第18話 大繍の巻

橘は独り悩んでいた。

後に顕宗天皇と呼ばれることになる袁祁命をけのみことが志毗臣を滅ぼし、帝の不在という事態が解消されると共に世は平穏を取り戻した。袁祁命は若くして崩御したが、その後兄弟の兄であり、後に仁賢天皇と呼ばれる意祁命おけのみことが今は世を治めている。

直情の趣のあった袁祁命に比し、穏やかな性格の意祁命は帝として好まれ、男の子も二人産まれてますます世の中は安泰となりつつある。

それと共に兄の子を探すという事の意味が薄れたのは仕方ないことである。今や青海郎女は年の半分ほどを新たな宮である近淡海の宮で過ごし、甥の手助けをしている。青海郎女は、橘への協力を惜しむなと家の者に言い残してくれたが、葛城の家の手の者を使って兄の子を探すというのは手詰まりになっている。兄弟が見つかった以上、帝の候補になりうる新たな王が見つかるということは葛城にとって望ましいことではない。自然と懈怠けたいしているのは明らかであった。

「諦めるしかないかもしれない」

と思いつつ、では兄が夢で語ったことは何だったのか、どうすればいいのかと考え橘は眠れぬ夜を過ごしている。

「お兄さま、お姉さまの言いつけを聞こうとするならば・・・」

いまだに橘は高木角刺宮に住んでいるが、このまま捜索を続けようとすれば、いずれここを出ねばなるまい。心強い味方であった葛城もいざとなれば敵になるのかもしれない。

まつりごとにまつわるそうした負の側面を橘は、これまで嫌というほど見せつけられてきたのである。


そんな或る日の事だった。空に白い雲が薄くかかり、秋風が衣を変えるようにと人々に伝えてくる季節である。

「お客さまがいらしております」

侍女の声に刺し子から目を上げると、橘は首を傾げた。

「どなた?」

穴牟遅あなむぢさまと申されております」

聞いたことのない名前であった。誰であろうか?と橘は首を傾げた。

そもそも橘を訪れる客は数少ない。それに侍女にはなるべく知らぬ人を通すなと命じてある。その侍女が何の抵抗もなく案内をしたことを橘は不思議に思い、問い質したが、侍女は夢を見ているような表情で答えた。

「たいそう恰幅の良い立派なお年寄りでございますよ。出雲からいらした商人あきうどでいらっしゃるとか・・・。比売の事は子供の頃からご存じでおられると」

「出雲・・・」

出雲に知る者はない。だが、夢で見た兄が伊余から逃れた先が確か、出雲と言っていたではないか、と思い出した橘はその老人に会ってみる気になった。

「お通しなさい」

暫くすると、侍女の言った通り恰幅の良い、赤ら顔の老人がにこにこと微笑を浮べながら戸口で奇妙な挨拶をして入って来た。二度頭を下げ、八度手を揉み、もう一度ひょこりと頭を下げたのである。

「なんと奇妙な仕草だこと・・・」

その剽軽ひょうきんな様子に橘は思わず口元を緩めつつも、

「私の事を子供の頃から見知っていると仰られますが、私はそなたの事は存じ上げませぬ」

と柔らかくたしなめた。老人は恐れ多いとでもいうようにのけぞると、

「ごもっとも、ごもっとも」

と、どこからか空気の漏れているような声で笑い、

「されど私は良く存じ上げておりますぞ。橘のお名前の由来はかの、伊久米伊理毘古伊佐知命いくめいりびこいさちのみことの良き臣、多遅麻毛理たぢまもりの持ち帰ちかえられたという常世とこよの花にちなんだお名前。さても、貴きお名前に相応しき、良き人にお育ちになられたことで」

と妙な節回しで歌うように語り掛けてきた。

「まあ・・・」

唖然としたが、その由来は昔、父と初めて会った時に自分の名の由来として聞いたものと符合している。

「どうしてそんなことを・・・」

「さきほども申しました通り、私めは何でも知っておりますぞ」

と剽軽な口調は変えぬまま、老人は橘の目を覗き込んだ。

「あ・・・」

その瞬間、橘はまるで宙に浮かんでいるかのような浮遊感に囚われた。体が軽く、姉と昔遊んでいた時のような若々しい力がみなぎるように思えた。

「あなたは・・・?」

わななくような声で尋ねた橘に老人は、うんうんと言うように頷くと、

「以前、私めの統べる国へといらっしゃりましたな。よく覚えております。お兄さまとお姉さまと楽しそうに話しておられました」

そう答えた。

「まあ、ではあなたはあの国を統べるみこと・・・?」

ほほほ、と愉快そうに笑った老人は、軽く手を振って、

「お二人は元気にお暮しでおりますよ。ですが、あなたさまはなかなか苦労されておられるようですな」

「ええ、まあ」

橘は今の世の様子を語り、そして兄の子を探すことの難しさやその意味がなくなりつつあるように思われることを話した。なぜ人に今まで決して漏らしたことのない心の裡をこの老人にはすらすらと喋ってしまうのか、橘にも分からぬが、言葉や思いが泉のように自然と湧き出てくる。ほとばしり出る。

「もちろん、そうなりましても私は兄の子を探そうと思っておりますが・・・」

橘はそうはいったものの、手立てがあるわけではない。自然とおもを伏せた。

老人は橘の語る経緯をあらまし知っているかのように驚きもせずに時折首を縦に振って聞いていたが言葉を聞き終えると

「そのようなことはございませぬぞ」

と呟いた。

「そのようなこと?」

面を上げた橘に

「なかなか」

老人は謎めいたつぶやきをすると、

「意味があるかどうかはあなたさまがお決めになる事ではございませぬ。世が決めること・・・。とはいえ、あなたさまがご苦労なさっているのは分かっております。そこでこの老人が、すこしお節介を焼こうと考えましてな」

「はい・・・」

橘は素直に頷いた。この得体のしれない老人は、それだけの力を持っているに違いない、と自然にそう思えた。

「ですが、ここでは人に気取られてしまいます・・・。確か近淡海にあなたさまの領がございましたな」

「ええ」

それは兄、大長谷が橘に唯一残してくれた物である。そこにある古い邸は兄が以前、根臣を匿った場所でもあった。

「ではそちらで・・・」

「そちらで?」

「お兄さま方のお子に引き合わせましょうぞ。この月の晦日みそかに」

「え?」

橘は目を見開いた。そんな橘に向かって老人は微笑を向けたままであった。

「そのお子にあなたから直にお話なされませ」

優しくそう言った老人に橘は深く頷いた。

「では・・・」

と席を立った老人は、

「おお、そうじゃ。忘れておった」

とぽんと額を叩くと、

「これは品陀和気命ほむだわけのみことの末であるしるし」

と背負った荷から一振りの太刀を取り出した。見れば時代のついた、しかし豪奢な造りの太刀である。

「この意味を分かっておられましょうな」

老人の問いかけに橘は首を縦に振った。いざという時、血脈の証となるものに違いない。老人は重々しく頷くと、

「この太刀は百済の国主こにきし照古王せうこわうから品陀の帝に贈られた由緒正しきもの。いずれお役に立ちましょう」

「はい」

素直に橘は頷いた。

「それと・・・今でこそ青海郎女さまとは疎遠になられておられるようだが、あのお方はあなたさまを救ってくれたお方、ゆめ、ないがしろになさってはなりませぬよ。いずれまたお近づきになられる時は、助けてあげなされ」

そんなことがこれからあるのだろうか、と思いつつ橘は再び頷いたが、ふと思いついて、

「一つだけ、お聞かせくださいませ」

と老人を呼び止めた。

「なんですかな」

身を翻しかかった老人は怪訝な顔を橘に向けると問い返した。

「兄と姉は人として犯してはならぬ間違いをしたと言われております。なぜあなた様はそれを御助けになりました?」

「ふむ・・・」

老人は迷ったように目を宙に泳がせた。

「それを知ってなんとなされますかな?」

「なんとも・・・。ですが、訳を知りたいのでございます」

「ならば、知らぬ方が良いことも知ることになりますぞ」

老人の言葉に一瞬、躊躇いを見せたがすぐに橘は力強く頷いた。

「知らないことで強くもなれましょう。でもそれは偽りの強さでございます。本当に強いのは知った上で耐えることにございましょう」

「なるほど、の」

老人は軽く頷くと、

「ではお教えしますかな。お姉さまであられる冬衣さまはあなたと父も母も同じ姉妹いろどでございましょう」

「もちろんでございます」

橘は何の話かと、首を傾げた。

「そうですな。ですが、木梨皇子はそうではござらぬのですよ」

「え?」

橘は混乱した。では木梨の兄は実の兄ではないのか?しかし老人は橘の心を読んだかのように僅かに首を振ると続けた。

「木梨の皇子は確かに父上のお子であられますよ・・・ところで、あなた方が兄弟分かれて住むようになった、その理由はなんと聞かされておりますかな?」

「それは・・・父が病で・・・あと」

老人はゆっくりと首を振った。

「そうではござらぬよ。帝はわざわざ最初の御子を宮に置くのをやめられたのです。木梨のお方は別の女の子供であったが、大后は布で腹を巻いてまで自らの子と主張なさった。最初の子が別の女の腹に宿ったことを許せなかったのでございましょう。その悋気りんきにあたって生みの母は御子を産むと直ぐに身罷ったのだが・・・帝はその悋気が子に及ぶことをを恐れたなさったのですよ。だから生まれてすぐその子を別のところに移しなさったのです。幸いにしてその後、大后も次々とお子を身籠られた。だが、大后も一人目のお子を自らの子と主張なさった以上、木梨皇子と違う扱いはできなんだ」

「では・・・?」

橘の頭の中にふとある考えが閃いた。母は・・・自らの子でない木梨皇子が皇位を継ぐことを喜ばなかったのであろうか。もしや・・・?そして母が知っている以上、その兄である意冨本杼王ももしかしたら・・・?

「そこから先の事はわしも分からぬ」

老人は首を振った。

「しかし、例え真実の母が別とはいえ、いろどと称しておる兄弟が夫婦となることは許されぬ。そのとがを負ってあの二人が宮を追われたのは仕方なかろうと考えますがな。ただ・・・哀れと思ったのでございますよ」

老人はしみじみと言った。

「そしてその時に生まれた不吉を呼ぶ気は形を変え、まだ残っておる。されば・・・」

老人は呟いたが、最後までは言わなかった。

「まあ、話はそこまででございますよ。冬衣比売命にもあなたにもその気は残っておらぬ。それは確かでござります」

にっこりと笑うと老人は立ち上がった。

「長月の晦日に・・・日を違えなさるな。月をまたげば、この爺は出雲へと戻らねばならぬのでな」


橘が近淡海にやってきたのは、大長谷の兄、即ち雄略天皇が没しその領を引き継いだ時に訪れて以来の事である。

そこで取れる米や作物のうちほんの僅かなものを自らに送らせ、取れ高の六分を耕作した者に分け残りの物を灌漑などに使わせると言った時、村の者たちは狂喜した。以前は取れ高の半分を強制的に御倉みくらに納めさせられたのである。だから、送られてくる米や季節の物を青海郎女に納め入れる際には、必ず決められたもの以外の茸や魚が村の者の好意として添えられ、それを楽しみに橘はささやかに暮らしていた。

領を差配する者を通して橘が訪れると聞いた時、村人たちはいつも手入れを怠らない邸を更に丁寧に浄めて迎えたので、邸は人が住んでいるのと変わらぬほど行き届いた様子になっていた。


橘はその邸の一室で待っていた。晦日の空に月はない。仄かなしょくの放つ光に庭のすすきが揺れているのを眺めていると、暫くして彼方から松明たひまつが二つ近づいてくるのが見えた。

灯は少しずつ橘の方に向かってきて、やがてその灯のもとに以前会った老人の顔と、整った顔立ちの若い男の顔が見えた。

「お兄さま・・・」

思わず、橘は声を上げた。その若者の顔は幼い頃見慣れていた兄の顔と瓜二つである。若者はその声に少し驚いたように目を上げ、叔母の顔を見ると嬉し気に微笑んだ。

「お若くいらっしゃる」

兄の子はもう壮年に差し掛かっている筈だが、その男はまだ二十歳過ぎほどにしか見えなかった。だが、その容姿、立ち居振る舞いは見紛うこともなく兄と姉の子であった。

「わしの手の物に育てられましたからな」

老人は優し気にそう言うと、さあ、ご挨拶なされと若者に促した。庭の石に膝をつき、挨拶をする甥を見ながら橘は自然と涙が頬を伝うのをそのままに、何度も頷いた。老人はそんな橘の様子を眺めると、

「さ、お話を。爺はこれから出雲へと発たねばならぬ。欠かせぬ談合がございましてな。この頃は忙しゅうてしかたない」

「はい。ではさあ、こちらへ・・・」

ひざまずいたいたままでいた若者の手を引くようにして橘が邸に上げる時に、老人は以前した通りの作法で辞儀をした。笑う気持ちにはならず、橘は同じ仕草で礼を返した。老人は微笑むと無言できびすを返した。邸に上がった若者と橘は、芒が時折遮る松明の明かりが遠ざかっていく様子をずっと見遣り、やがて老人の姿が闇に溶け、見えなくなると再び同じ作法で礼をしたのである。


そして、話は序章の風景に繋がる。だが、これで終わりではない。


近淡海の邸にその若者を住まわせ、自らの分を減らしてその若者をそこで暮らさせてくれと頼むと、村の者たちはなんとしても聞かず以前通りの物を橘に届けると言ってきた。一人で暮らさせるわけにもいかないので、数人の供の者を付けずにはいられぬ。それでは村が貧しくなるのではと案じた橘に、村の者たちは余りの金で施した灌漑で取れ高が以前よりずっと増えました、と申し立てた。まことの事である。それを聞いて橘は有り難くその好意を受けることとした。

元の通りに住んでいるが、橘もいずれ近淡海に隠棲して甥と一緒に暮らそうと考えていた。もはや宮に残る意味もない。

そう考えた頃、再び時の帝が病を得て崩御なされたのである。

「若い頃の無理が祟ったのであろうか・・・」

と橘は思った。先の帝である袁祁王、この度身罷った意祁王共に幼い頃に宮を逃れ、馬養のところで年少期を過ごした。その頃の生活がどんなであったかは良く知らぬが、過酷な生活であったことは容易に想像できる。

「せっかく戻られたのに・・・お気の毒なこと」

と思いつつ、どこか他所事よそごとのような気がしてきたのは年を取ったせいであろうか。年若の頃、散々権力の争いを見てきた生活に倦んでいる年寄りの自分がいる。

そんな橘も、しかし新しい帝の大嘗の儀式に呼ばれることになった。

「これを、最後にお暇をいただこう」

石上いそのかみへと赴いた橘は久しぶりに会った青海郎女を見て、そのやつれぶりに驚いた。

「どうなされたのです」

尋ねた橘を見て青海郎女は幽かに微笑んだ。

「おひさしぶりだこと」

「ええ」

橘は頷いた。青海郎女とは一年ほど会っていなかった。その間中、青海郎女はずっと甥の傍にいたのである。そして甥の跡を継ぐその息子の面倒をみてきたのであろう。しかし尋常でない窶れぶりである。それほどまでに帝の看病に精力を使い果たしたのであろうか、と橘は不思議に思った。

「せっかく生きて戻って来たのに・・・あの子たちがこのように早く逝ってしまうとは思ってもみませんでした」

青海郎女は嘆くように言うと、堪えていたのか涙をほろりと零した。

「でも・・・。御子を御残しになったのですから」

仁賢天皇は春日大郎女かすがのおほいらつめとの間に次々と子を儲けた。弟の袁祁王が子を一人も成さぬまま崩御したのを見て青海郎女が強く勧めたこともあるが、自身も再び皇統の絶える危機を悟ったのであろう。

最初は女御子ばかりだったが、最後の二人は男の子で、一番年若の男の子は夭逝ようせいしたものの兄の小長谷若雀命をはつせのわかさぎのみことは健康に育ったと聞いている。その子が次の帝になるのである。青海郎女の望み通りになったはずであるのにこの憔悴しょうすいぶりはどうしたのであろう?


橘にとって春日大郎女は姪にあたる。春日大郎女は大長谷の兄が春日袁杼比売との間に産んだ子であるがなぜか公にはされていなかった。高木角刺宮に隠棲のようにして住んでいた橘は会ったことがない。ただ、自らの子に父である長谷の名を冠したことで、郎女が父を慕っているらしいその心中を察し、ならば今後も会うこともなかろうと考えていた。

「ええ・・・」

答えた青海郎女の声は張りがなかった。目は虚ろである。

「何かご心配事でも?」

「・・・。」

青海郎女はしばらく間を置くと、

「新しい帝は理非りひにとても厳しくいらっしゃる。それはいいのですが・・・」

「はい」

「いずれ、あなたもお会いになりましょう。その時はお考えを聞かせてくださいな」

静かにそう告げた青海郎女であったが、その時遠くから声がした。

「おばばさま、おばばさま・・・」

橘の目はその声に、青海郎女の憂いの色が一挙に濃くなったのを見て取った。

「何でございます」

戸を乱暴に開け放って入って来たのは白の綾を纏った若者である。その若者は祖母の前に慎ましく控えている女を見て、

「どちらか?」

と甲高い声で尋ねた。

「男浅津間若子命の女御子であらせられますよ。橘大郎女でいらっしゃる」

青海郎女の声に、

「ほう」

と若者は橘を見遣った。

「お顔を上げなされ」

頭を下げていた橘は緩やかに顔を上げた。

「なるほど・・・わが母の叔母上、それは、それは」

とにやりと笑うと、

「ところでおばばさま。これをご覧くださいませ」

若者は綾織りの袖を青海郎女に突き出した。その袖の模様が僅かにれている。

「かようなものを主上に着せようとは、けしからぬことではございませぬか?」

甲高い声で若者は詰った。

「・・・。よく注意しておきましょう」

答えた青海郎女に向かってかぶりをふると、

「いいえ、そのような生ぬるいことではなりませぬ。そのような事をすればどのような罪を受けねばならぬか、とくと分からせねば・・・。そうだ、どうでしょう。昔、建速須佐之男命は天馬を逆さ剥ぎにして機屋に落とし込んでその時機織りはにほとを刺して死んだというではないですか。そのような目に遭わせてやるべきでは?」

「さようなことをしたら機織り女が一人もいなくなります。綾を織る者がいなくなればお困りでしょう」

青海郎女のいさめに若者は、ふん、と鼻を鳴らすとつまらなそうに、

「私が欲するのはこのような間違えを犯す機女をいなくすることでございます。おばばさまの言うようになされてはいつまでもつまらぬ過ちを犯すものが後を絶ちませぬ」

と言い捨て、来た時と同じように乱暴に戸を開けると部屋をでていった。橘へのあいさつもないままである。

困ったような顔で橘を振り向いた青海郎女の目には蒼白になった橘の顔が映った。

「どうなされたのです?」

青海郎女の問いに、橘は無言で首を振った。だが心の中で

「お兄さま・・・の生まれ変わり?」

と呟いていた。することは全く違う。兄はあのような乱暴な真似は決してしなかった。だが・・・。薄い唇、兄が時折見せた酷薄な眼差し、そしてどこか声の調子も・・・。

橘はもういちど、その考えを振り払うように激しくかぶりを振った。

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