第6話

 

 目が覚めると、さっきとは全く違う部屋にいた。

 暗めの壁紙に暗めの照明。床には中華風の模様が施されたカーペットが敷かれ、壁には漢字がビッシリと書かれた掛け軸がかかっていた。

 「何だここ……」

 立ち上がろうとしたが体が動かず、自分が椅子に縛り付けられていることに気が付く。


 「あ、目が覚めた?」

 

 背後からぬらりと未玖が現れた。

 彼女は先程の登山服ではなく、真っ暗なパーカーとズボンを身に付けていた。

 

 「…お前……なんで……」

 「さっきの部屋は汚したくないからね。おじいちゃんに怒られちゃう」

 

 未玖は仁王立ちになり、こちらを冷たく見下ろす。とは言っても身長差が激しいため、ほとんど目線は変わらない。

 常に穏やかで優しい笑みを浮かべている彼女からは想像も付かない表情だ。

 しばらく無言の睨み合いが続いた。


 「………俺をどうする気や?」


 数秒後、相手の威圧感に耐えられなくなり、思わず口を開いた瞬間、未玖は右手に持っていた何かを持ち上げて低い声でこう言った。



 「殺す」



 彼女の手に握られていたものは斧だった。

 昔家族でキャンプへ行った際、父が使っていたものとよく似ていた。大人が片手で持てるサイズだが結構な重量がある。少なくともあんなもので殴られたら生きてはいられないだろう。

 一気に血の気が引いていくのが分かった。


 「お前ふざけんなや!俺がいったい何したっちゅーねん!」

 俺は半分取り乱しながら未玖に怒鳴った。

 「俺お前に何かしたか?何で殺されなアカンねん!」


 それは相手を怯ませようという一方、自分自身の強大な恐怖心を紛らわすための行為でもあった。

 未玖はそんな俺を見て、怖がるどころかうっすらと例の如く口端に笑みさえ浮かべていた。


 「ねぇ、唐くん。どうして未玖が唐くんのことを殺すか、教えてあげようか?」


 首をこてんと傾けてそう尋ねてくる彼女。

 その顔は笑顔が固定されたままで、まるで人形みたいだ。

 その言葉を聞いた俺の口から罵声が少しずつ消えた。

 うなずくことも、首を振ることも出来ないで相手を見つめていると、彼女は小説でも朗読するかのように一方的に語り出した。


 「……もうすぐ1年が経つんだ……覚えてる?俳優の志賀翔利が援交疑惑でSNSでの誹謗中傷を苦にして自殺したこと」


 ああ…懐かしいな。そんなこともあった。

 「覚えてるで」

 だがそれと、今の状況にいったい何の関係があると言うんだ。


 「あの時お前はshelltalkに、彼に対する誹謗中傷を投稿したよな」

 「………そうだったっけ…?」


 その返答に、未玖の表情が一気に険しくなった。俺を見る目が1週間台所に放置された生ゴミにたかるハエを見る目だ。

 地雷を踏んでしまったことを後悔したがもう今更遅い。何とかこれから挽回しなければ。


 「…これ」

 未玖が見せてくれたスマホの画面には、俺のshelltalkのアカウントが表示されていた。

 「これの、昨年10月5日の夜の投稿」

 気怠げな声でそれを読み上げる。


 「『もともと悪人ヅラじゃね?志賀翔利もう終わったなw』」

 

 それを聞いて、俺はようやく思い出した。

 あの日は部活で怒られてむしゃくしゃしていて、これを書いたのはホンの軽い気持ちで、憂さ晴らしのつもりだったんだ……。


 「…これが、お前を殺す理由」


 未玖はスマホの画面を消すと、近くにあったソファーにポンと投げ捨てた。

 

 「沢山の誹謗中傷のせいで志賀翔利は苦しみ、そして自殺という選択をした」


 そしてゆっくりと、右手に持った斧を持ち上げる。俺の頭上の高さまで。

 一気に背筋に冷たいものが走り抜けた。

 こんなもので頭をやられたら1発でスイカみたいに割れてしまう。

 これから自身に襲い来るであろう甚大な痛みや、死への恐怖。そして家族や友達に2度と会えなくなるという絶望感。そして今更になってようやく湧いてくる恋春への懺悔の念。


 「待てよ!」

 俺はそれらをかき消すように大声で未玖に向かい叫んだ。

 「なんで…なんで俺なんだよ……」

 こんな仕打ち、あまりにも理不尽じゃないか。


 「志賀翔利のもっと酷い誹謗中傷してたやつ他にも沢山いたやろ⁈その中で何で俺⁈それにアイツも援交してたんやろ、女子高生と‼︎……っていうか……お前は志賀翔利の何⁈」


 一度堰を切って口から溢れ出してきた言葉はもう止まることを知らなかった。

 いけない、ダメだと思いつつも未玖に感情を投げつけるのをやめられない。俺の命は今、彼女が握っているというのに。


 「あの書き込みをしただけで、何で俺が殺されなアカンねん!」

 「…唐くん」


 未玖が表情を和らげ、斧を下げたので少しだけホッとする。


 「どうして、星の数程あるSNSの誹謗中傷の中から、唐くんを選んだのか教えてあげようか?」

 

 だがそれは俺に対する殺意が失せたというわけではなく、あくまで話し合いの邪魔になるからのようだった。

 彼女の目の奥に光る凄まじい殺気を浴びながら俺は首を縦に振る。


 「死んだ兄のスマホに表示されていたshelltalkの画面を見た時、1番上に表示されていたのが唐くんの投稿だったからだよ」

 「は……?」


 それだったら俺じゃなかった可能性も充分あるじゃないか。

というか俺じゃなくてもいいじゃないか。

俺である必要性は全く無いじゃないか。


 「タイミングが悪かったね。あと1分でも早く、1分でも遅く投稿していたら唐くんじゃなかったかもしれないのにねぇ」


 未玖はちっとも楽しくなさそうにケラケラ笑いながら飄々と言った。

 俺はあの日、あの時、shelltalkに軽い気持ちで誹謗中傷を投稿したことを心から悔やんだ。過去に戻れるのならばあの日の自分を止めに行きたい、殴りに行きたい。


 お前が軽い気持ちで投稿した言葉は、人の命を左右する危険性を充分に秘めている。

 現に俺たちの誹謗中傷で志賀翔利が自殺したように。そして今俺がとんでもない確率で選ばれて、その生命を危機に晒しているように、と。


 「言葉は時として人を、そして自身をも殺める鋭利な凶器となりうるの。それをよく覚えておくことね」


 と言っても、もうすぐ唐くんは死ぬんだけどね。と未玖は付け足した。

 1度下ろした斧を再びよいしょと持ち上げた時、ボロッと俺の目から涙が落ちた。


 死にたく無い。まだやりたいことだってたくさんある。友達ともっと遊びたいし、部活だってもうすぐ試合なんだ。大学も行きたいし、結婚だってしたい。それに、それに、それに……


 「……未玖…」

 

 そう呟いた後鼻をすする。我ながら子供みたいで情けなかった。


 「…助けて…助けてください……」


 すすり泣く俺を彼女は表情一つ変えずに見つめると、その完璧な形の唇を開いてこう言った。


 「あの日、塾帰りの未玖を兄さんは迎えに来てくれた」

 

 それは俺の命乞いが未玖の心に一切響いておらず、俺を殺そうという意志が依然として変わっていないことを意味していた。

 

 「その後、久しぶりに一緒に夕飯でも食べようって、兄さんは未玖を焼肉屋に連れて行ってくれただけなのに、そこを勘違いされて……」

 「……兄さん….?」

 「…志賀翔利の本当の名前は、蓬莱翔利よ」


 それを聞いて、未玖の今までの行動の謎や不可思議だった言動の理由がようやく分かった。


 感情豊かで、くるくるとよく表情の変わる未玖。まるで変面のようだ。

 だが彼女の顔の仮面が変わっても、その目の奥に光る鋭いものはいつだって変わらずに俺を見据えていた。


 未玖は俺に取り入って2人きりになる機会を作り、そして殺す。兄の復讐をするために転校してきたのか。


 「……確かに誹謗中傷にも目を覆いたくなるような酷いものと、まだマシなものと差があるかもしれない。けれど対象を深く傷付けているという面ではそれらに何の相違もないの。


 何気無く吐いた一言で人間なんて簡単に歪む。人生なんて簡単に狂う。 

 だけど自分がしてしまったことには2度と取り返しが付かない。1度盆から溢れた水が、もう戻ることは無いようにね」


 俺は後悔の念で一杯だった。

 普段、芸能人の誹謗中傷なんてしたことは無かった。志賀翔利のことも別に嫌いだったわけじゃなかった。あの日部活で怒られてムシャクシャしていなかったらきっと、あんな投稿なんてしなかったはずだ。


 でももう戻れない。変えられない。やり直すことはできないのだ。1度盆から溢れた水が、元に返ることは無いように。

 俺の人生はここで、こんなことで、あっけなく終わってしまうのか。


 「よし、もういいかな」


 未玖の口調はお湯を入れたカップ麺が3分経ったかを確認するような、淡々として軽い調子だった。

 例の斧を頭上高くまで振りかざす。座っている俺の体に影が落ちる。


 「じゃあ、そろそろ」

 

 殺される。

 ブワッと体の毛が総毛立ち鳥肌が体中を覆い尽くした。

 涙と共に色々な感情が無茶苦茶に混ざってこみ上げてくる。死にたく無い。生きたい。ごめんなさい。助けて。


 「…み……未玖!その投稿は消すし、誹謗中傷は絶対にもうしない!それに慰謝料だっていっぱい払う!一生かけて償うから!やから…お願い…お願いやから……」


 俺は号泣して、震えながら頭を下げた。


 「……ごめんなさい…許してください、お願いします……」


 恥も外聞も何も無かった。が、今はそんなことを言っている場合では無い。

 死にたく無い。助かりたい。その思いが頭の中の全てを埋め尽くしていた。それ以外のことは何も考える余裕が無く、呼吸の仕方も忘れるほどだった。

 

 「……唐くん…」


 それからどれだけの時間が経っただろうか。

未玖が今までとは違う穏やかな声音で俺の名を呼んだ。

 許してくれるのか?

 そう期待して顔を上げる。


 が、そこにいたのは先程と同じ、斧を振り上げた彼女の姿であった。



 「死ね」



 未玖はその一言だけを吐き捨てると、腕をうねらせて、凶器を俺の脳天目掛けて振り下ろした。

 目を瞑る暇も無い。直後、俺の頭がアイスクリームみたいに冷たくなった。






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#変面の転校生 雪美 @walnut0718

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