【Ⅲ】-2 何故

 太い柱を整然と立ち並ばせ、その上に平たい屋根を載せた、壁のない真っ白な建物——祠は、もう見えてきていた。屋根の上に何かが立っている。近づけば、それが女性の形をした彫像だということが分かって来た。聞けば、白女神の彫像だという。目鼻立ちが分かるほどになってくると、ランテはその彫像から目を離せなくなった。強い風で目が乾きそうになっても。その彫像がルノアとよく似ていたからだ。髪はルノアと違って真っ直ぐで、瞳もルノアよりも切れ長でやや冷たい印象を与えることから、同一人物ではないことは分かる。しかし、輪郭や唇の形、佇まいなど、似ている部分も数多くあった。


 建物の中央まで進む。その姿を目にして初めて、ランテは大精霊の持つ巨大な力を理解した。大聖者と相対したときと同じような——大聖者の方が強大ではあったが——威圧感が伝わって来るのだ。気圧されるが、しかし、恐怖はなかった。きっと、悪意が存在しないからだろう。


 大精霊を言葉で表すのなら、光の集合体と言えばよいだろうか。ほのかに色のついた光——時折色味が変わるので、何色とは言い難いが、近いものを探すなら黄緑のように見える——が、優美な曲線たちで作られたモニュメントのようなものの中に存在している。それがただの光ではないことは、大きくなったり小さくなったり、明るくなったり暗くなったりすることから、誰が見てもすぐに分かるはずだ。明るくなると強く風が吹きつけてくる。そして大きくなると大精霊を囲うモニュメントからはみ出そうになる。暴走しているというのは、それを見ているだけでも理解できた。


 大精霊を囲うようにして、三人の司たちは懸命に抗っていた。大精霊が強く輝き始めると、一斉に手を翳して風の呪を使って、強すぎる風をいくらか弱めている。被害があの程度で済んでいるのは、この三人の頑張りがあったからだろう。しかし、彼らの限界が近いのは、その表情から明らかだった。


「お父ちゃん!」


 ネーテが、父親と思しき男性のところに駆け寄っていく。ネーテの父親は娘の姿を認めると、零れんばかりに目を見開いた。


「ネーテ、どうしてここに。まだ大精霊は契約ができる状態では」


「お父ちゃんが心配で……お父ちゃん、お父ちゃん」


 ネーテは父親に縋って、泣き始めていた。父親はネーテの頭を撫でながらも自らの仕事は忘れない。残り二人の司も、ランテたちが来たことには気づいてはいたようだが、何か声を掛ける余裕はなさそうだった。そんな三人に青い光が降り注ぐ。セトの癒しの呪だ。


「村からの救援要請で駆け付けた北支部の者です。今使ったのは疲労回復の癒しの呪ですが、癒せるのは身体的な疲労だけです。皆さんの呪力が尽きてしまう前に、大精霊の制御を取り戻しましょう」


 そう伝えてから、セトも司の輪の中に加わった。それで少し楽になったのか、司たちがほっとしたような表情を浮かべる。


「テイト、後は頼む」


 セトから声を掛けられたテイトは、既に大精霊の周辺を調べ始めていた。モニュメントをじっくりと観察し、それから床に描かれた紋章の文字を、一つ一つ確かめているようだ。そのうち一か所で立ち止まった。


「ここだね。多分最初に制御を失った段階で、ここの辺りがダメージを受けて、制御が機能しなくなったんだと思う。ここに呪力を一定時間通わせ続けたら、元に戻るはずだよ。これから僕がやってみるから……あっ」


 紋を見つめていたテイトが、そのとき、弾かれたように顔を上げた。彼の視線を追って、ランテも大精霊に目を向けてみる。その後しばらくすると、大精霊がどんどん光を弱めていった。それに伴って風が徐々に弱まり、やがて無風状態になる。


「まずい、収集周期に入ったんだ!」


 テイトが叫ぶと同時に、ネーテの父親の身体が傾いだ。ネーテの「お父ちゃん!」という悲痛な声が木霊する。そのまま倒れてしまったネーテの父親を見て愕然とした。意識のない彼の身体が淡く輝いていて、生まれた光は大精霊の方へと延びていく。きっと、呪力が吸収されていっているのだ。


 ——呪力の使い過ぎや力の暴走は、使い手の命に関わることなのよ。


 ユウラの言ったことが耳に蘇って、ランテの背中はぞくりと粟立った。このままでは——


「ランテ、ネーテの父親を連れて光速で退避。なるべく遠くにな。他の二人の司もなるべく離れてください。テイト、修復を頼む。それまで、オレ、が、……っ」


 自ら大精霊に寄りながら、セトがランテとテイトに指示を出す。おそらく、大精霊は契約した人間から優先して呪力を引き出しているのだろう、司たちとセトから多く力が引き出されている。距離も関わっているのか、セトが近づくと彼から引き出される力は増えていった。いきなり増えた負担に一瞬セトは声を詰まらせたが、大精霊からは離れようとしない。彼が近づいた分だけ、他の司の負担が減っているからだ。


「セト、さすがに一人は無茶だ。それだけ引き出されてると、修復が終わるまで持ち堪えられない!」


 テイトが祠の修復に当たりながら——彼の足元の文字が輝いているからきっとそうなのだろう——セトに声を掛ける。司たちも分かっているらしく、動こうかどうか悩んでいたようだが、そのうちまた一人が倒れた。それを見てもう一人が、「ごめんなさい」と声を上げて駆け出していく。


「大丈夫だ。しばらくは持つ。ランテ、早く。ユウラ、あっちの人を」


 また、セトの声が飛ぶ。下がろうとしない彼を見て、テイトは修復を急ぐことに決めたらしい。その表情は険しいのを見るに、やはり間に合いそうにないのだろう。しかし、確かにネーテの父親をここに寝かせたままにしておくわけにはいかないのも、そうだった。ユウラもやや躊躇ってから、もう一人の司のところに寄る。


「ユウラ、その人を連れてきて! オレが光速で一緒に連れてくから!」


 上手くできるか不安ではあったが、やるしかないのだ。頷いて、ユウラが司をランテのところへ連れてくる。二人の腕を片方ずつ取って、ランテは目を閉じた。急げ、急げと念じながら、光のイメージを頭に描いた。そうすると、少し時間はかかったが、瞼の向こうに光が溢れたのを感じた。そのまま身体が引っ張られる。成功した。


 光が消えて、着地する。どれだけ離れられたかは分からないが、意識のない二人の司から溢れている力は、目に見えて減っていた。ランテに至っては今は引き出されてもいない。ここなら大丈夫だろうか。二人を並べて横たえて、ランテはもう一度光速を使う自分をイメージした。戻って何ができるかは分からないが、いないよりはいる方がよいに違いない。今度はもっとたくさんの時間がかかってしまったが、それでもどうにか使うことはできた。どうにも着地の位置の調整は難しいが、祠の入り口が見えるところまでは戻れたので、後は駆けていくことにする。


 大精霊の前まで戻って、ランテは驚くことになった。ネーテが大精霊のすぐ傍まで近づいていたのだ。ユウラがネーテのすぐ後ろで、彼女を心配そうに見つめている。そこへ近づいた。


「ユウラ、ネーテも連れて行った方がいい?」


「それがこの子、今大精霊と契約して父親を守るって聞かないのよ」


「え、でも」


 契約をしてしまうと、呪力が多く引き出されてしまう。こんな小さな女の子が耐えられるだろうか。しかも、大精霊は制御ができていない状態なのに、そもそも契約はできるのか? 分からないことが多すぎる。


「ランテ、その子も」


 セトはそう言ったが、直後にテイトが割り込んできた。


「ううん、セト、ネーテに賭けよう。それが一番勝算があると思う。今僕も頑張ってるけど、このままじゃやっぱり間に合わない。収集期なら大精霊に近づけるし、ネーテはきっと大丈夫だよ。契約さえ成功すれば十分耐えられる。むしろ、ずっと呪力を抜かれ続けてるセトの方が心配なくらい」


「……別に、呪力切れには慣れてるんだけどな。そう簡単には死なない」


「死ななくても命は縮めるかもしれない。無茶をせずに済むならその方がいいよ」


 テイトに諭され、セトが最後には頷いた。こういうやり取りを見ていると、テイトが最年長だというのはよく分かる。


「ネーテ、契約の仕方は分かってるね。何かあったら僕たちがフォローするから、自信を持ってやってごらん」


 テイトに向けて素直にこくりと頷くと、ネーテは緊張した面持ちで大精霊に向けて手を伸ばした。ゆっくり一つずつ歩を進めながら、彼女のものとは思えない芯のある声で、淀みなく唱える。


「天地の狭間を遍く駆ける導き手よ。我、汝との契りを求むる者なり。偉大なる汝が力を我に分け与え給え」


 ネーテの指先が大精霊に触れた。すると、光を失っていたはずの大精霊が明るく輝き、一陣の風を呼び起こした。その風に髪をなびかせながら、ネーテは大精霊と同じ色の光を身に宿し、誇らしげに顔を上げる。


「やった、できた! ……あっ」


 だが、その光が消え入った直後、ネーテはふらりとしゃがみ込んだ。彼女の身体から、先ほどまでとは比べものにならないほどの呪力が引き出されている。その負担に耐えかねたのだろう。


「ユウラ、ネーテを下げてくれ。その距離はやばい」


 セトの指示を聞いてすぐにユウラはネーテを抱え上げた。十数歩下がって様子を見る。


「大丈夫です、これくらいなら平気……」


 自分の足で降り立って、ネーテがユウラに告げる。テイトの頷きを見てランテもほっとした。彼の落ち着いた表情から、おそらくもう問題はないのだろう。


 セトとネーテが主に大精霊に呪力を渡し、テイトが大精霊制御の紋の修復に当たる。ランテとユウラは手持ち無沙汰になってしまった。


「あんたは、呪力、取られないのね」


 ユウラからそう声を掛けられて、ランテも気づいた。先ほど司たちを避難させたとき、自分からは呪力が引き出されていないのを見たが、それは距離が離れたからだと思っていた。しかしどうやら違ったらしい。これほど傍にいても、ランテだけが少しも呪力を抜かれていないのだ。ランテと同じく風呪を使わないらしいユウラやテイトは、微量ながら奪われ続けているにもかかわらず。


「何でだろう」


「分からないわ。光呪使いだからかしら?」


 確かにこの中の人間でランテだけが持つ条件を探すと、光呪使いという特徴が見つかる。そのせいかもしれないが、何にも力になれないというのは少々寂しく思えた。


「もう少し近づけば、オレも少しは足しになれるかな」


「念のため、気をつけなさいよ」


 気遣ってくれたユウラに礼を述べてから、ランテは少しずつ大精霊に近付き直してみる。何歩近づこうとも、呪力が引き出される気配は全くない。一体どうしてだろうか。


 ついに間近までやってきたが、それでもやはり変わらない。なんだか無視を決め込まれているようで、少々むっとしてしまう。触れてみようか。思い立って、ランテはそっと大精霊に手を伸ばしてみた。


「ランテ、触るのは——」


 テイトの制止よりも先にランテの指先は大精霊に触れた。冷たいような温かいような、不思議な感覚がした。途端、空気がふっと鎮まる。ネーテとの契約を終えたきり、また暗く戻っていた精霊が光を取り戻す。


「え」


 自分の指を見て、精霊を見て、皆を見て、また精霊を見る。よく分からなくて、もう一周同じことをした。それぞれゆっくり観察する。自分の指に変わりはない。精霊は穏やかに光り輝き、優しい風を生み出している。皆からは、目に見えるほど強く呪力は引き出されなくなったようだ。何度見ても、精霊はやはり落ち着いている。


「まだ、修復も済んでいないのに……」


 テイトが目を丸くしながら、精霊とランテを交互に見た。きっと、ランテも彼と同じような顔をしているだろう。何が起こったのか、全く分からなかった。

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