3:仮初の安息

【Ⅰ】-1 再会

 微かな物音に、ランテは身体を起こした。掛けられていた布団が胸からずれ落ちる。すぐ傍の窓の閉められたカーテンから、日の光が漏れていた。


「あ、起きた?」


 左手側に扉があって、そこから覗いていた顔にランテは驚いた。テイトだ。まだ顔色は優れないようだが、もう自分の足で歩けるほどには回復したらしい。さっきの音は軋んだ蝶番の音だったのか。テイトはそっと扉を閉めてからランテの方へ近づいてきた。声を掛けてみる。


「もう大丈夫?」


「もう大丈夫。ありがとう。そう言うランテは大丈夫?」


 ずいぶん長い間寝ていたのか、脳の動きは焦れるほどに遅い。どうしてベッドの上で寝ていたのか、そしてどうして自分が大丈夫と聞かれる立場にいるのか、全く心当たりがなくてランテは首を傾げた。


「えっと、オレどうしてたんだっけ?」


 テイトは微笑むと、傍のテーブルから椅子を引き出してランテのベッドの前に置いた。腰かけてランテを見上げる。やはり、まだ体調は悪そうだ。


「覚えてない? 昨日の晩、中央の襲撃があって」


 そこまで聞けばもう十分だった。昨日の出来事が一挙に蘇る。脳を巡った記憶は、ランテが支部に駆け戻って出くわしたハリアルに全て伝え終えたところでぷつりと途切れていた。あの後自分はどうなったのか。いや、それよりも。


「セト……セトは?」


 テイトの顔が曇った。まさか。行き着いた答えに自分で首を振る。絶対にそんなことは。ランテの顔が引きつったのに気づいたのか、テイトが慌てて首を振った。


「あ、いや、セトは大丈夫だよ。大丈夫だけど、怪我はずいぶん酷いらしくて。セトはよく無茶するから怪我は多いんだけど、いつもは、ほら、自分で治しちゃうから。だけど今回は……本当に危なかったって支部長が言ってた。何故か血が止まっていたから助かったけど、そうじゃなかったら駄目だっただろうって。治療はもう終わってるらしいけど、意識が戻るまでにはもう少し掛かるみたい」


 ルノアのお陰で一命は取り留めたようだ。安心の直後に押し寄せてきたのは自責の念だった。もしあの場にランテがいなかったら、セトは怪我をせず逃げ切れたかもしれない。暗い顔をしてしまったランテを気遣ってか、テイトはしばらく無言でいてくれた。あまり気まずい思いをさせるのは申し訳ない。後悔は一人のときにしよう。ランテは顔を上げた。


「町は大丈夫?」


「うん。広場と付近の家に被害が出たのと、他にも少し焼かれた家があるみたいだね。建物が直るまでそこの住民たちには支部や支部長の屋敷を開放するから大丈夫。白女神祭は延期になったけどね。中央は住民たちには手を出さなかったらしくて、兵が何人か負傷した以外に怪我をした者はいないって報告があった。ただこの騒ぎに乗じて町を襲おうとする黒獣たちがいて、今はその討伐で大変かな。東支部からの応援も到着してるから、大分楽にはなったみたいだけどね。僕も行こうとしたんだけど支部長に止められちゃった」


 最後にちょっと笑って、テイトは立ち上がった。


「喉、渇いてない? 食堂から何かもらって来ようか。それとも、食事の方がいいかな」


 親切な申し出はありがたかったけれども、ランテは首を振った。喉の渇きも空腹も感じていなかった。それよりも昨日見たことを伝えなくてはならない。ベッドから降りようとすると、テイトに止められた。


「待って。ランテは過労って診断されたんだ。昨日支部の門のところで倒れたの、覚えてない? ゆっくり休まないと駄目だよ」


「過労? 過労になるようなことは何もしてないし、大丈夫」


「呪を使ったんじゃない? 支部長が気配が残ってるのを感じたって言ってたから」


 呪を使った? もう一度記憶を辿る。ベイデルハルクが現れてからは無我夢中で、自分が何をしたかすらあまり覚えていない。しかし、一つだけ思い当たる瞬間があった。遠くで倒れたセトを見た瞬間のことだ。行かなきゃと思って、その次の瞬間にはベイデルハルクの腕を握っていた。自分は大通りの端にいたはずなのに。敵は【光速】だと、そう言っていなかったか。君は光呪使いだったのかとその後に言い添えて。あれが呪だったのだろうか。


「呪って、誰にでも使えたりする?」


 尋ねると、テイトは笑って否定した。


「呪を使えるようになるにはいくつか条件があって、それを満たした人にしか扱えないよ」


「条件?」


「うん。普通は【統べる者】と【契約】して」


「ごめん、テイト。統べる者とか契約とかって何?」


 遮って尋ねると、テイトは「ああそっか、ごめん」と言って顎に手をやった。一呼吸おいてから、ゆっくりと語り始める。


「呪はまず【属性呪】と【特殊呪】に分けられるんだ。【特殊呪】の方は使い手が稀少で、取得するのも種類によって特有の手段をとらないといけない。癒しの呪なんかはこっちに分類されるんだけど、普通は呪っていったら【属性呪】の方を指して、属性呪はさらに光系統と闇系統に分類される。光系統は風、緑、土、そして光の四属性、闇系統は炎、雷、水、それから闇の四属性。ここまではいい?」


 丁寧な説明だ。手馴れている感じがする。ランテが頷くと、テイトははっと我に返った様子を見せて、頭を掻いた。


「ごめん、時々兵たちに教えることがあるから、そのときの感じで話しちゃった。偉そうだったかもしれない」


「ううん、分かりやすいよ。それで?」


「うん、それで各属性には【統べる者】って呼ばれるものがいて、光と闇を除いた属性では【大精霊】と【精霊】がそれにあたる。基本的に大精霊は祠に祀られてるけど、精霊はその属性の力を強く受ける土地に自由に住んでる。例えば水の精霊は湖畔とか川辺や海に多くいるし、緑の精霊は森や林みたいな木の集まる場所に住んでたりね。統べる者に自分の力を認めてもらうことを【契約】と呼んでいて、契約が済めば力を分け与えてもらえて、その属性の呪を扱うことができるようになるんだ。ちなみに呪の威力は統べる者の力と、術者自身の潜在能力と洗練度によって決まる」


 仕組みは良く分かった。大精霊や精霊のことは良く分からないし想像もつかないが、これ以上聞くと混乱してしまいそうなのでやめておくことにする。しかし、後一つどうしても聞いておかなければならないことがあった。ランテはもう一度口を開く。


「じゃあ、光の呪は?」


 テイトは二度瞬いた。顎から手を離して、代わりに腕を組む。


「うーんと、実は光や闇に関してはそんなに詳しくないんだ。光と闇は二大属性と言われていて他の属性よりも強力であることと、光と闇の統べる者は白女神と黒女神しかいないってことぐらいしか知らない。だから中央には光呪使いが多いんだよ。白女神の大神殿は中央本部内にあるからね」


「……じゃあ、光の呪が使えたとしたらそれは中央の人間だってこと?」


 ランテがおずおずと聞くと、テイトは目を見開いてから、おもむろに笑んだ。首を振る。


「契約は遺伝することもあるし、ごく稀に契約をしなくても呪を使える人もいる。セトの癒しの呪はそっちだよ。光の呪を使えるのなら、たぶんランテもそれだと思う。中央は白女神と契約したほどの人材を外に出すことはしない。セト曰くランテの剣は東地方の剣らしいし、ジェノだってランテと知り合いだったわけでもなさそうだから、大丈夫。だけどそれなら倒れるはずだよ。光の呪は強力だって言ったよね? 呪は使い慣れてても結構疲れるんだ。もちろん、威力が高いものほど疲労も大きくなる。やっぱりちゃんと休まないと駄目だよ、ランテ」


 一安心する。テイトには休めと言われたが、外がこんなに明るいということはもう昼を回っているのだろう。一日の半分以上寝ていたことになるから、睡眠は十分だ。疲労も感じない。ハリアルに伝えなくてはならないことがあるし、セトも心配だ。町の復興も手伝えるのなら手伝いたい。


「ありがとう、テイト。でも平気みたいだ。少しハリアルさんと話したいんだけど、今大丈夫かな?」


 無茶は良くないと言いながらも、テイトは二度ランテを止めることはしなかった。しかし困惑の表情だ。


「んー、うーん、大丈夫かな……いや、でもそろそろ助けてあげないと」


 独り言のように呟いてから、テイトは眉間に皺を寄せたまま頷いた。歯切れの悪い言葉を続ける。


「なら、一緒に行こうか。支部長室にいるんだけど、今たぶん東支部の副長もいて、

なんというか……気をつけた方がいいよ」


「気をつける? 何を?」


「とりあえず機嫌を損ねないように」


 頷いてはみたものの、よく分からない。怖い人なのだろうか。じゃあ行こうと言って歩き出したテイトを追って、ランテもベッドから降りて部屋を後にした。






 支部長室の前まで来て、扉の向こうから女性の声が聞こえてくるのを確認すると、テイトは開けるのを躊躇した。緊張しているようだ。それはランテにも伝染してくる。思わず深呼吸した。開かれていく扉を、ランテは固唾を呑んで見守った。


「ですから、何度も申し上げておりますでしょう。わたくし、雑魚の黒獣相手はもう飽き飽きしてますの。中央の豚共を相手に出来ると伺ったから、わざわざこんな辺境までやって来ましたのよ――あら、ごきげんよう。……あら?」


 ハリアルの前で抗議をしていた女性は、物音に気づいて視線を寄越した。ランテとテイトをさっと眺めてから挨拶をし、それからもう一度視線をランテに戻してくる。怖い人の典型的なイメージを脳内に勝手に作り上げていたランテは、あまりにも予想外だったその容姿に驚いた。若い女性だ。長い巻き髪を揺らしながら彼女はランテに近づいて、顔を寄せてきた。近い。


「間違いありませんわ……あなた、わたくしのことを覚えておいでかしら?」


 切れ長の瞳が上目遣いで見上げてくる。亜麻色の巻き髪が胸元で揺れている。中々に美人だ。しかし、もちろんランテの脳には彼女と会った記憶はない。答えに窮する。


「えーっと、その」


 戸惑ったランテは、ちょうど向かいに座るハリアルに視線で助けを求めた。ハリアルは苦笑する。


「フィレネ嬢」


「今、取り込み中ですの。後にしてくださる?」


 ハリアルの呼びかけには顔を向けすらせず、そっけない返事だけを返した。フィレネはひたすらランテを見上げている。とにかく近い。ランテは足を一歩引いてみた。するとフィレネは一歩踏み出す。もう一度やっても同じ。どうしたものか。


「……その、オレ、記憶喪失みたいで」


 困り果てて、結局正直に答えることにする。聞くなりフィレネは眉根を下げた。見るからに落胆している。彼女は気を取り直したように髪をさっと払うと、一歩ランテから離れて背を伸ばした。


「そうですか。分かりました。それでは思い出させて差し上げます。支部長、この殿方をお借りしますわね。よろしくて?」


 当事者であるはずのランテを置いてけぼりにしたまま、話が進行していく。フィレネに腕を掴まれて、そのまま連行されそうになった。ハリアルがもう一度フィレネを呼んだが、彼女は聞く耳を持たない。テイトが横から進み出た。扉の前に立って、フィレネの行く手を阻む。


「フィレネ副長、ランテは過労で倒れてさっき目を覚ましたばかりなんです。ですから」


「あら、それではあなたがわたくしのお相手をしてくださるの?」


「う……」


 言葉に詰まって、テイトはランテを見た。その目が申し訳なさそうに細められる。テイトは黙って道を開けた。ランテの横に立って手を合わせる。


「ごめん、ランテ。がんばって」


「ランテ様と仰るのね? では、ランテ様。参りましょう」


 フィレネに引っ張られながら、支部長室を後にする。部屋を出る前、ハリアルとテイトが同情半分安心半分の目でランテを見てきた。二人ともフィレネに捕まったランテを哀れに思う反面、自分が同じ目に遭わなくて良かったと思っているらしかった。誰か助けてくれないか。廊下を引きずられるようにして歩きながらランテは救いの手を捜したが、皆フィレネの姿を見るや否や背中を向けて行ってしまう。握られた腕を振り解くことは出来そうだったがその勇気もなく、ランテはただフィレネに連れられるまま廊下を折れ、階段を降り、建物の外へと出ることとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る