【Ⅱ】-2 不安
「遠慮しなくていいよ、たんとお食べ」
手作りのパンに、温かいシチュー、野菜のサラダにミックスジュース、デザートのプディング。ノタナの料理はどれもとても美味しい。空腹状態だったランテは、皿に載っていたものすべてを平らげてしまった。
「ご馳走さまでした。とても美味しかったです」
「そうかい、それは良かった。満足したなら、部屋に案内しようか?」
「それじゃ、お願いします」
「ついといで」
ノタナは見た目通り気のいい女性だった。食事もランテが満足するまで何も言わず食べさせてくれたし、今も部屋まで案内してくれている。途中トイレともうひとつの出入り口も丁寧に教えてくれた。面倒見がいいところは、セトと似ているようにも思える。目覚めたときは散々だと思った今日一日だったが、こうもいい人ばかりに出会うとは、実はすごくついていたのかもしれないなとランテは思う。
「それにしても、あんたはついてたね」
一瞬、考えていることを読まれたのかと思った。しかしそういうそぶりは少しもなかったから、きっと偶然だったのだろう。ノタナの言葉に、ランテは心から同意した。
「本当にそう思います。特にセトにはここまでしてもらって……感謝してもしきれない」
聞いて、ノタナは小さく笑い声を上げた。
「気にするこたぁないよ。こうすることはあの子自身のためでもあるんだから。あの子に見つけられたあんたの運が良かったって話さ」
「セト自身のため?」
「まあね……」
ここでノタナは一度立ち止まると、ランテを振り返った。ランテの目をじっと見て、なにやら難しい顔をして、それからまた笑った。笑う顔がとても優しい。理想の母親像だと言われても頷けるほどだ。
「私はね、男を見る目だけはあるのさ。あんたも悪くはなさそうだね。後からセトは文句を言いそうだけど、話しちゃおうかねえ」
そう前置きして、廊下を歩き続けながら、ノタナは話し始めた。
「あの子も……セトも、あんたとおんなじような状態だった。いや、もっとひどい状態だったね。傷だらけで、やせ細って、それでも目だけは鋭くて。今のあんたより五つは年下だっただろうけどね。そういう目に遭ったから、あんたみたいなのは放っとけないんだろうさ。似たようなやつを助けると、昔の自分も救われたような気がするんだろう。まあ、さっきの感じじゃそれだけじゃなさそうだったけど。腕を買われているようだね。白軍に入るのかい?」
「いえ、それはまだ考え中です」
「そうかい。そういうことはあんた自身が決めることだから、わたしゃあなんも言わないけどね。でももし白軍に入るなら、支部と隊は選んだ方がいい。北支部でセトの隊なら何も問題はないけど、ひどいところに行けばひどい扱いを受ける。初っ端から特攻させられて死んじまったんじゃあ、元も子もないから」
やっぱり物騒な仕事だと思いながら、ランテは返事した。
「そうですね……」
「何が言いたいのかって言うと、白軍に入るつもりなら地図と紹介状使ってここの支部に行くのが一番いいってことさ。あんたはセトと馬が合いそうだしね。セトのほうも似た境遇を持つあんたになら、色々喋るかもしれない」
最後の一文が気になって、ランテはノタナの話に割って入った。セトは十分人懐っこそうに見えるのだが。初対面のランテにだって、あれだけ気さくに話しかけてくれた。
「セトは、あまり喋らないんですか?」
「いや、そういうわけじゃないよ。口はよく動く方さ。だけど、自分の事に関してはさっぱりだね。はぐらかしてばかりで、まともに答えやしない。私たちが拾う前はどこで何をしていたのか、あのときなんであんなところにいたのか……そういうことは私でも聞いたことないね。親代わりだと思ってるってのに、まったく」
本人のいないところで、しかも今日会ったばかりの人のことを、こんな風に聞いてしまっていいのだろうか。ランテは思ったが、ノタナの話は結局部屋の扉の前にたどり着くまで止まらなかった。セトと再会することになったとしても、聞いてしまったことは黙っておこうと決めておく。安易に疑問を投げかけてしまったことを、ランテは少し後悔した。
「さ、ここがあんたの部屋だ。いい部屋だろ? 好きなだけ泊まって行けばいいからね。鍵はこれ。着替えも持ってなさそうだったから、ひとまず寝巻き一着と適当に見繕った服を一着、そこのタンスに入れといたから。今着ている服は、着替えたら下へ持っといで。洗っておくからさ。朝食は、日が昇った後ならいつでも出せるよ。好きな時間に降りといで。何か質問はあるかい?」
扉を開けると、広くはないがきれいに片付いた部屋が現れた。ベッド、ランプ、タンス、窓、テーブルと椅子がひとつずつ、そして本棚。シーツとカーテンも清潔そうで、文無しのランテには豪華すぎる部屋だ。おまけに洗濯までしてくれるとは、ずいぶん気が利いた宿である。鍵を渡してくれたノタナに、ランテは礼を言った。
「いえ。色々ありがとうございます」
「それじゃあ、最後に。三日で金貨二枚なんてぼったくりになっちまうから、釣りを渡しておくね」
ランテの手の上にある鍵の上に、銀貨一枚と銅貨三枚が載せられた。ノタナの顔を見上げる。
「え? でも、これはセトの」
「あんたが好きに使うといいよ。無一文じゃやりにくいだろ? セトのやつも、余れば私がこうすると分かって多めに払ったんだろうさ。恩を感じるなら、早めに仕事を見つけてきっちりセトに金を返すんだね」
ゆっくり休みなさいよ、と言い残してノタナが部屋を後にする。扉の前に取り残されたランテは、親切な隊長と女宿主に心から感謝した。
一人になると急に全身の力が抜けて、ランテは椅子の上に身体を投げ出すようにして座った。色々なことがあって、思った以上に疲れていたようだ。左腰の剣のベルトを外す。ごとん、という音を立てて転がった。柄は黒く、鞘は深緑。土ぼこりで汚れている。古びてはいないが、確かに随分使いこなされているような気配がある。そして柄には、やはりランテという金色の文字が刻まれている。
「何で、こんなものを」
まだ手に残っているあの感覚。剣を持つということは、あの感覚をまた味わうということだ。記憶を失う以前の自分は、どうしてこんなものを持っていたのか。分からない。理解できない。できるならば、こんなものすぐにでも捨ててしまいたい。しかし、これは記憶を失う前のランテと今のランテとを繋ぐ数少ないものでもあって。
――自分がつかめないって、怖いよな。
セトが言った言葉が、脳裏を過ぎった。怖い。記憶が戻れば、こんな風に思うこともなくなるのだろうか。そっと瞼を落とす。底なしの闇が広がっていた。
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