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「ど──どういうことだ、これは……!?」
篝は瞠目した。驚愕し──目の前で絶叫しながら、皮肉にも踊るように身を捩らせる村長を、ただ呆然と眺めているしか出来なかった。
人体から勝手に発火することなど、果たしてあり得るのだろうか。発火したのは紛れもなく間ノ瀬伝三の体内からで、周囲の者たちが着火した気配はない。そもそも、火を点けるにはそのための道具や、火種となるものが必要になるはずだ。
いや──可能性があるとすれば。
(まさか、呪詛──!)
此処に、術者がいたのなら。
「何をしておる! 誰ぞ、水を持て!」
大巫の指示で、篝は我に返る。そうだ、今は
村長が助かる可能性は低くとも、周囲の人々に引火することは避けなければならない。
「皆、慌てずに退避しろ! 炎の側に寄っては危険だ。決して前にいる者を押したり、炎に近付いてはならん!」
声を張り上げて、篝は避難を促す。無用な犠牲者を増やすことだけは避けたい。
しかし、突如発生した異常事態に、村人たちは恐れおののいた。我先にと言わんばかりに、彼らは御神体の側から逃げ出そうとする。それほどの人数がいる訳ではなかったが、混乱によって怪我人が出ても可笑しくはない惨状だった。
逃げ出したい気持ちがないと言えば嘘になるが、篝は何とか足を踏ん張ってその場に留まった。そして、ラミネウスの方へと振り返る。
「魔法使いとやら、お前はこの事態を予測していたな? でなければ、あの状況で俺を引き倒すなど出来はしまい」
「……たまたま、と言ったら、信じていただけますか?」
「信じる信じないの問題ではない! 人が傷付いているんだぞ! 無駄口を叩く暇など、何処にもありはしない! いつまでふざけていれば気が済むんだ、お前は!」
のらりくらりとしたラミネウスの受け答えに、篝も業を煮やさずにはいられなかった。
がっ、と洋装に身を包んだその両肩を掴み、篝は魔法使いへと詰め寄る。
とろりとした、何を考えているのか読み取らせない碧眼に、焦燥感を露にした篝が映る。しかし其処に感情らしき色は浮かばない。その代わりに、口元にはわざとらしい笑みが浮かべられていた。
「助けられた割には、横柄な口を利かれるのですね、カガリ殿。俺が貴殿の腕を引っ張っていなければ、貴殿はあの老爺から引火していたかもしれないというのに……」
「そのような答えは求めていない。この事態を予測していたのか否か、それだけを答えれば良いだけの話だ」
「……はあ、カガリ殿、貴殿程真っ直ぐな者は同業の中にもなかなかいない。とんでもない逸材ですね」
ええそうです予測していましたよと、ラミネウスは唇の端を歪めた。
「俺は間ノ瀬と契約関係にありました。契約を結んだ時点で、あの老爺には呪詛がかけられていた。俺は本体ではなく、使い魔を通して話をしましたが……。あれは、非常に根深い呪詛だった。解呪するには、相当手間のいる代物です。それに、並の術者では勘づくこともままならないでしょう。吸血鬼と同様に、彼の呪詛も隠匿されていた」
「しかし、解けない程のものではなかったのだろう? ならば解呪してやれば良かったではないか。契約金を重ねさせるなどすれば、可能だったかもしれないのに」
「そのようなこと、契約者は望んでいなかった──これだけでは、足りませんか?」
す、とラミネウスは目を細める。
「マノセとの契約は、かの吸血鬼を始末することのみ。それ以外は不干渉とせよ──と、あの老爺はかつておっしゃられました。ですので、たとえ彼に呪詛がかけられていたのだとしても、俺はその点に触れることはない」
「そんな……ならば、契約者を見殺しにするというのか!」
「ええ、それが一番望ましいのであれば。──尤も、あの呪詛は俺が初めて見た時には既に深部まで到達していました。解呪も難しかったでしょう。詰まるところ、あの老爺にかけられた呪詛は俺が訪れる以前──それも十年以上は経過している程、年季が入っている。手遅れ──と形容するのが妥当なところでしょう」
あまりにも軽い口振りで、ラミネウスは言う。顔色ひとつ変えることなく、彼は一人の生命を投げ出した。
ぐっ、と篝は悔しげに唇を噛む。
たしかに、ラミネウスの言葉全てを否定する訳にもいかない。基本的に呪詛というものは、刻印されてから時間が経てば経つ程効力を増加させる。十年以上となれば、見付けたとしても手の打ちようがないこともあろう。それに、今ラミネウスを責めたところで問題が解決する訳でもない。
(こいつの口振りは気に食わないが、言っていること全てを否定する訳にはいかない。どのような術を使うのかは知らないが、まずはこれ以上犠牲者を出さないためにもなるだけ協力を──)
協力をしなければ、と思考を改めようとした矢先に、篝の耳をつんざくような悲鳴と、一体どうなっている、という当惑する声が上がる。
「ああ、言い忘れていました。恐らく呪詛は契約者だけにかけられたものではなさそうだと、契約者ご自身がおっしゃっておられましたよ」
何処吹く風でラミネウスは
ちょうど、村長を鎮火し終えたところだったのだろう。桶を回していた神官たちが狼狽えているのを余所に、間ノ瀬の使用人とおぼしき人々が、村長と同じように炎に包まれていた。
(まさかこの呪詛──間ノ瀬家全体に及んでいたのか……!?)
だとすれば、手遅れと言うより他にない。それほど大掛かりな呪詛は、余程の手練れ──それこそ、陽向の重鎮たちでなければ解呪など出来ないだろう。
村人たちはすっかり怯えた様子で逃げ惑っている。無理もない、この惨状を目にすれば、次は自分かもしれないと思うだろう。篝も術者の端くれでなければ、同じように逃亡を図っていたに違いない。
「篝! 一旦その場より離れよ! 呪詛が発動したのであれば、必ず作動させた術者がおるはずじゃ!」
遠く離れた舞台の側より、大巫が声を張り上げる。彼女の側に夜霧とかよが控えている辺り、二人は物理的に巻き込まれた様子はなさそうだ。村祭りに参加させられている時点でどうかとは思うが。
此処は大巫の言葉に従うべきだろう。篝は水をかけられて尚煙を発している村長の体からそっと目を背けて、なるべく人がごった返しておらず周囲を見渡せる場所を探して移動する。
(大巫の言う通り、呪詛を仕掛けた者がいるのならば──長らく間ノ瀬家にいた人物だろう)
何せ、十年ものの呪詛を仕掛けるような相手だ。一筋縄でいかないことは目に見えている。
しかし、篝の心にはまだ
呪詛によって村長の口封じをするのならば、篝が村長を問い詰める前でも良かったはずだ。早いところ村長の口封じをしていれば、間ノ瀬が鬼女の核を隠匿していた事実も村人に知られることはなかった。結果的に、村人たちの信頼は間ノ瀬から離れてしまった。
(恐らく、呪詛の使い手は間ノ瀬の──いや、村長の体面を守るつもりはなかったのだろう。それなのに、十年前から続く程の呪詛をかけられる立場にある……)
呪詛を発動させたところからして、使い手がこの場にいることは確実だろう。だが、この恐慌状態では、個人を特定することは極めて難しい。
どん、と何度か背中に人がぶつかる気配がしたが、篝は構わずに思考を巡らせながら歩を進める。
(村長の呪詛が発動したのは、奴が冬の話題を口にしてからだった。──ということは、使い手は冬に対して何か後ろめたいことがあると考えて良いだろう)
この場にいない冬。冬を契機に発動した呪詛。
辿り着いた。辿り着いてしまった。最悪とも言える結論に。
(冬は──殺されたのか? 呪詛の使い手によって)
さあ、と篝の背中を冷たいものが駆け抜ける。
無愛想でつっけんどんで刺々しくて、それでも嘘偽りで己を塗り固めることなく、いっそ眩しい程純粋にも見えた冬。あの用心棒は、篝にとって頼れる人物だった。
まだ決まった訳ではない。これはあくまでも憶測だ。
しかし──一度そうと考えてしまえば、嫌でもその憶測が脳内にこびりつく。
鬼女の核の隠匿。村長に呪詛をかけてまで、その使い手は鬼女を守り、そして復活を成功させようとした。
ふうう、と篝は細く息を吐く。そして──村人の誰もが逃げ惑う中、ふらふらと御神体に近付いていく人影を見付けた。
「──何をするつもりだ」
一歩一歩、歩を進めつつ。篝は、人々とは逆の方向──すなわち御神体のある方向に顔を動かす。
まあ、とその人物の唇が動いた。彼女の衣服には汚れひとつなく、混乱の只中であるというのに不思議な程落ち着いた立ち振舞いをしていた。
「どうかしたのかしら、舞い手様──いいえ、波分様。先程からそのような……とても怖いお顔をなさっているけれど」
「……あなたは」
にっこりと、たおやかに微笑む貴婦人。然れどその眼差しは何処か虚ろで、退廃的な色を孕んでいる。
篝はその視線を真っ向から受けて──怯んでなるものかと己に言い聞かせつつ、おもむろに口を開いた。
「あなたは、鬼女をどうするつもりだ。──間ノ瀬小百合」
桐花の母を名乗っていた女──間ノ瀬小百合は、青白く血色の悪い唇に弧を描きながら、挑戦的に篝を見据えた。
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