【Ⅲ】-1 囚われて

 ひやりとした風が肌をかすめて、ランテは目を覚ました。椅子に座ったまま、いつしか眠ってしまったらしい。風呂に入ってからきっちりベットで眠ろうと思っていたのになあ、と寝とぼけた頭で思う。視界がずっと黒いままなのは、まだ夜の時間帯だからだろう。そう言えば、風はどこから入ってきたのだろうか。闇に慣れてきた目が、さわりと揺れるカーテンを見つけた。窓が開いているらしい。昼間はちょうど良い気温だったのに、夜になると冷える。それにしてもなぜ窓が開いているんだろう。ランテは不審に思いながらも、ひとまず閉めておこうと立ち上がった。そのとき、異変に気づいた。何かがいる。


「動くな」


 背後から、声がした。やや低めの女の声だ。この声は聞いたことがある。ランテが振り向こうとしたとき、首もとに何かがあてがわれた。目を落とさなくても、それが刃の類であることは簡単に予測できた。危機的状況だとは分かっていたが、妙に落ち着いていられる。不思議なことにも。


「えーと、ユウラ?」


「黙りなさい」


 後ろからふくらはぎを蹴られる。声を漏らしてしまうくらい痛かった。反動で少し前に動いたせいで、さらに首に痛みが走った。また怒鳴られる。


「動くなって言っているでしょ!」


 今のはユウラが足を蹴ったから。言いたい言葉を飲み込んで、ランテは目だけ動かして辺りを見た。侵入者はどうやらユウラ一人らしい。しかし、どうしてここへ? ランテがここに泊まっているのを彼女は知らなかったはずだ。


「オレ、何かしたかな?」


「喋るな。黙ってそこの窓から外へ出て」


「剣はいらない?」


「そんなの持たせるわけないでしょ! あんた、今の自分の立場分かってんの?」


 後ろから押されるようにして、ランテは窓辺まで歩かされた。窓から下を見る。建物二階の高さはさほどではないにしても、高い。ここから飛び降りろというのか。


「ユウラ」


「さっさと降りなさい」


「どうやって降りれば?」


 直後、重い衝撃が脳天に与えられた。一瞬ランテの目の前が黒く染まった。痛む場所を押さえる。ぷくりと膨れ上がっている。


「あんたおちょくってんの? さっさと降りなきゃ突き落とすわよ」


 痛みで涙目になりながらも、ランテは窓から乗り出した。この調子だと本当に突き落とされかねない。それならまだ自分で降りた方がいいだろう。まずは壁に足をかけ、窓の縁にしがみつく。足を極力地面に近づけてから、手を離した。着地時に足が痺れたが、思ったよりは簡単だった。ランテが上を見上げると、ちょうどそのときユウラが窓から飛び出した。ぶつからないように慌てて下がる。


「とろいのよ。本当、なんでセトはこんなやつを気に入っちゃったかな」


 外は月光とわずかな街灯だけで薄暗かったが、肩までの赤い髪とつり目、長い槍という特徴ははっきりと分かった。やはりユウラだ。昼間に会ったときはつけていた防具を取っている。どこにでもありそうな白いブラウスと茶色いショートパンツを穿いているが、どちらも白軍の紋章つきだ。


「今からどこへ?」


「支部よ」


 ユウラは槍でこんこん、と地面を叩きながら答えた。ユウラはランテとは違って、きっちり二階の窓の高さから飛び降りたにも関わらず、全く痛そうな素振りを見せない。慣れているのだろうか。それにしても、こんな夜更けになぜ。やり方もずいぶん荒々しい。


「これ、隊長命令?」


 ランテがここに泊まっているのを知っているのは、白軍の中ではセトだけだろう。ということは、セトがユウラにランテを連れてくるよう頼んだのか。しかし、ユウラは一瞬歯を噛み締めた後、首を左右に振った。


「隊長は……セトは、この件に関して何も知らないわ。あいつなら、部下にこんなことはさせないもの」


 ランテの気のせいでなければ、この言葉を口にする間ユウラは、どこかが痛むような、辛い表情をしていた。これは、ユウラの本意ではない行動、らしい。一体誰がこんなことを彼女にさせているのだろう。自問して、その瞬間にひとつ浮かんだ顔があった。立派な髭を生やした、明るい金髪の太った男。ジェノと言ったか。上級司令官と呼ばれていた。


「じゃあ、ジェノ上級司令官殿のご命令?」


 あのときランテと目を合わせた途端に、ジェノは微笑んで見せた。気のせいかと思ったが、今考えると、何か裏がありそうな笑みを確かに浮かべていたように思える。聞いて、ユウラは一瞬はっとしたように目を見開いたが、すぐに唇をきゅっと結ぶとランテを槍の柄で小突いた。


「黙れ、喋るなと言ってるはずよ。支部はこの先。さっさと歩いて」


 このまま支部に行ってしまって構わないのだろうか、とランテはちらりと思ったが、逃げようにもユウラが逃がしてくれないだろう。聞く限りでは、白軍や北支部やらは悪の組織ではなさそうではある。何でこんな風に連れて行かれなければならないのかは疑問であるが、他に選択肢はない。ランテは歩き始めた。



 夜更けになると、賑やかな町とはいえ人足は途切れる。静かな町の中で複雑な道順をたどって、しばらく。ランテとユウラは白い円形の大きな建物の前に出た。その奥にも、真っ白い建物がいくつか並んでいる。“白”軍という名は伊達ではないらしい。鎧も白ければ、紋章も白いし、建物だって白い。ここに入ればいいのか。門の方へ進もうとしたランテの襟元を、後ろからユウラが掴んだ。


「正面から入ってどうする! 見つかるでしょ。ほんと馬鹿ね、あんたは」


 首もとを掴まれたまま、ランテはユウラに引っ張られる。門とは反対側へ、柵から離れて進んでいく。門の前には数人見張りがいたようだが、離れてしまえばもう白い鎧はどこにも見当たらない。同じ白軍なのに、見つかってはいけない理由が分からない。ランテは遠回りの理由を聞きたかったが、あいにく半分首を絞められたような形になっていて息をするのがやっとだった。


 門からだいぶ離れたところまで回り込んだとき、ユウラの手はやっとランテの襟を放した。咳き込む。ユウラは少しも気に留めないで、注意深く辺りを窺った。誰の目もないことを十分すぎるくらいに確認してから、またランテの背中を槍の柄でこついた。


「さ、ここから上って。音を立てないようにしてよ」


 ランテは、目の前にそびえる柵を見上げた。どう見てもランテ二人半分の高さはある。しかも先が尖った縦向きの、槍みたいな格子が並んでいるだけで、足場なんて皆無だ。これを、どうやって上れというのか。


「さっさとして」


「いや、でも、これ」


「何? また上れないとか言うんじゃないでしょうね」


「その、足場ないし」


「ああ、もう! いいわ、じゃあそこに突っ立ってなさい!」


 業を煮やしたユウラは、ランテに命じると槍を足元に落とした。靴音を鳴らしながらランテに近づくと、右手でランテの腰のベルトを握って持ち上げた。足が地面を離れる。


「え? え?」


 今現在自分自身に起こっていることが信じがたくて、ランテは混乱した。ユウラが右腕一本でランテを持ち上げている、ようだ。直後、耳元で風が唸ったかと思うと、ランテは宙に放り出されていた。勢いのままに飛んで、ちょうど柵を越えたあたりで一瞬止まった。次に起こることは容易に想像できたが、その対策は容易に用意できるものではなくて。何の抵抗もできないままに、ランテは落下していく。硬そうな地面がどんどん近づいてくる。衝撃に備えようとしたそのとき、身体が勝手に反転した。足から降り立つ。じいん、と痺れがきたが、激突は免れたようだ。


「邪魔」


 奇跡の着地に感動できる時間はそう長くなく、柵越しにユウラが跳び上がる姿が見えた。槍の柄のほうを地面に突き立てる反動で跳び上がったらしい。高さには十分余裕がある。ぶつかるのはご免なので、ランテは三歩ほど後退した。ユウラは一番高いところで身体を回転させて、着地も綺麗に決める。見世物にできそうなくらい、鮮やかな動きだった。


 それにしても、とランテは思う。ユウラは外見は普通の女性と何ら変わらない。華奢とは違うだろうが、身長が少し高いくらいで平均的な女性の体型だ。それにも関わらず、おそらくは自分と同じか少し重いくらいのランテを右腕一本で投げ飛ばした。さっきの大跳躍や、大きな黒獣を斬ったことも、普通の女性にできるものとは思えない。白軍とは、そういう人たちの集まりなのだろうか。だとしたら、自分に勤まるとは到底思えない。


「目の前に建物が見えるでしょ? あそこに入るから。急いで」


 またこづかれそうな気配がしたので、そこで思考を切り上げてランテは指された建物に向かって駆け出した。後ろからユウラも駆けて来るのが、音で分かった。



 ランテの右腕を引っ張りながら、ユウラは見張りが開けた扉の中へ進んだ。扉の見張りは他の者と同じく白い鎧に白軍の紋章をつけていたが、その下にもう一つ別の印をつけている。黄色くて丸っこい小さい印だ。何の印だろうか。


 建物の中は、やはり白かった。町の家々はほとんどが灯りを消していたが、この建物はどこもかしこも明るい。玄関扉の正面にあった階段を上り、廊下をしばらく進むと大きな扉の前に出た。ユウラがノックし、声を上げる。


「上級司令官殿、連れて参りました」


「入りなさい」


 扉越しの声はくぐもってはいたが、ジェノの声だとすぐに分かった。ユウラが扉を開けてランテを引っ張り込む。広い部屋だ。窓辺に置いた揺り椅子に、腰掛ける太った男。傍らにあの黄色い印をつけた白軍が数名。ユウラがさっと膝をついた。


「ご苦労だったな、ユウラ君。手抜かりはないかね?」


「万事、問題ありません」


「そうか。良い仕事ぶりだ。セト隊長は優秀な副官を持っているな」


 跪いたまま、ユウラがぴくりと動いた。顔に髪がかかっていて、ランテの場所からではその表情は分からない。しばらくの間を置いてから、ユウラは細い声で答えた。


「いえ……セトは、もう私の隊長ではありません」


 ジェノがゆっくりと笑みを広げる。満足げな笑みだ。あまり良い印象は与えないが。


「ほう。では、心を決めたのかね?」


「はい」


「そうかそうか。実に賢い判断だ。それでは、君はもう下がりなさい。色々と準備も必要だろうからね」


「……お心遣い、感謝いたします」


 抑揚のない声だ。言い終えると、ユウラは立ち上がった。振り返って扉まで歩き、出て行こうとする。ランテはその動きをずっと追っていた。と、扉を閉める寸前に彼女はランテを見た。およそ彼女らしくない、戸惑いを多分に含むまなざしだった。しばらくランテを見つめ、そのあと視線を斜め下に流し、ランテを見ないまま扉は閉められた。足音が遠ざかっていく。行ってしまった。


「君が、ランテ君かね?」


 声をかけられて、ランテは顔をジェノのほうへ戻した。揺り椅子を揺らしながら、ジェノが意地の悪そうな目でランテを見ている。黄色の強い金髪と整えられた髭。一人で相対すると、これまで以上に寒気がした。この人は、何か、嫌だ、と思う。


「そうですけど」


「ふむふむ。確かにそれほどできるようには見えんな」


「あの、どうしてオレをここへ?」


 用があるなら、早く済ませて欲しい。あまり長居はしたくない場所だった。ランテが急いて聞くと、ジェノは低い笑い声を上げた。目は笑っていないが。


「心配せずとも私は君に危害は加えないよ。君はどうしても手に入れたい大物を釣り上げるための、大事な大事な餌だからねえ」


「……セトのことですか?」


「ほう、勘は優れているようだ」


 ジェノは、セトなら中央でもすぐに上り詰められるとかなんとか言っていた。それに対してセトは今の地位で十分だと答えていた。つまり、ジェノはセトを中央とやらに連れて行きたいが、セトはそれに乗らない。だからランテを人質にとって、セトを中央に連れて行こうとしているということ、だろうか。そう考えれば辻褄が合う。そこまで考えて、ランテは焦った。今まで何の考えもなくユウラについてきたが、このままではセトに迷惑をかけてしまいそうだ。ランテは脳をフル稼働した。なんとか、ここを抜け出さなくてはならない。


「えーと、そう、セトとは今日会ったばかりです。そんなやつを餌にしたところで、セトはあなたの思い通りにはならないと思いますが?」


 ジェノは口元を歪めた。笑っている、らしい。


「君は彼という人物を良く知らないようだ。セト副長は来る。心配はいらない」


 事態を知れば、セトは来るだろう。ほぼ間違いなく。見知らぬ行き倒れにあそこまでした人物だ。少しでも自分に係わりがある者が、いや、もしかしたらまったく係わりがない者でも、自分のために人質になったと聞いたら彼は駆けつけるだろう。そして助けようとするだろう。このままではいけない。ランテは部屋の中を探った。出口になりそうなのは、ジェノの後ろの窓がひとつと背後に扉がひとつ、それだけしかなさそうだ。背後の扉には、見張りはいないはず。何とか隙を見つけて逃げ出せれば――


「逃げようなんて考えは捨てた方が身のためだ、と言っておこうかな。さっきも言ったろう。危害は加えない。さあ、誰か。出発まで彼をあの女と同じ部屋に繋いでおきなさい」


 ジェノの傍らの白軍が動いた。ランテは逃げようと扉を振り返ったが、その瞬間に後ろから腕を掴まれた。とてつもない力だ。振りほどこうとしたが無駄な抵抗に終わった。腕を締め上げられながら、ランテは扉の向こうへと連れて行かれた。

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