【Ⅳ】-1 裏腹

 目が覚めると同時に、扉が開かれた音がした。ランテは身体を起こす。床で眠ったにしては寝起きは上々で、身体がやけにすっきりしている。


「こんな状況で悠々と寝てたなんて、あんたの神経を疑うわ」


 扉から呆れ顔のユウラが現れた。今日は防具をつけている。彼女が両脇の白軍に合図をすると、無表情の白鎧たちはランテを立たせ、ぐるぐると縄で縛った。手際よい行動だ。


「行くわよ。しっかり歩きなさい」


 扉の方へ引っ張られながら、ランテは部屋をぐるりと見渡したが、目当ての人物は見つからなかった。ルノアは先に連れて行かれたのだろう。そのときの物音に気づかなかったなんて、ずいぶんと熟睡していたようだ。


 階段を上って長い廊下を歩き、建物の外に出る。高い位置で輝く日の光を受けて、たくさんの整列した白鎧が輝いている。まばゆくてランテは思わず腕で防ごうとしたが、腕は身体と一緒に縛られている。瞼を閉じたが、目はちかちかした。


「よしよし、餌の方も準備はできたね?」


 高くて粘り気のある声は、聞いてすぐにジェノのものだと分かった。ランテはうっすらと目を開けた。ジェノはもっさりと生えた顎鬚をなでて、目を細めた。


「もっと泣き喚くなり叫ぶなりしてくれた方が、盛り上がるんだがね?」


「喉が痛くなりそうなんで、やめときます」


「かわいげのない人質だ。ユウラ君、彼のことは君に任せよう。セト隊長が現れても、彼はかつての部下の君には手を出さないだろうからね」


 ユウラは目を伏せてから、小さな声で答えた。


「お任せを」


 ジェノはユウラを満足そうに見下ろしてから、ランテには幸運を祈るよと言い残し、白軍の群れの中に消えていった。その先に白い馬車のようなものが見えたから、おそらくあれに乗るのだろう。そのすぐ後ろでは、鎖の巻かれた真っ黒な籠が、白い大きな鳥から吊りさげられている。中は全く見えなかったが、ルノアがいるだろうことはランテにも分かった。部屋の中で捕縛されていたときよりも厳重に閉じ込められているように見えるが、ルノアはあそこからどうやって出るつもりなのだろうか。手段があるとはとても思えない。


 白軍が動き始めた。二列ずつ、きっちりと整列して歩き始める。ランテは大体の数を数えてみたが、百は軽く超えていそうだ。一人の罪人を護送するのに、これだけの数が必要なのだろうか。


「ほら、行くわよ」


 ユウラに縄を引かれ、ランテも列に加わった。列全体の中腹よりも少し後方に位置するくらいの場所だ。幾人かの白軍は挟むが、ジェノの乗る白い馬車とルノアの黒い籠がしっかり視界に入る位置ではある。



 昨晩は素通りした白い門の前まで辿り着いたとき、白軍の進行は止まった。前方から一人の白軍ともう一人が来て、ジェノの馬車の前で止まった。もう一人の方は鎧を着けていない。働き盛りの年の頃の男で、服は質素だったが羽織っているマントだけは豪奢だった。ジェノのつけているものと似ている。


「なんだね?」


 馬車から顔を出したジェノに、白軍が何か反応するより先に、後ろについていた男が進み出た。身長が高いので、ランテが白軍数人越しに見ても顔はよく見えた。茶と金との間くらいの色で短髪、もう若いとは言えない年ではあろうが、整った顔立ちにはいまだ精悍さが残る。


「ご出発ですか、上級司令官殿。一声掛けていただければ、部下にも見送りをさせたのですが」


 低く響く声だった。ジェノはその声の主を確認すると眉を寄せた。歓迎しない、と言いたげな顔だ。ランテはジェノに会ったときのセトの表情を思い出した。


「こっそり行こうと思ったのですがね。あなたはこの時間お出かけのはずだったが? ハリアル支部長」


「優秀な部下が、あなたがこの時間に発つことを知らせてくれたのでね」


「ああ、セト君か。あなたと接触できないよう、彼にはたくさん邪魔をつけていたのだが。やってくれる」


 ジェノに対して、ハリアル支部長と呼ばれた男はずっと微笑んでいる。愛想笑いであることは分かったが、感じのいい笑い方だ。彼はやはり微笑みながら先を続けた。


「お忙しいようですから、用件は手短に話します。お聞きしたいことが三つほどあります。まず、ユウラは我が北支部に在籍しているはずですが? それも副長副官という重要な地位にあります」


 ランテのそばで、ユウラがぴくりと動いた。焦った顔をして、会話を続ける二人のところへ寄ろうとする。しかしランテを繋いでいる縄が彼女の邪魔をした。その間にも話は進んでいく。


「上から聞いていないかね? 彼女は中央に招聘された。私が彼女を中央まで送り届けるよう申し付かっている」


「招聘を受けるか否かの決定権は、彼女自身にあるはずですが」


「無論、彼女の意志は確認済みだ」


 ここで初めて、ハリアルは一瞬訝しげな表情をした。しかしすぐに微笑を戻してくると、ひとつ頷いた。ユウラが拳を握り締めているのが、ランテには見えた。


「そうですか、分かりました。それでは彼女のことはお任せします。では二つめ。ランテという青年を中央にお連れだとか?」


 自分の名前が出てきて、ランテははっと顔を上げた。二人の会話に集中する。


「彼は白軍入りはしていないだろう。彼のことに関しては君に口出しできる権利はない」


「ええ、しかしセトのことは別です。セトはあなたがいかなる手段を用いようと、中央に行くことはないと申しておりました。今、ここでランテ君を返していただけるのであれば、平和的な解決が望めるのですが」


 ここでなら平和的解決が望める。ということはつまり、ここでなければ平和的解決は望めないということ。ジェノの方もそれを理解したらしく、歯噛みして厳しい表情を浮かべた。しかし返事は変えない。


「……君には関係のないことだ」


 一瞬の間。


「分かりました。それでは最後に。あなたの忠犬からは望ましい報告を得られましたか?」


 ハリアルの目は、なにか挑戦的な色を帯びていた。ジェノが二、三度口を開閉して、ハリアルを睨んだ。


「もうよい。軍を進めよ! ハリアル支部長、私はこれにて失礼しよう」


 ジェノは何かに焦っているように見えた。ハリアルのほうは冷静にその様子を観察している。二人の会話では立場的にはジェノの方が上のように見えたが、話の主導権を握っていたのは終始ハリアルだった。ハリアルと共に来ていた白軍が、ジェノの指示を受け先頭へ向かっていく。それを見送ってから、ハリアルは静かに言った。


「それではお気をつけて」


「北の美の町エルティとその地の心優しき民たちに女神の祝福があらんことを!」


 ジェノは投げ捨てるようにいって、馬車の中に顔を引っ込めた。ハリアルはユウラを一瞥してから踵を返したが、その寸前にランテにも目を合わせてかすかに笑んだ、ように見えた。



 白軍の行列は道の中央を進んでいく。脇で見物している通行人たちが、縄で縛られたランテを見ては何かひそひそと話している。あまり気分の良いことではなかったが、抜け出せないのだから仕方がない。なるべく顔を見せないように、うつむいて歩く。


「悪かったわ」


 門が見えてきたとき、先を歩くユウラが唐突に言った。顔は正面に向けられていて表情は分からないが、真剣な言葉だと分かった。


「あんたは何も悪くないのに」


 後悔の滲む声だった。ユウラは、いつもより肩を落として歩いているように見える。


「ジェノとかいう人の命令だったんだから、ユウラのせいでもないよ」


 槍で殴られたり投げ飛ばされたりしたことはあったが、ランテはユウラのことを恨んではいない。彼女の行動が本意ではないことを知っていたからだ。上官には逆らえないのだろう。ランテができるだけ優しく聞こえるように答えると、ユウラは少しだけ首を傾けた。右側半分だけがランテのほうを向く。


「命令は絶対じゃないわ。受けないという選択肢も、あるにはある。セトのようにね。でもあたしは……あたしの意志で、この仕事を引き受けた。関係のないあんたを巻き込んだことは、申し訳ないと思ってる。でも、ここであんたの縄を解くことはできない」


「何か、わけが?」


 刹那、ユウラは遠い目をした。気の強そうな吊り目が最初に優しくなり、次に悲しげになって、最後に閉じられる。開かれたときには、ユウラの顔には軽薄な笑みが載せられていた。無理やり貼り付けたような、今にも剥がれ落ちそうな。


「金が欲しいの。だからあんたには悪いけど、上級司令官は裏切れない。あいつについて中央に行けば出世できるから」


 聞いてすぐに分かる嘘だった。嘘でないにしても、きっと限りなく嘘に近い答えだ。顔を正面に戻してしまったユウラを問い詰めたかったが、結局ランテはやめておいた。これ以上はユウラを追い詰めてしまうような気がしてならなかったので。


 昨日ランテがセトたちと入ってきた門よりも、ひときわ豪華で大きな門に到達する。今度はここから出るらしい。門を開く作業の間、白軍たちの進行は止まった。もちろんランテとユウラも歩みを止める。肩を落としたままのユウラは、小さく、まるで願うように言った。


「大丈夫よ。きっと、セトが来てくれる」


 ランテに対して言った言葉なのか、それともユウラ自身を励ますために言ったものなのか。ランテにはどちらか図りかねたが、それは紛れもなくユウラの本心であった。彼女は、本当は、ランテが解放されることを望んでいるのではないか。だとしたら、ここで無理やりにでも逃げ出した方がいいのかもしれない。しかし、それが彼女の責になってしまったら。やはり、ルノアかセトを待つほうがいいのだろうか。


 迷い続けるランテをよそに、エルティの大門は開かれた。

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