SUPER MARS
@RubisCO
第1話
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Friday P.M. 8:30
夜の道に、一人の女がスキップをしている。まるでギリシャ彫刻に命を吹き込んだかのような美形だ。なにかいいことでもあったのだろうか、顔には笑みが浮かんでいる。
「おねーさん、夜に一人で歩いてるとあぶないよお?」
物陰から出てきたチャラチャラした格好の男がその女に声をかけるが、反応はない。
「おい、聞いてんのかよ。」
無視されたことに怒り、乱暴に女の腕をつかもうとする。
その瞬間、女が振り向き、男に笑いかける。
「聞いてるよ?」
男は、女に目を合わせられ体中が強張った。金縛りにあったように、体が痺れる。この時ようやく、男は声をかける相手を間違えたと気づく。
「聞いてるけど、なにか?」
男は、ただ震えることしかできない。
「フフッ…」
凍ったような微笑を浮かべ、女が男に手を伸ばす。得体のしれない恐怖が男を襲う。
「ヒッ…」
男は悲鳴をあげようとするが、声にはならない。女の気分次第で自分は殺される、と男は生命の危機を感じる。
その時、ふっと女が目を閉じた。
「まあいいや、じゃあね。」
取り残された男の頭の中に、女の声が反響する。
女が曲がり角を曲がって見えなくなった後、男の体にようやく自由が戻る。
男は、力が抜けて呆然とその場に座り込んでしまった。
「やりすぎたかな?」
女はいたずらっ子のような笑みを浮かべ、またスキップを始めた。
まだ暖かさが残る夜風に、女の長い髪が靡く…。
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Friday P.M. 10:00
これって、法律的にセーフなのか?
公園の正面の自販機にチューハイが売っているのを見て少し疑問に思う。いくらこのあたりに人が来ないからと言って、これじゃあ未成年でもだれでも飲酒できるじゃないか…。まあ、どうでもいいが。
今日は金曜日の夜である。普段だったらこの時間にはもう家についているが、(飲み会などに誘われるような人間ではないのだ)今日は公園を訪れている。なに、大した理由があるわけではない。単にネットで「週に一時間心を落ち着ける習慣をもつだけで気分が変わる」という記事を読んで、近所でリラックスできそうな静かなところを探した結果、この公園にたどり着いたのである。ここは大通りからも住宅地からもはなれていて、おそらく誰もいないだろうと考えたのだ。公園の広場のベンチにでも座って、夜風にあたって帰りでもすれば多少息抜きになるだろう。
広場には意外なことに一人先客がいた。その先客は、長い黒髪をなびかせブランコにのっていた。絵画のような情景に、思わず呆然と見入ってしまう。
「…あなたも乗りたいの?」
いきなり声をかけられて驚いた。私が見ていることにいつから気づいていたのだろう。
「あ、いえ。結構です。」
動揺をさとられないように、間髪を入れずにこたえる。
「そう…。」
少し寂しそうな声で言われてしまった。私がそっけない物言いをしたからかもしれない。会話が途切れ、また公園に静寂が訪れる。(正確には、ブランコを漕ぐ音だけが響いているが)
「…今日も暑かったですね。」
気まずい沈黙を打ち破るために声をかけてみる。この手の沈黙は苦手なのだ。
「そうね。」
透き通った声の余韻が耳に残る。
「……」
キーコ キーコ キーコ…
キーコ キーコ キーコ…
時計の長針が何回か動いた後、おもむろにブランコを漕ぐ音が止まった。彼女がブランコから降りる。
どうしたのだろう、ひょっとして私が話しかけたのが不愉快だったのだろうか…。そう思っていると、彼女はこちらをまっすぐに見つめ、
「少し酔ったわ。飲み物でも買ってくる。」
と言うと広場から出ていってしまった。
いや、なんで酔うのにブランコに乗ってたんだよ。酔う前にやめるだろ、普通。まあ、この時間に一人でブランコに乗っている時点で普通ではないか…。ともかく、私が原因で出ていってしまったわけではなかったようで良かったが。
ブランコの横のベンチに腰をかける。
目があった時に自分らしくなく少し緊張してしまった。吸い込まれそうになる瞳をしている…とでも言うのだろうか。うまく言い表せないが。
しばらくして彼女が戻ってきた。おそらくあの自販機で買ってきたのだろう、手に二本のお茶を持っている。
「大丈夫ですか?」
「ええ、もう治ったわ。」
彼女は私の座っているベンチの一つ隣のベンチに座った。確かに体調が悪そうには見えない。
「どうぞ。」
二本のうち一本をすすめてくる。言われてみれば喉も乾いていたので、受け取ることにした。
「ありがとうございます、いくらでした?」
「お金ならいいけど。」
「いやいや、そういうわけにも…」
「そういう常套句はもっといらないわ。」
「…」
黙って軽く頭を下げ、キャップをひねって一口のんだ。冷たくて美味しい。
横を向くと、彼女も首を四十五度かたむけてお茶を飲んでいた。妙に様になっている。
「っはあ」
…一息で飲みきったようだ。記録六〜七秒というところだろうか。
「あら、どうかした?」
こちらが見ているのに気づいたのだろう、不思議そうな顔でこちらを見つめてくる。
「飲むの、早いですね…」
「それほどでも。」
…褒めてはないぞ。
生あたたかい風がベンチの間を通り抜ける。
「今日は、なぜここへ?」
「星を見に来たの。」
なんとなくイメージにあった答えだ。
「じゃあ、残念でしたね…。曇ってますし。」
「そんなこと、どうにでもなるわ。」
いや、どうにでもはならないと思うが。
「あなたは?」
「いや、ちょっと夜風にあたりに。」
少し格好をつけて答えてみる。
「嫌なことでもあったの?」
「いえ、そういうわけではないですが。」
「そう、変わった人ね。」
…あんたにだけはいわれたくない。
「この近くにお住まいなんですか?」
こんな公園にきているというのだから、近くに住んでいるのだろうと思って聞いてみた。
「うーんと…」
彼女が少し言い淀む。いままでハキハキと話す印象があったので、少し意外だった。
「あ、すみません。個人情報ですからね…。」
ナンパかなにかだと思われてしまっただろうか…。そんな気はまったくないのだが。
「そんなことは気にしてないわ。」
少しうつむいて笑う彼女。
「だって、言ってもだれも来ないからね。」
「…そうですか。」
不思議なことを言う人だ。これだけ美人だったら、もう少しそういうことには気を使ったほうがいい気がするが。
このあとも、しばらくこのような他愛のない会話が続いた。話しかけるとすぐに返答してくれるので、意外と話すことは嫌いではないのかもしれない。
ふと腕時計をみると、少し十一時を回ったところだった。もうそんなに時間が経っていたか。久しぶりに仕事場以外で人と話したから、時がすぎるのを速く感じたのかもしれない。
「では、もう時期失礼します。」
こういう雑談は、区切りをつけないと延々と続くと知っているので、自分から切り上げることにした。
「あら、もう帰るの?」
キョトンとした顔の彼女。
「もう一応、十一時ですからね。あなたもお気をつけて。」
適当に切り上げ、私がベンチからたちあがろうとすると、先に彼女が立ち上がった。彼女も帰るのかと思ったが、その予想に反して彼女は座っている私の前に立ちはだかった。
「…どうなさいました?」
返答はしてくれない。
彼女は幼稚園の先生が園児にするように腰をかがめ、長い髪を耳にかけると、私の目を覗き込んでくる。こんなにまともに人と見つめ合うこともないので少し緊張するが、ここで目線を外すのもなにか負けたような気がして嫌だ。
「…どうか、なさいました?」
「もう十一時ね。」
「…そうですね。」
…当たり前なことを言う人だ。
「ほんとに?」
彼女の目が妖しく光る。
「…そりゃあ、まあ。」
「どうしてそう思うの?」
「どうしてって、時計が…」
「もしその時計がずれてたら?」
「…。」
「時計なんてただの機械だし、もしかしたらずれてるかも。」
彼女の深い海のような瞳に吸い込まれるような感覚がする。
「…でも、電波時計ですよ。」
嘘だ。本当は電波ではない。だが、なにか反論しないとその海に飛び込んでしまう気がした。深海に生身の人間が飛び込めばどうなるかは容易に想像がつく。
「ふうん。」
愉快そうに笑う彼女。
「ちょっと、その時計見せて。」
「…どうぞ。」
腕を掲げて時計を彼女に見せる。自分の鼓動の音が頭に響く。
「あら?」
一瞬、一瞬だが世界から音が消えた。もとから公園は静かなのだが、それとはまた違った完全な無音だ。
彼女の真っ赤な唇がゆっくりと開く。
「まだ、十時に見えるけど?」
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Friday P.M. 10:00
静寂が公園を支配する。
…なんだったんだ、今の?
少しの間呆然とした後恐る恐る時計を見てみると、確かに十時すぎを指している。
いつの間にか隣のベンチにもどっている彼女を見てみると、「私は何も知りません」というようなそしらぬ顔をして座っている。
いや、待てよ。よく考えれば、彼女が私の時計の竜頭をこっそり回しただけかもしれない。
そう思い携帯電話をとりだして、時刻を確認してみる。だが、そのディスプレイには、22:04と言いう数字が無慈悲にも映っていたのだった。
「えーっと…」
「なに?」
彼女が普通に返事をくれたことに安心する。
「今って、本当に十時だったりします?」
「時計なんてつけてないからわからないわ。」
「…。」
うん。私だけが幻覚を見ていたわけではないようだ。そして彼女の満足げな顔をから察すると、残念なことに今は本当に十時四分のようだ。
しばらくの沈黙のあと、彼女が口を開く。
「今日って、なんの日かわかる?」
いきなり言われてもわからない。だが、彼女が何者かを知る手がかりがあるかもしれないと思い、話に乗ってみることにした。
「うーん、あなたの誕生日、とかですか?」
「違うわ。」
いや、あたるわけないだろ。
「…ヒントとかは。」
彼女は黙って上を指差した。
そういえば星を見に来たと言っていたような気がする。
「満月ですか。十四日ですし。」
「惜しいけど、残念。」
「…じゃあ金星が見えるとか。」
宵の明星とか、明けの明星とかいうのを習ったような記憶を引っ張り出す。
「残念、二個隣ね。」
二択まで絞れた。だが、太陽は満ち欠けという感じはしない。
「火星、ですか。」
「まあ、そうね。」
じゃあ、満月的なものか。
「火星も、満ち欠けするんですね。」
「…確か、日本って中学まで義務教育だったわよね。」
呆れた顔をされてしまった。
「ギブアップです。正解は?」
「教えない。」
「…。」
結構、子供みたいなところあるんだな…。
「火星、見たい?」
「ええ、まあ。」
「曇ってるから、無理ね。」
「…。どうにでもなるって、言ってませんでした?」
「あら、よく覚えてるわね。」
まあ、時計上では三十分前ぐらいですからね。
「本当に、どうにでもなると思ってる?」
「なるんじゃないですか?」
まあ、ならないだろうが。
「面白い人ね。」
だから、あんただけには言われたくない。
「やってみましょうか。」
…え?
「やってみるって、何を。」
「ちょっと、神様にお願いしてみるの。」
正気か?
「うーん…。」
少し目をつむって考えるような仕草をしている彼女。
何を考えているのだろう、と思ったが、なぜか声をかけてはいけない気がして黙っていた。
二十秒ほどして彼女の目が開く。
「よし、っと。」
「はい?」
彼女の方をみると、満足げな顔をしている。
そしてその真っ黒な瞳は、どこからか光があたっているかのように煌めいていた。
「あの…。」
「?」
「曇ったままですね…。」
「ええ。」
淡々とした様子でこたえる。
「…。」
「それとも、私が祈っただけでなんとかなるって、本気で思ってた?」
からかうような口調の彼女。
「まあ、多少は。」
「ピュアなのね。」
「…。」
彼女が何者かはわからなかった。
もう思い切って聞いてみようか。
「あの、」
彼女がこちらを見る。
「失礼になるかもしれませんが…」
「失礼だったら、怒るかも。」
…怒らないだろうな。
「あなたって、いったい何者なんです?」
「…何者って言われてもねえ。」
彼女は、飲み終わったペットボトルを無造作に投げる。
「じゃあ、あなたは何者なの?」
ボトルは、二回転して地面に垂直に立った。
「普通の、会社員です。」
空のペットボトルを立てるのって、相当難しいんじゃないだろうか。
「予想通りの普通な答えね。」
悪かったな。
「私は、なんだと思う?」
もう一回クイズか。まあ、普通の人ではないだろうな。
「普通の会社員、って感じはしないですね。」
「あら、それは良かった。」
今の、皮肉かな…。
「魔女かなにかですか。」
半分おどけて言ってみる。だが、もう半分は本気だった。
「ファンタジーがお好きなのね。」
…もう少しネタが通じてもいいんじゃないだろうか。
「でも、間違ってないわ。」
なんとなく予想はついていても、正面から肯定されると信じがたいものだ。
「本当ですか?」
この質問には答えてくれない。
また少しの間沈黙が訪れる。
「ねえ。」
しばらくして彼女が口を開いた。
「魔女って、死語よね。」
「…まあ。否定はしません。」
「あなたは、それでも魔女がいるって信じてるの?」
隣のベンチにそれっぽい人がいるのに信じるなという方が無理だろう。
「一応、信じています。」
「そう。」
少しはにかんだような顔をすると、彼女はベンチから立ち上がった。
「じゃあ、私はもう時期失礼するわ。」
言いたいことを言って、満足したのだろうか。
「そうですか、お気をつけて。」
本当はまだ聞きたいことがあったが、おそらく引き止めても無駄だろう。
「あ、そうだ。」
広場の出口でのあたり彼女が振り返る。
「まあ、分かるか。」
彼女がニヤリと笑う。
「何がです?」
「じゃ、また。」
「…。」
まったく、自由な人だ。
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Friday P.M. 11:00
彼女がでていった少し後、私も公園から出た。
不思議な人だったな…。にしても、最後に何を言おうとしていたのだろう。まあ、わかると言っていたから分かるのだろうが。
そんなことを考えていると、突然先程と同じような静寂が訪れた。なにか起こるのだろうか。
周りを見渡してみるが、特に何も起きているようには見えなかった。
だが、上を向いて驚いた。雲が綺麗になくなって、星が輝いていた。
「…まじか。」
そして、その中にひときわ大きく輝いている赤い星を見つける。
「あれだな。」
こんなに綺麗な星空を見たのは何時ぶりだろうか。
しばらく呆然とその赤い星を眺めていると、気のせいだったのかもしれないが、その星が妖しく煌めいた。
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Friday P.M. 11:00
「久しぶりに、楽しかったな。」
夜道を一人で歩いている女がつぶやく。
「もうちょっと話してあげてもよかったけどねえ。」
少し湿気を含んだ夜風がその女の頬を撫でる。
「あ、もう時期か。」
女は、真上を見上げ夜空に手を伸ばす。
一瞬、この世界から音が消え、完全な静寂が訪れる。
女が一度目を閉じ、再び開けると、空を覆っていた厚い雲はどこかへ行ってしまった。
「流石に、どれが火星かぐらいかは分かるよね。」
また、ひとりでにつぶやく。
…あれ、わからなかったらどうしよう。
その女は、一瞬不安そうな顔になったが、またすぐに笑顔を取り戻す。
まあ、そんなことは神さまが決めることね。もしまた私に会えるようになってるなら、彼は火星を見つけるわ。
空に浮かんだ火星は、夜道を歩く女に優しく笑いかけたのだった。
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