終章 

1


「──快調のようだな」


 謁見えっけんの間──すなわち、陽向の長である陽向ひむかてらしの前に座した篝は、は、と短く肯定しつつ拝礼の状態を維持した。


 金峰村の村祭りから、もうじき一月が経つ。


 秋の気配が見え隠れし始めた時期になり、やっと篝は謁見に呼び出された。それまでは怪我の治療や霊力の検査──ついでに言えば、冬が食らった水神の調査におけるただ一人の生還者として、結果を報告する書類の作成や事情聴取などに応じなければならなかった。

 報告すべき相手は、全て知っているのだろう。それなのにいちいち報告書を作らせるのは、生真面目なのか単なる嫌がらせなのか──少なくとも、篝にはわからない。高名な術者の思考など、読めるはずもなかった。

 何はともあれ、篝は怪我が悪化したり体調を崩したりすることなく、これまでの日々を過ごしてきた。さすがに任務は与えられなかったが、事務的な仕事を得手えてとする篝にとってはむしろ好都合というもの。特に苦痛を感じることもなく、篝は養生生活を送ったのであった。

 そうして、だいぶ体調が整った矢先に、陽向赫から呼び出されたという訳だ。


「身体、霊力、共に異常なしと聞いた。貴様も陽向の術者──我が手足に変わりない。まずはその快復を言祝ことほごう」

「は──勿体なきお言葉でございます、長よ」

「構わぬ。陽向の長として、手足を労るのは当然のこと。任務を遂行したとあれば、尚更軽んじることは出来ぬ」


 面を上げよ、と陽向赫は言った。

 篝が顔を上げようとも、陽向の長の顔を見ることは出来ない。彼は常に御簾みすの奥におわす。人前に出るとあっても、金峰村で見た時のような布面を着けているため、そのご尊顔を拝んだことのある人物はごく限られているのだ。

 御簾の向こうで泰然自若たいぜんじじゃくと構える影を、篝は真っ直ぐに見つめる。たとえ隔たりがあろうとも、目を逸らしてはならない気がした。


「して、長よ。金峰村の事後処理は、如何に」


 篝が気にかけていること。それは、村祭り後の金峰村に関する処遇だった。

 ホフリの君の瓦解がかいを目にした篝は、安堵の気持ちからかその後気を失っていたらしく、気が付けば陽向の本拠地で寝かされていた。見舞いに来た同僚から大まかながら事の次第を耳にしたものの、金峰村がどのように処理されるのかまでは聞けなかった。──まあ、その同僚は今回の一件に直接関わっている訳ではなかったため、当然と言えば当然なのだが。

 それゆえに、篝は今回陽向赫のもとに呼び出された機会を利用して、金峰村の行く末を聞き出そうと考えた。

 相手が上司ということもあって緊張しないでもないが、当事者として少しでも多くの情報を掴んでおきたいというのが本心である。多少の無礼は大目に見てくれと祈りつつ、篝は陽向赫の影が答えるのを待った。


「……開口一番に、己を拉致した村のことを問うか。まこと、貴様は術者に向いておらぬ」


 返ってきたのは、呆れ果てた男の声だった。抑揚よくようのない話し方をする彼にしては珍しく、僅かながら感情を吐露するような口振りである。

 術者を束ねる上司に向いていない、と評されるのはいささか不本意だったが、面と向かって辞職クビを言い渡された訳ではない。篝はそうですか、と平然とした風を装った。


「……金峰村に住まう村民は、我等の先導を務めた少女たちや、おとき──いや、大巫と呼ばれていたのだったか。現地にいたという、陽向の術者やその神官たちによって集落の方へ避難させられており、間ノ瀬一族やそれに仕える者たち以外に死人はおらなんだ。混乱によって転倒し、負傷した者は多かったが……それが致命傷となった者はおらぬ」

「左様でしたか。して、その村人たちは」

「簡単な治療、そして事後処理を済ませたのち、現地にて別れた。村は荒れに荒れておったが、それは陽向のあずかり知らぬこと。大巫に仕える神官たちは陽向にて引き取ることとしたが──それ以外の村民を保護する理由など、我等には皆無」

「では……あの村人たちは、皆村に残ったのですね」


 おとき、というのは大巫の名前だろうか。彼女にも人としての名前があったのだと、今更ながら篝は実感する。

 テクラ、そしてホフリの君によって荒廃した金峰村。神の加護が得られぬ山村には、最早豊穣や安寧は約束されていない。

 金峰村は、どのような道を辿るのか。それは、篝の憶測だけで語れるものではない。再び栄えても、はたまたすたれ、いずれ消滅したとしても──篝にはその行く末を左右することなど、出来やしないのだ。

 いらぬお節介だとわかってはいたが、篝としては放置された村人たちが気にかかった。再び相見あいまみえることは許されないだろうが──案じる程度であれば、陽向の長も目をつぶってくれるだろうか。


「……ところで、長よ。俺の他にも、舞い手として買われた少女たちがいたはずです。彼女たちは、如何様いかように?」


 神楽を舞ってからそれきりの夜霧とかよについては、篝も知りたいところだった。

 陽向赫の口振りからして、彼女たちは大巫から陽向の術者たちの先導を仰せつかり、そして見事にその任務を完遂したのだろう。もう一度顔を合わせられるのならば称賛の言葉でも送ってやりたいところだが、彼女たちは見舞いに顔を出すことはなかった。これまで篝の周囲で見かけることもなかったため、篝としては心配だったのだ。

 陽向赫は須臾しゅゆの間沈黙してから、ああ、と思い出したように言った。二人の顔を想起していたのだろうか。


「あの娘たちならば、この島──陽向の本拠地にて暮らす手筈になっている。聞いたところ身寄りもなく、故郷に戻ったところで引き取る相手もいないという。永住させるつもりはなし、気が変われば出ていくことも許している。術者としての才覚は皆無であったが、島内の商人たちのもとで働くことは難くなかろう」

「現在は何処に?」

「南の港に程近い場所に家を与えた。普段ならば許さぬが、今日は此処に呼び寄せてある。どうしても貴様と顔を合わせたいと言って聞かぬでな。大巫からも頼み込まれた故、今日限りのみ立ち入ることを許した」


 口にはしなかったが、その言葉の端々には後で顔を出してやれ、とでも言いたげな色があった。無機質なようでいて、意外に人情味のある男である。

 夜霧とかよが無事と知り、篝は一先ず安堵した。彼女たちには、出来る限り苦難を背負って欲しくはない。親から売られ、身寄りもなく、縁もゆかりもない秘境にたどり着いた上に、不本意ながら村祭りの舞い手となった。そんな二人がこれ以上苦しむ理由はないようなものだと、篝は思う。

 金峰村の民、夜霧とかよ。彼らの安否確認は済まされた。ならば。


「……長よ。此処からは、一人の術者として問うてもよろしいか」


 巻き込まれた外界の民ではなく、陽向の術者として。聞いておかねばならないことがある。

 陽向赫は何も言わなかった。その張り詰めた沈黙は、許可を意味している。


「俺が問いたい事柄は三つ。何故、間ノ瀬桐花は陽向の呪符を持っていたのか。冬に関して、長は何を知っていらっしゃったのか。──そして、現在の間ノ瀬桐花の安否。どうか、答えていただきたい」


 陽向赫は、再び沈黙した。思案しているのだろう。

 それは一分にも満たない時間であったが、篝にとっては酷く長く感じられた。広々とした謁見の間、己と陽向赫の距離は、あまりにも遠い。

 全知全能といっても過言ではない陽向の長が答えるまで、いくらでも待ち続けよう。覚悟を決め、篝は唇を引き結ぶ。


「……順繰りに答えよう。一度に話せるものでもなし」


 静謐せいひつとした空間に、平坦な男の声が響く。

 篝は口を閉ざし、聞き役の姿勢に入った。相槌を打ち、問いを投げ掛けることはあろうが、会話の主役にはならない。


「まず、間ノ瀬の娘が持っていた呪符。あれは、大巫が金峰村に迷い込んだ際に、山中に落としたものであったらしい」


 低く、然れどよく通る声で陽向赫は言う。


「大巫自身も落とした場所を知らなんだようだが、絶えず霊力を送り続けていたらしい。後に通りかかった術者に呼応するようにと、細工を施していたのだそうだ。──其処に、貴様がやって来た」

「俺に付いてきたというのですか、あの呪符は」

「左様。例の呪符を解析したところ、あれは山中に倒れた貴様を発見し、その背中に貼り付いたようだ。村に運び込まれる最中に風に吹かれて再び落下したが、偶然にも間ノ瀬家の井戸端に流れ着いた。それを見付け、拾い、そして自覚なきまま私に交信したのが、間ノ瀬桐花であった」

「長に直接……ですか」

「いかにも。あれは零落したとはいえ、一時は金峰村の信仰を一身に集めていた存在。呪符に霊力を吹き込む程度、息をするようなものであったのだろう。あれに交信するつもりは皆無だったようだが……何にせよ、手間は省けた。その辺りは、間ノ瀬桐花の功績といったところか」


 であれば報償を与えることこそ常道、と陽向赫はささやくような声を出した。


「二つ目の問いに答えよう。──間ノ瀬桐花は、生きている」


 ひゅ、と篝は息を飲んだ。

 生きている。桐花は、生きているという。

 銀の弾丸に貫かれた彼女を、篝は一時も忘れられなかった。忘れられるはずがなかった。自らの手で、傷付けたのだから。

 知らず、篝は拳を握り締めていた。てのひらの皮膚は力を込めているためか、白く変色している。


「……だが、自由に動ける状態ではない。最北の──もがりの宮に、あれはいる。顔を付き合わせる覚悟あらば、後に向かうが良い」

「……は。ありがとうございます」


 生きている、というよりは、生かされている、と表現した方が妥当な状態なのか。

まだ見ぬ間ノ瀬桐花を思い、篝は唇を噛んだ。

 だが、まだ話は終わっていない。篝はうつむかずに、ただ前だけを──御簾の向こうにいる、陽向の長のみを見据える。


「冬──いや、佐知といったか。あの娘は」


 ぽつり。

 呟く陽向赫の声音に色はない。永き時を生きてきた術者にとって、懐古するという行為は如何なる意味を持つのだろうか。


「あれは、一度この陽向の本拠を訪れたことがある。それゆえに、朧気おぼろげながら顔を覚えていた」

「冬が、此処に……?」

「百年近く前のことだ。執念で辿り着いたのであろうあれは、ただひとつ、神の殺し方のみを問うた。夢見る人の戯言たわごとと思い、手短に答えて追い払ったものだが……まさか、実践するとは。侮れぬ娘よ」


 陽向赫の返答を、冬は信じ──そして、言われるがままに神を取り込んだのか。

 だとしたら、何と残酷なのだろう。他に方法があったかもしれないのに。冬は、福寿と共に消えることなど、なかったのかもしれないのに。


(……いや、それは冬が決めることだ)


 篝から言えることはない。もう、冬はこの世にいないのだから。

 居住まいを正し、篝は一礼する。ありがとうございました、と、硬く張り詰めた声のみが室内に響いた。

 陽向赫からの返答はない。退室を許されているのだろう。

 篝は再び頭を下げてから立ち上がり、音を立てぬようり足で後退する。

 回廊かいろうに出よう──というところで、後方から声がかかった。


波分はぶかがり


 陽向赫だ。

 篝は振り返った。遠く離れた御簾の中を窺うことは出来ない。


「後悔しているか」


 それは、至極短い問いかけ。

 篝は何度か瞬きをした。しかし、迷うことなく口を開く。


「いいえ」


 こぼれたのは、否定。


「俺は、最善を尽くしました。その結果を、今更悔いることはありません」


 其処には、一切の後悔も、悲哀もなく。


「失礼します」


 凛と響く声は決意か、それとも諦念か。

 今度こそ振り返ることなく、篝はその場を後にした。

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