【Ⅱ】-1 始動
支部に戻る道には、途中から転々と血の雫が散っていた。かなり重い傷だというのは、それだけ見ていたら知れた。高まる不安を抑えつけながらランテたちは支部へと急ぐ。通りは騒がしく、町を行きかう人々は遠くに点を打ったように見える黒い塊を指しては何か言い合ったり、ランテやジェノを盗み見てはこそこそ耳打ちし合ったり、血痕を辿っていたりしていたが、それ以外に変わった様子は見受けられない。
「テイトさんを襲ったのがこの町に潜む黒軍の仕業であれば、奴らがいつ一斉蜂起を起こそうとおかしくない状況です」
緊張した視線をあちこちに飛ばしながら、ダーフが言った。ランテも倣おうとしたそのとき、思わぬところから答えが返ってきた。ランテのすぐ後ろ、縄に繋がれたジェノからだ。
「いや」
またもや震えだしそうなのを必死に堪えているのだろうか、ジェノの顔はひどく歪んでいる。ダーフは歩を進めながらも彼を振り返った。
「と、言いますと?」
「テイトというのは、あの生意気な副長の部下であろう? 奴自身は昨夜あれの監視をしていなかった。自分が自由に動き回れるように、そのテイトとかいう男に代わりを頼んだのだろう。だとすれば、あれにやられたのだろう」
「あれって、何?」
ランテは尋ねたが、ジェノは視線を外して答えなかった。代わりにダーフが発言する。
「セトさんなら分かるはずです。テイトさんの治療が終わったら聞きましょう」
支部の門の前には人だかりが出来ていたが、ダーフが一声通してくださいと言うとさっと道が開いた。そこを通る途中、人々はランテたちに何があったのかと四方八方から質問を投げつけてきたが、立ち止まって答える余裕なんてない。最後は囲まれそうになったが、門番たちが手伝ってくれたおかげで、無事に門の内へたどり着くことが出来た。
「ひとまず、支部長の指示を仰ぎましょう」
ダーフは正面の、血の道が続いている白い建物を指した。他のものと比べても際立って大きい。五階くらいまでの高さもありそうだ。聞けば北支部の最重要機関で、支部長室や会議室などが集まる建物らしい。緊急救護室もあるらしく、テイトはそこに運ばれているだろうとのこと。しかし、残念ながらダーフの予想は当たらなかった。馬をすぐ脇に繋いでからダーフが扉を開けると、飛び込んできたのは、血の臭いと騒乱の音と慌ただしい光景だった。
「戻ったか、ダーフ」
左脇から進み出てきたのは、ランテが支部から連行されるときに遠目で見た男性、支部長ハリアルだった。頭を下げようとしたダーフを手で制し、彼はランテの前まで来ると立ち止まった。
「先ほどはすまなかったね。あそこで助けてあげられれば良かったのだが」
聞いていると落ち着く、静かで穏やかな声だ。ランテは答えようと口を開いたが、ジェノの方が速かった。
「ハリアル、貴様!」
「ご静粛にお願いします。セトの集中が乱れますので」
「何を――」
「ご静粛に。さもなければ、今後のあなたの処遇に関わります」
変わらず穏やかな口調だったが、見下す目は冴え冴えとした怒りに満ちていた。ランテでさえ多少の戦慄を覚えたのだから、直に受け取ったジェノは言わずもがなであろう。ジェノは言葉を飲み込んで、またもや憎しみのこもった目で彼の敵を見上げた。少し、ほんの少しだけ気の毒だと思った。
「支部長、テイトさんのご様子は」
ダーフの問いに、ハリアルは視線をすっと部屋の中心にやった。白い僧服に身を包んだ、おそらく神僕と呼ばれる者であろう男が一人、次々と運び込まれてくる包帯やらガーゼやら薬の類を見極め、分類している。そこから少し離れたところに、屈んだセトと倒れているテイトの姿を認めた。自身の右手から溢れてくる淡い青の光を瞳に映し、伝う汗も気に止めずセトはテイトの傷を癒すことに集中している。あの青い光が、おそらく癒しの呪と呼ばれるものなのだろう。その光を受けるテイトは、倒れたまま指一本動かない。彼が着る服には、赤い染みが至るところに散っていた。意識を失った顔はどこまでも白い。テイト、と叫びかけて思いとどまる。駆け寄りたい気分を抑えて、ランテはハリアルを見上げた。
「……危険な状態だ。運び込まれたときから意識はなく、既に大量の血液を失っていた。傷は五箇所、特に首の傷は後少しでも深ければ命はなかったろう」
凍えるような寒さが、ランテの全身を駆け巡った。耐えかねて、聞いた。
「助かりますよね?」
ハリアルの穏やかな目が、じっとランテを見た。ランテの方もハリアルの目を見る。しばしの間を置いてから、ハリアルはやはり静かな声で言った。
「必ず助けると言ったセトと、テイト自身の強さを信じよう」
しばらくすると、さっきまではどたばたと動き回っていた者たちも動きを止めて、ただ倒れるテイトと彼を癒すセトを見守るだけになった。医療品や担架を運び終えて、手持ち無沙汰になってしまったのだろう。ある者は祈るように、ある者は小さく激励の言葉を呟きながら、ただテイトが目を開くのを待つ。ジェノを含めたランテたち四人も、無言でそのときを待った。
最初は、目の錯覚かと疑った。瞼を震わせただけのような、ごくごくわずかな動きだったので。しかし次の瞬間には、それは確信となった。テイトが薄っすらと目を開いたのだ。
「テイト」
最初に声をかけたのは、セトだった。テイトは二、三度瞬きを繰り返してから、ゆっくりとセトの方へ目を向ける。
「……セト?」
弱々しい声だったが、テイトは確かにそう言った。彼を囲む白軍たちが、一斉に歓声を上げる。皆が口々にテイトの名を呼んだ。
「セト……ごめん、あいつを……逃が……」
「まだ喋るなって。少し気管を傷めてるから。待ってろ、すぐ治す」
「待って……伝える…………こと、が……」
今にも途切れてしまうのではと心配になるほどテイトの声はか細かったが、反して彼の目は力強い意志を秘めていた。セトは、観念したように息をつく。
「分かった。どうした?」
「裏町……東端……の、路地裏……酒場…………、中央……密偵…………集めて……」
さほど離れていないランテの場所からでも、テイトの声は切れ切れの単語にしか聞こえなかった。苦しげな息のもとテイトは必死に言葉を紡いでいたが、ここまで述べたところで咳き込んだ。慌ててセトが止めに入る。
「テイト、分かった。イッチェもそこにいるんだろ? 後はオレに任せてくれ。お前を治したらすぐに向かうよ。危険な仕事を回して悪かった。よく生きてて――」
「駄目……だ…………」
今度はテイトがセトの言葉を遮った。また咳き込んで、それでも彼は続ける。
「奴ら……強…………、数も……いつの……間に、あんな……に……。セト……無茶は…………」
「分かってるよ。無茶はしない。後で支部長と話して策を練るさ。それより今はお前だ。ただでさえうちは四六時中忙しいんだから、お前も長くは休んでられないからな? 安静にして、早く治してくれよ。……全くテイトは、こんなときくらい自分の心配してろよな」
苦笑混じりのセトに、テイトも弱々しくはあるが笑みで応じた。安心したのかそのまま眠りに落ちるように意識を失ったテイトに、場は一時騒然としたが、彼が息をしていることを確認すると少し空気が緩んだ。ランテも胸を撫で下ろす。
「支部長」
一声だけ掛けてセトがハリアルに目配せした。ハリアルの方も無言で頷くと、ランテとダーフを呼んだ。
「場所を変えよう。ついて来なさい。上級司令官殿もお連れしてくれ」
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