【Ⅵ】-1 潜入

「こっちの戦力が四でしかない以上、陽動でも使ってワグレ付近の敵の数を減らすしかない。忍び込めるならそれが理想だけど、現実的じゃないしな」


 昼過ぎ、残り四分の一くらいだろうというところまで来て、本格的に作戦を練ることになった。


「宿舎に行ける者が一人、そいつが騒ぎが起こるまで情報収集。陽動役は厩に行く二人の方。できれば陽動はテイトに頼みたい。ワグレと反対方面の適当な場所に火でもつけると、いくらか引き寄せられるかな」


「いい作戦だと思うけど、こうも湿気が多いとあんまり燃えないと思う。セトがこっちに来れるなら、風の呪で手伝って欲しい」


「そうだな……」


 セトとテイトの会話を聞いていたユウラが、ここで頷いた。


「適役ね。万が一敵に見つかっても、あんたがいれば撒けるでしょ。宿舎にはあたしが行くわ。四人の中に女はいなかった。あたしが鎧を着てないと、ばれる危険が高まる」


「いや、別人であることはばれても構わない。荷運びだけで金貨三枚だろ? やり手は一杯いるさ。金積んで代わってもらったとでも言っとけばいい。最悪、他に人目がなければ見張りに眠ってもらうってのもできないことはないし」


「最初からそっちでいいんじゃないの?」


「見張り二人を隠す手間が増える分、見つかりやすくなる」


 テイトが顎に手をやった。何か考え事をするときの癖なのだろう。


「それなら、白軍役はできるだけ似てる方がいいね。女性のユウラより、ランテかな?」


 引き受けようと口を開いたが、ユウラの方が速かった。


「不安ね」


 すかさずテイトのフォローが入る。


「ユウラもヨーダでランテの腕、見たよね? 大丈夫だよ」


「腕がいいのは認めるわ。正直驚いたくらいよ。あたしが不安なのはそっちじゃなくて、ばれずにちゃんと情報集められるかってこと」


 それはランテ自身も不安だ。


「だけど、あんたに任せるしかないわね。ばれたら派手に騒ぎなさい。援護に向かうから」


 そっぽを向いての言葉に、謝意を述べる。相変わらず不器用だが優しい。






 薄霧の向こうにやっと白い防壁が見え始めたのは、夕暮れどきになってからだった。進行方向を北東へ変える。準備のためにランテは鎧を着込み、槍を手にした。動きにくい。


「ワグレに踏み込んでからと帰りのことを考えたら、行きに兵を減らしておくのもひとつの手だと思うけれど」


 テイトの呟きに、ランテの目の前にも周囲を白い鎧に包囲されている様子が浮かんだ。ぞっとする。そうなれば逃げられない。


「兵が千以上いて、まだ手は出せてない。誓う者の助けが得られれば……ってのは、甘いか」


「もたもたしてたら敵はどんどん集まってくる。すぐに捌ききれない数になるわ。まずは誓う者のところに行き着いてからよ。後はそのときに考えればいい」


 ランテは、自分たちが成そうとしていることがいかに無謀かを今になって理解した。敵は千、こちらは四。成功の確率は高くない。いや、それどころか著しく低い。本当は零に近しいのではないか。失敗したらどうなるのだろう。考えたくはないが、そうなる可能性も十分すぎるほどにある。


 不安になったのは、実行のときが近づいているからだ。場慣れしているのか、セトたち三人は落ち着き払っているように見える。ランテも深呼吸して、落ち着こうとした。少し安らいだ。






 簡素な造りの建物だった。二階建てで横に長く、やはりと言うべきか、白い。張り巡らせた同色の柵は低い上に薄っぺらいし、門を守る兵の数も三人と、警戒らしい警戒はしていない様子だ。いくらか気は緩まったが、それでもさすがに門をくぐる瞬間は肝を冷やした。纏った鎧が音を立てるたびに鼓動が強まるランテに対して、ここでも三人は顔色ひとつ変えなかった。驚嘆する。踏んだ場数の差でこうも違うものなのか。


 特に引き止められることはないままに、一行は建物の前まで辿り着いた。入り口を守っていた二人組の白鎧が、一度互いに顔を見交わしてから近づいてくる。例の黄色い印——洗礼の証はついていない。ということは。馬の足が止まった。


「食糧調達の帰りだな。どこからだ」


 ややあって、セトが応じた。さりげなく外套の襟に手をやって、顔を隠す。知り合いだったか。


「ヨーダから」


「収穫は?」


 次はテイトが答える。


「乾パン、干し肉、塩、それに酒と水です」


 ヨーダで要求されたものそのままの完璧な回答だった。一度聞いただけなのにと、ランテは内心で舌を巻いた。


「行きとは面子が違うようだが?」


 背の低いほうが、ユウラに目をやった。心臓が跳ねる。テイトはすぐに返答した。一片の動揺も感じられない。


「金貨二枚で代わってもらいました」


 相手二人が、またアイコンタクトを取った。今度は長い。長身のほうが先に頷きかけると、もう片方もそうした。


「倉庫へ運べ。その後一人は荷降ろし、二人は馬を厩に。その後ここへ戻って来い」


 建物の裏手に続くのだろう道を指して、指示を出す。頷いて歩き出した三人を目で追う。荷車の車輪が軌跡を残していく。角を折れると、すぐに見えなくなってしまった。そのときになってやっと、見張りの視線がランテにきた。意識して無表情を作る。上手くできているだろうか。


「朝まで休め。その後門の警備だ」


 無愛想な指示のあと、二人が左右に割れて、扉への道が開かれた。通り過ぎようと二人の間に入ったその途端、両脇で空気が唸る。


 考えるより先に反応してくれた身体に、ランテは感謝した。鎧が重くてそう遠くまでは逃れられなかったが、二本の槍に刺し貫かれることは免れた。なぜばれたのか。慣れない鎧に慣れない槍。目が助けを求めて動くが、三人はもうかなり離れたはずだ。騒げば戻ってきてくれるだろうが、同時に敵を呼び寄せることにもなる。ランテが迷うのと同じように、相手二人も悩んでいるらしい。今の一撃で仕留めるつもりだったのだろう。肩の向こうを見た。扉だ。あの奥にはもっとたくさんの敵がいる。時間が経てば経つほど三人は離れ、ランテは孤立していく。不利な状況だが、動きを止めていられる暇なんてなかった。決めて、ランテは顔を上げた。


 槍では勝算は皆無、邪魔なだけだ。手放すと同時に、鎧の下に帯びた剣を鞘ごと引き抜いた。ランテが動いたことで敵も動き出す。最初に背の低い方、次に高い方が襲い掛かってきた。長物相手は慣れない。刃を合わせれば音が鳴る。鎧のせいで思うように動かない身体に苦労しながら、ランテはどうにか身を翻した。剣を抜いて、鞘を捨てる。それが落ちる前に、ランテは長身の男の懐に飛び込んだ。


 目の前に輝く白色。妙なまでに、白い。そこだけ世界から切り取られたように、ひどく浮いて見える。首、人の急所だ。


 簡単だと思った。ここを刺し貫いてしまえば、至極容易く上手くいく。声を上げることもさせないままに、鮮血を撒き散らさせて、打ち倒すことができる。


 右腕はすでに動いていた。何の躊躇いも惑いもなく、ただ目の前の敵を葬り去る目的のためだけに。男の瞳が恐怖に淀んだ。覚悟を決めた口元が、きゅっと引き締められる。瞬間、胸が痛んだ。そして思った。駄目だと。


「くっ」


 声を漏らしたのは、ランテだった。片膝が折れる。鎧が床にぶつかって音がした。腰だ。身を捩って確かめる。延びてきた槍が、鎧のつなぎ目を縫って、腰に至っていた。その槍にさらに力が加わる。広がった痛みに、視界がぐらりと傾ぐ。耐え切れずに両腕をついた。


「待て」


 制止をかけたのは、たった今ランテが斬ろうとした男、背の高い方だ。槍は止まったが、痛いのに何ら代わりはない。滲んだ汗が、一筋流れた。


「なぜ止めた」


 問われる。痛みを追い出すためにランテは息を吐き出して、それから声を出した。


「駄目だと思ったから」


「駄目?」


「殺しては駄目だと」


 血が衣服に吸われて広がっていくのを、肌に感じる。傷口付近で動脈が脈打っている。もう一度、息を吐いた。正面の男は訝しげな顔でランテを見下ろしている。


「何の用で来た」


 頭を振った。


「言えない」


「他の三人、あれは誰だ」


「言えません」


「言わなければ殺すと言ってもか」


 むろんだ。


「言いません」


 握ったままの剣。まだ戦える。問題は後ろの槍をどうするかだ。今なら強引に振り切れるか?


「暴漢です。殺すべきです」


 後ろの男が淡々と言った。ランテは剣を握る指に力をこめ、上半身をわずかに起こす。腰から全身へ痛みが疾走したが、こんなところで殺されるわけにはいかない。


「こいつがただの暴漢なら、オレの首は飛んでいた」


「見逃せば命令違反です。処断されますよ」


「言え。何の用で来た」


 ランテをじっと見る目は凪いでいた。話せば分かってくれるのではと、ちらりと考える。


「盗みとか殺人とか……悪行を働くために、来たわけじゃない」


「では何のために」


「中央は、間違ってる」


 男が目を逸らした。その先で何か暗いものを見たかのように顔を陰らせて、口を閉ざす。


「先輩」


 咎めるよう声に、それでも先輩は顔を上げなかった。しばらく地面の一点を黙って見つめて、意を決したように顔を上げる。短く言った。


「行け」


「え?」


「俺は何も見なかった」


 ランテと後ろの兵が、一様に息を呑んだ。


「先輩、本気ですか」


「行くといい。中央の人間がみな望んで上に従っていると思うな」


 男は真っ直ぐにランテを見据える。陰りの棲む瞳の中にひとつ、何かが光った。


「望まないのに、従うんですか」


「従わなければ全て失う。モナーダ様も苦渋の選択だったのだ」


 激痛が走る。腰から槍が引き抜かれたらしい。ずいぶん乱暴な抜き方だった。傷口を押さえながら、長い息を吐き、そうしてランテはやっと立ち上がる。よろけるが、思ったよりは深くなかったらしい。振り返って見た槍の先を汚す赤は、ほんのわずかな量だった。


「……ありがとう」


 迷って、しかしランテは正面の男に向けて言った。痛みを堪えながら落ちた鞘を拾い上げ、剣を収める。背の低い方が先輩と呼んだ男をじっと凝視していた。不満げな顔で。


「お前たちが何を企んでいるのかは知らない。だが、無駄なことはするな」


「それは警告?」


「忠告だ」


 話すのは専ら先輩の方だ。


「一度でもワグレを目にした者は、中央に歯向かおうなんて馬鹿げたこと、考えもしない」


 内心で首を振る。ランテはワグレの惨状をまだ知らない。だが、知っても尚立ち向かおうとしている人たちはいる。


「忠告はありがたくいただきます。でも」


 ランテの言葉を遮るように何かの音が轟いた。遠雷かと思われたが、違った。後方、渦を成すように巻き上がる炎。それは天と地を繋ぐように伸び、闇の棲む空を赤く焼いている。テイトとセトの仕業だろう。あれだけ派手にやれば、かなりの数の兵が集まってくる。その間に防壁の内側、ワグレへ行かなくてはならない。ランテは重い鎧を脱ぎ捨てた。血の流れる腰を抑えながら、歩み出す。


「また、白砂が積もる」


 去り際に、恐怖に震えた一声が耳に届いた。

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