皆を迷わず頷かせる、確固とした証拠が必要です」


 はっとして、ランテは懐剣を取り出した。受け取って紋を見たイベットが、目を丸くする。


「王国のものですね。それをどこで?」


「分かりません。託された物です。これは証拠には?」


「ひとつの証拠にはなるでしょう。しかし、皆を説得できるほどのものかと言えば」


 そうではない。言葉は続かなかったが、きっと彼はそう言いたかったのだろう。


「その本の中ほどに、地図があります。そこを開いて」


 イベットの指示に従い、ランテはそのページを開いた。王国の紋章の形そっくりの大陸が描かれている。背中合わせの二つの半月の形だ。


「大陸の中央に、何か文字が書いてあるのが分かりますか。そこがかつての王都です。今は白軍と黒軍の激戦地になっているのですが……ちょうど、その部分は湖になっています。我々の考えでは、水底に、都は今なお残っている。それこそ、動かぬ、そして誰もを頷かせることのできる証拠になると」


 言い終えてから、イベットは「あっ」と短く声を上げた。一拍遅れて、テイトも続く。さらに一拍遅れて地震が来た。今までで一番大きな揺れだ。ランテは膝を突いてしまった。その後もしばらく立ち上がれない。振動は続く。舌を噛み切りそうになる。


「結界に、罅が。もうあとどれだけ持つか分かりません。……伝え足りない。時間が足りません。どなたか、【実現の呪】を使える方は?」


 テイトが進み出た。


「あまり得意ではありませんが」


「テイト、あんた、平気——」


 ユウラの制止を遮って、テイトが微笑んだ。


「大丈夫だよ。無茶はしてない。それにきっと、イベットさんも一緒に、ですよね?」


「はい。私の呪を手伝っていただければ。私一人の力では、私が消滅したときに実現した物も消滅してしまう。幻惑の呪を使って皆さんの記憶に残すという手もあるにはあるのですが、形として残っていた方が他の方にも伝えやすいでしょう。『ラフェンティアルン王国記』を翻訳したものを、書物として実現したいと思います。お願いできますか」


「分かりました」


「もう少し時間が必要になります。町の周囲に張ってある結界は、一部分が突破されても全ては壊れません。今罅の入った部分はやがて壊れてしまうでしょうが、それほど大きな欠損にはならないはずです。敵はたくさんいますが、一度に多くは通れない。侵入を防ぐことができれば、時間を稼ぐことができます。危険ですが少しの間足止めを」


 頷いて、今度はセトが声を上げた。


「オレが行きます」


「敵の数は多い。お一人では厳しいでしょう」


「ユウラ」


 呼ばれる前に、ユウラは分かっていたようだ。頷きと強気な微笑をセトに返す。受け取って、セトは今一度イベットに目を戻した。


「ひとつ、頼みがあります」


「私にできることなら」


「テイトは先の戦いでかなり消耗しています。実現の呪の行使後は……おそらく、戦えない。オレたちが足止めしている間に、兵の少ない場所から脱出させてやってくれませんか。できれば、北側に」


「セト、僕は大丈——」


「お願いします」


 テイトが無理をしているのはランテから見ても明白だった。セトの言うように、これからさらに呪を使うとしたら、もう戦えないだろう。


 イベットはすぐに了承した。


「分かりました」


「ランテ」


 呼ばれた。固唾を呑んで、続く言葉を待つ。


「テイトを頼む。指揮をしているのはたぶん聖者だ。どこかを空けて待っててくれるほど、ぬるい相手じゃない。大半はこっちで捌くようにするけど、おそらく交戦は必至だ。やむを得ない場合のみ応戦して、残りは【光速】を使って北の林で撒いてくれ。オレたちも後で追いつくから」


「何か目印でも残しておいた方がいい?」


「敵に見つけられたら厄介だ。呪力の気配を拾って追うから、構わず先に。できる限り進むようにな。追いつかれて囲まれたら逃げられない。とにかく北へ北へと進んで欲しい」


「分かった」


「頼むな」


「お気をつけて」


 イベットが言った。


「はい。情報、ありがとうございました。ワグレの遺志は、必ず繋ぎます。あなたと……母の無念も」


 彼にそう答えたあと、ユウラに目配せして、セトは教会の出口へ向かう。ユウラも続いた。二人だってクレイドや白獣との戦いで消耗しているだろう。大丈夫だろうか。


「後から私もそちらへ向かいます。あなた方を——全てを託した者たちを無事見送る、それが私の誓いですから。それまでお願いします」


「はい」


「実現の呪が完成したら、幻惑の呪を解くことでお伝えします」


「分かりました」


 扉の向こうへ消える二人を、不安な心持ちのまま見送る。不安は、振り切ろうとすればするほどまとわりついて、重い。得体が知れないせいか、身が竦んだ。気のせいだ。きっと無事に、また合流できる。半ば祈るようにランテは思った。

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<お知らせ>

 Rehearts外伝の執筆を始めました。各キャラクターの過去のお話、それからランテと出会う前の日常の話を書いていこうと考えています。現在は、ユウラの過去のエピソードを執筆中です。よろしければ、こちらもご覧ください。


Rehearts—暁の章—(https://kakuyomu.jp/works/1177354055049306484

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