【Ⅲ】-1 少女

 支部を出発した翌日の夜、ランテたちは目的地に辿り着くことができた。予定では日没前に到着するはずだったのだが、大精霊に近づくにつれて風が強まり、思うように進めなかったため、やや遅れることになったのだ。村は、身を屈めないとやり過ごせないほどの突風に時折襲われている。周辺の木々が幾つか倒れているのが目についた。想定よりも、事態は深刻だった。


「お待ちしておりました」


 ランテたちは、白軍北支部リュブレ村駐在軍と村長に迎えられた。村長は若々しい初老の男性で、支部の迅速な対応に謝意を述べた後、四人をもてなそうとした。それをセトが断ったため、駐在軍の施設の部屋を一つ借りることになった。案内されて荷を置く。十分に広い部屋で、何ら不自由しそうになかった。


「とりあえず、負傷した司の様子を見てくる。多分そのまま治療もしてくるから、多少時間がかかると思う。テイト、その間に村の人たちと打ち合わせを頼めるか? 状況によっては、オレが戻り次第すぐ行こう。ユウラはオレと来て、軽傷者の手当てを。ランテはテイトといてくれ。オレが動けない間に黒獣が出たら、まず二人で対処を頼む。最悪休息なしになるが、いけるか?」


 セトの方針に全員異論はなく、各々すぐに動き始めた。



 打ち合わせには、それほど長い時間はかからなかった。というのも、選べる方法がそう多くなかったからである。現在、風の司は三人で、全員が二日間ほぼ不休の状態で大精霊の制御にあたっているのだという。限界も近かろうから、できるだけ早く祠に向かって欲しいということだ。風にあおられている村の状況を見ても、急いだほうがよいことは明らかだった。そのためセトが戻り次第祠に向かい、彼を加えて四人——負傷した者が動けるようになっていれば、五人で大精霊の制御をし、その間に祠の損傷を復元するというのが最終的な計画となった。祠の制御能力も加われば、大精霊も落ち着くとのことらしい。そうすれば新たな司も大精霊と契約ができ、司の人数も当初と同じ数に戻すことができる。



 ランテとテイトが部屋に戻ってくると、扉の前に少女が佇んでいた。彼女はランテたちに気づくと、駆け足でこちらへやって来る。十三、四ほどだろうか、まだ若干のあどけなさを残した容姿をしている。緩く癖のある髪をちょっと触って整えて、それから声を掛けて来た。


「北支部の方ですよね。今回救援に来てくださった」


 人見知りをするのか、少女は一瞬目を合わせてはすぐに逸らしてしまう。短い丈のズボンを両手で握り締めていた。どう見ても緊張している。


「うん。オレはランテ。君は?」


「私は、ネーテです。あ、えっと……」


「新しい司候補の人かな」


 テイトが尋ねると、言葉に困っていたらしいネーテは首をぶんぶん振って頷いた。なぜ分かったのだろう。不思議そうにしていたランテに気づいてか、テイトが答えをくれた。


「呪の才能を感じたから。契約はまだみたいだけど、もうたくさん訓練はしてるんだね」


 分かってもらえて嬉しかったのか、ネーテはまた首を大きく動かす。それでもどうしても目を合わせるのは苦手なのか、視線をあちこちに動かしながら返答した。


「中級呪までの呪力の扱い方は習いました。後は契約して、慣れてきたら司にって言われていて、あの、その……」


 ちらちらと上目でランテとテイトの顔色を窺ってから、意を決したようにズボンを強く握りしめて、ネーテは半ば叫ぶように言った。


「私も行きたいです!」


 ランテとテイトがしばらく答えなかったので、ネーテはだんだんと勇気を失っていくように、また俯いていく。どんどん小さくなる声が続いた。


「新しい司として、大精霊の、こういうときの様子を知っておきたい、のと……すぐに司を代われるように、皆、疲れてると思うから、それで……」


 その後にも何か話しているようだが、よく聞こえない。ランテとテイトは顔を見合わせていた。どうしたものだろう。


「ネーテ。安全なら君を連れていってあげたいけど、今はそうじゃない。君に怪我をさせるわけにはいかないんだ。分かってくれるかな?」


 テイトが優しく語りかける。ネーテはしばらく黙っていたが、その返事は予想していたらしい。「そうですよね」と小声で応じた。


「急に来て、すみませんでした」


 落ち込んだ様子で付け加えて、そのまま立ち去っていく。背中が寂しげで心は痛んだが、テイトの言うことは間違いなく正論だった。心の中で謝りながら、ランテも彼女を見送った。



 部屋で待っていると、月が昇り始めた頃にセトとユウラが戻って来た。二人とも少々浮かぬ顔だ。


「治療は済んだけど、頭を打っていることもあってすぐ回復ってわけにはいかなかった。早くても、もう数日かかりそうだ」


「そっか。なら、制御は四人でってことになるかな。セト、いける?」


「他の司たちの力量と疲労度による、としか。オレ自身のコンディションは問題ない。四人で足りなければ、テイトに補助の呪で手伝ってもらうことになるな」


「うん、そのときは任せて」


 セトとテイトの会話が済んだ後は、駐在軍が用意してくれた食事を手短に摂りながら、打ち合わせ内容の伝達を行った。そして、その後すぐに発つ。



 村から祠まではそう遠くない。しかも、風も凪いでいる。しかし、歩き始めてすぐ、テイトが険しい顔をした。


「セト、呪力の消費は抑えて。強風なら僕が何とかするから」


「かなり荒れてるけど大丈夫か?」


「うん、突風が来るときは分かるから、対処できる」


「分かった」


 セトが頷いて少しすると、急に前方から強い風が吹きつけて来た。これまで穏やかに感じられたのは、セトが呪で和らげてくれていたからだったようだ。歩けないほどの風ではないが、完全に向かい風のため多少の不自由はある。なるべく姿勢を低くしながら進んだ。


「心配しているのは、むしろ力の収集周期になることなんだ。暴走が始まりかけている今収集が始まれば、傍から無作為に力を吸い取り始めかねない。そうなると司たちが危ないから——止まって!」


 テイトが声を張った直後、風が鳴いた。付近の木々が激しくなぶられる。ランテたちが無事だったのは、テイトが風よけに強固な土壁を作り出してくれたからだ。


「待って」


 再び歩を進めようとした三人を制止して、ユウラが進行方向を変える。彼女の行く先に、人影を見つけた。


「あ、ネーテ?」


 風に吹きすさぶ二つくくりに見覚えがあった。結局来てしまったのか。セトがランテを見る。


「知り合いか?」


「次の司候補の子で、さっき連れて行って欲しいって部屋に来たんだ」


「まだ子供……だよな」


 風に飛ばされそうになるのを、木の幹を抱き込むようにして耐えている。そこへユウラが辿り着いて、抱き上げた。もう大丈夫だろう。続いてテイトがランテたちのところまでの風避けを作り出す。


「来ちゃったんだね」


 テイトは穏やかに言ったが、ユウラに降ろしてもらうなり、ネーテは顔を俯けた。


「ごめんなさい……」


 そのやり取りで大体の顛末は理解したのか、ユウラが聞いた。


「どうして来たの?」


「お父ちゃんが……」


「司なの?」


「はい……お母ちゃんは、私を産んだときに死んじゃったから……お父ちゃんと二人で、お父ちゃんが帰って来なかったら、一人になっちゃう……お父ちゃん、このことがある前から当番で、もう何日も帰ってなくて、私、お父ちゃんを助けたくて……」


 聞き終えると、ユウラはセトに目を向けた。テイトも彼を見る。受けて、セトはテイトに一つ確認した。


「危険だってことは伝えてるんだよな?」


 テイトが頷く。セトも頷き返すと、ネーテに向き合って、視線を合わせるために立て膝になった。


「ネーテ。もう一度確認するけど、最悪命懸けになるかもしれない。ネーテにそんなことをさせるのを、父さんは望んでないと思う。それでも来るか?」


 ネーテは少し眉根を下げたが、しかし頷いた。セトは「分かった」と応じ、立ち上がって全員に言う。


「連れて行くか?」


「いいの?」


「この子を送り届けるために村に戻ってる間に被害が出たら、この子や父親が恨まれかねない。本人も覚悟の上ならって思ってさ。ただ、オレは大精霊の制御で手一杯になりそうだし、テイトも忙しいだろうから、当然ユウラやランテの同意が取れればになる。もちろん、何かあったときの責任はオレが取るけど、お前たちはそれでいいか?」


「あたしは連れて行くのでいいわ」


 即答したユウラを見て、ランテも慌てて続いた。


「うん、オレも」


「なら、そうしよう」


 こうして一向はネーテを加えて、祠へ向かうことになった。ネーテはランテたちに、何度もありがとうございますと繰り返し伝えて来た。何とか無事に父親に会わせてやりたいし、無事に二人で村に戻って欲しい。そのために頑張らなければ。ランテは気持ちを引き締めるために、深く呼吸した。

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