2:白い魔手

【Ⅰ】   事件

 歩くたび、エルティが近づいてくる。厳しい壁越しに見える町は、遠目にだが今のところ平穏に見える。


「この世界は、二つの勢力に支配されてる」 


 敵って、何のこと? ランテがそう聞くと、セトはちょっと長くなるけどと前置きして語り始めた。


「一つは大陸の西側、白女神ルテルアーノが統べる地。それがこっち側だ。対して、大陸の東側には黒女神ミゼリローザが治める地が広がる。この二勢力はもうずいぶんと長い間戦っている。女神たちが大陸を生み出した瞬間から戦いは始まっていたって話……らしい」


 そこまで聞いて、ランテは首を傾げていた。知らないはずの話なのに、どうしてだろうか、とても違和感がある。ランテの不審げな表情に気づいたのか、セトに声を掛けられた。


「どうした?」


「えっと。セト、今の話って本当の話?」


 思うままに口に出してみたら、なぜかセトに視線をじっと注がれた。何か、注意深くランテを探っているような目だ。返事をする頃には、いつも通りの笑みに戻ってはいたが、良くないことを聞いてしまっただろうか。


「本当の話かどうかは、そんなに長生きした人間なんていないだろうから、分からないけど。何でそう思った?」


「別に根拠があるわけじゃなくて……何か、ちょっと変な感じがしたから」


「そっか。……」


 しばらく悩んだ後、セトは言葉を継いだ。


「今オレが話したのは、中央の主張なんだ。さっきも言ったように真偽は分からない。別の説だって存在するしな。ただ、中央はその別の説を目の敵にしてる。その説を唱える……どころか、話に出しただけでも、中央にばれると処断される。だから、ランテも気を付けろよ」


「うん、ありがとう。そうする。同じ白軍でも、中央ってセトたちと違って悪そうだ」


 ランテの率直な言葉を聞くと、セトは軽く笑い声を上げた。


「ははっ。それも駄目だからな? 言う相手は選べよ。ほら、ここにも一応上級司令官殿がいるし」


 ジェノは竦みっぱなしだ。ランテの言葉も碌に耳に入っていないだろう。セトもそれを分かってか、話題を変えることなく応じた。


「確かに中央も北も同じ白軍だけど、それぞれ管轄する土地が違ってお互いそこで好きにやってるから、雰囲気も方針も大分違う。中央のやり方は、まあ、オレは好きじゃないな。それに、三年くらい前から動向もおかしいんだ。やたらと情報を規制したり、各支部に密偵潜ませたり圧力かけたり。特に洗礼関係の一件ではひどく対立して、以来各支部と――主に北と東とは中央と半冷戦状態にある。いつ敵同士になってもおかしくない。互いに警戒し合うせいで、黒軍との激戦区はどんどん手薄になってる。今は黒軍と戦うっていうよりは、内部のごたごたで手一杯って感じだな」


 内乱が起ころうとしているということか。しかし、それならこうしてジェノを襲ったことは、引き金となってしまいかねないのではないか。もちろん、今回のことはランテが捕まらなかったら起こりえなかったことであり。


「今回のことで内乱が始まったりはしない?」


 ランテは恐る恐る聞いてみた。審判を下される罪人のような思いで、セトの返事を待つ。


「いや、大丈夫だ」


 言った直後、セトは警戒した目を進行方向へ飛ばした。ランテも視線を追う。よく目を凝らすと、馬でこちらへ駆けてくる影が見えた。セトはすぐに警戒を解いた。しばらく経つと、ランテにも光を反射した鎧が白いのが分かった。白軍だ。


「セトさん!」


 馬で駆けてきたのは、エルティの門番をしていた礼儀正しい男、ダーフだった。ランテとセトの前で馬を止めると、ひらりと跳び降りる。鎧を着ているのにずいぶんと身の軽い動きだ。


「どうした?」


 鎧に囲まれた顔には汗が幾筋も伝っている。上がった息を抑えて、ダーフは堰を切ったように話し始めた。


「セトさん、至急支部へ戻ってください。テイトさんが、テイトさんが」


「ダーフ、落ち着いて話してくれ。テイトがどうした?」


「先ほど巡回の兵が、裏町の路地裏で倒れているテイトさんを発見して支部に連れ戻しました。【神僕】を――マーイを呼んで治療をしていますが……傷が、ひどいらしくて……」


 途端、セトの表情が変わった。


「分かった。すぐ戻る。ダーフ、悪いがランテとこいつを支部に連れてきてくれないか?」


「了解しました。あ、セトさん、ミンを――馬を、使ってください」


 ダーフに指令を出すなり駆け出したセトを、ダーフが再度呼び止める。振り返ったセトは首を横に振った。


「いや、【疾風】使ったほうが速いから」


「支部長から無茶させないようにって言われてるんです。ただでさえ任務明けで疲れているだろうからって」


「ありがとな。でもオレは大丈夫。じゃあ、また――」


 言葉の途中で、一陣の風が吹きつけてきて、気づけばセトは消えていた。隙をついてジェノが逃げ出そうとしたが、ダーフがしっかりとそれを阻む。


「あなたを逃がしたらセトさんに叱られてしまいます。お願いですから抵抗なさらないでください。手荒なことはしたくないので」


 物腰は柔らかだが、ダーフの身のこなしは腕に覚えがある者のそれのようだった。ジェノも理解したのか、逃亡を諦めていくつか言葉で反抗するだけになった。ダーフはジェノを相手にすることなく、ランテに向き直る。


「こんにちは、ランテさん。昨日東門でお会いしましたね。ダーフといいます。支部までお連れしますよ」


 愛想の良い笑みを浮かべながら、彼は丁寧な言葉遣いで挨拶をした。ランテも慌てて微笑み応じる。


「よろしくお願いします」


「では、行きましょうか」


 ダーフは片手でジェノの縄を引っ張り、もう片方で馬の手綱を引きながら歩き始めた。足を進めるために鎧が微かに鳴る。追って歩き始めながらも、ランテはテイトのことが心配でならなかった。聞いてみることにする。


「あの」


「はい、どうしました?」


「テイトさんのことなんですけど、大丈夫でしょうか」


 顔を俯けたダーフの様子が、事態の深刻さを物語っている。固唾を呑んで、ランテは彼の言葉を待った。


「現場に居合わせたわけではないので、詳しいことは分からないのですが……ハリアル支部長のご様子と、あとはセトさんを呼び戻したということから、状況は思わしくないかと。神僕の治療ではどうにもならなかったということでしょうから」


「神僕?」


 一瞬ダーフはきょとんとしたが、すぐに説明をくれた。


「神の僕となって仕える代わりに、癒しの力を与えられた者のことです。ご存知なかったですか?」


「知らなかったです。ありがとうございます」


「あ、もっと砕けた感じでお話してくださって結構ですよ」


 鎧を着ているダーフの顔は陰になっているせいで一見怖く見えるが、良く見ると、とても穏やかそうな顔をしている。もし鎧を着ていなかったら、彼が戦士であるとは思えないだろう。


「いや、でも」


「私のこの話しかたはもう癖みたいなものなので、どうぞ気を遣わないでください」


「分かり……分かった。ありがとう。それで、セトが呼び戻されたのはなぜ?」


「セトさんは神僕ではないのに、癒しの呪が行使できるんです。それも一般の神僕では癒せない傷が癒せるものですから、重い怪我を負ったらまずセトさんを呼びに行くことになっています。私も数回危ないところを救っていただきました」


 聞いて、ランテはひらめいた。


「あ、じゃあもしかしてセトが中央に呼ばれる理由もそのせい?」


 ダーフに尋ねたつもりだったが、答えたのはジェノだった。肉に食い込んだ縄が苦しいのか、顔を歪め汗ばんでいる。


「ふん。神の申し子とでも名付けて利用してやろうと思っていたのだが、あの性格ではな。奴はもう要らぬわ」


 ダーフは何の反応も示さず、黙って縄を引っ張った。つんのめったジェノが恨めしそうにダーフを見上げた。そ知らぬ顔で、ダーフはランテに穏やかに語り掛ける。


「少し急いでも良いですか? 今回のことが支部への攻撃の意味で行われたのであれば、私も戻って守りを固めねばなりませんから」


 ランテは頷いて、足を速めたダーフに歩調を合わせた。

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