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「可愛らしいものですねえ」


 誰もいなくなった。そう思わせていた沈黙を破る声がひとつ。

 陽向赫は、ゆっくりと視線を上げた。

 波分篝が去ったはずの、謁見の間。其処に、いつの間にか新たな訪問者がやって来た。


「青臭く、それでいて凛として、滅多なことでは折れない芯の強さがある。それに加えて、あの美貌。何と得難い逸材でしょうか、カガリ殿は。術者にしておくには勿体ないと──そう、思いはしませんか?」


 訪問者──金の髪の毛に青い瞳を持った異国の使は、歌うような口振りでそう言った。

 陽向赫は小さく嘆息した。そういえば、こいつも此処にいたのだったか。


「……我が手足に悪戯いたずらを仕掛けてはくれるなよ、魔法使いとやら。あれは陽向の術者である。陽向以外が奴を使うことは、何人たりとも許されぬ」

「おや、意外に所有欲が強くていらっしゃるのですね、ヒムカ殿は。涼しい声をしていながらも、内面は泥のようににごり、こごっている──典型的な術者といったところですね。流石です」


 この外つ国の魔法使い──ラミネウスのことを、陽向赫は良く思ってはいない。それどころか、席を同じくするだけで吐き気が止まらない程には毛嫌いしている。

 今も、揶揄からかうように戯言を繰り返すその甘美な唇を、針と糸とを用いて縫い付けたくて堪らない。陽向の長という肩書きがなければ、すぐにでも始末していただろうに。


「……何の用だ、魔法使い。貴様の役目は終わったであろうに。何故我等が本拠に居座る。此処に貴様を生かすための空気はないぞ」


 篝に向けられたものとは異なる──あまりにも玲瓏れいろう、それでいて冷厳れいげんな声が、空気を震わせる。

 その言の葉のひとつひとつに、陽向赫が直々に編んだ霊力が織り込まれている。常人ならば、声を聞いただけでひれ伏し、ひざまずかずにはいられないような代物だが──海の向こうの魔法使いは、それはそれは、と大袈裟に肩を竦めただけだった。


「言われずとも、じきに俺は帰国致しますよ。一度、我が主に此度の戦果をお伝えしなくてはなりませんからね。もう少し此方に留まっていたいところではございますが」

ね。此処は貴様の立って良い土地ではない。戻ってくることも許さぬ。次にこの島の土を踏む時、貴様の首も飛ぶと知るが良い」

「おお、何と恐ろしいことでしょう。それでこそ、貴殿は術者を束ねるに相応ふさわしい」


 しかし、とラミネウスは続ける。


「俺は、この短い間だけでも貴殿と何気なく語らいたいのですよ、ヒムカ殿。本当ならカガリ殿や舞い手の乙女たちと話したかったのですが──それは、貴殿が許さないのでしょう?」

「当然であろう。あれらは今や、陽向の所有物である。貴様ごときに弄らせはせぬ」

「ぶれませんねえ。……ですが、ヒムカ殿? 貴殿も俺に、尋ねたいことがあるのでは?」


 試すような口調だった。

 陽向赫は、す、と目をすがめる。御簾越しに捉えた魔法使いは、やはり麗しい笑みを浮かべていた。


「……貴様は何がしたかったのだ、魔法使い」


 強張った声音で、陽向赫は問いかける。

 最終的には陽向側に協力したものの、ラミネウスにはテクラを始末することに執心している様子がどうにも見えなかった。本来ならばテクラとは無関係のかよと接触し、彼女に猜疑心さいぎしんを抱かせていたことも、陽向赫は知っている。

 詰まるところ、場を引っ掻き回して何がしたかったのだ──と咎めたいのだ。

 陽向赫は秩序を重んじる質である。可能な限り面倒事を起こさずに任務を遂行することこそを第一とする彼にとって、ラミネウスのようなやり方は好かなかった。

 ラミネウスはふ、と口元をほころばせる。責めるような陽向赫の口振りにも、動じた様子はない。


「何、と言われましても。俺はただ、面白いものが見たかっただけですよ」


 何、と陽向赫は小さく呟く。

 そんな陽向の長へ、待ってました──と言うように。ラミネウスは大仰に両手を広げた。


「俺は、調和などには一切興味などなく、むしろ退屈だと思っている質でしてね。あの閉鎖的で、因習と土着の神に縛られた、かっこうの舞台で──面白く愉快な劇が繰り広げられるかもしれないと聞いて、それは放っておけぬと思ったのです」

「──劇、だと」

「ええ、劇ですとも。しかし、放っておけばつまらない結果になりそうだったので、まずは舞い手の乙女に接触を図りました。疑心暗鬼に陥り、悲劇をもたらしてくれるのだろうと思っていたのですが──カガリ殿によって、その目論見は水泡に帰した」


 ラミネウスの瞳は爛々らんらんと輝いている。さながら、欲しかった玩具おもちゃを手に入れた子供のように。


「ですが、邪魔されても不思議と不快には感じなかったのです。むしろ、カガリ殿に興味を持ちました。ならば此処は一興と、彼に吸血鬼を殺させてみることに致しまして。これが思った以上に大成功したものですから、俺は幸せ者です。しかもカガリ殿は、

「それがどうした」

「素晴らしいのですよ! ヒムカ殿、貴殿もそうは思いませんか? カガリ殿の生きざま、在り方! あれらは、意識してもなかなか実践出来ないものですが、カガリ殿は当たり前のように振る舞っておられる! 彼は天性の逸材です、海を越えて東の果てまで来た甲斐があった!」


 恍惚こうこつとした表情で天を仰ぐラミネウスの姿を、陽向赫は生ごみでも見るかのような目で眺めていた。

 要するに、この魔法使いは吸血鬼退治など二の次で、人々が慌てふためき、大騒ぎする様が見たかったというだけなのだ。篝が上手く事を収束させたためにラミネウスの興味関心は彼へと向いたが、そうでなければ村祭りはどうなっていたことか。

 テクラもそれとなく口にしていたが、彼はただの人間ではないのだろう。世の中には悪趣味な者など山ほどいるが、わざわざ海を渡って来る程の酔狂はなかなか居るまい。


「言いたいことはそれだけか、妖魔」


 至極落ち着き払った声で告げつつ、陽向赫はラミネウスを睨み付ける。

 人智を超えた年月を生きる至高の術者に睨まれて尚、ラミネウスの顔色は変わらなかった。ただ、先程の興奮は冷め、瞬時に冷徹な魔法使いの顔へと切り替えている。


「ええ、それだけです。俺は貴殿と話をしたかったというだけですから。むしろこれほどの時間を割いていただけて、ありがたい限りです。本当ならカガリ殿のお見舞いにも行きたかったのですが、貴殿から禁じられてしまいましたからね。暇を持て余していたところに構っていただいたので、結果としては満足です」

「そうか」


 御簾の奥。陽向赫は立ち上がる。


「ならば、く去ね」


 ごう、と吹き荒れるは霊力の嵐。

 御簾はいとも容易たやすく吹き飛んだ。莫大な霊力が、ラミネウス一人に向かって飛んでいく。

 ラミネウスは目を見開き──そして。


 霊力による衝撃波は、ラミネウスを粉々に打ち砕いた。


 ラミネウスの形が、歪む。

 霊力の質は人によって異なるが、陽向赫のものはとりわけ強力であろう。幾多の異形、そして術者をほふってきたその実力は、容赦するところを知らない。

──だが。


「は、はは」


 ラミネウスは、体をり潰されながらも。


「はははははははははは!!」


 笑っていた。

 彼の体から、血が流れることはない。肉が飛び散ることも、骨が砕けることもない。

 何故なら──ラミネウスは、人ではない。


「変身上手で知られるプーカの外皮を砕くとは! 流石、日ノ本を代表する術者であらせられる! なあ、ヒムカテラシ殿!」


 楽しげに笑いながら陽向赫に呼び掛けるのは、最早異国の美男子ではない。

 其処にいたのは、艶やかな毛をした黒き駿馬しゅんめ。黄金の瞳が、陽向赫の姿を映す。

 姿を変えたラミネウスを前にしても、陽向赫は動じなかった。一頭の馬を見据え、鋭き睥睨へいげいをくれるのみ。


「外つ国には、自在に姿を変える悪戯好きの妖魔がいると聞いていたが……まさか此処まで質が悪いとはな。数多の従属国を有していながら、この国に目を付けるとは──何と厄介な」

「植民地に行ったって面白くはないだろう? それに、貴殿やカガリ殿がいるとわかった時点で大儲けだ。これ以上の収穫はない」


 ラミネウスは甲高くいななくと、外周を飛び越えて去っていく。


「お邪魔しました、ヒムカ殿。See you again」


 去り際にかけた言葉は英語だろうか。少なくとも、陽向赫が理解することはなかった。

 滅茶苦茶に荒れた室内を見渡して、陽向赫は眉根を寄せる。半分以上は陽向赫の霊力によるものだが、言及すべきではないだろう。

 ラミネウスには、謁見の間以外の神殿内部、及び陽向の本拠地に立ち入ることが出来ないようにと霊力で縛り付けておいた。時間経過で消える術ではあるが、わざわざ戻ってくることはないだろう。こうなることを見越して、各門には術者たちを配置している。

 それにしても──あの口振りだと、今後もこの国に立ち寄るかのようだ。


「二度と来るでないわ、妖魔め」


 生憎言霊ことだまは得手としていないが、言葉にするだけでも効能はあろう。

 眉間の皺を布面越しに揉みつつ、陽向赫は恨みたっぷりに言い放った。

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