【Ⅱ】   連携

 エルティを発ってしばし、ランテたちは川沿いの街道を歩いていた。初めて紋章が縫い付けられたシャツに袖を通した。背を伸ばして歩かなければ、という気分になる。実践していると緊張しすぎだと皆に笑われたが。


「へぇ、じゃあユウラも呪を使うんだ」


「北支部は両方使える人が多いのよ」


 街道を行くためか、そろそろ夕刻を迎えようとしていたが、黒獣にはまだ一度も出遭っていない。そのため、今のところは話しながらの楽しい旅になっていた。道も整備されてあって歩きやすい。


「でもま、基本的にユウラは前衛だな。というより、テイト以外は前衛になる。オレたちが敵の気を引いて時間を稼いで、テイトが呪で決める。これがいつものパターンなんだ。ランテもそのつもりで」


 話の合間合間に、こうやってセトがランテに必要な知識を与えてくれる。楽しいだけでなくて、勉強にもなる旅路だった。


「了解」


「その方針だけ分かってくれていたら、後は好きに動いて大丈夫だ。合わせるのはこっちでするし、連携が必要なときは合図するから」


 何とも心強い。礼を返事に代えて、ランテは剣の柄をぎゅっと握った。少しでも、役に立ちたいと思う。


「じゃ、そういうわけで。ランテ、隊員としての初実戦だ。無理するなよ。一番重要なのは、身を守ることだからな?」


 セトの声を合図に、ユウラが背の槍に手を回した。遅れてランテも剣を抜く。確かに、脇の林から黒獣と思しき黒い物体が顔を出していた。目を凝らしてみれば、それが六つ足で、地面を滑るように這いながら進んでいるのが分かる。


「気をつけて。多分呪を使う。炎呪かな。きっと精霊を取り込んだんだね」


「呪の対策は任せていいよな?」


「もちろん」


 セトに二つ返事で答えたテイトは、心なしか、笑んだように見えた。それは任されたことへの誇らしさから来るものにも、興に目を輝かせるようなものにも見えた。初めて黒獣と戦ったときのことをランテは思い出していた。ユウラも似たような表情をしていた気がする。


 距離があったからと、少々慢心していた。黒獣はこちらに向かう足を止めると、前足二つを持ち上げた。中空に火の玉が幾つか生まれる。呪だ。火はランテの頭ほどの大きさになると、こちらへ放たれる。身構えたランテだったが、対処は不要だった。テイトだろう、同じほどの大きさの氷塊が火球を迎え撃ち、それらは宙で揃って霧散する。


 黒獣にとっても、呪はただの小手調べか牽制だったのだろう。気づけばすぐ側まで迫って来ていた。このまま突進してくる気らしい。その軌道は一直線、読むのは易い。余裕を持って避けたランテだったが、それは間違いだったようだ。黒獣はわずかに方向転換し、ランテ一人に狙いを絞ると、速度を上げて突っ込んで来る。さらに逃げてはみたものの、遠目で見ての想定よりも大きかった巨体の、ちょうど足の部分に身体を引っかけそうだ——そう覚悟したとき、足りなかった距離が、腕を引かれたことで稼がれた。黒獣は、ランテの身のすぐ後ろを突っ切っていったらしい。だが、その後すぐにバランスを崩して転倒した。理由は知れた。ユウラが、すれ違いざまに前足を一つ切り落としたのだ。


「避けるのは、もっと引き寄せてからな」


「ありがとう」


 助けると同時に助言までくれたセトに、礼を述べる。隙だらけになった黒獣へ、テイトが氷柱の雨を降らせた。それで勝負は決まったかに思われたが、案外敵は頑丈だった。氷柱の山から這い出てくる。身体に火を纏っていた。


「結構、硬いのよね。足三本落とすつもりだったんだけど」


「それくらいの方が、ランテのいい訓練になる」


 たったそれだけの会話と、その後交わした視線で、ユウラとセトは何かを示し合わせたらしかった。背中を燃え上がらせた状態で、失くした足を庇うように向かってくる黒獣に、まずセトが向かっていく。


「ランテ」


 ユウラに呼ばれた。彼女はセトの後を追うようだ。ランテも続くことにする。セトは黒獣と限界まで距離を縮めた。何か仕掛けるのか——と思った矢先、彼はひらりと跳び上がった。そのまま操った風に乗り、黒獣の背中を越えて、向こう側に着地する。


 黒獣は、残された前足で彼を追いかけてしまった。ランテとユウラの前に、硬い外殻に覆われていない、無防備な腹を晒して。


 ここだ、と思った。


 しっかりと握り締めた剣を、思い切り振り下ろしてみた。剣の先が何かに当たって、そのまま食い込み、裂いていく感覚までもが子細に指に伝わってくる。少々背筋が震えたが、もう迷わないと決めたのだ。そのままランテは剣を進ませた。負わせた傷はそう深いものではなかったが、それでも黒獣を怯ませるのには事足りた。黒獣はさらにのけ反って、また新しく時間が生まれる。それを使って、ユウラが腹を横に裂くように槍を大きく薙いだ。深手を負った黒獣は、もう自由には動けまい。


「行くよ」


 テイトの声が響いた。地面に振動を感じる。跳びすさったユウラに倣って、ランテもその場を離れた。その途端盛り上がった地面が、すっぽりと黒獣を覆い尽くしてしまう。出来上がった土の山は、地響きを伴いながら徐々に小さくなっていき、やがて元のなだらかな地面に戻った。ほのかに黒い靄が立ち上っているのは、力尽きた黒獣の名残だろう。


「お疲れ。【埋葬】だよな。黒獣退治に上級呪なんて、贅沢だ」


「うん、お疲れ。呪を使える珍しい黒獣だったから、つい張り切っちゃったんだ。皆が十分に時間を稼いでくれたしね」


 全く疲れた様子もないセトとテイトが労い合う。疲労感がなさそうなのは、ユウラもだった。「楽勝だったわね」と言いながら、彼女は槍を背に戻す。ランテ一人が息を乱していた。運動量は大したものではなかったから、緊張から来るものだろう。それにしても、と思う。ランテはすっかり感動してしまっていた。


「すごい……」


 思ったままを口にしたら、三人分の視線がランテに集まった。いつもの笑みを刷いて、セトが「どうした?」と問うてくる。


「連携が、息ぴったりっていうか。作戦も大筋でしか立ててなかったのに、皆が自分の役割を果たした感じがするというか……何か、感動して」


「ランテもちゃんと連携できてただろ?」


「オレは、合わせてもらっただけだし。さっき、セトとユウラが何か示し合わせてたの、合図か何か?」


「合図って……ああ、あれは」


 ここでセトがユウラに視線を遣る。


「『いつもので』?」


「そんなところじゃないの?」


 特に何か決まっていたわけではないらしい。それが分かると、ランテは一層感心した。それと同時に、憧れに似た感情も湧き起こる。自分も隊の一員として、言葉がなくても連携が取れるようになりたい。


「ランテもすぐに分かるようになるよ。セトが気を引いて、ユウラが敵の動きを止めて、僕が止め。これが僕らのいつものパターンではあるんだ。もちろんいつだってこの通りというわけには行かないけど、皆の得手不得手が分かってきたら、おのずと自分がするべきことって見えてくるものだから。必要なのは経験、かな」


 テイトが優しく声を掛けてくれる。新人のランテを、皆が皆温かく迎え入れてくれていると感じる。ランテは、またしても自分の幸運を実感した。身の危険があった分を差し引いても、こんなに居心地の良いところに置いてもらえるなんて、とても恵まれている。


「さて。今日中にもう少し進みたい。怪我はないな? 行こう」


 次は、どんな風に動けばもっと役に立てるだろう。知らない間に、ランテは戦うことへの怖じを忘れていた。




 日没後しばらくして、ランテたちは野営をすることになった。テイトが呪で作り出した焚火を囲いながら、持ってきていた食事を広げる。ノタナの宿で作ってもらったもので、冷めてはいたが大変美味しい。


「そういえば、今回の任務のことについて、もう少し詳しく聞いていい? 見れば分かるかと思ってたけど、知らないままはやっぱり不安で」


 話が途切れたときを狙って、ランテは切り出してみた。テイトがすぐに頷いてくれる。


「ランテが知りたいのは、祠や司のことかな。祠は大精霊が祀られているところだって話は前にしたけど、大精霊の力を制御するものでもあるんだ。大精霊は自分の意志は持たない。放っておいたら周期的に力の発散と収集を繰り返すエネルギー体なんだ。力が発散されるときは、例えば風の大精霊なら、暴風や竜巻が起こる。逆に収集時は全く風が吹かない。そんな極端な状態だと困るから、祠や、呪使いたちである司によって、力が一定に発散・収集されるように調整するんだよ」


「それじゃ、司の人たちは結構大変な仕事をしているんだ」


「うん。司になるにはそれなりの……そうだね、少なくとも中級呪は満足に使いこなせる程度の能力は最低限必要だから、どこも人手不足ではあるんだ。今回セトが呼ばれたのも、癒し手だからという理由もあるけど、それよりもきっと風呪使いとしての力が求められたからじゃないかな。負傷した司が復帰して、新しい司が一人立ちできるまで、役割を肩代わりできるようにって。北支部の人間で一番風呪を上手に使うのはセトだから」


 それまで静かに聞いていたセトが、ここで苦笑した。


「オレで足りればいいけどな。テイトがいてくれるから少しは気が楽だけどさ。お前の補助の呪と防御呪、頼りにしてる。確かに風呪はオレが一番使い慣れてるが、呪全般の知識や能力はうちじゃテイトが群を抜いてるんだ。テイトが呼ばれたのは、大精霊が暴走したときのためでさ。対処でき得るのは、北支部だとテイトだけだろうな」


「セトも風の大精霊の暴走じゃなければ対処できると思うよ。今回は属性がかち合っちゃったからね……」


 話を聞けば聞くほど、新しい疑問が浮かび上がってくる。混乱してしまいそうだったが、折角の機会だ、分からないことは全部聞いておこう。ランテはまたしても質問を挟んだ。


「大精霊と属性が被るとまずいの?」


「ほら、ランテ。前に呪は、統べるものの力と使い手自身の潜在能力と洗練度によって威力が決まるって話をしたでしょ? 統べるものの暴走は、契約者の呪にも影響を与えてしまうんだ。制御が難しくなる。大精霊に引っ張られて、暴発させちゃう可能性もあるよ」


「呪力の使い過ぎや力の暴走は、使い手の命に関わることなのよ。だから大精霊が暴走をし始めたら、その属性の呪は使えなくなるみたいなものね。今回はその前に事を収めに行くのよ」


 テイトの説明にユウラが補足を添えた。ランテがどれだけ質問しても、皆が丁寧に教えてくれる。お陰で分からないことはいつだってすぐに解消できた。不安が完全に拭えた訳ではなかったが、多少はイメージがつけられるようになったような気がする。しかし、元気をつけたランテの傍で、テイトが瞳を曇らせた。


「祠に近づいてきて、確かに、風の大精霊の力が乱れているのは分かって来たよ。セトも分かるでしょ?」


「いや、オレはお前ほど呪力の感知能力は高くないから、まだ。ただ、何か落ち着かないような感じはあるな」


「うん。契約者だから影響を受けやすいんだよ。制御不調に陥って何日経ったかは分からないけど、この感じだと、少し気をつけた方が良いかもしれない。祠の周辺では、突然強い風が吹いたりはあると思う」


 報告が来たときより悪化しているみたいだね、とさらに続け、その後テイトは俯き加減だった顔を持ち上げた。


「穏やかな気候を守るためにも、それから、人間が懸命に築き上げてきた呪の文明を守るためにも、この任務はしっかり果たさないと」


 彼の真っ直ぐなまなざしには、強い使命感が漲っていた。それを見ていると、ランテにも頑張らなければという気持ちが伝染してくる。励まされるような気もした。自分にどれだけのことができるかは分からないが、それでも、精一杯やろうとランテは改めて思った。

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