【Ⅲ】-1 虚ろ

 ランテは日暮れまで広場で修復活動を手伝った。途中で顔を合わせたマーイは、荷物のことに関しては何も言わなかった。意外に力持ちなのかも知れない。もしくは彼女のことで頭が一杯で、荷物のことなんてすっかり忘れていたのかもしれない。


 煉瓦を並べる仕事が一段落ついたところで、ランテは支部に戻ってきた。力仕事が多くて疲れていた。腹が減っていたし、たくさん汗をかいたから風呂にも入りたい。支部のロビーには衛兵以外にも数人の白軍たちがいて、各々談笑を楽しんでいる。


 階段を上って食堂に上がろうとしたら、一人の衛兵に呼び止められた。


「君がランテ君だね? 支部長が探していたよ」


「ハリアルさんが? 分かりました。支部長室に行けば会えますか?」


 そう言えば報告を忘れていた。支部長室の方へ方向転換しながら尋ねると、衛兵はランテを手で制した。


「いや、今は部屋にはいないはずだ。捕虜の様子を見に行っているようだから、おそらく北棟だろう。ほら、少し前まで中央のお偉いさんが泊まっていた棟だ。案内しようか?」


 ジェノが居た棟か。ユウラと一緒に行ったことがあるから、場所は分かる。ランテはもう一度方向転換した。


「大丈夫です、ありがとう。行ってきます」


「おう、行ってきな」


 上がってきた階段を今度は下りる。外へ出ると空はもう完全に紫の世界に変わっていた。一番星も瞬いている。ふとルノアを思い出した。やはり、ルノアの瞳の色は宵の空を連想させる。






 支部の敷地は広大だ。柵に沿って歩くことでなんとか迷うことは避けられたが、本当はもっと近道があることだろう。今度散歩がてら探してみようと思いながら、ランテは北棟の扉を開けた。明るい。


「支部長は地下だ」


 急に背後から声をかけられる。ランテが驚いて振り返ると、扉の脇に見張りの白軍が居た。礼を言って、真正面の廊下を進む。数日前、同じ場所を中央の白軍たちに引っ張られながら歩いたのを思い出した。やはり、最近のこととは思えない。この何日間かで、数年分の出来事を一挙に体験したのではないかと思ってしまう。本当に色々なことがあった。






 ランテが廊下を歩いていると、先日ルノアと一緒に閉じ込められていた突き当りの部屋から、ちょうどハリアルが出てきた。目が合う。会釈しておいた。ハリアルはかすかに目元で笑って応じる。半開きの扉から、白い鎧がいくつも見えた。洗礼の証がついている鎧ばかりだ。中央兵らしい。


「支部内に見当たらなかったから心配していたんだが、アージェから荷運びを頼まれていたらしいな。広場に居たのかな?」


「はい。すみません、一声掛けてから行くべきでした」


「いいや、構わないよ。レナという女性が君に会いたがっている。上階に居るんだが」


 レナ。一瞬誰だったか悩んだが、すぐに思い出せた。イッチェと遭遇したときに居たあの女性だ。彼女がキリスと呼んでいた男性は無事だったのだろうか。


「分かりました」


「私も一緒に行かせてもらおう。彼女は少し……取り乱している」


 ハリアルの顔が曇った。取り乱すということは、何かあったのだろうか。首を振る。きっと大丈夫だ。ランテを追い抜いて進んだハリアルを追う。


 階段を一番上まで上った。四階建てのようだ。階段から三つ目の部屋が目当ての部屋らしい。警備兵が一人立っていた。扉の向こうからすすり泣く声が聞こえてくる。女性の声だ。レナだろう。ノック二つの後、ハリアルは扉を開いた。彼に続いて、ランテも部屋の中へ足を踏み入れる。


 キリスはベッドに横たわっていた。じっと天井を見る目は瞬きをしている。大丈夫だと安堵した。しかし、ではなぜレナは泣いているのか。ベッドの脇に座り込んだレナは頬に幾筋もの涙の跡を残して、ランテを見上げていた。ずいぶん長い間泣いていたのだろう。


「あなたにお礼をって、キリスが」


 虚ろな目のまま、レナは口元の筋肉を弛緩させた。ふらふらと立ち上がってランテの元に近づき、倒れるように座り込んだ。右足のズボンの裾を握られる。


「あなたはあのとき私たちを助けてくれた……なら、今回も助けてくれるでしょう? キリスを、キリスを」


 もう一度キリスに目を遣った。相変わらず瞬きはしているが、よく見ればその目はじっと一点を凝視したまま動かない。一体どうしたというのか。ハリアルを見る。


「レナさん、残念だが彼を助けることはランテ君にもできない」


「嘘よ! そんなの嘘だわ。ねえ、助けてくれるでしょう? ねえ」


 レナは必死にランテの足にすがり付いてくる。新しい涙がまた溢れ出た。キリスは尚も同じ場所を睨み続けている。無表情でだ。頭に蘇ったのは洗礼を受けた兵士たちの瞳だった。彼らと同じ目をしている。泣き濡れるレナを見て、理解した。遅れて、心がひどく痛み始めた。


「……ごめんなさい」


 謝ることしか出来ない。自分には何も出来ない。またもや己の無力を感じる。悔しい。ランテは指を握りこんで、歯を噛み締めた。レナが力なく崩れ落ちる。部屋に悲痛な慟哭が響き渡った。






「すまなかった。会わせるべきではなかったかもしれない」


 部屋を出てから、ハリアルは静かに言った。感情を抑えた表情だった。ランテは慌てて頭を振った。


「いいえ。……キリスは一体?」


「中央兵はみんなああなっている。上級司令官もだ。おそらく、中央が口封じのためにしたことだろう。手段は分からないが」


 部屋からレナの泣き声が漏れている。いくらか落ち着いたが、悲しい泣き声だ。聞いているだけで胸を締め付けられる。中央はどうしてこんなことをするのだろう。悲しみの奥から怒りが湧き上がってきて、余計に胸が閊えた。


「下に空き部屋がある。そこで話を聞かせて欲しい。広場で何があって……誰が来たのか」


 最後の一言を述べるとき、ハリアルの目には暗い影が差した。おそらく何があったのか大体見当がついているのだろう。

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