青空スカイロード

日田成人

第1話

今日は七月二十日、まさしく一学期の終業式の日だ。僕はいつも通り制服を着て、中身は空っぽのリュックサックを背負って家を出た。そしていつも通り親友のナルと待ち合わせるために歩道橋の近くに足を運んだ。僕が歩道橋に着くと同時にナルが向こう側から走ってきた。学校の中でもトップクラスに足が速いナルは次に瞬きをした瞬間、もう僕の目の前にいた。

「わりぃ、ケイ。待った?」

「ううん、今着いたとこ。それにしてもナルは相変わらず足が速いね」

「いやいや、俺まだ五十メートル走六・八秒だし」

「それでも僕なんかより全然速いよ」

「それじゃ今度一緒に練習しようよ」

「まあ気が向いたらね」

僕たちはいつも通り駄弁りながら中学校へ向かった。今日は二人とも部活がなく、のんびりと登校ができた。時刻は八時と大通りではびゅんびゅん車が走っているが、僕たちの通学路はそこから外れた細い道なので通りは閑散としている。通っている人と言えば、散歩中のおじいちゃんと膝頭が隠れるくらいのスカートを着た女子生徒、朝から騒がしい男子生徒くらいだ。

スズメが鳴く声を聞きながらナルと話していると、後ろから声が聞こえた。途端、僕は緊張してしまった。

「お! あいついたぞ。相変わらず陰気くせぇよな」

「全くだよ。暗いやつがいるとクラス全体が暗くなるんだよな」

僕はその声に聞き覚えがあった。僕と同じクラスの男子生徒の声だ。クラスの中心人物で、僕は彼らのことが苦手だ。名前こそ言ってないものの、彼らの指している人のことが自分のことであるのは明白であったので僕は今にも逃げ出したい気分だった。

「おい! お前ら、朝からうるせえぞ」

そう彼らに言い放ったのはナルだった。

「ケイ、あそこまで競争な」

ナルは二つ先の曲がり角を指し、走り出した。僕はナルに追いつこうと必死に走った。

「ナル、あいつらにああ言ってくれてありがとう」

 曲がり角に入りながら僕は言った。

「あんなやつら無視するのが正解だよ。全く、朝から人を嫌な気分にさせといて、タチが悪いよな」

「ナルは凄いな。あんなに堂々と立ち向かえて」

「だって友達のことを言いたい放題言いやがって黙っていられないよ。言いたいことは堂々と言わなきゃ伝わらないしさ」

「本当ナルは凄いね。ありがとう」

そうこうしているうちに僕たちは中学校に着いた。三年生の下駄箱に行き、茶色がかった上履きに履き替えた。

「それじゃ」

 僕とナルは違うクラスなので一旦お別れだ。古びた階段を上り、自分の教室に入った。僕はチャイムが鳴るまで読書をして待つことにした。クラスメートが入ってくるたびに教室の中が騒がしくなるのを横目に、僕はひたすら目の前の文字の羅列を眺めるのに専念した。

先生が入ってくると時間はあっという間に過ぎた。出席を確認し、体育館で終業式を執り行い、成績表を返され、一学期最後の学校は幕を閉じた。

「気を付け、礼」

日直の合図に続き「さようなら」と挨拶をし、僕は足早に昇降口に降りた。下駄箱で外靴に履き替え、外に出ると既にナルが僕を待っていた。

「成績表どうだった」

開口一番、ナルは質問してきた。

「まあよかったよ」

「五は何個あった」

「えーと確か四個だったかな」

「相変わらずケイは凄いな。俺とは大違いだ」

「そういうナルはどうだったの」

「友達にも言えないような結果って言えば分かるかな」

「あー今回は聞かないでおくよ」

 思わぬところで遠回しに自慢をしてしまったことを、今更僕は頭の中で反省した。

他愛のない話が一区切りしたところで、再びナルが話題を振ってきた。

「そういえばさ、明日と明後日空いてる?」

「うん、空いてるよ。部活は三日後からだから」

「それじゃあ一緒に自転車で走ろうよ」

「いいけどどこまで?」

「まあまあ俺についてきて。一応、山のほうに行く予定かな」

「あ、そうだ。僕、ママチャリしか持っていないけど大丈夫?」

ナルはこの間、クロスバイクを購入した。耳にたこが出来るほどナルからクロスバイクの自慢話を聞かされたのは記憶に新しい。

「うん、大丈夫だよ。俺が合わせるよ」

「それならよかった」

「それじゃあ明日の朝七時にいつも待ち合わせしているところに集合な」

「うん、分かった」

「あ、あと帽子も持ってきて」

明日の予定を確認し、僕たちは今朝の歩道橋で別れた。

真っ黒いアスファルトに降り注ぐ日差しは僕の真っ黒い頭を焦がすほど強かった。空には雲一つなく、青いキャンパスに白い太陽がぽつんと在るだけだった。この様子であれば明日は帽子がないと生きていけなそうだ。ナルの言う通りだな。

夏の暑さを身に染みながら、僕は大通りから外れ誰もいない小道をただ一人歩いた。僕が一人でいるのと同じように、太陽もまた一人、虚しく空を照らしているように見えた。

家に着き昼食をとり、僕は早々に明日の準備をした。今日は九時に就寝することにしよう。



翌朝、いつもの歩道橋に行くと既にナルがピカピカのクロスバイクを脇に置いて待っていた。

「ナル、おはよう」

「おはよう。今日は長旅になりそうだから、先にコンビニに行ってご飯買いに行くぞ」

「分かった」

ナルは水を二本、昆布とツナマヨのおにぎりとスティックパンを数本、僕は水を二本、バターロールパンを数個と塩おむすびを二個買った。

「俺、ケイに合わせて走るからケイは無理せず自分のペースで走って」

そう言ってナルは先導してクロスバイクにまたがり漕ぎ始めた。僕もナルに続いてママチャリを漕ぎ始めた。重いペダルを踏み、一生懸命コンクリートの上を走った。

「そういえばナルって前から自転車が好きだったけ」

僕はふと気になり、前を走るナルに聞こえるように質問した。

「そんな前ではないかな、ここ最近って感じ。やっぱチャリ漕ぐと気持ちいいじゃん?」

「確かに」

ナルに追いつくのに必死で気づかなかったが、僕たちは既に川沿いのランニングロードを走っていたらしい。川を流れる綺麗な水の音、木の葉の間を通り抜ける風の音、朝特有ののんびりとした太陽の光、それらを自転車に乗りながら一気に体中で受け止めたのはとても爽快感があった。この感じは一体いつぶりだろうか。常に人間が作ったアスファルトの上を歩き、大多数の人間の集団に入りながら暮らしていたので、そんな感情を忘れかけていた。

「うわあ! すげえな」

自然を全身で感じていると、ナルが興奮した面持ちで叫んでいた。ナルの視線の先の方を辿ると、小鳥たちが一斉に飛び立っていた。僕たちが来たせいで慌てて飛んだのだろう。一匹、二匹が飛び立つのとはわけが違う。何匹、何十匹もの小鳥たちが飛び立ったのだ。この景色にはまさに壮観という言葉がふさわしいだろう。

「ナル!」

「どうした」

「山の方に行くって昨日言っていたけど、山に行って何するの」

周りの優雅な音にかき消されないように、僕は必至に声を出した。

「俺、この間見つけちゃったんだよ。とっておきのサイクリング穴場スポット。それが山の方にあるんだよ。すぐ近くだから大丈夫」

「その穴場スポットって?」

「行ってからのお楽しみ」

ナルは相変わらず焦らすのが上手い。最初は重かったペダルが、だんだん軽く感じるようになった。

川の幅はどんどん狭くなり、石も大きいものが目立つようになってきた。道路はというとアスファルトの道は無くなり、どちらかというとあぜ道を走っているような感覚に近かった。そのせいか最初の頃より疲れやすくなってきた。かれこれ一時間ぶっ通しで走ってきた。そろそろ休憩してもいい頃合いだ。ナルも同じ気持ちだろうかと様子を伺うと、元気そうにペダルを漕いでいた。まだまだ体力は有り余っているようだ。さすが運動部に所属しているだけある。僕も足を引っ張らないように頑張らなければ。

「雲行きが怪しくなってきた」

ナルは少し上を見ながらぼやいた。青いキャンパスの奥の方にはどんよりとした灰色の塊が漂っていた。見ているだけで不思議とこちら側までテンションが下がりそうな感じだ。先刻の優雅な朝は一体どこへやら。言い換えるなら、ピッコロやフルートが楽しくさえずっているところへテューバやバスドラムがどしどしと、がに股で向かってくるような感じだろうか。

「ケイ! あともう少しで穴場スポットだから飛ばすぞ」

「分かった!」

僕たちは空が涙を流さないうちに急いでペダルを漕いだ。今持てる最大限の体力をフルで使って必死に走った。水が流れる方向に逆らって移動しているせいか、情景が目まぐるしく変わっていく様子がよく分かった。幸いにも僕たち以外に誰もいないので心置きなく自転車を飛ばすことができた。

次にペダルを止めたときには既にナルの言う穴場スポットに辿り着いた。僕の額から汗が一滴、二滴、続けて何滴もしたたり落ちた。僕は買っておいた水のペットボトルを両手で掴み、がぶ飲みした。ナルは片手で持ち、ラッパ飲みをしていた。男らしい。

周りは木で覆われており、森という漢字を具現化したような感じだった。木の葉の間から見える僅かな隙間から空を見上げると灰色の塊は遠くへ去っていたようだ。再び森に目を下ろし、周りを眺めてみると綺麗な水が沢を下っていた。こんなところに住んでいたら一体どれほど気持ち良いのだろう。

「ケイ、こっちこっち」

ナルは声をかけながら、穴場スポットの方向へ指を指した。傍には古びた木の看板があり、「青空スカイロード」と書かれていた。厳密に言うと、穴場スポットというよりは穴場ロードと言うべきだろう。その青空スカイロード森の奥へ続くような形で存在していたのだ。

「ね、なんだか面白そうじゃない?」

「確かにそうだけどこの道って森に続いているんだから、ここらの森を散策するような感じじゃないの?」

「それが違うんだよ。まあまあ行ってみたらどれだけ面白いか分かるから」

ナルは自転車にまたがるよう促した。全く、こういうときだけ急かすんだから。

僕たちは再び出発し、「青空スカイロード」へ足を踏み込んだ。とはいえ、数百メートルは先程まで僕らが走ってきたようなあぜ道に木が生い茂っているような道だった。「青空スカイロード」と銘打っておきながら、大して他の道と変わらないと思うのは僕だけだろうか。

「こっから高くなるからな」

この状況で高いという言葉を使うということは、どう考えたって値段的な意味を持つものではなく物理的な意味を持つことはすぐに察することができた。それでもナルの言う「高くなる」という意味が分からなかった。

すると次の瞬間、自転車が地面から浮いたのだ。正確にいうと、自転車が浮き輪に捕まっているようなふわっとした感じに浮いたのではなく、自転車のタイヤがあぜ道から離れたのだ。しかし、不思議と僕は普通のアスファルトの坂を走っているような感覚だった。まるで見えない道の上を走っているかのように。

「ナル、一体これどういうこと?」

頭の中がはてなマークで満たされ、はち切れる前に僕は意気揚々と先導するナルに今何が起こっているのかを聞いた。

「この間、チャリでここまで来たときにここの存在に気が付いてさ。俺もよく分からないけど、俺らは今、青空スカイロードっていう目には見えない道を走っているんじゃないかな」

「この先には何があるの」

「それは俺にも分からない。ここに辿り着いたときにはもう日が沈みそうでさ、引き返しちゃったんだよ」

「そうなんだ」

「だから、こうしてこの先まで行くのは俺もケイも初めてってこと」

「この道って何も見えないけど、ナルはどうやって進んでいるの?」

既に僕たちは木のてっぺんまで上り詰め、足元には森が広がり、頭上には綺麗な青空が広がっていた。僕はナルの跡をついて行っているだけなので、進むことになんら不安はないが、果たしてナルはどのようにして道を見極めているのだろう。

「ほら、太陽があるだろ。その光がこの道を照らしているから、微かに光が反射して見えるんだよ。それを頼りに進んでいるかな」

「なるほど」

見えない道にも、案外道として成り立っているのか。

「それにしても坂だから大変だね」

ゆるい傾斜ではあるが、今僕たちが通っているところは坂である。どこに向かっている坂なのかは分からないが。

「まあ仕方ないよ。頑張ろう」

ペダルを漕ぐ度に入り口の森からどんどん遠ざかっていく。気づけば森は小さく見えてきて、逆にビルや線路など住宅街の景色が見えてくるようになってきた。まるで展望台から覗いているかのような景色が広がっていた。もちろんこの道は見には見えず、強いて言うなら透明色なので、当然真下にはその情景が広がっている。展望台でガラスの床の上を歩くような恐怖感がある。いや、むしろその倍かもしれない。

どんどん先へ進むに連れて動物を見かけなくなった。つい先ほどまでは烏やら鳩やら身近な動物がいたのだが、高度が上がるにつれて彼らを見かけなくなった。少し寂しい。

空はというと、朝の頃に比べちらほらと大きな白い雲を見かけるようになった。遠くの方には先程の灰色の雲が相も変わらず漂っている。風もなんだか強くなり、高度が上がるにつれ空気が薄くなってきた。とてもではないが快適に運動できるような環境だ。

「息が苦しくなってきたね」

僕はふとナルにそう声かけた。

「そうだな」

「寒くもなってきたね」

「そうだな」

空を見据えながら、風に吹かれ、汗を垂らしながら僕たちはひたすら見えない道を走り続けた。

そうこうしているうちに、足元の景色はすっかり変わり何がどこにあるかの判別はつかなくなってきた。ただ分かるのは、僕たちは今とんでもなく高い場所にいるということ。

「だいぶ高いところまで来たから怖いね」

「うん」

すると、どこからともなく冷たい水滴が顔に当たるのを感じた。一滴、二滴、次第にその量は増していき全身びしょ濡れになっていく様が目に見えて分かった。雨だ。さっきのどんよりとした雲が僕たちの頭上へ再来したのだ。

「雨、降ってきたね。急ごう」

「ちょっと待て。今必死に道を探しているから」

太陽からの光が無くなったせいでナルは道を探すのに苦労していた。ナルは自転車のライトをつけ、辺りを隈なく見渡し、光が反射するところへ行くというような戦法をとっていた。

次第に雨足は強くなり、体が冷えていくのも時間の問題だった。

「この雨、酷いね」

僕の声は虚しくも雨の音でかき消された。視界は最悪で、目の前には暗い背景に白い線が何本も降り注いでいるような景色が一面に広がっているだけだった。

するとナルは急に走り出した。それに追いつこうと僕も続いて急いで走った。

無我夢中で走った後に目の前に広がったのは真っ白い雲海に広大な青いキャンパス、白く輝く太陽だった。どうやらなんとか雨雲を抜けることが出来たみたいだ。

「いやーなんとか雲の上に来られてよかったね」

雨から逃れられたことから僕は安堵のこもった声でそうナルに言った。

「全部俺に頼るなよ……」

「え?」

「俺だって大変なんだよ! もう少しケイだって道探すの手伝ってよ! 全部俺任せするんじゃねえよ!」

「別にそんなつもりじゃ」

「ケイは俺のあとをついてくるだけだから楽でいいよな!」

ナルはすぐさまクロスバイクにまたがり、ものすごいスピードで走り去ってしまった。僕の周りはもくもくと漂う大きくて広い雲海が囲んだ。そして雨に濡れた自転車が一台と丸い太陽が虚しく僕を照り付けた。

行く当ても分からず、僕は自転車を両手で押し、道なき道をただ歩いた。どこが道なのかはよく分からないが、歩けているということは最低でもここは道なのだろう。足元に白い雲があるから、自然と雲がある場所は全て歩けると思えてしまう。全身にかかった雨粒は太陽が必死に照らしてくれるせいですぐに吹き飛んだ。一体僕はどこに向かっているのだろう。

「もしかしてあんた、さっきの兄ちゃんと友達かい?」

声が聞こえる方向へ顔を向けると、そこにいたのはもじゃもじゃ頭に無精ひげ、だらしのない服を着たおじさんだった。おじさんはおんぼろの質素なママチャリから身を下ろし、僕に質問してきたのだった。

「あの、さっきの兄ちゃんって」

「ああ、クロスバイクっていうのかな? なんかすごい良いチャリをもっている子で、とんでもない速さで走り抜けた子だな。いやー危ないから注意しようと思ったんだけどあまりに速くてね」

「あ、その子僕の友達です」

「おーそかそか」

「あの、あなたは誰ですか?」

お世辞でも綺麗とは言えない身なりなものだから、つい信用できなくてそのような質問をしてしまった。

「あー俺はこの『青空スカイロード』の管理人みたいなもの。もうお昼過ぎているしおなか空いているんじゃない?」

「そうですね」

「だったらすぐそこに俺の家があるからそこで食べよう」

断ろうにも断れない雰囲気であり、その上おながが空いていたのもあり僕はこのおじさんについていくことにした。

しばらく自転車を押してくと、建物らしきものが見えてきた。家と言っても住宅街で見るような素晴らしい一軒家ではなく、プレハブのような、とってつけたような建物だった。

「ここが俺んち。どう? 立派でしょ。全部自分一人で作ったんだよ」

「まあ、一人で作ったていうのは凄いですね」

「そうでしょ。ほらほら、遠慮しないで上がって上がって。自転車はそこらへんに置いといていから」

僕は促され渋々建物らしきものの中に入ることにした。中は生活感あふれる感じでこのおじさんを見れば大体納得できるような中身だった。

「料理作れるけど何がいい?」

「あの自分で持っているんで大丈夫です」

 かばんから朝、コンビニで買ったご飯を取り出した。ナルも今頃、食べているのだろうか。

「そういえば、なんで兄ちゃんたちはここまで自転車で来たんだい?」

「その走り去ってしまった友達が穴場スポットがあるって言って僕を誘ってくれたんです」

「あーそうだったのか」

「あの質問してもいいですか」

「もちろん」

僕はさっきから気になっていることを聞いた。

「おじさんは『青空スカイロード』の管理人って言ってましたけど、この『青空スカイロード』って何ですか?」

「そこらへんの川沿いのサイクリングロードと同じようなもんだよ。ま、人は全然来ないけどな」

 おじさんは元気よく笑った。

「おじさんは一体ここで何をしているんですか?」

「えーとまあ、道に迷った人を助けたりとか食糧を売ったりとか。あとは見かけた人に地図を配るぐらいかな」

そういっておじさんは僕にも一枚地図をくれた。僕たちが来たルートもしっかり記載されている。今いるところは「青空スカイロード」の中心部分に当たるそうで、ここまでは僕たちが来たルート以外でも行けるそうだ。

「そういえば、兄ちゃんたちはなんで別々の行動をしているんだ」

「少し喧嘩みたいなことしちゃって」

「喧嘩かー。兄ちゃんたち何歳」

「十五歳です」

「十五ってことは中学生か。だったらよくある話だな」

少し沈黙があり、再びおじさんが話し始めた。

「そのもう一方の兄ちゃん探してこようか」

「探せるんですか? どこに行ったかも分からないのに」

「どこに行ったか分からないから探すんじゃないか。うちの鳩は優秀だからな」

おじさんは僕を手招きし、家の外に連れて行ってくれた。おじさんは口笛をし、鳩を数匹呼んだ。呼び寄せるや否や、何やら鳩と会話しているかのように見えた。会話が終わったかと思ったら鳩たちは四方八方に一斉に飛び去った。

「今、何をしたんですか?」

「ん? その男の子を探すように伝えたの」

「どうやったんですか」

「企業秘密。さ、その子が戻ってくるまで家で待とう」

僕たちは再びおじさんの家に戻った。

「それでどんなことで喧嘩したの?」

おじさんは聞いてきた。

「少し僕がその子に道案内を任せっきりにしてしまったみたいで」

「あーなるほどな」

「それではぐれてしまいました」

「それはその子も大変だったなあ。自分が先頭に立つって結構勇気のいることだからなあ。ま、帰ってきたらちゃんと仲直りしな」

「はい。そう、ですね」

「じゃあ俺昼寝してくるから。さっきの鳩が外でわめいてたら知らせて」

おじさんは大きなあくびをして部屋の奥へ消えていった。僕は再び一人となった。ナルがいないだけでこんなにも寂しくなるなんて。

時間はあっという間に過ぎ、四時間が経った。窓を見てみると大きな大きな橙色の夕日がこの雲海を彩った。この夕日をナルと見れたらどれほど楽しかっただろうか。一人で見ても何にもつまらないなんて。今更自分のしでかしたことを後悔する。

僕はふと青空スカイロードの地図を手に取り、眺めた。よく見てみると一か所だけ赤いペンでバツ印が書かれているところがある。なんだろうか。

不思議がっていると、何やら外が騒がしい。窓を叩く音が聞こえる。音のする方へ見やると鳩たちが群がっていた。四時間前に言われたことを思い出し、僕は急いでおじさんを呼んだ。

「お、もう来たか」

「もうって言っても四時間経ってますよ。まあまあ迷子なんてそんなもん」

おじさんは鳩たちの元へ行き、会話を始めた。さっきまで寝ぼけたような顔でのんびり構えていたおじさんだったが鳩たちと会話をしていくにつれ、どんどん今までに見たことのないような真剣な眼差しになった。

「兄ちゃん、今すぐもう一方の兄ちゃんのところへ行くぞ!」

おじさんの急な豹変ぶりに動揺していると、

「なにボケっとしているんだい! 友達なんだろ!」

おじさんに言われ、急いでおじさんのあとを追った。おじさんはバイクを取り出し、僕にヘルメットを渡した。早く乗れということらしい。僕はバイクの後ろにまたがり、おじさんの背中に捕まった。バイクは発車し、みるみるうちに加速していった。

「おじさん、何がどうなったんですか」

「兄ちゃん、地図のバツ印見なかったか?」

「はい、さっき見ましたけど。あれがどうかしたんですか」

「あそこは絶対に立ち入っちゃいけないんだ。ここ青空スカイロードは風が穏やかな部分に作られているけど、あそこだけ違うんだ。あそこはよく突風が吹いて、最悪地上にまっさかさまだ。前にあそこで死んだ奴がいる。同じの二の足は踏ませたくないんだ」

確かに目的地に近づくにつれて、風の強さが変わっていっている気がする。大きな夕日はすっかり沈み、空は真っ暗になり、金色に輝く月とラメのような星が夜空を埋め尽くした。

目的地に着くと鳩が一匹いた。

「あの鳩の真下にいるはずだ」

「僕、助けに行ってきます!」

「さすが友達だな。ほら、ロープ」

僕は頑丈なロープを受け取り、急いで鳩の元へ駆けつけた。下を覗くとクロスバイクは横向きで倒れ、ナルは風に煽られながらかろうじて僕のめの届く範囲にいた。

「ナル! これに捕まって!」

僕はロープを垂らした。すると下の方で何かが引っ張っている感触を感じた。ナルだ。

「せーの!」

今までの人生で出したことのないほどの力で僕は必至にナルを引っ張り上げた。大事な友達のため。

「息を合わせていくぞ!」

おじさんも参戦し、一生懸命ロープを引き上げた。時折、突風が吹き、足が風に持っていかれそうになる。

「せーの!」

すると足元に薄橙色の手が見えた。

「もう少し! せーの!」

そして僕は後ろにしりもちをついた。お尻をさすりながら目を開けると見慣れた顔があった。

「ナル! 大丈夫だった?」

「ああ、なんとか」

「さっきはごめんね」

僕は生まれて初めて大真面目に謝った。

「俺の方こそきつく言っちゃってごめん」

「よかったよかった。やっぱ仲いいのが一番」

 おじさんは片手でナルのクロスバイクを持ち上げながら言った。

「ゆっくりうちまで帰ってきな。夕飯作っておくからさ」

そう言っておじさんは地図と懐中電灯を渡してくれた。おじさんはバイクにまたがり、颯爽と帰っていった。

「今度は僕が先導するよ」

渡された地図と懐中電灯を持ち、僕は責任をもって前を歩いた。

「ナル、大丈夫だった?」

「うん、怪我はないよ。まああの風は大変だったな」

「どのくらい大変だった」

「それはもう台風の何百倍ってぐらい」

「本当に無事でよかったよ」

「星、綺麗だね」

ナルは夜空を指さし言った。僕は今、初めて天の川を見た。写真で見るような綺麗な天の川を。

「あ、流れ星だ」

僕が流れ星を見つけるや否や、ナルは何やら手を組み始めた。案外、可愛いところがあるんだな。僕も例に倣って手を組んだ。何をお願いしたかなんて絶対秘密にしてやる。



おじさんの家に着くと、クリームシチューのいい匂いがした。

「はーい、おかえりー。夕飯出来てるぞー」

「ちなみにあのおじさんは?」

ナルは改めて僕に聞いた。

「僕たちの仲を直してくれた変なおじさんだよ」

「確かに変だな」

僕たちはおじさんにバレないようにくすくすと笑った。

「だーれがおじさんだってー?」

「やべっ、聞かれてた」

今夜の月はいつもより楽しく輝いているかのように見えた。楽しい夜になりそうだ。



翌朝は八時に起きた。昨日の疲れがあったせいかいつもより遅く起きてしまった。ナルはまだ布団の中にいるみたいだ。おじさんはというと、リビングの方から甘いコーヒーの匂いがしてきた。

「おはよう、おじさん」

「おはよう。今日、兄ちゃんたちはいつ帰るんだい?」

「そうだな、夕方になったら帰るよ。それまでおじさんの仕事を手伝ったり、『青空スカイロード』の探検でもしようかな」

「そっかそっか、探検するときは気を付けるんだよ」

「はーい」

朝食はおじさんが作ってくれた。ご飯、味噌汁、目玉焼き、ウインナー。どれもおいしかった。見た目のわりに案外料理は得意らしい。

「おはよう、ケイ」

「おはよう、ナル。おじさんの料理、結構美味しいよ」

「へー意外だな」

のんびりとした朝日の光とともに鳥たちの鳴き声がまさしくこの家を和やかにしてくれた。

おじさんの家はとんでもなく汚かった。使い終わったものは放ったらかし、すみっこにはほこりが溜まっていて、僕とナルが総力戦でやっても半日かかった。おじさんの一人暮らしというのは大体こういうものなのだろうか。将来はこんなおじさんにはなりたくないと思ったり、思わなかったり。

部屋を掃除したり、周辺を探検していたらあっという間に白い太陽が橙色に変わった。

「それじゃあおじさん。バイバイ」

「ああ、地図にも書いてあるけど、広い河川敷に出られるところがあるからそっち方面に向かうといいよ」

「分かった」

「おじさん、ケイ。昨日の夜はありがとな」

「いいってことよ。これくらいしか管理人の仕事ないからな」

「おじさん、また遊びに来るね」

「次はもっと険しいルートに挑戦するんだな」

僕とナルはおじさんと鳩たちに手を振り、お別れした。

「それじゃ僕についてきて」

やっぱり二人で見る夕日は最高だった。太陽も雲も月も星も鳥たちもみんな誰かを支えて、誰かに支えられて生きているんだな。もちろんおじんさんも。

これからも支えあおうね、ナル。

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青空スカイロード 日田成人 @hidaseito

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