【Ⅴ】   追跡

 駆けて、駆けて、駆ける。支部を目指して、ランテは無我夢中で駆けた。視界の端で景色が飛ぶように過ぎていく。切れる息を必死に繋ぎながら、ただただ前へ。見えてきた白い建物に安心する。あと、もう少しだ。


 門は、さっき出るときに見たときの倍の数の兵士で固められていた。門をくぐったところで足が力尽きる。跪きながら、駆け寄ってきた兵士に向けてランテは顔を上げた。喉の奥から掠れた声を絞りだす。


「ハリアルさ……支部長を」


 一番最初に来てくれた兵士が頷いて立ち上がった。鎧を揺らして、目の前の建物に向かって走り出す。流れる汗を袖で拭いつつ、ランテはその背中を見送った。一刻も早く、伝えなければならない。


 ランテの息が整い出した頃、ハリアルが到着した。一般の兵よりも装飾の凝った鎧を着けている。あの豪華なマントはやはり背にあった。濃い青が翻っている。その上には一振りの長剣が挿されていた。戦いに備えてだろう。


「どうした?」


 何から話せばいいだろう。重くなった足を立たせながら、頭を動かそうと努力してみる。走っている間に脳内が混ぜこぜにかき回されたみたいだ。入り乱れる思考の中、それでもランテは説明を試みた。


「ユウラが助けてくれて、イッチェと戦って、あ、でも白軍の兵士たちが五人重傷で……そうだ、中央も今日の夜に動くみたいなことを、キリスっていう人が」


「ランテ君、始めからゆっくりと話してくれるか。君は裏町の酒場に行った、それから?」


「えっと、酒場での情報収集は失敗して——」


 ランテは始めから順を追って説明した。入り込んだ路地裏で聞いて、見て、話して、そして戦ったとは言えないかもしれないが、イッチェと対峙したこと、ユウラに助けてもらったこと。全て話し終えると、ハリアルは深刻な面持ちで首を縦に振った。


「分かった。ありがとう。そのキリスという男はここに来るんだね?」


「はい、今向かってると思います」


「そうか。ランテ君、もう一つ頼まれてくれるか?」


「なんですか?」


「今、牢にセトがいる。司令官の見張り兼尋問を代わって、ここに来るよう伝えてくれるか。そのとき簡単に事情も説明してやってほしい」


「尋問って、何を聞けば?」


「向こうが喋ったことを、覚えてくれていたらそれで構わない。司令官は君なら自分を逃がしてくれると考え、君を説得しようとするかもしれない。そのときに言われたことを後で伝えてほしい」


「支部長、それは」


 隣から兵士が口を挟んだ。ランテを見遣ってそれ以上の発言は控えたが、ハリアルには彼が何を言わんとしたのか分かったらしい。静かに首を横に振った。


「彼は信頼に値する。私はそう判断した」


 兵士はなおも物言いたげな目でハリアルを見たが、何も言わないまま頷いた。すみませんとハリアルに言い、ランテにもちょっと頭を下げてきた。こちらも下げ返しながら、自分を信頼してくれているらしいハリアルの気持ちに素直に嬉しさを感じる。しかし、それと同時に疑問も抱いた。会ったばかりの自分を、どうしてこんなにも、と。本来なら兵士の考えが普通であるのだろう。


「地下牢の位置は分かるか?」


「では、自分が」


 ランテが答えるより先に、さっきの兵士が言った。ランテがお願いしますと答えると、ハリアルもでは頼むと言い、話はまとまった。


「こっちに」


 先導してくれる兵士を追って、ランテも棒のような足を叱咤しながら、再度、駆け出した。






 牢は、支部のメイン機関の裏に回ってすぐの場所にあった。ランテの予想通り、牢は地下にあるらしい。地上には小さな箱型の建物が見えるだけだが、両側に見張りが付いているあの扉の奥に、地下への階段があるのだろう。


 案内を買って出てくれた兵士が扉を開けると、その先にはやはり階段があって、ただ闇へ闇へと続いている。足を踏み出すのには若干の勇気が要ったが、下からは微かに人の話し声が聞こえてきた。底なしの闇ではないことは分かっていたけれども、ランテはほっとする。振り返って兵士に礼を言い、ランテは階段を下りていった。かつんかつんと靴音が反響する。階段を下りるたび、壁に設えられている燭台の蝋が次々点灯して、ほのかな明るさを放った。どういう仕組みになっているのだろう。これにも、呪とかいうものが関わっているのだろうか。


「……ランテか?」


 階段を降りきる前に、行く先からセトの声が聞こえてきた。すぐ脇の燭台の蝋燭は灯っているのに、どういうわけか視界が狭い。行く手には闇が立ち込めていて、歩みを戸惑う。後三歩くらいという指示に従って、ランテはそのまま前進した。と、急に視界に炎色が溢れる。セトと、柵越しにだがジェノもその領域にいた。彼は縄を解かれた代わりに、手枷と足枷をつけられて、不機嫌そうな顔をしている。こんなに明るいのに、三歩後ろからは見えなかったなんて。この牢には不思議な仕掛けが数多く施されているらしい。他にも色々な仕掛けがあることだろう。好奇心が疼いた。


「オレに用事か?」


 遅めの昼食の後の作戦会議から、まだそれほど長い時間は経っていないはずだったが、セトは少しでも休んだのだろうか。服を着替えていたから少しは休憩したのかもしれないけれど、それでも三日分の睡眠を取り戻すことなど到底できていないだろう。しかしセトに疲労の表情はない。感心もしたが、やはり心配だ。大丈夫かと聞こうとしたが、セトに目で答えを促された。応じる。


「ハリアルさんが、セトと見張りを代われって」


「何かあったのか?」


 途端、緊張を孕んだセトの声に、ランテも表情を引き締めて頷いた。


「イッチェが来て——」


 ランテが説明を始めた瞬間、突然狂ったような高笑いが牢の並ぶ地下室に響き渡った。思わず耳を塞ぎたくなるほどの音量と高さだ。音源は柵の向こうの男、ジェノだ。顔をしかめて片耳を塞ぎながら、セトが声を張る。


「あんたは大人しくしてろ! 叫んだって牢から出したりは——」


「ついにこのときが来た!」


 セトの言葉を途中で遮って言い、そしてまたジェノは高笑いした。ただでさえ鼓膜が破れそうなのに、地下は狭く壁に囲まれているせいか、音は複雑に反響し合ってさらに耐え難い響きを作り上げる。


 頭痛がしてきた頃に、ようやく笑い声は収まった。視界がくらくらと揺れているような気さえする。エルティに連れ戻される頃からジェノは挙動不審だったが、こんなに狂ったようにおかしくなるなんて。セトも不審げにジェノを見下ろしている。そして、聞いた。


「このとき?」


「そうだ!」


 ジェノはいちいち大声で答えてくる。顔を真っ赤にさせて、そしてなぜか左肩口を異様に気にしているようだ。左の肩だけを何度も回している。今度の笑いは高笑いではなく、しかも短かったが、大声だ。


「わしが三十年間愚鈍な司令官を演じてきたのは、ひとえに、今日この日のため。油断を誘い、確実な勝利を引き寄せるためだ。さあ、お前たち、目に焼き付けるがいい! この私の、真の力を」


 刹那、文字通り目を焼くような光が溢れた。閃光を直に受けたせいで、ランテは一時視力を失った。全神経を耳に集めて状況を探る。何かが破壊される轟音がした。頬に痛みを感じる。そして、また笑い声——


「この程度の呪封じで私の力が封じられるとでも思ったか? 愚か者共め」


「ランテ、右に五歩進めば壁だ。そこで伏せてろ」


 近くで、人が動く気配がした。セトだろう。それとは別に、少し離れた場所でも物音がした。あちらがおそらくジェノだ。脱出しようとしているらしい。ひとまずセトの指示通り動く。壁に触れた。伏せる。ゆっくりと光が戻ってくるが、まだ何も見えない。


「牢から出て、あんたは何をするつもりだ? 今ここで何が起ころうとしてるか知ってるんだろ。白獣が呼び出されたら、町よりここの方が安全だってのに」


「馬鹿め。呼び出すのはこの私なのだ。これを見るがいい」


 布の破られる音、だろうか。ぼんやりと視界が開けてくる。二つの人影を数えた。ジェノが左の肩口を見せているようだ。


「洗礼の証じゃないな。だけど、その色……白女神から受けた紋章だな?」


「これは選ばれた者だけに与えられし証だ。【祝福の証】という。これを得し者は、【召喚士】となる」


「召喚士っていうのは、まさか」


「白獣を呼び起こし、操る力を得た者のことだ」


 少々霞んではいるが、ランテの視力はほぼ回復した。立ち上がると物音に気づいてか、セトがちらりと視線を寄越した。ジェノの方に向き直ってから、呼びかける。


「ランテ、悪いがもう一度支部長のところへ。時間を稼ぐからその間に」


「時間などやらぬ!」


 ジェノは叫ぶと同時に、右手の人差し指でぴっとセトを指した。その指先が光り、生まれた光線が走る。セトは身をかがめて避けたが、光線を受けた壁に亀裂が走った。と同時に、ジェノが呻いた。朱が、白い衣に滲んでいく。右の上腕にナイフが刺さっているのだ。


「それ以上痛い目見たくなかったら」


「おのれ、許さぬ!」


 またしてもセトの言葉を遮り、ジェノは叫ぶ。再び光が溢れた。ジェノの全身が発光している。足を一歩引いて、セトがもう一度ランテを振り返った。


「出口へ!」


 ランテは出口への階段を駆け上った。足に疲労が残っていて、思うように上れない。危うく躓きそうになったとき、左肩の部分の服を引っ張られた。直後、とてつもないスピードで上昇する。何かに激突した。階下で強烈な光が炸裂する。やや遅れて、轟音が追いかけて来た。何がなんだか分からないまま、また引っ張られた。紫の世界に、冷たい空気。外に出たらしい。


 地面が振動している。ランテの目の前で、牢への入り口となっていた建物が左側へ綺麗に倒れた。地面にも罅が入る。轟音と振動を伴って、地面は崩れ落ち陥没した。牢が土で埋まったのだろう。セト、と呼びかかって、彼が隣にいたことを知る。さっきランテを助けてくれたのはセトだったのだろう。それならばあの勢いも納得だ。あれがおそらく、セトの言っていた【疾風】なのだろう。


「背中を打ったみたいだけど大丈夫か? 焦って力加減ミスってさ。悪い」


「大丈夫。ありがとう」


「腕のそれは今じゃないよな。さっきイッチェがって言いかけてたけど、何があった?」


 セトがランテの腕の切り傷を見て問う。怪我をしていたことをすっかり忘れていて、いつのことだったか思い出すのにしばし掛かってしまった。手短に状況を説明し終えると、セトは頷いて分かったと答え、指を鳴らした。青い光が腕に集まる。ひやりと冷たい感触がしたかと思うと、傷は跡形なく癒え切っていた。頬の傷も同様に。これが癒しの呪か。傷は深くなかったとはいえ、一瞬で直してしまうなんてまるで奇跡だ。


「ありがとう」


「こちらこそ。何度も命を張らせるような状況に追い込んでごめんな。この件が落ち着いたら、ゆっくり礼と侘びを」


「そんなのはいいよ。オレも好きでここにいるし、セトにも北支部の皆にも良くしてもらってるから。それで、ハリアルさんがセトを呼んでるんだけど」


 ランテの言葉に、セトは思案顔で陥没した地面を見た。ジェノはここに埋まっているのだろうか。


「ジェノは、ここに?」


 セトはしばらく考えてから答えた。


「んー、どうだかな。あいつ一応光の呪の使い手だったし。光には、【光速】って反則技があるんだ。あいつがそれを使えるなら、脱出したかもしれない」


 もう少しの間地面と倒壊した入り口を見つめてから、セトは何かを辿るように視線を動かした。よく見ると、出入り口のところから数歩分の距離に赤い雫が落ちている。ジェノの血かもしれない。


「やっぱ、脱出したのかな?」


「みたいだな。罠を仕掛ける時間なんてなかっただろうし……これと、力の残滓を辿っていけば追いつけそうだ。召喚士ってのが本当かどうかは分からないけど、とりあえず追ってみるよ。本当なら奴を止めないと」


「一人で?」


「ひとまずは。早くしないと振り切られるし、ユウラとイッチェのことも気になる。今の騒動でたぶん皆ここに集まってくるから、心配してくれるんなら、そのとき誰かにオレのこと伝えてくれ。ランテは支部から出るなよ? 敵は動き出してる。今は市街地でも危険だ。怪我人が出るかもしれないから、そのときはマーイの補佐をしてやってくれ。オレも事が収まったら戻るから」


 言い終えてセトは駆け出した。止めようとしたランテの返事を待たないまま、彼は消えるように去った。後に風だけを残して。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る