5
篝が間ノ瀬小百合と直接話したのは、恐らく桐花が行方不明になった翌日くらいのものであろう。初日の会合にも参加していたのかもしれないが、いちいち出席者を確認していられる程の余裕など篝は持ち合わせていなかった。
それでも、小百合は桐花のことを思い、そして彼女の母であろうとした人だと──そう、篝は感じていた。かつて見た彼女の涙は、桐花の無事を祈ってのことだろうと憶測した。
だが──その小百合は、虚ろな表情で御神体の側に佇んでいる。
「……答えろ、間ノ瀬小百合。沈黙は肯定と見なすぞ」
声を抑えながら、篝は念を押すように促す。
小百合に何か発言して欲しかった。それが弁明でも、問いへの是非でも構わない。ただ、何故そのような顔をして、如何にも自分が黒幕だと言わんばかりに立ち尽くしているのか──それを明らかにしたかった。
感情を圧し殺すような篝の言葉に、小百合は何度か緩慢な動作で瞬きをした。そして、うふふ、と密やかな、それでいてよく通る笑い声を上げる。
「……それを知って、あなたはどうなさるおつもりなのかしら。確か──陽向の術者なのでしょう、あなたは。私のことを、どうしたいの?」
「答えによっては、俺はあなたを止めなければならない。止めて、そして身柄を確保し、陽向の本拠地へと護送する。申し開きは、陽向の本拠にて執り行う」
相手に胸の内を気取られまいと、篝は至極淡々とした口調で答える。そうでもしなければ、先程のように激昂しながら小百合を問い詰めかねなかった。あのような失態は、もう晒したくはない。
小百合はそう、と何処か気だるげな目をして呟いた。貞淑な妻とはかけ離れた表情だった。
「残念だけれど、あなたの要求は飲めないわ。だってそのようなことをしたら、私の悲願は達成されない。これじゃあ、何のために今まで頑張ってきたのかわからなくなるわ」
「頑張ってきた──とは」
「あなたもわかっているはずよ、波分様。あの老い
平然と──小百合は、自身が間ノ瀬に巣食っていた呪詛の使い手であることを告白した。
篝のまなうらに、火だるまとなって苦悶の声を上げていた村長、そして間ノ瀬の使用人たちの姿が映る。思い出すだけでも気力を削がれそうな光景だった。
だが、今はいちいち感傷に浸ってなどいられない。篝は平静を装って小百合を睨み付ける。
「……それは、鬼女を復活させるためか?」
「勿論。私にとって、あの核は最後の拠り所。たとえお義父様が拒否しようとも、私はあれを育てきらなければならなかった」
「何故」
「お家の再興のためよ」
篝の短い問いかけに、小百合は笑みながら答える。
「私の実家はね、呪詛を扱う家柄だったのだけれど……その特性からかしら、排斥され、術者の界隈でも受け入れてもらえる余地などないような有り様だったの。どうにか家名を立て直さなければならなかったのだけれど、今の呪詛だけでは時間と手間がかかりすぎる。だから、私たち一族はこの国の各地を放浪して、まつろわぬ神や土着の神を利用出来ないかと考えた」
「……それゆえに、鬼女に目を付けたのか」
「初めはホフリの君を使うつもりだったわ。でも、間ノ瀬という家に嫁いでみれば、ホフリの君なぞよりもずっと使い勝手の良さそうなものがあるじゃない。外つ国の鬼女──成長させたら、どれだけの術者を屠ることが出来るかしら。考えるだけで堪らないわ」
小百合の表情は、
其処にあるのは、家名が再び興隆することへの歓喜か、はたまた自身らを排斥してきた他の術者たちへの報復心か。長きに渡って術者としての立ち位置を確立し、どちらかと言えば不穏分子を排斥する立場にあった陽向の術者としては、何とも言い難い状況である。
しかし、今の篝にとってそのようなことは些末な問題に過ぎない。
「では──桐花を大事にしていたのは、実の娘だからという理由ではなく、彼奴が鬼女であったからなのか」
煮えたぎる怒りを抑え込みながら、篝は術者の女に問いかける。
小百合は不思議そうに──それはそれは予想外とでも言いたげな表情をして、おもむろに首をかしげた。
「それ以外の理由など、ないと思うのだけれど……。──ああ、まさかあなた、私が母としてあの子を愛しているとでも思っていらしたのかしら?」
「…………」
「そうだったのなら、ええ……本当に、ごめんなさいね? 私にとって、仮初めの子などどうだって良いのよ。私の……いいえ、我等が一族の悲願を成就出来るのは、あの鬼女のみ。どのような理由があっても、手放せるものではないわ」
行方不明になった時はどうかと思ったけれど、と小百合は平然として続ける。
「でも、鬼女としての人格が覚醒したのならば、これほど嬉しいことはないわ。あの核を育てるのはなかなか骨が折れたの。毎日一定の生き血を与えなくてはならなかったから……。まさか使用人や村人を喰ってしまうとは思わなかったけれど、今となっては気にする程のことでもないわね」
「……? 使用人や村人のことは襲わせていなかったのか……?」
「当たり前じゃない。このようなことが知れれば、さすがに間ノ瀬としての体面を保ちきれなくなるでしょうし。暴動でも起こされたら堪ったものではないわ。だから、昭文様──私の夫から定期的に血液を採っていたの。その必要も、もうないけれど」
「……自らの、夫を」
「あら、どうしてそんな、苦しそうな顔をするのかしら。私、別に悲しくなどないのよ?」
我等が一族のお役に立てて昭文様も喜んでいらっしゃるでしょう、と小百合は微笑む。
生き血を採っていた、ということは、昭文は存命なのだろう。しかし、彼は本意だったのだろうか。村長と同じように、呪詛をかけられていたのではなかろうか。
つい憶測を巡らせそうになって、篝は慌てて広げようとしていた思考の全てを断絶させる。今は現実味のないことを考えている場合ではない。
「聞きたいことはもう終わり? 波分様」
視線を戻してみれば、小百合は顔色ひとつ変えずに此方を見つめている。その場には、未だ人の焼ける──もしくは焼けた臭いが漂っているというのに。
「悪いけれど、此方も暇ではないの。お喋りはそろそろおしまいにしましょう?」
「……鬼女を復活させるつもりか」
「ええ。──あなたとお話ししている間に、大方の手筈は整えてしまったけれど」
篝の顔は一瞬にして青ざめた。まさか、この短時間で術式──諸々の準備を終えたというのか。
(ならば──俺との語らいは、時間稼ぎに過ぎなかったのか!)
舌打ちをしたい気持ちが沸き上がったが、済んでのところで我慢する。無様な姿を見せたくはない。
篝は小百合へ鋭い視線を向けた。其処にあるのは、失望と怒り。
「俺は……あなたが桐花を案じるのは、単に娘として愛していたが故だと思っていた。──少なくとも、桐花はあなたに心配をかけるのは心苦しいと……ただの娘として、あなたのことを慕っていた」
「……それで?」
「たしかに、桐花の体は鬼女のものだったかもしれない。だが、桐花は桐花だ。あれは鬼女とは別の人格だ! あなただって気付いていたのだろう? 自分を慕う娘を、あなたは鬼女復活の要としてしか見られなかったのか! 一時だけでも、桐花と鬼女を切り離して──情を向けることは、出来なかったのか!」
「うふふ──」
口元に手を遣って小百合は淑やかに笑い──そして、笑顔を消した。
「だから何?」
それは、あまりにも冷たく、凍てついた声色。
「私が望むのは、あくまでも御家の再興。他人に構っている暇などないの。それに、あの鬼女は悲願の達成に欠かせない存在だった。余計な感情を抱かせて、邪魔されたら堪ったものではないでしょう?」
「あなたは──」
母の器ではないのだな、という言葉を、篝は何とか飲み下した。
術者としては、至極当たり前の行動理念なのかもしれない。術の完成のためならば何事も切り捨てられる強さ──情すらも抱かぬ冷徹さは、時に優れた術者を生み出すこともあろう。
だが、篝は小百合を賞賛など出来ない。出来るはずがない。
(少なくとも桐花は、彼女に親愛の情を抱いていたのに……)
まなうらに浮かぶ桐花の姿を、篝は何とか打ち消した。彼女は鬼女と化してしまったのだ。いくら人格を別にしているとはいえ、その事実まで否定は出来ない。
ならば、此処で小百合を止めなければ。彼女が鬼女を完全に復活させる前に、その企みを阻止しなければ。
「……随分と怖い顔をするのね、波分様。それほど桐花のことが心配? あの子とは長い付き合いという訳でもないでしょうに……」
御神体を背にしながら、小百合は小首をかしげる。あまりにも自然な仕草だった。
「桐花の何が、あなたを其処まで突き動かすの? あの子は人になどなれない。それを理解することもなく、自分を人だと勘違いしていた愚かしい娘。憐れみを覚えることはあるのかもしれないけれど、あなたの抱くそれは
「……それがどうしたというんだ」
「波分様──あなたは術者に向いていないわ。二流、三流などという問題ではない。あなたは自らを人と称するモノに好意的過ぎる。そのような様子では、私の術を阻むことなどふかの──」
不可能ね、とでも、言いたかったのだろう。
しかし、小百合の言葉はその中途で断たれる。だん、という、鼓膜を震わすような音が鳴ったかと思うと、彼女の胸部を何か小さな──そして速いものが貫いている。
「……無駄にお喋りな術者というのも、なかなか自滅的だと思うがね」
口を開いたのは、魔法使いの男──ラミネウス。彼の手には、火縄銃とは些か形状の違う、やや小ぶりな銃火器──回転式拳銃が握られている。
銃口よりたなびく細い煙を目にした瞬間に、篝は彼が何をしたのかを理解し──そして血相を変えて詰め寄った。
「魔法使い、貴様」
「カガリ殿は、いつになったら俺のことを名前で呼んでくださるのでしょう」
「
「いいえ、方法などありませんよ。吸血鬼の復活を支援したのならば、彼女もまた粛清対象。何も躊躇うことなどございません」
「しかし、仲間がいたかもしれないだろう! 彼女の一族が存命という可能性も捨てきれない。その場合、情報は何処から引き出すつもりだ? それに──」
言葉を次ごうとした篝だったが、ラミネウスの視線が外れたことにより口をつぐむ。
魔法使いは、単に篝の説教に嫌気がさしたという訳ではないのだろう。その青い瞳が向かう先には──ゆらりと立ち上がる人影がある。
「ふ──ふふ」
虚ろに笑う女。彼女は真っ赤になった胸元に手を当てて、脂汗を流しながらその場を見渡す。
「何もかも、もう遅いのよ。術式はほとんど完成している。後は、供物の血を滴らせるだけで良かった。当初は村人のものを使おうと思っていたけれど……私でも代用品にはなる」
「止せ、やめろ!」
「さあ、おいでなさい鬼女よ。最早あなたの復活に足りぬものなど、何一つとしてないのだから!」
両手を掲げ、小百合は高らかに笑う。じわりじわりと血液は着物に染み込んでいるというのに、痛みひとつ感じさせない程の声色だった。
彼女を止め、そして鬼女の完全な復活も阻止せねば。これ以上、犠牲者を増やしてはならない──!
篝は駆け出そうとする。足を踏み出そうとして──その体は、突如吹き荒れた暴風に吹き飛ばされた。
「……っ!?」
地面を転がりながら、篝は困惑する。
野分の季節にはまだ早い。それに、空はまだ暗さが残るものの晴れている。いきなり天気が崩れたとは考えられない。
だとすれば──。
「……来たか」
今までとはうって変わり、硬さを含んだラミネウスの呟きが篝の耳に入る。忌々しげなその声音に──篝は咄嗟に顔を上げた。
先程まで、小百合一人だった御神体のお膝元。其処には、彼女以外の人物が佇んでいる。
「お前は──!」
その姿には見覚えがあった。忘れるはずもなかった。
伏せられていた瞳が、気だるげに開かれる。其処に、人間への──いや、この場にいる生者への慈悲はない。
鬼女──テクラは、今この時を以て完全な復活を果たした。
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