第十四章 鬼女

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 テクラの姿は、洞窟で共鳴した際に見た──成熟した美女としてのものだった。桐花が成長していたら、十年後辺りにはこのような容姿になっていたのかもしれない。

 しかし、その視線は冷たく、近付いた者を斬り殺さんばかりの殺意で溢れている。親しみなど皆無であった。


「ああ、鬼女よ──」


 満身創痍ながらも、小百合はテクラに向かって一礼する。その顔色はもともと青白かったが、今では色をなくし、青ざめているというよりは紙のように白かった。

 血の気のない顔を向ける小百合を、テクラは見定めるように眺める。しかし、すぐに顔をしかめて不機嫌そうな表情になった。


「……事の次第はどうなっている? この私を甦らせたからには、此方の要求を完遂したのだろうな」

「はい、それは勿論。村長は始末致しましたし、御神体の汚染も滞りありません。……かの地下室を間ノ瀬で雇っている用心棒に見られたのは予想外でしたが……その者もすぐに殺害し、例の地下室にて供物とさせていただいております。むしろ、御神体の汚染がより進行致しましょう。我々にとっては幸いであったかと」

「……!」


 息も絶え絶えに小百合が発した言葉。それに、篝は反応せずにはいられなかった。


「おい、それはどういうことだ! あなたが──お前が冬を殺したのか!」


 冬について触れた直後に燃え上がった村長。その様子から、冬が殺害されたものと考えずにいられなかったが──杞憂で終わってはくれなかったようだ。

 小百合は、篝の方へ顔を向けさえしなかった。取るに足らないと判断したのか、あるいは顔を動かす余裕すらなかったのか──どちらにせよ、現在の段階で真偽を推し量ることは出来ない。

 その代わりに、篝へ目線を遣ったのはテクラの方だった。彼女は形の良い眉根を寄せて、視線のみを移ろわせる。


「黙れ」


 その一言のみで──地面がうごめき、そして篝の心臓を目掛けて鋭い枝が伸びる。

 咄嗟に篝は回避を試みたが、何せ武などかじったこともない術者の端くれ。心臓に突き刺さることは避けられたものの、地中より伸びた枝は篝の肩口を掠めた。


「っ……!」


 痛みに顔をしかめるが、弱音など吐いてはいられない。次にどのような攻撃が飛んでくるのか、想像もつかない。

 テクラはふん、と鼻を鳴らした。そして、ますます不愉快だと言わんばかりに顔を歪めた。


「あの生意気な術者もどきのみかと思ってみれば……何故外つ国の術者までもが此処にいる? そのような報告は聞いていないが」


 テクラの言葉は、小百合に向いているようだった。鬼女の側に控えている彼女は、びくりと細い肩を揺らす。


「も……申し訳、ございません。あれは村長が雇った者のようです。姿を見せたのは、今日が初めてで……。もしかしたら、今までは使い魔を介して接触していたのやもしれませぬ」

「ハッ──連中のやりそうなことだ。大方、私を狩りに来たのだろうよ。……しかしまあ、忌々しいものだ。私の殺戮を阻むとは、無礼にも程があろう」


 使い魔というのは、かよが言っていた白猫のことだろうか。何にせよ、実際にラミネウス本人が村長と交渉していた訳ではなさそうだ。

 テクラは蛆虫うじむしでも見るかのような目で、篝と同じように地に伏せているラミネウスに視線を落とす。篝は未だに吹き飛ばされた体勢から戻れずにいたが、ラミネウスは受け身を取ったらしく、すぐにでも起き上がれる姿勢でテクラを見つめ返していた。


「と──とにもかくにも、あなたは無事にお目覚めになられ、そしてかつてのお姿を取り戻された。それは非常に喜ばしいことです。このお力があれば、あのような術者など容易く始末出来ましょう」


 機嫌を損ねたテクラに不安を抱いてか、小百合は苦しげに呼吸しながらも口を動かした。先程よりも、明らかに顔色が悪い。


「つきましては、私を糧となさりませ。私は狙撃された身、もう長くはないでしょう。一族の本懐のために死ねるのならば本望でございます」

「…………」

「どうか。どうか、お願い致します。あなたのお役に立てるのならば、この命など惜しくはございません」


 小百合は懇願した。表立って口に出すことはないが、やはり辛いのだろう。むしろ、手負いで此処まで振る舞えていることに、ある種の執念のようなものを感じる。

 すがり付くような視線を送る小百合を前にしても尚、テクラの顔付きは変わらなかった。その氷の視線は、浴びせられていない篝でさえも肌が粟立つ程の威圧感を醸し出している。

「……私の糧になる? 貴様が?」


 ゆらり、とテクラの右手が動く。小百合は何度もうなずいた。

 そうか、と呟いて。テクラは眼前の女を睨み付けた。


「許すはずがなかろう」


 瞬間、飛び散るのは血飛沫。

 テクラの爪が小百合の首筋を切り裂いた。そう篝が知覚した時には、既に小百合が倒れ伏している。


「な……何故」


 何故、テクラは小百合を殺害したのか。糧にするでもなく、ただ殺すだけに留めた理由が、篝にはわからない。

 テクラは血潮を浴びて尚、顔色を変えることはなかった。返り血が、彼女の白い肌によく映える。


「……ああ、貴様、まだ生きていたのか。さっさと死んでいれば楽だったというに」


 不愉快そうに眉を潜めながら、テクラは篝の方を向く。ぞっとする程に冷酷な眼差しだった。

 篝は唾を飲み込む。身を起こすこともままならなかったが、どうにか顔だけを上げてテクラを見つめる。


「何故、その女を喰わない? お前は、村の者たちを喰ってきたのだろう? その女を喰えば、お前の空腹は満たされるだろうに」

「黙れ」


 テクラはそう篝を咎めたが、挙げかけた右腕を不意に下ろした。そして、すん、と小さく鼻を動かしてから顔をしかめる。


「……火は嫌いだ。この女は、火を用いた呪詛の使い手。私とは相容れない存在だ。喰らうだけの価値などない。このようなおぞましい呪詛を使う人など、腹の中に入れたくはない」

「……それは」


 焚刑ふんけいに処されたからか──とは、問いかけられなかった。

 テクラはじろり、とその場に立ち止まったまま周囲を見渡した。暴風は既に止んでいるが、姿勢を崩さずにいられた者はそういないだろう。篝にはそういった余裕はなかったが、その場にいる誰もが暴風を受けた時の状態を維持せずにはいられなかった。

 そして──鬼女の目は、ある一点にて止まる。


「……貴様、まだ生きていたのだな。忌々しい怪異狩りめ。このような辺境の島国まで、私を追うか」


 ラミネウスに浴びせられる眼差しは、あまりにも冷ややかな敵意に満ちていた。これが初対面という訳ではないようだ。

 ラミネウスはというと、立ち上がるまでにはゆかずとも、体勢はある程度整えている。しかし先程まで浮かべていた、余裕ぶった微笑みは消えていた。


「当然だろう、吸血鬼。お前は上手く逃げおおせたつもりなのだろうが、生憎情報はいくらでも入るんでな。居場所を特定するのに、五百年もかからなかった」

「……化け物め、そうまでして異端を裁くか。貴様もまた、異端にあたる存在であろうに」

「残念ながら、俺はお前よりも要領が良いんでね。排斥されるような立場に甘んじはしないさ。幸いなことに、かの偉大なる女王陛下は俺のような存在をも受け入れてくださる。役立つものであれば、異端などお気になさらぬ寛大なお方だ。このような場所でしか生きられないお前とは違うんだよ」

「この──プーカごときが!」


 何やら聞き慣れない単語を発したかと思うと、テクラは怒気を衝撃波に乗せてラミネウスへぶつけんと試みた。

 しかし、ラミネウスも黙って攻撃を受けるような相手ではない。体を丸めて前転するような形で衝撃波を避けると、テクラを目掛けて駆け出した。


(あいつ──テクラを殺すつもりか)


 一瞬だけだがたしかに見えた、ラミネウスの表情。其処には、静かながらも確実な殺意が滲み出ていた。

 篝は痛む肩口を押さえながらも、どうにか起き上がる。テクラの目がラミネウスに向いている間を利用して、自分も動かなくてはならない。


(だが──どうやって殺すんだ……?)


 共鳴した記憶の中にいたテクラは、もともと衰弱していた上に福寿にその権限を半ば乗っ取られるような形で身動きを封じられた。柊で目を突かれたと聞いていたから、鬼の弱点が通じるようではある。

 しかし、それはあくまでも長期間をかけた上での話。今からテクラをすぐに弱体化させるというのは、少なくとも篝には難しい話だ。

 ラミネウスなら、鬼の殺し方を知っているだろうか。魔法使いだという彼は、テクラとも面識があるようだ。自分が出るよりも、ラミネウスの思うままにさせておいた方が、事は上手く収束するのではなかろうか──。


(……いや、それは駄目だ)


 自らの胸中に浮かんだ弱気な考えを、篝は頭を振って打ち消した。

 傍観者でいてはならない。金峰村の因縁に首を突っ込んだ以上、自分なりのけじめを付けなければ。そうでなくば、桐花に面目が立たない。

 痛みに眉根を寄せながらも、篝はよろよろと立ち上がった。桐花と約束したからには、それを違える訳にはいかない。やれるだけのことはやり通さなければ。

 篝は一度目を瞑ってから、おもむろに瞼を持ち上げる。そして、真っ直ぐに鬼女──すなわちテクラの姿を見据えた。

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