【Ⅰ】-2 残滓
「で、後は要人の護衛や人探しなんかもやったりする」
隊長は――一度ユウラが呼んでいた通り、セトというらしい――平原を進む間も、ランテの勧誘を続けている。こんなに話しながら歩いて疲れないのかと心配になるが、ちっともそういう素振りはないのはさすが隊長とでも言うべきか。その横で、ユウラはずっと面白くなさそうな顔をしている。さらにその奥のもう一人の男――彼はずっと黙っていて、しかも最後尾にいたものだから、ランテもさっきその存在を知ったのだが――は、やはりずっと黙っている。彼はランテが目覚めてから一度も口を利いていない。元々寡黙そうな男ではあるが。ランテを含めて五人が共に歩いていたが、喋っているのは主にセトで、時折ランテやテイトがそれに答えたり口を挟んだりするだけという状態が続いていた。なんとなく居心地が悪い。特にユウラからの視線が痛い。
それにしても、セトはどうしてこんなにランテにこだわるのか。聞いてみると、セトは何やら挑むような目をランテに向けて、笑んだ。
「お前は、何か……大きな鍵を握ってるような気がするんだ。うちに引き込んどいた方がいいって、オレの勘がそう言ってる」
「セトの勘はよく当たるよ。びっくりするくらいね」
テイトが微笑みながら付け足した。隣を歩いて分かったが、彼は本当に小さい。ランテの肩に届くか届かないかほどの身長しかないのだ。ランテ自身の身長は分からないが、目線からしてユウラと変わらないくらい。彼女はセトよりも低いから、ランテが特別高いということはないだろう。
と、急に先頭を行くセトが立ち止まった。うんざりしたようなため息をつく。
「あー、やっぱりか。ほんと多いな、最近」
どうしたのだろうか。首を傾げるランテをよそに、ユウラとテイトともう一人とが緊張した面持ちになって、身構えた。
「数は?」
「一。大きい」
ユウラとセトの間で短い応酬が交わされる。いやな予感がした。セトの目がランテを見た。
「本当はお手並み拝見、といきたいんだけど?」
冗談じゃない。
「遠慮します」
「残念。じゃ、下がってろ」
言われたとおりに下がって、ランテもセトたちの視線を追った。前方だ。目を凝らすと、確かに何か黒い塊が見える。最初は岩かと思ったが、もぞもぞ動いているようだ。背筋が冷えた。遠目に見ても、結構な大きさ。あれと戦うつもりでいるのだろうか。しかし、四人は誰一人臆した様子も怯んだ様子もない。ユウラにいたっては、好戦的な表情をしている。
化け物――黒獣だったか――が、ランテの歩幅で五十歩くらいの距離に近づいてきたとき、まずは最後尾の寡黙な男が矢を放った。ひゅん、と空気を裂いて飛んだ矢は、どうやら黒獣の赤い目を狙って放たれたようだが、当たる寸前で太い腕にはたき落とされたらしい。矢を素手で落とすなんて。ランテが驚いている間にも、戦局は移ろっていく。いつの間にそんなところまで動いたのかと目を疑ったが、セトが黒獣の目の前でひらりと跳びあがって、握った剣をやはり目を狙って振り下ろした。速い。辛うじて目で追えるか、それくらいの速さだ。黒獣の方もどうにか視認していたらしいが、身体を動かしてその一撃を防ぐところまでは間に合わなかった。右目から、どろどろした黒い液体が溢れ出す。血だろうか。地面を揺さぶるような、
突如、何の前兆もなく、唐突に火の手が上がった。火は一気に成長すると、踊るように巻き上がって、黒獣をすっぽりと呑み込んだ。空が、木々が、草が、ぼんやりと朱を帯びる。聞いてすぐに断末魔と分かる叫声が、短く響いた。十分に聞き届けてから、炎が霧散する。跡には亡骸どころか、灰さえ残っていなかった。
一体何が起こったのか。呆然としていたランテの背後で、何かが蠢いた。もちろん、ランテの背中に目はないから視認したわけではないし、耳でそういう音を聞いたというわけでもない。だが、確実に何かがいる。感じたというよりも、分かったという感覚の方がたぶん近い。身体ごと振り返る。黒い塊がいる。黒獣だ――
「ランテ!」
セトの声がした。黒獣の赤い目が、ランテを真っ直ぐ睨みつけている。思考能力が完全に停止したのが分かった。無我の状態で、ランテの身体は勝手に腰から剣を引き抜いていた。振りかぶったのも、振り下ろしたのも、ランテによる指示の下の行動ではない。言葉通り、身体が勝手に動いた。誰かに糸で操られているかのように、だ。両断された黒獣がなおも蠢く。赤い瞳が憎々しげにランテを見上げている。なんて生命力だ。そして、そこでランテは我に返った。剣を構えたまま後ずさる。どうしたらいいのか分からない。しかし、ランテが瞬きをした後には勝負は決していた。黒獣の二つの目の間に、ナイフが突き刺さっていたのだ。
「悪い、ランテ。読み違えた。黒獣が陽動作戦を使ってくるなんて、予想外でさ。大丈夫か?」
後ろから近づいてきたセトが、ランテに並んで止まった。ほんの少しだけだが、呼吸を乱している。ランテのために急いでくれたのだろう。あの距離をこれだけの短時間で詰めるなんて、人間業とは思えない。
「大丈夫だけど……驚いた」
剣を握ったままの右腕を、持ち上げる。さっきのランテは、何の迷いもなくこの剣を鞘から引き抜き、振りかぶって、振り下ろし、黒獣を斬った。自分にどうしてあんなことができたのか、さっぱり分からない。
「ああ、オレも驚いた。予想以上だ」
息絶えた黒獣の骸を見下ろしながら、セトが言った。こちらの黒獣は、最初にセトたちが倒したものの半分以下の大きさしかないが、それでも小さいとは言えない。ランテの身長よりも少し大きいくらいの高さで、ランテの身長くらいの太さだ。これを包丁で具材を切るように綺麗に斬ってしまうなんて、それとて普通の人間にできる所業とは思えない。身が、震えた。恐怖だった。得体の知れない自分自身への恐怖。見ていられなくなって、ランテは急いで剣を鞘に直した。二度と抜きたくないとさえ思った。
「今の一閃は、どう見たって素人のものじゃない。頭の記憶は吹っ飛んでても、そっちの記憶は残ってるらしいな。ますますお前をうちに入れたくなった」
黒獣の亡骸が、黒い砂に変わって風にさらわれていく。セトは地面に横たわったナイフを拾い上げた。ランテには理解しきれない事象が、次から次に起こる。夢だといわれた方が、まだ納得がいくほどだ。
「自分が掴めないって、怖いよな。気持ちは分かるが、記憶が戻るまでの辛抱だ。前向きに考えろよ。じゃなきゃ……先になんて、進めない」
思わず暗い顔をしてしまったランテを励ますための言葉だったのだろうが、最後の一言が妙に耳につっかえた。セト自身に言い聞かせるような、そんな言い方のように聞こえたので。次の瞬間にはセトはランテに背を向けていて、今までどおりの飄々とした態度で隊員たちに労いの声をかけていたから、それ以上の異変は何も分からなかったけれども。
しかし、セトの言う通りかもしれない。いつ化け物が現れるか分からない平原で一人右往左往するよりも、セトたちと町へ行ったほうが安全だ。それに考えても仕方のないことは、やっぱり考えたって仕方がないことであって。ひとまずは先に進んでみるしかない。決めてしまうと幾分楽になった。セトがランテを呼んでいる。置いていかれないように、ランテは駆け出した。
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