怒の章

1:危うい均衡

【Ⅰ】-1 入隊

 差し込む日の光が闇を払う。ランテは身体を起こした。朝だ。手早く身支度をする。今日は先にハリアルのところに行って、正式に支部の白軍にしてもらえるよう頼んでみよう。


 途中でダーフとすれ違った。食事を終えてこれから仕事らしい。鎧を身に着けていないと、想像していた通り、やはり優しげに見える。武器など手にしたことがないと言われても、疑うことなく納得してしまいそうなほどだ。そう言えばどうしてみんなは白軍に入ったのだろうか。危険な仕事なのに。ユウラは妹のためだろうけれど、他のメンバーにも何か理由があるのだろうか。


「支部長なら、今の時間帯ならもう支部長室にいらっしゃると思いますよ」


 教えてくれたダーフに礼を言い、ランテは支部長室を目指した。この建物の中なら、もうどこに何があるかは大体把握できている。支部長室は二階だ。階段を下りて廊下を進んでいく。だが支部長室の扉の前に立ったとき、ランテは覚えた違和感に扉を開けるのを戸惑った。いつもは見張りが二人立っているはずなのだが。


「もう一つ……どうしてランテをあの部屋に?」


 扉に耳を当ててみれば、セトの声がした。自分の名前が出てきたことで、ランテはますます入りにくくなってしまった。どうしようもなくて扉の前で立ち尽くす。会話は進んでいく。


「特別な意味はない。奥の部屋まで運ぶ余裕がなかっただけだ」


 沈黙。


「納得できないか?」


「いえ、そういうわけじゃ……少し気になっただけです」


 珍しく歯切れの悪い答えだ。あの部屋に何か特別な謂れでもあるのか。ランテの頭の中に例の白い本が過ぎった。血文字の罰印が蘇る。もしかしたら、あれに関わることかもしれない。


「町の復興が済んだら空き部屋も増える。それから移動してもらうといい」


「……そうですね」


 空気が張り詰めている。


「支部長」


 長い間を取ってから、セトが切り出した。ハリアルもすぐには答えない。セトが取ったものと同じくらいの間があった。


「うん?」


「今回のこと」


 言いかけてセトは止めた。すぐに切られた声は、迷いと躊躇を多分に含んでいた。


「どうした?」


 ハリアルがしばらく待ってから聞いたが、セトは答えなかった。


「何でもありません」


 結局話は終わる。一体何を言いかけたのか。今度は長い間は取らずに、ハリアルが聞いた。


「身体の方はもういいのか」


「寝すぎて鈍ってます」


「なら、後でランテ君と手合わせでもしてみるといい。ちょうど来たようだ」


 気付かれていたのか。ばつが悪い。扉をそっと開けて入ると、ハリアル、セト両名の視線が集まっていた。さらにばつが悪くなる。


「ランテ」


 セトの表情は複雑だった。対してハリアルは少し笑ってランテに声をかけてくる。


「どうした?」


「あ、ええと……白軍に正式に入れてもらおうと思って」


 ハリアルは即頷いた。


「分かった。それなら紋章つきの服を用意させよう。改めてよろしく頼む、ランテ」


「はい、よろしくお願いします」


 頭を下げる。成り行きに任せてここまで来てしまったが、今はもう迷ってはいない。少しでもみんなの力になりたい。セトがちょっと動いた。


「ランテはオレの隊で?」


「ああ、そうだな。ようやくデリヤの穴を埋められる」


 セトは厳しい表情のまま頷いた。ちらりとランテを見た後、もう一度ハリアルに目を戻す。


「それで、支部長。任務は、やはり外に出ることになりますか?」


「そうだな。毎度のことながら酷使してしまって申し訳ないが、お前と、それからテイトに行ってもらう他ない案件だ。他の人選は任せるが、ランテにとってはよい経験になるだろう。連れていくといい。……この状況だ。できれば主戦力は手元に置いておきたいが、こちらの件も放っておくわけにもいかない。早く戻ってくれると助かるが」


「……分かりました。それでは、ユウラも加えて四人で。できるだけ早く解決して戻ります。昼には発ちますね」


「お前もテイトも、もっと休ませてやりたかったが、すまない」


「いえ、大丈夫です。支度しますので、ひとまずこれで。……ランテ、行こう」


 セトと共に支部長室を後にする。途中から話を聞いていただけのランテだったが、どうやら早速初任務を迎えようとしているらしいということは分かった。そわそわして落ち着かない気分になる。


「朝食は?」


 廊下に出るなり、セトが聞いてきた。首を横に振って応じる。


「まだ食べてない」


「そっか。後で、ユウラとテイトも呼んで任務について説明するよ。焦らなくていいからな。出発は昼だし」


「任務……」


 思わずランテが自信なさげに反芻すると、歩き出しかけたセトは足を止めて佇んだ。


「どうした?」


「自信なくて」


 言って、ランテは思わず左腰に手をやった。今は剣を挿していないから柄はない。強くなりたいが、自分がどれだけ無力なのかは先の戦いでよく分かった。今は地道な鍛錬を積むべきなのかもしれない、とも思う。


「前に黒獣と戦ったときと、それから大聖者との一件見てて思ったのは」


 ここでセトは笑んだ。


「剣だけならたぶん、オレはお前に勝てない。もちろん昔の勘を取り戻してからの話になるけどな」


「え、そんなに?」


「そもそもオレが剣一本の戦いがそこまで得意じゃないっていうのもあるけど……どっちにしても、お前はかなりの腕だと思う」


「そう、なのかな」


「不安なら、支部長の言うように、出発前に手合わせしておくか。この時間は、中庭で暇な連中が実戦演習してるんだ。ってことで、食べ終わったらまず中庭な。適度にいじめてやるから」


 ちょっと悪そうな笑みを残して、セトは今度こそ踵を返した。思わずその背中を呼び止める。


「セト」


「ん?」


 聞いてもいいだろうか。迷ったが、結局好奇心が勝った。息を吸う。


「オレが借りてる部屋、前は誰が?」


 瞬間、セトは口元を引き締めて押し黙った。支部長室に視線を移して、またランテに戻す。戸惑ったような笑みをちらりと浮かべた。


「そっから聞いてたのか」


「ごめん」


「いや、別に責めるつもりはないさ。あの部屋はデリヤってやつが使ってた。かなり腕が立つ剣士だったけど」


 セトはもう一度支部長室の扉を見た。わずかに声が潜められる。


「二年ちょっと前、追放された。中央の内通者だって密告があって」


「中央の内通者?」


 ランテは思わず首を傾げた。だとしたら、あの罰印の意味は一体なんだったのか。あれは明らかに大聖者を否定するものだった。それを、中央の内通者が? どうも腑に落ちない。


「セトもそう思った?」


「オレは」


 セトは答えを躊躇った。しばらく考えて、それから。


「昔、支部長に心酔してた時期があって……ちょうどその頃だった。そのときのオレは、自分で考えることなんてほとんどせずに、ただ与えられた任務を言われるがままにこなしてた。デリヤを連行したのもオレだ。だけど後々考えてみれば、必ずしもあいつが内通者とは言い切れなかった、と思う。今さらだけどな」


 声には少なからず自責の色が含まれていた。言葉ではどちらか分からないと言っているように聞こえるが、実際セトがどう思っているのかは明白だった。


「デリヤが出て行ってから、あの部屋は使われてなかったんだ。ずっと。だけど今回は慌しかったから……悪いな。すぐにでも部屋変えてもらえるよう手配しようか?」


「ううん、それは大丈夫なんだけど」


 本のことを言ってしまおうかと悩んだ。しかし今言えばセトを責めるような形になってしまうかもしれない。それに、言わずともセトはきっと分かっている。ランテは喉元の言葉を飲み込んだ。続きを待つセトに、首を振る。


「何でもない。じゃあ、後で」


 セトはなおも少しランテを待って、それから小さく頷いて後でと返してきた。見送った後、ランテは支部長室を振り返った。扉は硬く閉ざされていた。



 食後にセトと一戦、アージェと二戦、そして途中参加のフィレネと一戦した後、ランテはフィレネに捕まってしまった。アージェとフィレネは一切手加減なしで向かってきて、非常に肝が冷えた。セトも最初こそランテの剣を捌くだけといった形を取ってくれたが、途中からは結構容赦なかった。しかし、お陰で何かがつかめたような気がする。頭の中で色々考えすぎるよりも、余裕がなくなったときの方が上手くいくことが多い。今見えるものに意識を集中する方が良いのだろう。


「ですから、半年前です。ノンタス郊外での単独任務の後、わたくし、大型の黒獣の群れに襲われましたの。予想外に皮膚が硬くて……二体程度なら相手にできたと思うのですけど、数も多かったですから、あのときばかりはもう駄目かと思いましたわ。わたくしで討伐できないほどの黒獣が出没するというのも、問題ではあるのですけど。あのようなことは初めてでした」


「はあ」


 目の前ではセトとアージェの実戦練習が行われている。高度な攻守のやり取りがなされているのは、ランテにも分かった。本当はじっくりと見学させてもらいたいのだが、フィレネが許してくれない。ランテが視線を逸らすたび、真正面に立ってくるのだ。


「けれど、あなたが来てくださって……五体いた黒獣の群れが、次々に消え去ったんですのよ。わたくし、それはもう驚いて」


「ええ……え?」


 半分ほど聞き流していたが、今、とんでもないことを聞いた気がする。ランテは瞬いた。


「どうかなさいまして?」


「えっと。オレが、フィレネ副長が敵わないほどの黒獣を倒した……? 一人で?」


 耳に残っていた言葉をどうにか拾い集めて確かめると、フィレネは勢いよく頷いた。


「正確には三体をあなたが片付けましたわ。華麗で力強い剣捌きでした。呪も使っておいでのようでしたけど、わたくしは知らない呪でしたわね。呪の知識はそれほど多い方ではありませんから、ごめん遊ばせ」


「呪も……」


 とてもではないが、そんなことは信じられない。今しがたした演習では、三人に手も足も出なかったのだ。ランテの半信半疑の表情を見てか、フィレネはこう続けた。


「わたくしも、今のあなたと同じような心境でおりますのよ。とても信じられませんわ。あれほどの使い手が、記憶を失ったからといって、こうなってしまうなんて」


 きっと、かなり不出来になってしまったのだろう。フィレネの口ぶりからそれは分かったが、自分の以前の状態を知らないランテは、どう反応していいか分からない。答えに窮していると、フィレネはさらに言う。


「まして許せないのは、あなたが北支部に入るということですわ。わたくしはまた良い芽を彼に奪われましたのね。本当に、いけ好かない……」


 フィレネが険しい顔でどこかを見ている。視線を追うと、セトがいた。何か因縁がありそうだ。


「また?」


「ええ。実は、ユウラもですのよ。あの子、わたくしの妹弟子ですの」


「ああ……確かに、構えは似ていたような?」


「あら、目敏いんですのね」


 結局、セトとアージェの試合が終わるまで、フィレネとの会話に気を取られてしまった。どちらが勝ったのだろう。


「ランテ、そろそろ行こう」


 遠くからセトに声を掛けられる。頷いて、立ち上がった。恨めしげなフィレネに断って、その場を離れる。やや悪い気もしたが、それよりもこれから始まる任務に向けての不安や緊張、そしてちょっとした高揚感で胸が一杯だった。

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