癒してくれる?

やえなずな

癒してください!

「ただいま……」


 良い子はすっかり眠った時間、今日もいつも通り終電ぎりぎりの電車に揺られてなんとかぼんやりと明かりの灯った我が家に帰ってきた。


「あ、おかえり」


 絶対返事は返ってこないと思っていたのに、すっと耳に入ってきた柔らかい声にふっと顔を上げる。


「……あれ、しーちゃん?」


 疲れからかぼんやりと霞む視界で唯一無二の同居人の姿を捕らえた。あぁ、私、いま相当やられてんだろうなぁ、しーちゃんの幻覚見るなんて。


「ただいまぁ、今日も疲れたよ、いいこいいこしてぇ」


 幻覚ならいいか、へにょへにょと考えることをやめた頭が思ったことをそのまま口に出す。玄関で靴を脱ぐことすらめんどくさくてそのままぱたぱたとしーちゃんの幻覚に手を伸ばした。


「はいはい、今日もお疲れ様」


 しーちゃんの幻覚は、一歩二歩と私に近づいてきてそのままゆっくり笑いかけてきた。


「ゆいはえらいね」


 ふんわりと頭に乗せられた私と変わらないサイズの手。目の前でしーちゃんのきれいな茶色の髪が揺れる。


「あ、あれ」


 ここで私は気が付いちゃったわけだ、このしーちゃんは幻覚なんかじゃなくて本物……なんだと。


「ゆい、だいぶ疲れてる?顔真っ赤だけど」


 熱でもあるのかなと、頭を撫でていた手がおでこに移る。


「お、おふろ!!! おふろ入ってくるから」


 これ以上ここにいては私の心臓が持たない。がばりと立ち上がってばたばたと洗面所に逃げ込む。


「私のほうがお姉さんだからしっかりしなきゃなのに……」


 気が付いたら七個も年下のしーちゃんに甘やかされている。今日は夜遅いしさすがに寝てると思ってたのに。

はぁとちょっとだけため息をついて洋服を脱ぐと、からからとお風呂場のドアを開けた。


「つめたっ」


 からりと乾いたお風呂の床はひんやりしていて少しびっくり。なるべく冷たさを感じないようにと大慌てでシャワーの栓をひねった。

体にあたる温水がすこしだけ疲れを流す、頭を洗って身体も洗って、それでもまだ足りない。

 浴槽の蓋をゆっくり開けて、上る湯気にこころが高鳴った。



(今日もちゃんとお風呂沸かしといてくれてる)


 頼れる年下の同居人に感謝しながら、その極楽に身体を沈めていった。


「ゆい、入ってもいい?」


 意識がぼんやりしそうだったタイミングで外から声がかかる。


「う、うんいいよ」


 別に二人でおふろ入るのなんて珍しくないのにどきりと心臓が音を立てた。


「友達にいいもんもらったんだよね」


 からからと控えめに開けられた扉からひょこりとしーちゃんがのぞく。その手に握られていたのは。


「入浴剤…?」


「うんそうそう、ゆいの疲れちょっとでも取れたらなって」


 せまい空間に響く水音と、ビニールがこすれる音。

 さらさらと小さな袋から飛び出した粉はお風呂のお湯に吸い込まれて、じんわりと広がった。


「うわぁ」


 どこかで聞いたことのある有名な温泉地の名前を掲げたパッケージの通りなんだかこの入浴剤は当たり……な気がする。気がするだけだけど。


「どう?いい感じ?」


「んーいい感じ」


 極楽のレベルが上がった気がする、少し濁ったお湯にゆっくり肩までつかる。


「ふぅ……いいお湯……」


「……ゆい、おばさんみたいだよ」


「なっ失礼しちゃうわね、まだぴちぴちの二十代だって」


「ごめんごめん」


 軽く笑ったしーちゃんはシャワーをきれいな茶色い髪にあててのんびり頭を洗い出した。

 大きく響く水音に、自然と会話が減る。

 手持ち無沙汰になった私はゆったりお湯につかりながらも、ぼんやりしーちゃんのことを見つめた。


(綺麗、だなぁ)


 彼女の茶色い髪は染めたものではなくて、生まれつきのものだとちょっと前に聞いた。

 外人であるおばあちゃんの影響なんだとか。私にはない彼女のおおきな魅力がどうしようもなく愛しく感じる。本人はちょっとだけ嫌そうにしていたけど。


「ねぇ、ゆい」


 しーちゃんが話しかけてくるのと、シャワーの水が止まったのはほぼ同じタイミングだった。


「ん、なぁに」


 お湯に溶かされた意識のまま応える。


「ゆいはさ、今の仕事たのしい?」


「……ん?」


 突拍子もない質問に沈んだ意識が少し浮き上がる。


「……いまのお仕事、たしかにお給料いいのは知ってるよ、でもちょっとだけ忙しそう……だからさ」


 決してこっちを振り返らないまま彼女は続ける。


「わたしのためも思ってお金をためてるのも分かってるけど、無理、してほしくないなって」


 不器用なりの彼女のやさしさって奴だろうか。


「……しーちゃん、おいで」


 シャワーを止めてしまったのなら、この時期濡れた体のままいるのはちょっと寒い。

 伸ばしていた足をきゅっと自分の方に寄せてしーちゃんのスペースを作った。


「……」


 ちょっとだけ気まずそうな顔をしたままゆっくりと私と同じく湯船につかる。

 優しい彼女のことだ、これまでにいっぱい考えたのだろう。

 いつもは頼りがいのある、年下っぽさのない、いい子だけどこの時は年相応の頼りなさと幼さが見えた。


「……わたしには、ゆいしか、いないから」


「うん、私もしーちゃんだけだよ」


「……嘘つき、お仕事に浮気してんじゃん」


「うーん、確かに」


 最近帰り遅かったもんね。


「ごめんね、もうちょっと頑張るね」


「違う、違うの、ゆいは悪くない」


 わがまま言って、ごめんなさい。ぽつんと狭いお風呂場に彼女の声が響いた。


「ありがとう」


 ぽんぽん、さっきとは逆で今度は私がしーちゃんの頭を撫でる。


「心配してくれたんだよね、ありがと、今度温泉でも行こう?」


 入浴剤のパッケージを横目にそんなことを思いついた。


「いまちょっと忙しい時期だからさ、ちょっとだけ待っててね」


「……ほんと?」


「うん、ほんとだよ」


 ぱぁとわかりやすくうれしそうな顔をしたしーちゃんに私まで頬の力が抜ける。


「やった、約束だよ」


「約束ね」


「でぇと、だね」


 にっこり笑った彼女をみて私は、かっと顔を赤く染めた。


「しーちゃんの、ばか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

癒してくれる? やえなずな @poriporiparin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ