【Ⅵ】-2 試練
建物の裏側へ急ぐ。道を折れるとすぐに、ユウラを見つけた。
「その様子じゃ、失敗したのね」
包帯を一巻き、投げて寄越された。
「セトと合流するまではそれで我慢して。動けないとか言わないでよ」
「うん。ありがとう」
「いいからさっさとしなさい。柵の向こうで待つことになってる。裏手だから人は来ないと思うけど、念のため急ぐわよ」
腰へ包帯を無造作に巻きつける。慣れてきたのか、傷口に触れてもさして痛まなかった。不用意に身を捩ったりしなければ、十分動けそうだ。
「上れる?」
ユウラが柵を指した。格子状で、ランテが一人と半分くらいの高さだ。大丈夫だろう。
「たぶん。また投げ飛ばされるのは嫌だし」
「あれはあんたがぐずぐずしてたからでしょ」
即切り返されて、思わず笑ってしまった。先に行けという指示に従って、足をかける。身を屈めるとさすがに痛みが走ったが、この程度我慢できなくてはこの先やっていけない。ユウラもセトもテイトも先の中央の襲撃で負傷していた。皆それぞれ重い怪我だったが、痛いや動けないなんて弱音は一度も吐かなかった。敬服する。ランテも見習わなければならない。
柵の向こうに降り立つと、濃くなった霧の向こうに防壁が見えた。ところどころ朽ちて崩れている。ロアは町をぐるりと囲うように白軍がいて、と話していたが、目を凝らしてみても人影は見当たらない。
「ここら辺の兵は、さっき皆して走って行ったわ」
隣に着地したユウラが、周囲を改めて確認した。
「予想外だったんでしょうね。こんながら空きにしちゃって」
「混乱してたんだ?」
「部隊長がね。人間だから、そうなるのは仕方ない。でもあれだけ人がいれば、数人は冷静な人間もいるはず。本来はそういう者が補佐すれば済む話だけど、中央兵は証持ちばかり。命令に従うことしかできない人形の兵よ。指揮が崩れれば総崩れになる。加えて、指揮官は身分ばかりの無能が多い。中央の弱点ね」
「そこを上手くつけば、勝機も見えてくる?」
「そうね。ただ……セトが言ってたけど、モナーダ上級司令官は別じゃないかしら。あの人は優秀らしいし、人望もあったみたいね。中央の司令官としては唯一、北の兵にも人気があったわ。敵としては厄介ね。……中央上層部の異変に気付かないはずはないのに、どうして」
先刻の先輩兵の言葉が蘇る。
——中央の人間がみな望んで上に従ってるとは思うな。
——モナーダ様も苦渋の選択だったのだ。
「ユウラ」
「何?」
「話し合うことはできないのかな」
ユウラは少しの間黙って、それから聞いた。
「誰と何を話し合うの」
「そのモナーダ上級司令官って人と、協力してくれないかを。さっきの見張りの兵たちも上に従うのは本意じゃないって言ってた」
ユウラはまた、ちょっと沈黙した。
「それができれば最初からそうしてるわ」
「でも」
「その怪我」
流れた瞳が、腰に来る。
「躊躇った?」
口を噤んでしまったのが、答えになった。
「……あんたね」
溜息をつきかけて、だが、彼女はそうしなかった。
「甘い、と思うけど」
一度切って、目を彷徨わせ、言葉を探す。
「あんたのそういう甘さに、あたしたち、いくらか救われてるわ」
視線は足元に止まった。
「エルティで……あのとき、あんたはあたしのせいで巻き込まれたのに、それでも行くなって引き止めてくれた。だからあたしは、帰ってこれた」
でも、と継ぐと同時にユウラは顔を上げた。ランテの目を真っ直ぐに見る。
「そのときにも言った。甘く見てたら簡単に死ぬ。あんたの考えが間違ってるとは言わないし、そう思ってるわけでもない。だけど気を付けなさい。死んでからじゃ遅いから」
重みのある言葉。実際に経験として知っているからこそ滲む重さだ。聞く者を迷わず頷かせるだけの力を持っている。
気をつけろ。セトにも言われた。そのときも頷いた。だが、本当は分からない。一体何をどう気をつけたらいいのか。もっと慎重になれということ? もっと疑えということ? 首を振った。やはり分からない。
悩んでいたせいか、迫っていた人の気配に気付かなかった。直近の物音を拾い、ランテは慌てて振り返る。警戒する必要のないことを確認して、肩を下ろした。セトとテイトだ。二人とも無事に仕事を終えたらしい。
「早かったのね」
「それが」
テイトの不安げなまなざしを受けて、セトが後を継いだ。
「あれだけ派手にやったのに、誰も来なかった」
「え?」
ふたつ、声が重なる。ランテとユウラの疑問の声だ。セトがランテの腰の怪我に気付いて、おそらく治してくれようとしたのだろう、右手を持ち上げたが、そのまま下ろす。
「悪い、後でもいいか? 今呪の気配を拾われたら厄介なことになる」
「あ、うん。ありがとう。たいした怪我じゃないし、大丈夫」
セトは顔を上げて、辺りを見渡す。ランテももう一度確認したが、やはり人らしき姿はない。
「陽動だってばれたのかと思ってたけど、こっちに戻ってたわけじゃないんだな。一体どうなって」
何かに気づいて、セトは声を止めた。テイトを振り返って問う。
「テイト。周囲に呪使いの気配は?」
「ちょっと待って」
テイトが目を閉じる。僅かに首を傾げてから、瞼を上げた。
「ワグレ全体を覆うように強い呪の気配があって……結界の部類だと思う。たぶん誓う者の呪だね。それに邪魔されて他は正確には分からない。僕が感じ取れる範囲には呪使いはいないように思う……けど、気配を潜めるよう注意されてたら読み取れない」
「そうか」
何やら考え込むセトに、ランテは聞いた。
「どうかした?」
「当て推量だけど」
そう断ってから、白霧の向こうのワグレを振り返り、彼はおもむろに言葉を継いだ。
「召喚士がいる、かもしれない」
「どうして?」
「エルティのときも、騒ぎを起こす直前にいればいるだけ有利になるはずの兵をかなりの数引き上げさせた。白獣を呼び出したとき、傍にいれば巻き込まれるから。今回もおそらく同じだ」
「やっぱり、さっきのが陽動だってばれたってこと?」
ランテに頷いて、セトは悔いた。
「今さらだけど、相手を考えるべきだった」
「過ぎたことはもうどうにもできない。それよりこれからどうするか、でしょ。敵が減ったのは喜ぶべきだと思うけど? 気付かれる前にワグレに入ってしまえれば」
「できないと思う」
テイトはワグレの防壁を仰ぐ。暗い顔だ。
「さっき言ったようにワグレを覆うように結界が張られてる。術者が解いてくれなきゃ、入れない」
「厄介ね。誓う者はなぜワグレにこだわるのかしら。もっと安全な場所がほかにあるでしょうに」
「試してるんだ」
集まった視線を受けて、セトが続けた。
「中央は王国説が広まるのを恐れてワグレを潰した。誓う者と接触した者も、もちろん潰しに来るだろうな。真実を伝えるのはそれに耐えうる者、つまり中央に立ち向かえる者でなければならない。この程度の守りを突破できないような者には何も教えられない。きっと、そういうことだ」
彼は懐から取り出したナイフを一本放った。一直線に走った銀色の刃は、ワグレの防壁を越えた瞬間、弾き返される。見えない壁でもあるようだ。やっぱり駄目かと呟いたセトの背中に向かって、テイトが言う。
「この結界術、かなり強度がある。召喚士って白獣を呼び出すんだよね? 戦うことは難しい?」
「避けたい。白獣を呼び出されたら、まともに戦えるのはランテひとりだ」
「なら、結界の方をなんとかするしかないね」
テイトはランテには不可視の結界をみつめている。声をかけてみた。
「できそう?」
「どうだろう……やってみないことには」
「呪で?」
尋ねたユウラに、テイトはなおも結界から目を離さないで答えた。
「うん。この手のものには、物理的な負荷を与えてもあんまり意味ない。呪で、同時に一点集中攻撃が一番効果的だよ」
テイトに頷いてから、セトはランテに近づき、先に癒しの呪を使ってくれた。
「どうせ使うなら一緒だしな」
傷がみるみる癒えていくのが分かる。この間の怪我よりは重かったのだろう、比べれば少し時間が掛かったが、それでもあっという間だった。腰を回してみる。完治している。
「ありがとう」
「それじゃ——」
唐突に言葉を止め、目に警戒の色を宿したセトに倣って、テイトとユウラも緊張した面持ちになった。一呼吸遅れたがランテも身構えた。敵襲か?
ほのかな霧の向こうで、何かがきらめいた。目を凝らす。かすかな光が尾を引きながら、すさまじい勢いで接近してくる。瞬きひとつ分で十分だった。ランテたちの目前に迫った光は弾けたかと思うと、するりとほどけて、中から人影が現れる。何もかもが速すぎて、思考が追いつかない。一体何が起こっているのか?
「【光速】……」
呟いた声は、おそらくテイトのもの。光が白霧にゆっくり飲まれて、術者の顔かたちが露になっていく。年の頃はハリアルよりも少しばかり年長に見える。四十四、五か。細面の顔はいくぶんやつれてはいたが、垂れた眦のせいか、温厚そうに見える。長身に痩躯。豪奢な白い衣とマントは、体型は正反対であったがジェノを彷彿とさせた。たぶん、上級司令官が身に纏うよう定められた装いなのだろう。
「北の……」
最初にセト、次にユウラ、テイト、そして最後にランテをじっと見て、モナーダ上級司令官——おそらく、だが——が小声で言った。薄っすらと皺の寄った目が、苦味を含みながらも懐かしそうに細められる。
「お久しぶりです、モナーダ上級司令官殿」
注意していなければ分からないほど、ほんの僅かだけ、セトは警戒を緩めた。身構えたままだが、ちょっと上体を起こしたのだ。
「ああ、久しぶりだ。無事なようで安心した。支部長殿もご健勝か?」
モナーダは、現れたきり、戦闘体勢をとらない。棒立ちの状態でセトに語りかけている。戦う意志はないのだろうか? ランテも背筋を伸ばした。二人の間で交わされる会話は、しかし、硬い。
「はい」
「どうしてここへ来た?」
「支部長の指示ではありません」
「そうだろう。いくら何でもこの人数でということはない。君の独断か?」
「そういうことになります」
「……愚かな」
額を押さえて、モナーダはなぜか苦悩の表情を浮かべる。それを見ながらも、セトは特に表情を変えることなく、言葉を継いだ。
「ご息女に、お会いしました」
俯けた顔に一瞬動揺が走ったのを、ランテは見逃さなかった。少しの間目を閉じて、モナーダは無理やり搾り出すような掠れた声を出した。
「もはや、私に娘はいない」
「中央貴族の血縁は、人質として牢に繋がれると聞きます。そうさせないために、あなたは」
「それを確かめて、どうするつもりだ」
セトはモナーダの目を見たまま、黙った。モナーダも喋らない。長い長い沈黙が流れる。恐る恐る、ランテは口を開いた。
「さっき、そこの建物の入り口で、二人の兵と交戦しました。最終的に見逃してもらう形になったんですが、そのとき兵の一人に、『中央の人間がみな望んで上に従っていると思うな』と言われました」
影が落ちた瞳には、気のせいだろうか、悔しさが滲んでいた。
「あなたも、本当は」
「望みを貫くためには、それ相応の力が要る。無力なままでは、全て失い、望みも潰える」
低くて暗い声が言う。
「君たちもそうなりたくないなら、引きなさい。私も若い芽を摘むことはしたくない。分かってくれ。今ならクレイド聖者もいない。戻ってくる前に、支部に——」
言葉と同時に息を飲み込んだモナーダの目が、ゆっくり、大きく見開かれた。その理由を知る前に、背中が震える。何か、とても、大きな力が、背後に存在している。皆も同じことを感じたのだろうか。ぴたりと動きを止めた三人の背が、緊張した。ランテは、ゆるりと振り返る。
「クレイド聖者」
モナーダの弱々しい呼び声に、霧の中佇む男が薄っすらと笑んだ。
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