【Ⅱ】-2 意図

 支部長室はランテが予想していたものより遥かに質素で、木製の机と椅子がひとつずつと、突き当たりに窓ひとつ、額に入れた大きな地図がひとつ飾られていて、あとは難しそうな本を載せた本棚が並んでいるだけだった。


「まずはランテ君。ずいぶんと危険な目に遭わせてしまった。すまなかったね」


 机の前に腰かけ、ハリアルが言う。優しい声だった。


「いいえ。オレの方こそ、助けてくれて、ありがとうございました」


 首を振る。振りながら、北支部には善人が多い理由のひとつを悟った。この長の人柄が関わっているのだろう。


「こんなことがあった後にこういう話をするのは気が進まないのだが、今は事を急ぐ。ランテ君、この町のために我々に力を貸してはくれないか?」


 話が急激に転換されて、しかもその内容の意外性も相まって、ランテは目を見開いて驚いた。まさか支部長が直々に勧誘してくるとは。ランテは答えに窮した。


「いや、あの……オレ、この町の人にたくさん助けられたんでその恩返しはしたいんですけど、セトたちみたいには戦えないし、それどころか逆に足手まといになったりしませんか?」


「そう思うなら、こんなことを聞いたりはしないよ。君が力を貸してくれるなら非常にありがたい」


 柔らかな口調だ。期待外れで落胆させてしまいやしないかと躊躇したが、それでも一度決意したことは翻したくない。頷く。


「オレでよければ、ぜひ」


 ランテの返事がちょうど終わったとき、突然扉の向こうが騒がしくなった。どたばたという足音、荒ぶる女性とそれを宥めるような男性の声も聞こえる。扉越しだったため始めはどんな声か判然としなかったが、足音が近づくにつれ二つの声主の正体が分かった。


「だからノタナさん、支部長のせいじゃ」


「おだまり! あんただってそんな青白い顔して! いくら人手不足だからといっても加減ってものがある。このままじゃみんな倒れちまうよ! 一言物申しておかないとね」


「ノタナさん、ちょっと待った、今はそれどころじゃ――ノタナさん!」


「邪魔するよ!」


 扉は勢いよく開け放たれた。鼻息を荒くした女宿主ノタナと、その後ろでたじろぐセトの姿があった。


「すみません、支部長。止め切れなくて」


「止まるはずがないね! ハリアル、あんた、いい加減――おや?」


 怒涛の勢いで喋っていたノタナが、ランテに目をやって言葉を堰き止めた。その目が少し潤んで、次の瞬間には、ランテはものすごい勢いで抱き寄せられていた。


「よく無事だったね! あんたの部屋がもぬけの殻になってたときは、心臓が止まるかと思ったよ。すまなかったねえ。大丈夫だったかい?」


「ええ……大……丈夫」


 あまりにも強く腕を回されて、締め上げられているような形になる。息も絶え絶えにそう言ったランテを気遣って、セトが後ろから声をかけてくれた。


「ノタナさん、締めすぎだ。ランテが窒息する」


「ああ、ごめんよ」


 解放された途端咳き込んだ。そんなランテとノタナを見て、ダーフは呆気に取られたような顔をし、セトは小さく笑った。ハリアルは呆れたような顔をしてから、ノタナではなくセトに声をかけた。


「セト、テイトの様子は?」


「峠は越えました。また意識が戻って、あいつ、もう行けってしつこく言うもんですから。ちょうどそのとき、ノタナさんがあまりにすごい勢いで支部長室に上がっていったんで、こっちに。後のことはマーイに任せてあります」


「そうか、ご苦労」


「なーにがご苦労だい! あんたの頭はもう焼きが回ったのかい? 昨日今日のこの動乱っぷりはなんなのさ」


 割って入ったノタナを、ハリアルはやはり呆れ顔――というよりは困り顔かもしれない――で見つめている。破竹の勢いのノタナをセトが宥めようとして、無駄に見える努力を重ねている。


「だから、ノタナさん、聞いてくれ。今回のことは支部長じゃなくて、ほぼオレのミス――」


「そりゃあミスもするよ。あんたもう三日寝てないんだってね?」


「いや、でも……って、何で知って?」


「おまけに昨日の昼を済ませて以降、何も食べてないらしいね。昼前ユウラが来て教えてくれたよ。『どうせまた無茶するだろうから、ノタナさんが止めてやってください』って。よく出来た子だよ、本当に」


 ユウラ。その名が出た瞬間に、部屋の中は静まり返った。凍りついたような不穏な空気を察知して、ノタナが眉をひそめた。


「どうしたってんだい、いきなり」


「ノタナ」


 表情を消して、ハリアルが彼女を呼んだ。


「お前には後で全部話す。お叱りもそのときに受けよう。少しばかり事態が悪化している。今は早急に策を練らねばならないんだ」


 深刻さが伝わったのか、ノタナは黙った。辺りを見渡してから、ひとつ溜息をこぼす。


「はいはい。でも、いいね? これ以上大事な部下たちに無茶させるんじゃないよ! それから、ランテ。あんたの剣はここに預けてあるから、後で受け取りな。そんでもって、若いの三人! 今から厨房で腕を振るうから、この話が終わったら全員食堂に来るように。有無は言わさないよ。たんまり食べてもらうからね!」


 言うだけ言って、ノタナは部屋を後にした。端っこで縮まっていたせいか彼女の視界に入ることのなかったジェノが、それでも一番恐ろしげな顔をしていた。


「何だ、あの女は」


「中央には少ないでしょうね、あの手の女性は。騒々しいのが玉に瑕ですが、すばらしい女性ですよ」


 苦笑半分にハリアルが答え、若いの三人も顔を見合わせて笑った。度肝を抜かれたが、皆を心配して取った行動であることは分かっていた。少しばかり恐ろしくもあるが、優しい人である。





「では、セト。先に報告を聞こう」


 ひとしきりして話が戻った。ハリアルの言葉にセトは頷き、答える。


「はい。まずはユウラが戻らなかったことですが……すみません、説得に失敗しました。力ずくでという手もあるにはあったんですが」


 沈黙が流れる。ジェノ以外の皆が俯いた。机に両肘を突き鼻先で指を組んで、おもむろに口を開き。暫時続いた沈黙はハリアルによって破られた。


「無理やり連れ帰ったところで、ユウラはまた同じ事を繰り返しただろう。後は彼女自身の問題だ。今となっては、我々は彼女が戻ることを祈るしかない。それから?」


「はい。後二点です。ひとつはそこの司令官殿のご奇行。自己犠牲的な精神や忠誠心は欠片も持ち合わせていないようなお方だと推察していたんですが、人質に取った際、自身を省みず白軍たちにオレを攻撃させようとしました。あとは、やたらとエルティに戻ることを嫌がりますし、多少脅してもほとんど喋りません。今回のことが例のワグレの事件と関係があるらしいことは喋ったんですが、それ以外のことは全く。エルティ以外の場所でなら何でも喋ると仰ってはいますが」


「ふむ」


「最後は罪人について。これも、すみません。取り逃がしました。ただ、この地の民に害をなす者だとは思えません」


「というと?」


「支部長、覚えてますか? 三年前ワグレで会った女のこと。彼女だったんです。手助けもしてくれましたし、あとは予言じみたことも」


「彼女はなんと?」


「オレにエルティに即刻戻れと言い、さらに本当の敵を探し出して惨劇を防げと、確かそう言ってました」


「そうか」


 ハリアルはしばらく考え込んでいたが、その後ランテに目を移した。


「君は昨夜、彼女と同じ場所に監禁されていたね? 彼女は他に何か言っていたかな」


 記憶を辿る。不思議でありながら美しい色の髪と、印象的な瞳、絹のように滑らかな肌。彼女の姿は鮮明に蘇った。


「名前を……ルノアと。洗礼について説明してくれて、あと、今日はオレに中央から離れろって言ってました」


「支部長、ランテの首に乾いた血の跡がありますが、傷はありません。力の痕跡からして彼女の呪ですが、通常の癒しの呪とは違うように思います」


 ランテの言葉とセトの補足にハリアルは頷いた。しかしその後ゆっくりと首を振る。


「彼女の件はひとまず置いておこう。中央に追われていたことも気になるが、それは後で司令官殿から伺う。では、セト。最後にテイトの傷について聞こうか」


「目立っていた五箇所とは別に、防御創やかすり傷などが無数にありました。刃物の種類はおそらく三種類以上、言うまでもありませんが複数犯です。うち少なくとも一人は左利きで、目立った傷五箇所のうち三箇所は左利きにやられてます。おそらく右足に受けた傷が最初の重傷――左利きによるものです。イッチェ本人がやったのでしょう――で、それ以降のものとはかなりの時間の差があります。かすり傷の中には縄で縛られたような跡もあったので、これは推測ですが、右足を負傷して動けなくなったところを捕縛され、その後おそらく発見直前ごろの時間帯に、無抵抗のまま斬られた。敵はテイトを殺せなかったんじゃなくて、殺さなかったんでしょう。ですが」


 ここでセトは歯をかみ締めた。握り締めた拳に怒りが滾る。ひとつ深呼吸してから、彼は続けた。


「死んでもいいくらいには思っていた。そういう傷でした。支部長、この件はオレに」


 今にも暴れ出しそうな怒りを、セトは懸命に抑え込んでいるようだった。ハリアルはじっくりとセトを凝視し頷いたが、その表情は慎重なものだ。


「お前の気持ちは良く分かるが……テイトの話した酒場に向かうつもりだな? セト、焦るな。敵を読み、策を構え、万全な準備をし、それからの行動でなくてはならない。上級司令官殿の行動と、今回のこととは決して無関係ではなかろう。敵も策士だ。なおさら慎重にならねば」


「動かなければ分からないこともあります。ユウラが抜けて、テイトは重傷、アージェ隊も遠征から戻らない。こんな好機を逃す手はないでしょう。敵は近いうちに必ず次の手を打ってくる。早ければ今日のうちにも。こちらも早急に動かなければ、敵の思う壺です」


「一理あるが、そうだな、お前が万全ならばあるいはそれも考えたろう。だが、実際はそうではない」


「オレなら平気です。いつもと同じ、いえ、それどころか今ならいつも以上に戦える気がします」


「身体の疲れは休養を取らねば癒せない。己が平気だと思っても、疲労は確実に蓄積されている。その上さっき長時間にわたって癒しの呪まで使った。お前を酷使しておいて今更言えたことではないが、しかし今回のことを許可するわけにはいかない。夜にはアージェ隊が戻る。それまでは大きく動かない。これは決定事項だ」


「支部長!」


「セト、落ち着きなさい。お前らしくもない。考えてみれば分かるはずだ。司令官殿がランテ君を連れて出発したのも、同じタイミングで何者かがテイトを殺さずに痛めつけたのも、おそらく皆お前を消耗させるためだ。テイトの件は挑発の意味もあったろう。十中八九、酒場の話は疲労困憊のお前を誘き寄せるために、わざとテイトに知らせて伝えさせた罠だ。中央はお前を欲しがっている。北全てを潰す前に、お前の身柄を拘束して中央へ運ぶつもりでいるのだろう。敵は、暫くは動かずにお前を待つはず。敵が動くまでに戦力を整え、情報を集め、対策を練り防衛を強化する。これが最善だ」


 ハリアルとセトの舌戦は、ハリアルの勝利によって終結した。黙り込んだセトに、ハリアルが表情を緩めて声をかける。


「今回のことは、セト、お前の責任ではない。中央がここで大きく動いてくるなど、一体誰が予想できた? 責があるとしたら私にだ。自分を責める必要はない」


「……すみません」


 一声そう答えて、けれども、セトの顔には自責の表情がありありと認められた。ランテも何か声をかけたかったが、ほとんど状況も飲み込めていないランテの言葉など、気休めにもならなかっただろう。無言でいることしかできない無知が、悔しかった。






「情報を整理しよう」


 ジェノ――ほとんど何も話さなかったが――を含む皆に一通り話を聞き、ジェノを部屋から出した後、ハリアルが切り出した。


「昨日の宵ごろ、セトはテイトにイッチェの監視を頼んだ。そのあとセトはランテ君の宿を取るためにノタナの宿へ。それを何者かが司令官に報告、指令を受けたユウラがランテ君を支部まで連れてきた。これが深夜。同じ頃、テイトが何者か――おそらくイッチェに襲われた。テイトはそのまま拘束される。夜半過ぎにセトは支部へ。私と接触し情報を交換、ランテ君とユウラ奪還の作戦を立てた。その日の正午、司令官がランテ君とユウラと罪人ルノアを伴い出発。ほぼ同時期にテイトは新しく四つの傷を受け、裏町の路地裏に捨て置かれる。見張りが裏町を巡る時間帯であったのと、傷は致命傷に及ばなかったことから、テイトの殺害が目的ではなかったと思われる。正午すぎ、セトが町を出発。一団に追いついた後はルノアの手助けもありジェノの拘束に成功、そのとき彼女が惨劇を防げと助言、司令官はワグレの事件との関連をほのめかす。エルティに向かう途中ダーフが到着、テイトの件を告げられセトは支部へ急行。ダーフとランテ君も続いた。治療を受け目を覚ましたテイトが、裏町の酒場に密偵が集っていると話す。そして今に至ると」


「……ワグレ消滅の事件は、黒軍の仕業だったとのことでしたよね? しかし今回の敵は中央軍。これはどういうことでしょうか」


 遠慮がちにダーフが発言した。これにはセトが答える。


「黒軍の仕業だと発表したのは中央だ。普段から中央は黒軍へ怒りを向けるよう民を扇動してる節もあるし、手放しでその情報を信じることは出来ない。それに、あの町には【王国説】を主張する学者が大勢いた。中央にとったらいわば目の上の瘤だったってわけで、今考えたらどうして中央を疑わなかったんだって不思議なくらいさ。そして、中央に異を唱える北も……目障りなんだろうな」


 新しい情報が多すぎて、ランテの脳内は混乱していた。ワグレ消滅事件。ワグレというのは港町だったと確かセトが言っていた。そこには【王国説】を唱える学者がいて――王国説とはなんだろうか。別の説もある、というセトの言葉を思い出す。中央は白軍と黒軍はずっと戦争していたという主張をしていた、ということは。それに反する王国説を唱えた学者が邪魔で、中央はワグレを滅ぼした? そして今度は中央に歯向かう北支部が邪魔で、エルティを滅ぼそうとしている? そんな暴虐が許されるのだろうか。


「しかし、わが北支部は東支部と比べればまだ寛大な態度を取っているはずです。それなのになぜ」


「東支部は激戦区に近い。あそこを潰してしまえば、黒軍が圧倒的に有利になる。それを避けるためまずは北を使って……奴ら、東を大人しくさせるために北を見せしめにするつもりだ」


 セトの声は、もう怒りを隠しきれてはいなかった。ハリアルの瞳にも静かな、けれども強い怒りが宿っている。


「そう見て間違いないだろうな。今回の敵はやはり、黒軍ではなく白軍中央本部。……味方同士で刃を交わすことになるとは。しかし、やむを得ない」


 決断して、ハリアルは顔を上げた。セト、ダーフ、そしてランテを順に見る。


「今回は厳しい戦いになるかもしれない。だが、無論、エルティを滅ぼすわけにはいかない。この町を守るために、私に力を貸してくれるか」


「今更何言ってるんですか」


「もちろんです」


 セト、次いでダーフが即答する。みんなの視線が集まった。遅れて、ランテも頷く。


「はい」


「本当に、いいのだね?」


 ハリアルは、ランテにだけ再確認をした。断るなら、今だろう。心が揺れなかったと言ったら嘘になる。それでも、決意は変わらなかった。二度目の頷きを返す。


「はい」


「ありがとう。それでは、まず」


 生唾を飲み下し身構えたランテだったが、次に続いた言葉に拍子抜けした。


「食堂へ。ノタナが待っている」

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