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 恙無つつがなく村祭りの準備は整えられ、普段ならば誰も寄り付くことがないという御神体の側には多くの村人が集まっている。彼らの表情は様々だが、極端に明るい顔をした者は今のところいなさそうだ。

 篝は静かに深呼吸をする。まだ舞台の上に上がってはいないが、張り詰めた緊張感が絶え間なく全身を駆け巡っている。

 現在、大巫と彼女に仕える神官たちによって、祝詞のようなものが捧げられている。この儀式が一段落すれば、次は篝たち舞い手による神楽の披露であった。


「……緊張しているのかい?」


 おごそかな場にも関わらず声をかけてくるのは夜霧だ。

 篝は咎めるように無言で彼女を睨むが、それが効く相手ではない。夜霧はふっと口元をほころばせてから、お互い頑張ろう、とだけささやいて何事もなかったかのように篝から顔を背けた。相変わらず自由人である。

 ちらりとかよの方を見ると、彼女も篝と同じように緊張しているのか、少し青ざめた顔で固まっていた。無理もないだろう。むしろ落ち着いていられる方が稀有けうというものだ。


(……大丈夫、きっと上手くやれる)


 何度となく自分に言い聞かせる。そうでもしなければ、篝の両足は竦んでまともに動かなくなってしまいそうだった。

 大丈夫だ。出来る限りの稽古はつけた。余程の大失敗でもしない限り、ホフリの君に咎められることはないだろう。彼は其処まで性の悪い神ではない──と信じたい。

 近くに付いていた神官に促され、舞い手たちはしずしずと舞台へと上がった。ぎしり、ぎしりと軋む舞台に、篝の心臓は締め付けられるかのような感覚さえ覚える。


(……やり遂げなければ。この村に連れてこられて何よりも先に負った役目は、舞い手として神楽を舞うことなのだから)


 衣装が重い。塗りたくった化粧は、己が不安を隠してくれているだろうか。

 ふぅぅ、と篝は細く息を吐いた。やるしかない、此処から逃げられる術など、何処にもないのだ。

 神官たちが、管弦を鳴らす。それが、神楽の始まりを告げる合図であった。

 舞い手たちは、音に合わせてしずしずと、然れど何処か覚悟を決めたかのような意志の強さを感じさせつつ舞い踊る。神楽舞台を見上げている村人たちは、皆一言も発することなくその様子を眺めていた。

 当代の舞い手たちは、言っては何だが皆素人である。金峰村の村祭りを見てきた訳ではなく、長期間稽古を付けられた訳でもない。そういった点をかんがみれば、舞い手たちの神楽舞はたどたどしく、つたないものに見えるかもしれない。


 ──だが、村人たちは野次を飛ばすことなく、静かにその神楽舞を見つめていた。


 これまでの舞い手たちは、自分が死ぬかもしれないという恐怖に怯えながら舞っていたのだろう。技巧はあれど、滲み出る負の感情は隠しきれていなかったはずだ。──いや、怯えていたのは、村人たちも同様であろうが。

 勿論、篝を筆頭とする当代の舞い手たちも、自分たちが身代わりのために集められたということを十分に熟知している。

 おぞましい、異形としか言い様のない獣も見た。この地に伝わる伝承と因縁を知った。そして──これは篝に限ったことだが、甦った鬼女と邂逅かいこうした。

 それらの体験は、恐怖を煽るにはうってつけだっただろう。自分は贄のように死ぬのかもしれないと、怯えたこともあっただろう。

 それでも、舞い手たちはうつむかない。前を見据えたまま、一心不乱に神楽を舞う。

 幼いかよは歯を食い縛りながら、小さな身体を目一杯動かす。不安も抱いているに違いない。だがそれを表に出すことはなく、気丈に舞い手としての務めを果たそうとしている。その姿は何ともいじらしい。

 唯一の男性である篝は、その眼差しを憂いに沈ませることなく、確固たる意思を内包した瞳で舞い踊る。本来ならば女性が身に纏うはずの衣装も、違和感を醸し出すことなく篝の身体を包み込み、彼を舞い手たらしめている。ひらりひらりと揺れる袖口や、細かな金属音を立てる頭飾りは何とも儚げで天仙をも想起させるのに、篝の表情から滲み出るのは生を諦めない人間臭さ。絶対に死んでなどやるものかという、ある意味神への挑戦的な覚悟が見て取れた。

 そして──夜霧。

 彼女の視力が人よりも低いことを理解する者は、観衆たる村人たちの中でもごく一握り──もしかしたらいないかもしれない。間ノ瀬とて、人買いから女を買ってこいとは命令したが、舞い手となる娘たちと親しく接したことなどないのだから。

 かよに手を引かれずに舞台へと上がる夜霧の足取りは、普段よりも弱々しく、覚束ないものだった。彼女を見守る大巫や神官たちも、これで良かったのだろうかと不安感を掻き立てられたに違いない。


 だが、その不安は杞憂に終わった。


 稽古の間は、位置関係を上手く掴むことすら難しかった夜霧だが、そのような出来事などまるでなかったかのように神楽舞を舞っている。私は最初から周りが見えているのだ──とでも、言わんばかりに。

 それでも篝やかよ──そして、夜霧と稽古の場を共にしてきた者たちは知っている。彼女が、どれだけの努力で他の舞い手と同じ土俵まで這い上がってきたのかを。

 涼しい顔をしてはいるが、夜霧は血の滲むような努力を──舞い手としての責務を果たすことを望んだ。その意図を感じ取れぬ者は、少なくとも神域にいた者たちの中には一人としていない。

 舞い手たちの神楽は、三者三様であった。だが、どれも生に対する飽くなき貪欲さと、金峰村に巣食う影ですら相手取ってやるとでも言うかのような意地を併せ持っていた。

 美しい──と感じた者は、どれだけいただろうか。今までの神楽舞とは比べる基準が違いすぎる、と思った者は。

 観衆たちから言葉を奪ったまま、神楽舞は終了した。ひとつの不手際もなく、神事は完遂されたのだ。

 舞い終わり、指定の立ち位置へと戻った舞い手たちは、一斉にたおやかな礼をする。これは神事のため盛大な拍手が送られることはなかったが、誰もが諸手を打ちたい気分だったに違いない。

 ──が、一礼した舞い手たちは立ち去らなかった。


「──間ノ瀬の長よ」


 口を開いたのは、男性の舞い手──篝であった。

 彼はその場に留まることなく、舞い手の装束には不釣り合いな程威勢の良い足取りで、ずかずかと大股歩きをしながら舞台を降りていく。神楽舞の際に見せていた儚さは何処へやら、その立ち振舞いは男のそれにふさわしい。

 呆気に取られている村人たちを余所に、篝は特別に設けられた席──間ノ瀬家の血族、そしてその使用人たちが座する場へと向かった。そして、村長──間ノ瀬伝三の前で立ち止まり、じっとその顔を見下ろす。


如何いかがでしたか、我々の舞は。寄せ集めの素人のものにしては、なかなかの完成度だったとは思いませんか」

「な──何が言いたい」

「そのままの意味ですよ。孫娘の身代わりとして集めた者たちの神楽舞はどうであったかと、そう聞いているだけのこと。あなた方のお眼鏡に敵ったか、一度問うてみたかったのです」


 ふ、と篝は微笑む。

 不機嫌そうな顔をしていることの多い彼にしては珍しいことである──が、目の奥までは笑っていない。明確に敵意を忍ばせながら、篝は村長へと微笑みかけている。

 しかし、村長が臆することはない。ふむ、とわざとらしく顎髭あごひげに触れながら、篝を見つめ返す。


「無論、期待以上の働きじゃった。あの大巫に預けられると聞いた時はどうなることやらと思うたが……。これだけの神楽舞であれば、ホフリの君も満足じゃろうて」

「そうですか。それならば僥倖ぎょうこうというもの」

「舞い手たちには、近々褒美をたまわせなくてはならぬな。こうまで良い働きをしたのだから、村だけではなく間ノ瀬から個人的な褒美を与えることも吝かではない」


 何が欲しい、と村長は声を潜めて問いかける。恐らく、篝や間ノ瀬の者たち以外には聞こえないだろう。

 篝はほう、と相槌を打った。精緻せいちな美貌が、ますます笑みを深める。


「……では、ひとつ。お願いしたいことが」

「うむ、言ってみよ」


 村長は、微笑みながら顔を寄せる篝に目を細めた。思い通りにいく──と、思っていたのかもしれない。

 だが、篝の笑みは一瞬にして消える。


「何故間ノ瀬は鬼女をかくまっていた? その理由を教えろ、今すぐにだ」


 顔を寄せはしたものの、篝の声は決して潜められることなくその場に響き渡った。

伝三は瞠目する。先程まで細められていた瞳が、極限まで見開かれる。


「な──にを、言って」

「鬼女が甦った。それが間ノ瀬桐花だった。──いや、桐花はあくまでも鬼女の別人格だが──村人が殺害されているという被害も出ているのに、何故お前はそれを隠した? 加えて、桐花が行方不明になった際にろくな捜索を行わなかった理由も言え」

「……知らぬ。たしかに孫娘は行方不明になっているが、そのような話は聞いたこともない」


 村長は否定するが、明らかに彼は劣勢であった。

 本来ならば、村人たちが彼の側に付くはずだ。金峰村の最高権力者である彼に楯突くなど、大巫などの例外を除いて誰も実行するはずがない。この時も、真っ向から村長に立ち向かうのは篝ただ一人だった。

 しかし、篝の発言に──神楽舞を拝むため御神体のもとまで足を運んだ村人たちは、ざわざわとひっきりなしに口を動かしている。


「鬼女って、百年前に討ち取られたという、あの……?」

「村人たちが喰われたのは、その鬼女の怨念だっていうのか……?」

「まだ見付かってないなら、これからも……?」


 それは、単なる憶測に過ぎない。村人たちは、何も知らないのだから。

 だが、その憶測こそが波紋を呼んだ。皆訳もわからぬまま、村人たちは何処にいるのかすら不明な鬼女に怯えた。

 ──そして、その恐怖は間ノ瀬への不信へと直結する。


「村長、本当に鬼女は甦ったのか!?」

「あんたの孫娘が鬼女だというのなら、何故ずっと放置しておいたんだ!」

「自分たち以外の村人はどうなっても良いって訳!?」


 ざわめきはいつしか怒号へと変わり、渦中の村長を糾弾する。

 顔をしかめながら、余計なことを、とでも言いたげな村長に、篝は表情を変えずに懐から取り出したものを突き付ける。


「これを見ても、まだしらばっくれようと思うか? 間ノ瀬伝三。お前ならば、これが何か理解するのは容易たやすかろう」

「そ、それは……!」


 真っ先に反応したのは村長ではなく、彼の斜め後ろに座していた桐花の母──小百合だった。

 彼女はもともと白い顔をさらに青白くさせて、わなわなと震える。そして、篝の手にあるものを見て、瞳を潤ませた。


「あなたは確か、間ノ瀬桐花のご母堂でしたね? こちらは今朝、起床してすぐに俺の自室で拾ったものなのですが──見覚えがあるのですか?」

「それは、桐花の着物です。あの子がいなくなった日に着ていたものです……!」


 何だと、と村長を糾弾していた村人たちの視線が移ろう。


「私が着付けてやったのです、よく覚えております。見間違いなどではございません。あれはたしかに桐花の着物です。それに……筆跡も、桐花のものに違いありません!」

「小百合殿、桐花がおらず不安な気持ちはわからぬでもないが、憶測だけで知った風な口を利くでない。あれが桐花のものだったとして、彼奴が鬼女だという証拠が何処にある? 筆跡など、似せようと思えばいくらでも似せられる」

「いつまでしらを切るつもりだ、間ノ瀬伝三! これが何で記されているのか、お前にはわからないのか!」


 小百合が涙ぐみながら訴えても知らぬ存ぜぬを貫き通す村長に、篝も堪忍袋の緒が切れた。

 もともとつり目がちな目尻を三角にして、篝は村長へと詰め寄る。そして、声を荒らげながら着物の切れ端を指差した。


「これは墨ではない、血液だ! この着物の切れ端に記された文字は、何者かの血液だ! これが間ノ瀬桐花のものであれ他人のものであれ、切羽詰まった状況ということに変わりはなかろう! お前は孫娘の安否や村人の安全よりも、己が保身を優先するというのか!」

「そうだ、其処の舞い手の言う通りだ!」

「間ノ瀬は何かを隠している!」

「鬼女を甦らせたのも間ノ瀬か!」


 いつの間にか、篝に賛同する村人が大多数を占めていた。此処までとは予期していなかったが、今や篝の意見を支持する村人の数は膨れ上がっている。

 万事休す、といったところだろうか。村長はぐう、と唸り声を上げつつも、これといった反論が出来ないようだった。

 このまま押し切るか。いや、何が何でも言質を取らなければならない。桐花があれだけ苦しんで、村人たちの中から犠牲者も出ているというのに、此処で有耶無耶にされる訳には──!


「少し落ち着こうか、カガリ殿?」


 それは、場違いな程に甘やかで──それでいて、たしかな牽制けんせいの言葉。

 激昂し、比喩なしに目の前が真っ赤に染まって見えた篝は、はっとして声のした方向へと視線を移ろわせる。急に第三者から介入された驚愕が、篝の苛立ちを徐々に冷ましていった。


「君は随分とお優しい人間のようだ。その生き方には惚れ惚れするが──この状況で望ましいものとは思えないね」


 声の主は、人垣をするすると避けながら篝のもとへと近付いてくる。


「あ……!おは……!」

 

 舞台の側でかよが何やら声を上げていたが、篝は彼女に反応を示すことが出来なかった。此方へ歩を進める人物に、釘付けになってしまったのだ。

 白磁はくじの肌。黄金の髪の毛。そして、見慣れぬ──おおよそこの国のものとは思えない出で立ち。両の眼窩がんかに嵌まったそれは、果たして眼球か宝石か。

 ぐ、と唇を噛んで精一杯睨み付ける篝に、突如現れた美男子は、わざとらしさたっぷりに恭しく一礼する。


「はじめまして、陽向の術者殿。俺はラミネウス・ウィスルト──大英帝国より参じた、ただの魔法使いさ」

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